03
席に戻ると、レーヴェの意味深な笑みがこちらを向いた。
「溺愛してるのね、叔父さま」
「そう見えたか?」
「徹底して締め出すじゃない。仲間外れにして、アイリーンさまが拗ねてしまうわよ」
控えていた連中を、護衛まで含めて全員追い出す。
「できた奥方なんだ。わかってても締め出されてくれる」
例の件に触れさせたくない。俺が考えていることなどお見通しだろう。
「あらあら、ごちそうさま。それで、何を聞きたいの?」
「まずは石だ」
魔石の回収と研究、レオンの身柄保護と管理。すべてレーヴェの国に投げてある。
「叔父さまの仕事仲間が大喜びで回収していったわ。良かったの? 魔石の研究をこちらに丸投げして」
「こちらには魔石の『ま』の字もないんでな」
「持つべきものはかつての仕事仲間ね。叔父さま相手なら、喜んで情報を差し出すでしょう」
たとえそれが国家の命で秘められても、結局、人の口に戸は立てられない。……惜しめば殴りに行ってでも吐かせる。国よりも俺から逃げることの方がずっと難しいと、あいつらは知っている。
「まあ、甘い汁は吸わせてもらうさ」
「悪い顔。それでよくアイリーンさまに嫌われないわね」
「俺の奥方は俺のどんな顔でも好きだからいいんだよ。むしろこの顔を見たら惚れ直す」
「なんて自信、どこからくるのよ」
レーヴェはやれやれ、と言わんばかりに溜め息を吐き出し、肩を竦める。
「それだけ図太いなら、確かにレオンに勝ち目はないわね」
「ああ……そういえば、どうしてる?」
声に感情を込めようと苦心して、失敗した。ダメだ、爪の先ほどの興味も湧かない。
「叔父さま、もうちょっと興味ある顔してから質問してくれないかしら?」
努力はした。返事の代わりに、今度は俺が肩を竦める。
「……じめじめ、めそめそ泣いてるわよ。私の旦那さまが毎日のように訓練場に引っ張って行ってるから、体の方はかなり鍛えられたと思うわ。男所帯で揉まれて、心も少しは強くなったかもね」
「ふーん」
「もう、ちゃんと聞きなさいよ」
立腹を拳に込めて、レーヴェが乱暴にテーブルを叩く。
「で、どうするの?」
「放っとけ。国境を越えようとさえしなければ、どこで野垂れ死のうとあれの勝手だ」
「ちっがうわよ!」
だあん、と殴られたテーブルが悲鳴をあげた。
「まだアイリーンさまが懐妊されていないでしょう? そのことを言ってるの!」
俺とアイリーンの間に子ができなければ、レオンには使い道が生じてしまう。
わかっているが、ムカつくのでツンとそっぽを向く。
「カサンドラ家は代々子宝に恵まれてる」
「叔父さまは?」
「問題あるように見えるか?」
他国へ嫁いだ姪っ子まで夜の心配をしやがる。堪ったものじゃない。
「……まあ、そうよね。向こうでも女性関係はかなり派手だったし」
「やめろ! でもとか言うな。こっちではアイリーン一筋だ俺は!」
鉱山は男所帯だ。むさくるしい男共と顔を突き合わせて過ごしたあと外に出れば、大抵の女が大輪の花に見える。
「旦那さまの部隊の方々のお話だと、見かけるたびに隣の花が違ったとか。同じ男所帯で虚しい日々を過ごす彼らには、叔父さまはまさに大敵だったようだけど?」
「ああ、良い引き立て役だった。褒めとけ」
時折、堪りかねたように縋りついてくる連中を適当にぶっ飛ばしていたのだ。その姿も勇ましい、とまた女が寄ってきた。
『あんた素でモテるんだから食い散らかすなよぉ!!』『何であんたみたいなのが好かれるんだよおかしいだろうぅ!!』『俺らが金払ってやっとこおしゃべりできるような女性をぽんぽんと!!』
知るか。顔が良くて身綺麗にしていれば、その手の女は勝手に寄ってくる。
「叔父さま、最低よ」
「放っとけ。お互いそれ目的だったんだ」
後腐れなく、一夜だけの綺麗な関係だ。次の日には他人、何の問題がある。
「……アイリーンには言うなよ」
「さあ、私ってば口が軽いかも」
「縫い付けるぞ」
「自分の不実を責めるのね」
「やめろ、本当に。メレディスとの喧嘩の件で怒らせたばかりだ」
今度はどんな罰を思いつくかわかったもんじゃない。
こめかみを揉み解す俺の様子に曖昧な相槌を打って、レーヴェが声の調子を改めた。
「ねえ、叔父さま。あの子、どうして例の伯爵令嬢を好きにさせていたの?」
