地獄の沙汰もあなた次第
午後の晴れやかな日差しが照らす王宮内。
凍える冬が過ぎ、花の季節が巡ってきた。満開を迎えた薔薇は美しく、キースさまが摘んできてくれたこともあって倍嬉しい。
不意に、隣の部屋から盛大な泣き声が響いてきた。
双子だからというわけではないのだろうが泣く時も笑う時も息ぴったりで、おかげで常に奏でる声音は二重奏になる。笑っていれば愛らしいが、元気いっぱい泣かれると眉尻が自然と下がってしまう。もちろん愛らしいことには変わらないが、一度泣き出すとこちらが笑っても困っても止まらない。一体どちらに似たのやら。
なんてことを思いながら、わたくしは立ち上がりもせずゆっくり本のページをめくる。のんびり紅茶のおかわりを注いで、ゆっくり飲む。そうこうしていると泣き声はやみ、代わりにばたばたと騒がしい足音が迫ってきた。
「アイリーン!」
荒々しく扉を開け放ったのは、わたくしの愛しい旦那さま。
「なぜ加勢しない? おかげでまた追い出された」
「どうせまたお兄さまと喧嘩して、大声で驚かせて泣かせたのでしょう?」
ぐっと詰まるところを見るに、図星だ。
「……息子たちが泣いているのに、薄情な母親だな、アイリーン」
「八つ当たりしてもダメです。それに、どうせ行ったってすぐ追い出されます」
揺籠のそばには毎日、入れ替わり立ち代わり人がいる。
頬が落っこちそうなほど笑む陛下、ばあばと呼んでもらえるよう刷り込む王妃さま、領地をほったらかす勢いで足繁く通うお父さま、キースさまの血は一滴も受け継いでいないと言い張るお兄さま、純粋に愛でてくれるリリー義姉さま。他にも、殿下にだけは似てくださいますな、と血眼になって抱っこする古狸たちも手強い。
「俺たちの子なのだがな」
「ふふ、母親も父親もたくさんいて、困ってしまいますわね」
大きくなって、見分けてもらえなかったらどうしましょう。
「笑い事ではないぞ。たまにはガツン、と言ってやれ。俺は怒鳴り過ぎてもう効かん」
「ではまた今度、噛みついてみましょう」
「その『今度』とやらはいつになるやら……」
キースさまは呆れたと言わんばかりに溜め息を吐くが、その顔は晴れていた。
「しかたない、子どもたちは盗られてしまったのでな。せめて奥方は独占させてもらおう」
「あら、わたくしは代わりかついで、ということですの?」
「まさか。盗られては敵わんからな、先に占領する」
降ってくる口付けは雨のようで、くすぐったい。
「キースさまったら……」
「うん? もっとか?」
「ふふ、もう十分です」
寄せられる顔を押しのけるように手を出せば、手のひらに唇を押し当てられる。……しぶとい。
突然、また泣き声が響いた。次いで、ガタンッ! と何かが倒れる音。
「……メレディスだな」
「はい」
大方、今度はお兄さまがあの子たちに構い過ぎて泣かせたのだろう。そして、お父さまにゲンコツを落とされたお兄さまが吹っ飛んで何かにぶつかったのだ。
「あいつの愛はちと重いぞ」
「相手諸共溺れてしまいそうですわね」
「あれの奥方はよく平気だな」
「あら、お兄さまは躾の行き届いた良い夫になりましたのよ?」
殿下の顔が、うっそだろ、とでも言いたげに歪んだ。そんなに信じられない話だろうか。リリーさまは実に見事な手腕でお兄さまを躾けた。素敵で立派なカサンドラの男になったその姿は、お父さまが手放しで絶賛するほど。
「歴代最高の猟犬も、妻の前では形無しだな」
「歴代最高のカサンドラの男としては、正しい在り方ですわ」
戦場に生きる猟犬が得た安らぎの場。生き方に手を抜いて、存分に気を抜いて、だらしなく笑んでいても許される。愛を得て幸せを知って、妹離れをした。だからお兄さまの地獄はこれでお終い。
「あなたはどうだ?」
「わたくしは……」
毎日にこにこ笑って過ごせて、はみ出るほど満たされて。大事にする、あの言葉の通りに。愛されて大事にされて。キースさまはいつだって、わたくしとの約束を守ってくれる。だから、
「溺れるほどに、幸せですわ」
わたくしの地獄は、キースさまが迎えに来てくれたあの時に終わったのだ。けれど、たとえここが地獄でも、胸を張ってそう言える。
「それは何より。さすがはあなたの夫だな」
誇らしげなキースさまに、心からの笑みをもって応える。
「はい、さすがはわたくしの旦那さま」
世界一の殿方だ。
変わらない愛、揺るがない情。キースさまに愛されるわたくしは、大好きな旦那さまを笑顔にできるわたくしのことが、今はとても愛おしい。
「ではアイリーン、俺にも少し分けてくれ」
「ふぇ……?」
ずい、と寄せられたキースさまの笑顔はとても意地悪で、悪戯をしかける子どものそれで。わたくしは一瞬で茹で上がった。
「何だ、分けてくれないのか? あなたの幸せは夫婦の共有財産だぞ」
ばたばたと迫る足音がある。今、したら絶対に見られる。それはものすごく恥ずかしい。
でも、わたくしの幸せを自身のそれに含んでくれることが堪らなく嬉しくて、くすぐったくて。
迷った唇は結局、見られてもいいか、という気持ちに負けた。




