05
わたくしだけがどんよりと肩を落とす中、レーヴェさまがそんな空気を振り払うようにはつらつとした声をあげた。
「アイリーンさま、あなたはどう? 叔父さまの妻は大変でしょう?」
レーヴェさまったら……。まずは苦労の有無を問うていただきたかった。そのおっしゃり方では、苦労があるのは前提で、知りたいのはその度合いと言っているようなものではありませんか。
……口に出すことすべてが空振りして落ち込んでいるわたくしだけれど、キースさまの悪口であれば自然に語れる。そう思われているのかもしれない。
……夫の悪口大会という初めての場に、ようやくお迎えできた義理の姉を伴って参加できるという状況で、自覚していた以上にはしゃいでいたのは事実だ。力んで上手におしゃべりできないなんて、この面子でなければ致命傷だったでしょう。そろそろきちんとしなければ。
どうお返事したものか、しばし思案する。
キースさまの妻をやることは確かに大変な面もあるけれど、それ以上に……。どうしましょう。
夫の悪口大会。わたくしが用意していた言葉はどれも、キースさまへのちょっと意地悪だった。悪口と言える程のたいそうな言葉は用意できなくて、不満としてお披露目するには弱い内容しか探せなくて。
いっそ、王妃さまを真似てみようかしら。
「そうですわね……大変、ですわね」
同意の言葉を吐いたわたくしに、レーヴェさまが色めき立つ。
「詳しく聞かせて!」
ごめんなさい、レーヴェさま。せっかく、わたくしの気分を盛り立てようとしてくださっているのに、裏切ります。
「キースさまはあの通り、大変お茶目な方ですから」
「お茶目……。アイリーンさまにかかれば、叔父さまの底意地の悪さもそこまで柔らかくなるのね」
……レーヴェさまったら、キースさまはそこまで意地の悪い方ではありませんのに。せいぜい悪戯っ子と言ったところでしょう。
「わたくしは振り回されてばかりで、息つく暇もありませんの」
「臣下のことも随分と困らせているみたいだし、叔父さまったらしかたのない人ね」
レーヴェさまは、生き生きとキースさまをこき下ろす。
「わたくしがどんなに怒っても、のらりくらりと躱してしまわれて……」
「それこそ噛みついてやればいいじゃない。鼻に歯形をつけたマヌケな叔父さま。是非、見てみたいわ」
相槌ついでにこき下ろすレーヴェさまの表情は、今日、一番の笑みかもしれない。
「アイリーンの夫であると同時に、あの子は王太子ですよ。鼻に歯形だなんて、情けなくて誰の目にも触れさせられないわ」
王妃さまの呆れ声に溜め息が混じる。
「あら、お母さま。それこそ先程のアイリーンさまの案ではないけれど、夫婦の時間をたっぷり確保できて、いいこと尽くしじゃない?」
「……確かに、胃痛を訴える臣下にはいい休息かもしれないわね」
あらあら、キースさまったら散々な言われようだわ。苦笑するわたくしへ、リリー義姉さまがそっと声をかけた。
「王太子殿下って、そんなにやんちゃな方なんですか?」
「あら、お兄さまから散々に愚痴を聞かされていませんか?」
「いいえ。メレディスさまが殿下について語るときは、ほとんどが称賛ですもの。なぜかすさまじい渋面ですけど……」
まあ、お兄さまったら。やはり奥さまが相手となると、素直に本心を語るのね。それにしたって、お兄さまがキースさまを褒めるだなんて。……近いうちに天地が逆転するかもしれない。気をつけておきましょう。
「ま、まあ……仕事はできるのよね、叔父さま」
「優秀な子ですよ、結果だけ見れば……」
普段のキースさまを知るお二人は遠い目をしてしまわれた。
わたくしはと言えば、旦那さまが評価されている現状に大満足で、持ち上がる口角を引き結ぶのに大忙しだ。
「仕事ができて、優秀で、喧嘩も強くて……。わたくしが支えてさしあげる隙がありませんの」
ぴくっ、とレーヴェさまの目元が引きつった。
「わたくしのこともすぐ甘やかしてしまわれて、ちっとも頼ってくださいませんのよ」
リリー義姉さまが華やぐより先に、レーヴェさまが鋭い声でわたくしの名を呼んだ。
「その話、そのまま惚気になったりしないわよね?」
「もちろんですわ。夫の悪口大会ですもの。悪口しか申しません」
「今の話からどう悪口へ繋がるのか、私とっても気になるわ」
「先日、散歩のお誘いをお断りしたわたくしを抱き上げて庭園を練り歩かれたお話に繋がりますわ」
「アイリーンさまの嘘吐き!」
だぁん、とテーブルを叩く音がサロン内に反響した。
「あら、悪口のつもりですわ」
「お母さまの真似をしても駄目よ!」
確かに王妃さまの真似はしたけれど、多少の不満もこもっているはずである。あの日は読んでいた本の続きが気になっていて、お散歩よりも優先したかった。だというのにキースさまったら、本はいつでも読める、なんておっしゃって。いつでも読めるけれど、わたくしはあの瞬間に読みたかったのに。結局その日は夜更かしして、翌日は欠伸を呑み込むのが大変だった。
「もう! 誰もちゃんと付き合ってくれないじゃない!」
「ですが、ヴィートラ卿への対策はきちんと決まりましたでしょう?」
「それとこれとは話が別なの! 私ばっかり夫とうまくいっていないみたいで、悔しいじゃない!」
レーヴェさまったら。わたくしと王妃さまが溜め息を飲み込む間に、リリー義姉さまがニコニコとレーヴェさまの手をとった。
「でしたらレーヴェ殿下も、ヴィートラ卿との素敵な思い出をお話ししてください。悪口大会もそうですけど、惚気話もこんな機会でないとできませんもの!」
私も惚気たい。お義姉さまの顔にはそう書いてある。
お兄さまとの惚気を聞かされるのは少々、……かなり抵抗があるけれど、お義姉さまが嬉しそうなので我慢しましょう。今後お兄さまを揶揄う為の情報を収集するのに、ちょうどいいかもしれない。
「レーヴェ、惚気てもいいのなら、話題はいくらでもありますよ」
王妃さまもニコニコと手を振る。
乙女のおしゃべりに恋の話題は欠かせない。そこに甘いお菓子と美味しいお茶があれば、いつまでだって語れてしまう。夫の悪口と同じくらい、誰かと気軽に惚気話なんてできないわたくし達は余計に。
王妃さまのお茶目な悪戯をきっかけに、わたくしの悪戯がリリー義姉さまの乙女心に火をつけた。
お兄さまとの問題が、王妃さまという最強の勝ち札により解決を約束されたことで、お義姉さまの口が緩んだのでしょう。
「レーヴェさま、いかがいたしましょう?」
便乗してわたくしもにっこり笑みを浮かべると、レーヴェさまは苦悶の表情で、頭を抱えて仰け反った。
「私もジュリアスの自慢したい!」