「……」
「あの子ならいくらでも対応できたでしょう?」
消すにしても、追い出すにしても。後宮にいた娘だ。アイリーンなら義姉上に内緒でやり遂げることもできただろう。それは否定しない。
「理屈じゃなかったんじゃないか?」
「何それ。あの子はそういうタイプじゃないでしょう」
「三年くらいしか見てねえだろ」
レーヴェが嫁いだのは七年前、十八の頃だ。
「三年も見てればわかるわよ。あの子は情に流されない」
これだ。レーヴェのこういうところが厄介なんだ。昔から頭が良く、そして慧眼。
胸の中で舌を打つ。聞かれたくないことだと知って、それでも攻めてくる図々しさは兄そっくりだ。
「叔父さま、お父さまはもう王位を譲るつもりでいるのよ。わかっているでしょう? 不安要素を残して王になるつもり?」
「……石が怪しいという話は早くからあったらしい。しかしその正体がわからない。だから俺が戻って検めるまで不用意に手を出すのを避けたんだろ」
「だから、その前に娘だけでも押さえられたと言ってるのよ。なぜ誤魔化すの?」
「俺を確実に呼び戻す為だろ! 言わせんなアホ気にしてんだ俺は!!」
「はあ……?」
イザベルのせいで男たちが惑う。その理由を解明する為に正しい手段、正しい手順で進めた調査のせいで、初動が遅れたことも原因の一つだったろう。しかし、浮上したのが石でなければ、アイリーンはきっと強引にでもイザベルを消した。彼女がレオンに粉をかけるより先に、手を打つことなど容易かったろう。けれど、浮上した不穏分子は石だった。だから計画を変更したのだ。
石の解明の為なら、鉱山に引きこもる俺を引きずり出せる。国の危機だ、俺も否とは言わない。うまく事を運べば、レオンの代理が手に入る。傀儡の王を戴くよりも、新たな王を迎えた方が国の利になる。
俺を確実に呼び戻す為に、アイリーンは自分の心を引き裂いてでもあの娘にレオンを誑かしてもらう必要があったのだ。醜聞が隠せなくなるまで、レオンが手遅れになるまで。時間を稼ぐ必要があった。その為の犠牲に己の心を差し出してでも。
娘を早い段階で処理してしまうと、レオンとやり直す可能性が残る。でもレオンの心と石と二つも不安を抱えて、それでもレオンを選ぶ利点はない。だから俺が戻ると決めて、実際に戻るまで待った。俺が戻りさえすれば、石の正体が何であっても醜聞と裏切りを理由にレオンは王家から廃される。レオンを失えば、必然として次の王には俺が据えられる。
娘の方は端からどう転んでもアイリーンの障害にはならなかったのだ。好きにさせていたんじゃない。視界にも入ってなかった、と考える方が自然だろう。もとよりあんな小娘に国を揺るがすなんて無理な話だ。猟犬の守護は甘くない。
レオンの統べる国では駄目だと猟犬が判断し、他の猟犬もそれに異議を唱えなかった。メレディスでさえ。
事態がどう転んでも、新たな次期王妃の選出も王妃教育の実施も間に合わないことをアイリーンは知っていた。だからアイリーンは最初から最後まで裏の手を使わなかった。正しい手段を用いて正しい手順を踏んで、自分は無傷でいる必要があったのだ。
カサンドラ家は国の盾、王の剣と呼ばれているが、それは猟犬が王の首を噛み千切る権利を有しているという意味ではない。不義には正義を、正しさを以って排する点では他の断罪と変わらない。公にできない手段を用いた断罪は、罪と同義だ。
結果としてアイリーンは国を損なうことなく、王太子の首を挿げ替えるだけで事を治めてみせた。
黙って聞いていたレーヴェの顔から血の気が引く。
「そんな……いつから、」
「さあな」
全てアイリーンの手のひらの上だった。まったく恐ろしい奥方だ。
「でも、そんなの……人間にそんなことできるの?」
そこには一切の情がない。あるのは氷のような理性ばかり。
己の心が千切れることも厭わず、千切れていく最中にあっても止まらない。腐敗は根から焼き尽くす。その為なら、己が心をも殺してみせる。
過たず駒を動かす一方で、アイリーンはレオンとやり直す為の努力も怠らなかった。抱える矛盾、ちぐはぐさ。不完全で、歪で――気持ち悪い。
孤独、とレオンは言ったがあれは、そんな可愛らしいものではない。最早あれは、人の在り方ではないだろう。正気ではない。
