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【電子書籍化】愛の為ならしかたない  作者: かたつむり3号
番外編 頼む嘘だと言ってくれ
30/40

03


「さあ、次はどなた?」


 それはもう晴れやかなレーヴェさまの言葉に、返事が出てこない。リリー義姉さまも口を噤んでしまった。視線は自然と、王妃さまへ集中する。交差した視線は、微苦笑として返された。


「それじゃ、次は私ね」


 コホン、と小さく咳払いして、王妃さまが重々しく口を開く。



「私、最近ちょっと太ったの」



 どきり、と大きく心臓が跳ねた。


「気をつけてはいるのだけど、甘味って意外とお酒に合ってしまうのよ……」


 王妃さまはかなりの酒豪でいらっしゃる。我が国の屈強な戦士達をも平然と飲み負かしてしまわれるのだから、相当だ。

 寒さも厳しくなってきたこの時期、ついつい甘い物に手が伸びるのは女の習性。動くのが億劫であるのだから当然、食べた分はきちんと己の肉体に加算される。

 そこへアルコールまで追加されるのだから、王妃さまの苦労は相当なものでしょう。


「かといってお酒はやめられないし、困ってるのよ」


 宝物庫の奥にある陛下秘蔵のお酒は、私がきちんと飲み切ってさしあげますからね、と。陛下が病状の悪化を防ぐ為、侍医より禁酒を厳命されて以来、王妃さまは毎夜のように宝物庫へ通っておいでなのだとか。


「やめればいいじゃないの。もう若くないのよ、お母さま。お酒は控えて、長生きしてほしいわ」

「お酒を取り上げることこそ、母の命を削る行為ですよ」


 レーヴェさまの呆れ声に、王妃さまはツンとそっぽを向いてしまわれた。レーヴェさまが紛れ込ませたわずかな本心に、照れる気持ちがおありなのでしょう。ほんの少しだけ、頬を染めていらっしゃる。

 コホン、と今度は大きめの咳払いがこぼされた。


「私もね、改める必要があると思っているのよ。せめて甘い物だけでも我慢しようと頑張っているの。それなのに陛下ったら!」


 語気を強める王妃さまだったけれど、その表情は澄み切っている。


「私がお酒を飲もうとすると、欠かさず甘味を用意してしまうのよ!」

 信じられない、とおそらくはレーヴェさまを真似ての発言でしょう。しかしちっとも怒気を感じられない。どうにも演技の色が濃い。……王妃さまったら、こんなに嘘が不得手でいらっしゃったかしら。もう少し巧みな方だったはずだけれど。ここではバレても構わないと言わんばかりに筒抜けだ。


「やめるようお願いする私に、陛下ったらね!」


 聞いて聞いて、とねだる幼子のような無邪気さで、王妃さまはわたくし達の顔をぐるりと見回された。聞いていますよ、とお返事する代わりに、興味津々ですといった雰囲気を醸して頷いて見せる。レーヴェさまの背負うオーラが黒ずんだ気がするけれどひとまず、こちらは気づかないフリをしておきましょう。

 もしかしたらここから、悪口に方向転換なさるかもしれないもの。……多分、きっと。


「『愛する妻の存在が増えることの何がいけないんだ?』ですって! 信じられないわ!」


 王妃さまが叩いたテーブルから、ぺちん、と小さな音がした。温厚な性格の王妃さまは、『怒る』ということに不慣れでいらっしゃる。怒りをはっきり露出するレーヴェさまを参考になさっているのでしょうけれど、どうしても発露が弱い。

 案の定、見逃したリリー義姉さまが素直に受け取り、うっとりと頬を染めている。お義姉さまったら、これは夫の惚気大会ではありませんのに。


「その愛する妻が困っているのに、ひどい夫だと思わない?」


 困っているようにも、ひどいと思っているようにも見えない満面の笑みで首を傾げる王妃さまに、レーヴェさまはいよいよ舌打ちしかねない形相になってしまった。

 この会はレーヴェさまが夫の愛を確かめる為、思い切り太ってやる、と意気込むほど思い詰めたことがきっかけだったこともあり、どうにも反応に困ってしまう。とりあえず、笑みをつくり込み顔に貼りつけておく。


「陛下は真実、王妃さまを愛していらっしゃるのですね」


 リリー義姉さまの眼差しには、熱い羨望の気配があふれている。

 長年、父親の強面に縁談を吹き飛ばされ続けた影響か、お義姉さまはちょっと恋に夢を見がちだ。


「羨ましいですわ」

「綺麗であり続けようと、これでも努力しているのよ? 陛下のおっしゃりようだと、どうでもいいみたいじゃない?」


 リリー義姉さまの素直な反応に、王妃さまの表情も溶ける。もう困り顔すら装ってはくださらない。

 ニコニコと微笑みながら、言葉ばかりに棘を生やす。しかしその棘も随分と柔らかい。


「どんな王妃さまでも変わらず愛し続けるという、陛下の愛情の深さ故でしょう。素敵ですわ」

「ぅふ、……そ、そうかしら?」

「そうですよ、きっと!」


 無邪気にはしゃぐお義姉さまの言葉に、王妃さまも嬉しそうにお返事されている。思い出したように、困った旦那さま、とこぼしていらっしゃるけれどあまり……まったく効果はない。いっそ振り切ってしっかり惚気てくださったほうがまだ対応できる。

