プロローグ〜3度目の買い取り先は公爵様〜
新連載始めました。
よろしくお願いします。
「この娘を私に譲ってはくれませんか」
ここはオードラン伯爵邸の応接室。
ミシェル・オードランは現在の状況を正しく把握できないまま、ソファに浅く腰掛け、隣に座る今日が初対面の男性に右手を痛いほど強く握られ、硬直していた。
手を握っているのは、フェリエ公爵であるラファエル・レミ・フェリエ。艶やかなプラチナブロンドとアメジストのような紫の瞳を持つ、とても美しい男性だ。
以前いた屋敷の姉妹曰く、王家の血を引いている将来有望な若き公爵で、社交界ではその幻想的な瞳の色から『夕暮れ空の君』と呼ばれ、令嬢達の注目の的らしい。
ラファエルは感情の読めない顔に笑顔を貼り付け、ミシェルの実兄であるオードラン伯爵、アラン・オードランと向かい合って座っていた。
アランがちらりとミシェルに冷ややかな目を向ける。それから、直前の冷たさが嘘のように外行きの微笑みを浮かべてラファエルを見た。
「ですが、ミシェルは三日後にはアンドレ伯爵家に嫁に行くことになっております。いくら公爵様とはいえ、直前でそのような無茶は──」
「御託はいりません。いくらですか?」
アランの言葉をばっさりと途中で切ったラファエルが、すうっと目を細めた。ラファエルはミシェルが嫁入りという形で『売却』されようとしていることを理解しているのだ。
アランは言いにくそうにもごもごと口を動かして、視線を逸らす。しかし貧乏伯爵が王国の五大貴族のうちの一人に歯向かうことなどできるはずがない。
「……金貨千枚です」
ラファエルはそれを聞いて心から嬉しそうに笑った。
「そうですか……では私はその倍。いや、三倍出しましょう」
ミシェルははっと隣に座るラファエルの横顔を見た。
金貨千枚といえば、男爵家のタウンハウスが一軒新たに建てられるくらいの金額だ。それの三倍。最近持ち直してきたとはいえ、先代であるミシェルの父の代よりずっと前から貧乏なオードラン伯爵家の財産よりも多いかもしれない。
アランは驚いた顔を隠すこともできずに口を開く。
「よろしいのですか?」
「その代わり、この娘の今後に、その生死を含め一切関与しないと約束してもらえますか? 叶うなら、今夜にでもここに金貨三千枚を持って来させましょう」
ラファエルの言葉を聞いて、アランは全てを理解したように楽しそうな顔をする。
「ふ、ふふ。そういうことですか。──ええ、構いません。どうぞ、公爵様のお好きにお使いください」
ミシェルは絶望した。やはりさっき、ラファエルに止められても構わず、塔から飛び降りてしまえばよかった。
生死を含めミシェルの今後に一切口を出さない。その条件が必要になる身売り話など、『奴隷』か『犯罪の片棒を担がされる』かのどちらかだと相場が決まっている。
アンドレ伯爵──嗜虐趣味があるという変態の嫁になるのと、どちらがマシだっただろう。
「では契約成立ということで。この娘はこのまま連れて帰ります。ほら、挨拶は」
ラファエルが立ち上がり、ミシェルの手を離す。そして瞳が笑っていない笑顔で、ミシェルの背を軽く押した。
そうされてしまっては、ミシェルも思ってもいない言葉を言うしかない。
「──お世話になりました」
「今日を限りにお前は私の妹ではない。そのことを、肝に銘じておきなさい。オードランの名前も、名乗ることは禁ずる」
「……はい、分かりました。失礼します」
こうしてミシェルの三度目の売買取引は成立した。
この三日後、まさかウエディングドレスを身に纏って王都の教会で結婚式を挙げることになるとは、このときのミシェルは全く予想していなかった。