「そのこと、お父さまたちは……?」
「知らんだろうな。アイリーンのことは溺愛している。あの時は、ショックでそれどころでなかったろうし。アイリーンはその隙を見逃す女ではない」
冷静になるより早く酷な選択を迫る。時間という縛りを一つ与えるだけで、人間とはどこまでも視野が狭くなる。疲弊した心ほど御し易いものはないのだ。
「それ、あの子の兄は……?」
「気づいたから腕折ったんだろ。あのバカ、妹を止めることはさっさと諦めて、妹が一線越えた後の対策に奔走してやがった。……まあ、止めたら火に油だったろうから賢明と言えるがな」
妹のことをよく理解している。嫌になるほど、わかっている。
「レオンは、最初から切るつもりだったってこと?」
「まったくの能なしじゃなかった。王にはなれたさ」
「本当に……?」
猟犬共の中で、傀儡の王として戴く可能性が全くなかった、とは断言できない。幼い頃のレオンには、兄にも否定できない危うさがあったと聞いている。しかし、アイリーンの存在がそれを防いだ。アイリーンを支えとして立つレオンであれば、王として問題なかった。
「少なくとも、愛はあったろ」
「でも……」
「心が離れて泣くほどに、アイリーンはちゃんとレオンを愛していた」
傷ついて、悲しんで、寂しんで。あの感情に嘘はなかった。情がある、アイリーンには、心があるのだ。
「危ういわ。心があって、他人の心も推し測れるのに。自分の心はどこまでも放っておけて、他人の心は過たず含んだうえで理論を組み立てられる。恐ろしいわ……叔父さま、あの子は危ない」
何かを為す時、最も障害となるのは人の情だ。他人の気持ちに配慮できなかったが故に腐った人間などごまんといる。けれどアイリーンは、その情すら組み込んで理性的な判断ができる。情けも裏切りも、生じるとわかっていればそれは不測の事態ではなくただの予定に成り下がる。不義に突き立てる牙としてはこれ以上ないほど優秀。けれど――
「自分のことを尽く後回しにできる。それは危うい。捨て身が過ぎる。そんなことばっかやってると、いつか壊れる」
「叔父さま!」
――けれどそれを、俺が許すはずもない。
「俺が見初め、愛する女だ。アイリーンは妻として申し分ない。何の問題がある?」
猟犬としての資質など、どうでもいい。俺が欲するのはアイリーンという女性だけだ。
「……」
常勝の盾、正義の剣。大いに結構。存分に振るってもらう。惜しみなく捧げてもらう。けれど俺の敷く治世に、猟犬の牙はあり得ない。猟犬に噛みつかれるような愚王に、なってやる気はないのだ。俺のそばで、お利口にお座りしてろ。
「ただなあ、なぜあそこまで自分を粗末にできるのか。そればかりがわからん」
「人の心まで駒のように扱う。その罪滅ぼしではなくて?」
「限度があるだろ。あれは、そういう類のものじゃない」
あれはそもそも、自分を大切にする気がこれっぽっちもない奴のやり方だ。
「心配?」
「もちろん。俺の奥方には、常に笑んでいてほしいからな」
「……溺愛ね」
「当然だ。溺れるほど愛してやるさ」
アイリーンは、自分が愛されていることを知っている。他者の中での自分の評価も価値も立場も、過たず理解している。
「やだやだ、惚気ちゃって」
「なあ、愛されている自覚があって、それでも自分を大切にできない。なぜだ?」
「知らないわよ。知りたくもない」
「そう言ってやるな。俺の妻だぞ」
レーヴェの表情が苦悶に歪む。アイリーンを可愛がっているのはレーヴェも同じだ。嫌うことを嫌がるほどには、情がある。
「叔父さま……あの子、大丈夫なの? 王妃にするの?」
「俺の嫁なんだから王妃になるだろ」
「叔父さま、ここまでくると気持ち悪いわ。言わせたのは私だけど、どうして言うのよ」
滲む嫌悪感に顔をしかめたレーヴェの鼻を弾く。
「さあ、何でだろうな?」
「……昔っから意地悪よね。いつか愛想を尽かされるわよ」
「ははは! そうならんよう励むさ。アイリーンに見捨てられたら、俺のような柄も口も悪くて意地の悪いおじさんは、お先真っ暗真っ逆さまらしいからな」
「ほんっとうに意地悪……!」
呵々大笑する俺とは対称に、レーヴェはとんでもない渋面で苦々しく言い捨てた。




