2章 ナタリアからの贈り物
「そんなこと、頼めないわ」
「でも……これじゃ、家庭教師なんてとても──」
アランは今夜から家庭教師を呼ぶと言っていた。伯爵令嬢として家庭教師を迎えるのに、今の服装では失礼になってしまうだろう。
ミシェルが困ってどうしようか考えていると、部屋の扉が軽く叩かれた。
「はい」
ばっと扉を振り返ったエマが、ミシェルの代わりに返事をする。
「失礼いたします」
名乗ることなく開けられた扉から、執事と何人かの女性使用人が入ってくる。女性使用人は皆、色とりどりの布と箱を抱えていた。女性使用人達が、それを絨毯の上に雑に重ねて置いていく。
「これ、何ですか?」
聞いたのはミシェルではなくエマだった。
ミシェルは積まれた布と箱を見つめている。これは、きっと衣料品だ。
「こちら、奥様からの贈り物でございます。それでは、失礼いたします」
執事達はそれだけ言って去っていく。
エマと二人きりになったところで、ミシェルは布の塊に近付いて一番上にあるドレスを手に取ってみた。ライラック色のドレスは綺麗だが、腰の辺りに油のような染みがある。大きさも、見るからにミシェルには合っていなかった。
他のドレスも、毛玉ができていたり、レースがほつれていたりするものばかりだ。
箱の中身は靴と装飾品だ。靴は大きく、装飾品は欠けたり錆びたりしてしまっているものばかりだ。
しかし、それでもミシェルは内心で安堵していた。少なくとも、これで家庭教師を迎えられないことはない。
「良かったわ。ナタリア様にお礼を言わないと」
「これ、明らかに嫌がらせですよ!?」
ドレスを胸元に抱き締めてほっと息を吐くミシェルに、エマは苛々とした様子で声を荒げる。
「それでも、ありがたいわ。私には服がないから、このままでは着替えることもできなかったもの。エマも、誰にも文句など言っては駄目よ」
アランにミシェルから話しかけることはできない。許可なく口を開くなと、言われたのはついさっきだ。いつまで適用されるか分からないその言葉に、本当はエマと話すことすらいけないことではないかという気持ちが湧いてくる。
それでも、エマと仲良くなることができれば、バルテレミー伯爵家でデジレと仲良くすることで孤独を感じないようにしてきたように、ここでもやっていけるかもしれない。
だから、アランとナタリアに口を挟まれる危険は少しでも排除したかった。
「そうね……誰かに聞かれたら『ミシェルは鈍くさくて仕え甲斐がない』とでも言っておいて」
「どうしてですか」
「その方が良いのよ。それに、そろそろ着替えをしなければ間に合わないわ」
ミシェルが言うと、エマははっと部屋の時計を確認した。間もなく食事の時間である。それが終われば、すぐに家庭教師が来るだろう。
遅れてしまったら、どんな文句を言われるか分からない。
「……分かりました。お召し替えのお手伝いをさせていただきます」
エマは仕方がないという感情を隠しもせず、山の中から次々にドレスを引っ張り出し始めた。手に取って広げては、大きさと形を確認して、寝台の上に投げていく。
「少しでもまともな服を探しますから。少々お待ちくださいませ!」
その鬼気迫る様子に、ミシェルのことを思ってしてくれているのだと胸が熱くなった。
「エマ、私も手伝うわ」
「でしたら、ミシェル様は履ける靴を探してください。これだけあるのですから、詰め物をしてどうにかなるものがある筈です!」
ミシェルは十三歳だ。まだ成長期のミシェルに、大人のナタリアの服と靴が合うとはとても思えない。それでも、どうにかするしかないのだ。
エマはミシェルに遠慮する余裕もないようだ。これまで奴隷のように扱われていたミシェルは、その方が付き合いやすくて嬉しい。
ミシェルはすぐに靴が入っていそうな箱を開けていった。ヒールが折れているもの、革が引き攣れてしまっているもの、靴裏がとれてしまっているものなど、様々な壊れた靴が出てくる。
どの靴も、まだ少女の年齢であるミシェルには大きかった。
「あ。でも、これなら──」
ミシェルが見つけたのは、灰色の靴だった。片方だけ細いヒールが折れていて、見るからに履けなくなっている。
「ミシェル様。その靴、壊れてますよ!」
「だけど、これならストラップがついているから脱げないと思うの。だから……えいっ」
ミシェルは、もう片方の靴の踵を思いきり床に叩きつけた。
「え!?」
細いヒールは当然のように弾け飛び、靴の本体だけが手元に残る。
ミシェルはほっと息を吐き、ここに来るときに持ってきた手提げ袋を引き裂いて端切れに戻し、爪先部分に詰めていった。
足を入れて何回か調整すると、どうにか違和感無く馴染んでくれた。
「どうせ、今日は家から出ないのだもの。サイズが合わない靴で高いヒールは怖いし……だから、これでいいかしら、って」
「その手がありました! ドレスは……これでしたら、どうにかなるかもしれません」
ミシェルはエマが持っているドレスに目を向けた。
それは淡紫色のドレスだった。袖口にカフスがついてすぼまっているデザインで、首回りもあまり開いていない。腰はリボンで結ぶようになっている。共生地のリボンには、葡萄酒らしい目立つ染みがあった。
スカート部分の前が開いていて、ペチコートを見せて着るようだ。
「このリボンを外して、こっちのドレスのリボンを使います。ペチコートは……あ、ここに。汚れている部分をお尻の方にして着てしまいましょう!」
袖の長さと胸の大きさ、スカート丈は、修正しなければどうしようもない。
その点、袖がすぼまっていればだらしなく見えないし、首回りが開いていなければ胸の大きさも気にならない。ペチコートの長さを内側で短くして、ウエストをリボンで結んでそれを誤魔化そうと言うのだ。
「エマ……あなた、素晴らしいわ」
顔を輝かせて感嘆の声を上げたミシェルに、エマは嬉しそうに笑った。




