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償ひの道、あるいはハンムラビの法典 Codex Hammurabi  作者: ハンムラヒ王/Leonard William King(英訳)/萩原 學(邦訳)
訳者緒言
4/111

階層に就て

訳語に悩んで文献を渉猟し、佐藤信夫先生の『古代法の翻訳と解釈』に教えられるところ大であった。が、行き詰まってからの拾い読みスタイルなので、先生のお眼鏡に叶うことはないであろう。それはそれとして、佐藤先生の解釈をもってしてなお不明の事柄もあり、当時の社会構造など何とも納得行かない。

これは凡例にも書いたので、今さら変更も後ろめたい事ながら、 free-born man/freed man/slave の3階級として英訳されている a-wi-lum(アウィルム)/MAŠ.EN.KAK(ムシュケーヌム)/wardam(ワルダム) は、(一般)人/奉公人/下男下女 とするのが穏当ではないかと考える。

ムシュケーヌムというのは「身を屈める人」との意味らしく、宮廷神殿に直属する臣下という割には一般人より下位にある。我が国に於ける『侍従』は天皇陛下の側仕えとして、貴族の仕事だったと記憶するから、これは違う。バビロンに於ける神殿の上官は女性に限られたようだから、ムシュケーヌムは宦官のような者かとも考えたが、それも違うようだ。

ワルダム(男)/アムトゥム(女)についてはどちらかというと、西欧が経験した奴隷制社会よりも、我が国の近世に近い気がしてならず、「奴隷」と訳すのは躊躇う。

例えば、漱石に『坊ちゃん』という作品があり、しかし作中で主人公を「坊ちゃん」と呼ぶのは下女の『清』のみ。この「下女」とは作中にも出てくるので、彼女が "maid-servant" に当たることは疑いないのであるけれど。「清は坊ちゃんの奴隷である」と書かれて、納得する人が居るであろうか?誰よりも先に、当の「坊ちゃん」が激怒するとしか思えない。訳者が slave の一語に感じる違和感は、そういうところにある。

そもそも奴隷制とは固定された身分制度であり、奴隷の子は奴隷である。アメリカ合衆国の奴隷が家族単位で売り買いされていたのも、奴隷制が前提だから出来た事である。

ところが本書では、下女の子が跡取りになる事もあり、下女の子だからといって全て下男下女にする事を認めてはいない。加えて賃労働は未だ無かったから、雇われて働く者は下男下女しかあるまい。時間単位で労働力を切り売りする賃労働者と、何ほどの違いか。

バビロニアは下男下女を売り買いしつつも、奴隷制社会ではなかったというべきであろう。合衆国の民主主義と較べて、どちらが進んでいたのだろうか。

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