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【電子書籍化】愛の為ならしかたない  作者: かたつむり3号
番外編 頼む嘘だと言ってくれ
28/40

01

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 冬も本番を迎え、そろそろ雪が降り出すかしら、と空を見上げることが多くなった。冷え切った空気は自然と人を室内へ招き、温かいお茶と甘いお菓子の誘惑は抗いがたい。ただでさえ重いドレスに怠惰の代償まで負わせず済むよう、散歩の時間は増える一方だ。

 尽きない悩みに乙女達が歯ぎしりする。そんな頃、寒さから遠ざかるように北からレーヴェさまが遊びにいらした。


「信っっじられない」


 それはもう、雪も解けるような激しい怒りを携えて。


「ジュリアスの大馬鹿者! 第二王子が立太子したから何だって言うのよ! 陛下は無事に回復されたのよ? まずは私との時間を確保しなさいよ!」


 今度こそ許さない、と頭を抱えるレーヴェさまは、怒りで顔が赤らんでいる。


「アイリーンさま!」


 強く名を呼ばれ、返事をするより先に両手を握られた。わたくしの指を折らんばかりの力がこもっている。それだけ寂しい想いをされているのだわ、と軋む指から意識を逸らす。……とっても痛い。


「開催するわよ、夫の悪口大会」


 ぐわしっ、と両の手をがっちり握り直された。鬼気迫る表情と熱意に圧倒されたわたくしは、思考を放棄してただ、何度も頷く。指先が痺れてきた。


「せっかくだからお母さまも誘いましょう。アイリーンさまも、どなたかお友達を誘いなさいな」


 盛り上がりましょうね、と破顔したレーヴェさまは大変に愛らしい。けれどわたくしの指は今にもへし折れそうだし、催すのは夫の悪口大会である。つられて笑むには共感が難しい。曖昧な、けれどそこはかとなく笑みに見えるだろう表情をなんとか顔に塗り、やんわりと指を解こうと試みる。


「甘いお菓子をたくさん用意しなくちゃ。夕飯も、朝食も入らなくなるくらい、うんと食べるわよ!」

「れ、レーヴェさま……」


 さすがにそれは、と堪らず声をあげる。

 そんな、いけないわ。甘いお菓子をたくさんだなんて、そんなこといけないわ。今日までの努力が無駄になってしまう。あんなに我慢したのに。お散歩だけでは済まなくなってしまう。

 王太子妃が散歩と称して庭を駆け回っている姿なんて、殿下だけでなく他の誰にも見せられない。


「わ、わたくしふ、ふと……」


 わたくしが何を言おうとしているのか正確に理解されたらしいレーヴェさまは、それはもうすさまじい顔で目を見開いた。


「何を言っているの!? 夫の悪口大会のあとに太ったのなら、その原因は夫にあるのよ? あなたのせいでこんなことになったのよ、って思い切り責めてやらなきゃ!」


 燃え立つ炎のような言葉は、わたくしのそよ風のような反論でより燃え上がった。


「いっそ思い切り太ってやろうかしら」

「レーヴェさま!?」

「夫の愛を確かめるいい機会かもしれないわよ? 仕立てたドレスが着られないくらい太ってしまっても、夫はそれでも愛を囁いてくれるのか。やってみる価値はあるわ」


 何やらおかしな方向に話題が駆け出してしまった。


「ヴィートラ卿はどんなレーヴェさまでも愛してくださいます!」

「わからないじゃない! 仕事に負けるような女なのよ? 醜くなったら捨てられてしまうかもしれないわ」


 じわり、と滲んだ涙はそのまま頬を滑り落ちた。


「娘のところへはどんなに忙しくてもおやすみのキスをしに行くのに、私にはおやすみも言ってくれないの。頑張って起きて待っていても、早く寝ろ、って叱るばかりで」


 声も濡れ、滴った涙がレーヴェさまのドレスに嘆きの染みをつくる。

 ヴィートラ卿ったら……。思わず瞑目する。

 過酷な労働に忙殺され、愛する妻を後回しにする。幼い子どもは少し間を空けるだけで綺麗さっぱり自分のことを忘れてしまうから。迫る危機感から些細な隙も見逃さない我が子と違って、妻は必ず待っていてくれるから。そうやって甘えている内に時間は過ぎて、ふとした瞬間に背後を振り返り、顔から血の気が引く。殿方というものは時に、そういう経験をするものだ。

 いつかお母さまが教えてくれた。わたくしの自慢のお父さまも、かつて失敗したことがあるのだという。まだ幼いわたくしに、お母さまは子守唄の代わりだと言って語って聞かせてくれた。


『絶対に、絶っっ対に二度目を許しては駄目よ、アイリーン。母である前に妻であることを忘れるような夫には、しっっっっかり反省させなさい』


 普段と変わらない優しい顔であったのに、あんなにもお母さまの笑みを恐ろしいと感じたのは後にも先にもあの時だけだった。


『第三者にもわかりやすい形で刻み込むと効果的よ』


 花も綻ぶような笑顔でそう語ったお母さまは、お父さまの鼻に歯形を残したという。キスを迫るふりをすれば成功率が上がるらしい。あれは絶対に噛み千切るつもりだった、というのはお父さまの言だ。思えば、わたくしのお母さまはちょっぴり過激なところがあった。お父さまが相手になると、ついつい加減を忘れてしまうというか、歯止めが効かなくなるというか……。しかし以来、一度としてお父さまがお母さまを後回しにしたことはないというのだから、効果はあったのでしょう。

 であれば、まさに今、レーヴェさまへ伝授するべき瞬間なのかもしれない。


「レーヴェさま」


 涙を拭う為に放された両の手を、今度はわたくしからしっかりと握る。


「開催いたしましょう、夫の悪口大会。それはもう、盛大に。そして考えましょう。ヴィートラ卿に反省させる方法を。できればレーヴェさまが身を削らない手段で」


 思い切り太る、と迷走するレーヴェさまへかける言葉としては誤った気がするけれど、心も健康も損なう思い切りなので、間違いではないでしょう。……間違っていたから何だと言うのでしょう。大したことではないわ。

 

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