 すっかり恋のお話に夢見心地なリリー義姉さまを尻目に、どうしようか思案する。楽しそうにされている王妃さまへ水を差すのは申し訳ない。けれどレーヴェさまを放っておくこともできない。

 わたくしがレーヴェさまの顔色を窺うべく視線を動かした瞬間、だぁん、とテーブルを叩く激しい音がした。


「もう、もう! お母さまひどいわ! 夫の悪口大会だって言ったじゃない!」

「あら、悪口のつもりですよ」

「そういうのは惚気って言うのよ! もう! 両親の惚気話なんて聞きたくないわ!」


 もう、もうとレーヴェさまが手を振り下ろすたび、叩かれたテーブルが悲鳴をあげる。

 急な感情の爆発にびっくりして硬直してしまったリリー義姉さまに、ティーカップを手渡す。すっかり飲むタイミングを逃していたけれど、お茶はまだ温かい。こぼして火傷をしてはいけないわ。

 自分のティーカップもさっさと持ち上げて、レーヴェさまが震源の地震から遠ざける。

 いい機会だと、お茶で喉を潤すことにした。せっかく用意していただいたお菓子に手もつけていなかった。もったいない。ついでに、レーヴェさまのご機嫌取りを試みる。


「レーヴェさま、このお茶とっても美味しいですわよ」


 自身の怒りにまったくの無関心を決め込まれ拗ねてしまわれたのか、レーヴェさまはテーブルを叩くことこそお止めになったけれど、ツンとそっぽを向いて沈黙してしまった。

 会話のきっかけを求め、ひょい、と手近なチョコレートを口に含む。


「レーヴェさま、このチョコレートはきっとお好みに合うと思いますわ」


 お返事はない。……手強いですわね。


「そういえばレーヴェさま、素敵な髪飾りですわね。ヴィートラ卿からの贈り物でしょうか?」

「っ……」


 ひくっ、とレーヴェさまの口元が引き攣った。今度は目敏く気づいたリリー義姉さまがぱっと表情を晴らす。


「ヴィートラ卿は、レーヴェ殿下にお似合いの品を選ぶのがお上手なんですね」


 金の髪を彩る飾りは、情熱家であるレーヴェさまの心を模したような鮮やかな赤い宝石が用いられている。花の形をした大粒のそばに散った小さな花々はまるで、あふれこぼれ増え続ける愛を表現しているようで。そのすべてがヴィートラ卿の、レーヴェさまへの愛の告白のよう。

 邪気なくさらっと褒めてしまえるのは、お義姉さまの才能ね。


「どちらでお求めの品ですの?」


 すかさず便乗する。


「~~~~っっアイリーンさま!」

「何でしょう?」

「どうして気づいてしまうのよ! 私は怒っていたのに! 聞いてほしくなったじゃない!」


 反射的に持ち上がりそうになる口角をぐっと引き結ぶ。


「お聞かせくださいませ。おしゃべりしていただきたくて、わたくしここにおりますのよ」

「これだからカサンドラは……人心掌握はお手の物ということね」


 そんなつもりはなかったのだけれど、褒められると嬉しくなってしまう。特に、この得意はわたくしが生来、持ち合わせたものではなく、身に着けたものであるから余計に。


「お兄さま直伝ですわ」


 つい胸を張ってしまって、ついつい誇らしげな顔をしてしまった。


「褒めていないわ。皮肉よ」

「それは、失礼いたしました」


 いけない、いけない。気を引き締めるつもりで、しかしどうしてか口元は緩む一方だ。……ふふ、褒められてしまったわ。


「アイリーンさまったら……」


 リリー義姉さまが呆れたようにわたくしの頬をつついた。


「レーヴェ殿下、是非、私にもお聞かせください」


 お話の軌道を修正するお義姉さまは、期待の眼差しをレーヴェさまへ注ぐ。

 溜め息を一つこぼして、ぽつり、ぽつり。言葉を選ぶレーヴェさまの頬は薄っすらと色づいている。

 お誕生日の贈り物であること。既製品ではなく、オーダーメイドであること。渡すときのヴィートラ卿の様子が大変に愛らしかったこと。照れてしまって、本人の前ではなかなかつけてあげられないこと。

 ゆっくり、ゆっくり語られる言葉のひとつひとつが染み込むように、レーヴェさまはどんどん真っ赤になっていく。


「――と、これ以上は無理よ」


 ついには顔を覆ってしまわれた。そのお姿が愛らしくて、愛おしくて。わたくしまで頬が熱くなった。リリー義姉さまに至っては、素敵素敵と熟れた林檎のようになって大喜びだ。

 むずむずとくすぐったい空気の中、普段と変わらぬ表情の王妃さまがおっとりと口を開いた。


「レーヴェ」

「はい、お母さま」

「母は、娘の惚気話をいつだって、もっと聞きたいと思っていますよ」

「……お母さまったら」


 顔を覆う指先まで赤くなってしまったレーヴェさまの喉から、きゅう、と声にならない悲鳴があがった。

 

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