1章 隠されていた手紙
「──実は、ミシェルには黙っていたことがあるんだ」
「何かしら?」
ミシェルが首を傾げると、ラファエルがこめかみを人差し指で軽く擦った。微笑みの仮面すら被れないというのは珍しい。
本当は、話さずに済むならば黙っていたかったのだろう。
葛藤が見える表情で、ラファエルが口を開く。
「ごめんね。聞きたくもない話だろうけれど……オードラン伯爵邸の隠し金庫の中に、エロワ子爵からセルジュ殿宛の手紙があったんだ」
「それはどのような……?」
久し振りに聞いたその名前に、ミシェルの心臓が嫌な音を立てる。
セルジュとは、ミシェルの父親の名前だ。
セルジュ・オードラン。かつて六歳のミシェルをバルテレミー伯爵家に売った、実の父親である。
アラン曰く、ミシェルがオードラン伯爵家に戻る二年前に急病で亡くなっているらしい。
「写しが邸にあるから、今夜見せるよ」
「写し?」
「手紙自体は証拠品だからね。騎士団預かりなんだ」
ラファエルがそう言って、今度こそミシェルも見慣れたいつもの微笑みを浮かべた。
ミシェルはその微笑みに隠された表情を想像しようとして、止めた。隠しているものを暴くというのは良くないことだ。どうせ、今夜には知ることになる。
「分かったわ。……それより、せっかくだもの。少しこの辺りを散策してみない? 帰るまでまだ時間があるわ」
「そうだね。行こうか」
ラファエルの手を取ることにも、随分と慣れた。
大きくて、固いこの手を取るとき、ミシェルはいつもどきどきする。そして同時に、これまでは味わったことがない種類の安心感に満たされる。
こんな穏やかな時間が、ずっと続いてくれたら良い。
そう、願わずにはいられなかった。
その日の夜、寝支度まで整えたミシェルが通されたのはラファエルの執務室だった。部屋には二人きりで、ダミアンもエマもいない。
ラファエルが鍵付きの抽斗から紙の束を取り出した。それが昼間話していた手紙の写しだということは、すぐに分かった。
テーブルを挟んでミシェルと向かい合わせに座ったラファエルが、目を伏せて手元の紙に書かれた文字に目を向ける。
溜息と共に吐き出された感情は、昼に微笑みに隠されたものと同じものだろう。
「先に話しておきたいのだけれど、ここに書かれていることが真実かどうかは調査中なんだ。私は、これを見ているから……ミシェルがエロワ子爵に会わなくても良いと思っているよ」
会わなくても良いとは言っているが、会う必要が無いとは言わない。それが、ラファエルの答えだ。
「見るわ。知らないままでは何も決められないもの」
「……ミシェルならそう言うと思っていたよ」
ラファエルが何かを諦めたように、紙の束をテーブルの上に置いた。
ミシェルは覚悟を決めてそれに触れる。
目の前で持つと、書き写した事務官の几帳面さが伝わる綺麗な文字が目に飛び込んできた。思っていたよりも文字が少ないのは、一枚の紙に一つの手紙を書き写しているからだ。
ミシェルはその文面を読み始めた。
──オードラン伯爵、セルジュ殿へ
先日お送りした手紙の返事をいただいておりませんが、お元気でいらっしゃいますか?
こちらの願いは変わりません。
私の愛しいエステルを自由にしてください。
私の大切な娘を、返してください。
貴方にできることは限られているでしょう。
エステルは自由に私の元へ羽ばたいてくるべきなのです。
良いお返事を期待しています。
* * *
──オードラン伯爵、セルジュ殿へ
娘はいつになればこちらへ届けてくださるのでしょう?
もう、随分待たされています。
私のような子爵にできることはないとお思いでしょうか。
正当な主張は、通るものです。
どうかお考え直しを。
* * *
──オードラン伯爵、セルジュ殿へ
娘をバルテレミー伯爵の元へやったと聞きました。
私との約束はお忘れでしょうか。
娘を返してください。
これは最後の警告です。
* * *
──オードラン伯爵、セルジュ殿へ
貴方の考えは分かりました。
娘を返さないというのならば、代わりに貴方の息子をいただきましょう。
「これは……これは、何ですか?」
紙を捲る度、ミシェルの指先は冷えていった。
パトリック・エロワ子爵がミシェルの父に宛てて書いたという手紙達。それは、どう読んでも、ミシェルとその母、エステルの話に違いない。
パトリックは、エステルをセルジュが奪ったと言っている。
確かに、エステルは生前のほとんどをミシェルと共にオードラン伯爵邸で暮らしていた。幼い頃の記憶のため曖昧だが、一人で外出するところなど見たことがないような気がする。
セルジュの娘はミシェル。息子はアラン。
そうであるならば、パトリックが『娘』と呼ぶ相手はミシェル以外にいない。
「私の実の父親は……この人なの?」
揺れる瞳で呟いたミシェルの手を、ラファエルが強く引いた。




