05
「あっはっはっはっは!」
今日も今日とて嫌がらせの書類を山ほど抱えてやってきたメレディスは、俺の顔を見るなり腹を抱えた。
「男前になりましたね、殿下」
俺の鼻に固定された視線が、ざまあみろ、と声高に言っている。
酔いに任せてアイリーンを攫い、感情に任せ一目惚れの真相を聞き出したまではよかった。満足して、ついでにすっかり酒も抜け、機嫌よく髪を撫でる俺に顔を寄せ。期待で無防備をさらす俺の鼻に、アイリーンは一切の遠慮なく噛みついた。
がっちり抱きしめているのは俺であり、距離をとろうにも乱暴はできないので時間を要した。ギリギリと肉に食い込む歯は、半分ほど本気で噛み千切ろうとしていただろう。そうに違いない。
名を呼ぼうが痛みを訴えようが、アイリーンは頑として噛むのをやめなかった。痛い、痛いとにかくめちゃくちゃ痛い。鼻がもげる。アイリーンの肩を掴んで、痛まないよう気を遣って抵抗する俺がバカみたいだ。
アイリーンは俺の胸に五指の爪を食い込ませ、引き剥がすのなら肉ごと持って行くと言わんばかり。そうでなくとも鼻は千切ると気合が入っていた。
あまりの痛みにわけもわからず謝罪までしたが効果はなかった。
アイリーンは気が済むまで俺の鼻を噛みしめ、解放されたのは歯形に血が滲んでようやくのことだった。そして満足するやいなや俺を置いて部屋を出て行った。どこで寝たのか、昨夜は寝所に戻ってこなかった。というか今朝もまだ再会できていない。どこ行った。
「お前、今朝は鏡を見なかったのか?」
「……」
「俺のことをとやかく言える顔じゃねえだろ」
「……」
メレディスは黙った。
先程までの嘲笑などなかったように、無表情で俺の手元へ書類を差し出す。
「ひでぇ顔」
「お互い様です」
どの口が言う。
メレディスの左頬には、天使がそれはもう立派な翼を広げていた。真っ赤じゃねえか。ひどい腫れで、何かが寄生していると言われても信じそうだ。よくもまあそんな顔で俺のことを笑ったな、こいつ。
「言葉で言ってわからないならと、きついのをもらいましたよ」
「はは! 夫人もカサンドラに染まってきたようだな。おめでとう」
「馴染んだ結果がこれでは、喜んでもいられません」
深い溜め息を一つこぼして、この話はやめましょう、とメレディスが咳払いで話題を払った。
「それよりも、宰相です。今朝は随分と青い顔をしていましたが、殿下、まさか本当に殴っていないでしょうね?」
「俺を何だと思ってる。あんな枯れ木を殴るものか」
古狸の三匹はセットだ。一匹を殴れば残りの二匹が黙っていない。特に宰相は、一番か弱いとあって暴力からは遠ざけられている。殴ろうものなら残りの二匹がどんな復讐を仕掛けてくるか知れない。面倒くさいから相手をしたくない。
「放っとけ、どうせ自業自得だ」
「……」
メレディスは不満を顔に塗ったが、否定はしなかった。
宰相のことは好きなので庇いたいが、夫婦生活の障害でもあるので沈黙した、というところだろう。面倒な男だ。
ざっと書類をめくり、嫌がらせ目的で作成されたものを抜き出し返却する。
「メレディス、アイリーンはどこだ」
「おや、見失いましたか?」
幾枚か戻されたので目を通す。……俺がしょうもない内容で作成された書類に慣れてきたことで、こいつらは手段を改めた。精巧に作成された嫌がらせの書類。宮廷貴族どもは意外と、暇なのかもしれない。国が平和で結構なことだ。
気にすべきは、メレディスが味方を増やしつつあることだろう。俺もそろそろ味方を増やしたほうがよさそうだ。一人で相手をするのが面倒になってきた。とりあえず、今夜にでもアイリーンの協力を仰ごう。
「昨晩から寝所へ戻っていない。今朝も見ていない」
「あの子は昔からかくれんぼが得意ですから、本気を出されると私でも発見は不可能ですよ」
「番犬でも脅すか」
「口を割らせるのは難しいかと。アイリーンはあいつらを可愛がっていますから」
いじめると嫌われる。
俺にとってそれは致命傷だ。
「心当たりは」
「あっても殿下には教えません」
知らないのか。となると、アイリーンはメレディスに何も言わず隠れている。自力で見つけるしかない。
「書類はこれで全部だな。下がっていいぞ」
「……はい」
無関心に書類を捌かれたのが不満なのだろうが、終わったのだから文句は言わせない。しおしおと出て行く背中を見送って、俺も立ち上がる。
さて、と。アイリーンはどこだ。




