008 異動
デスクトッププリプレスオペレーターとして、印刷工としての日々に別れを告げ、手はインクで汚れることなく、高温、高湿度の中での肉体労働とは正反対の、パソコン画面上とデジタル出力機の操作を生業とする、今的な職場で過ごしてきたのだけれど、この度、会社の都合上でまた異動することになり、その場所は元いた奈落の工場である。
工場の高齢化が進み、上は76を筆頭に平均年齢が50歳の現場で構成される現場であると言うこともあり、肉体的な限界の声も聞こえ始め、実際に体調を頻繁に崩し、休むことが多い人が出るようになったので、現場経験のある「若者」として、投入されるに至ったのである。
もちろん僕が最年少である。
「お別れですね。ここはなんの問題もないので、必要とされている工場で頑張って下さい」
そんな事を作業中の画面から目を離さず、切れたナイフの如き冷たい口調で言うのは、私がデスクトッププリプレスオペレーターとして新たなる人生を始めた頃に、ちょうど専門学校卒業予定で入社してきた我が課の紅一点、田所さんであった。
「杉岡さんがいなくなっても、何も問題はありませんよ。むしろ作業が捗るくらいです。営業から異動してきた上杉さんもいますから、戦力的にマイナスになることなんてありませんから」
「哀しいくらいに、思いやりも愛情も何もないよね。心に何も思うことが無くたって、ここは一つ、寂しいですよとか言っておこうよ。それが大人のマナーっていうやつだろう。僕が何かしたとでもいうのかい?」
「何もしなかったんですよ。そこが問題なんです。新しいことを覚えようとはせず、現状に満足し、向上心の欠片もない。それじゃあ。社会人として駄目なんですよ」
そう言う彼女の視線の先を見てみると、てっきり作業をしていると思っていたらインターネットを見ていたようで、そのサイトのキャッチコピーは、
「ブラックで自分の可能性を埋もれさせない。できる女性のための就職情報」
みたいなことが掲載されていた。
「いいかい?上を見たところできりがないし、ここより下は無いと思うかも知れないけれど、以外と世界は底なしで、藻掻けば藻掻くほど泥沼にはまることも多いんだよ。過去に一緒に働いていて、辞めていった人たちの中でその後に生活が良くなったと言う人の話は聞いたことがないけどなぁ」
「それが努力した結果であるならば、まだ理解もできますよ。だけど何もしないで泥沼の底で漂っているだけというのは駄目ですよ」
「努力といのはひとそれぞれに、努力できる総量の違いがあって、もの凄く努力できる人からすれば、ほんの少しの努力しかできないのに力尽きてしまう人を見た時に、その人は努力してないと見えるかも知れない。だけどその人は、その人ができる最大限の努力をした結果なんだよ。蛙だって、アメンボだってって言うだろう?」
「蛙やアメンボに努力するという思考はないと思いますけれど、それについてはもはや水掛け論の戯れ言です。考え方の一致は無理でしょう」
「なんとかなるさ」
「どこかのドラマのタイトルを出さないで下さい。むしろその考え方の結果が今の現状であると言えるじゃないですか」
「けどさ、その僕とほとんど同じ状況の職場で働いている事をどう思う?」
「……それは盲点ですでした!!」
「そう言えば、僕も田所さんと同じ年齢の頃は同じように考えていたよ。僕はここで羽根を休めているだけなんだ。そのうちここから飛び立って、自分がいるべき場所に行くんだって思ってたよ。だけどね、熱すぎずに冷たすぎないこの世界は、案外とぬるま湯で居心地がよくなっちゃうんだよ」
「……まさに地獄絵図ですね」
「人はこれを負の連鎖と呼ぶ」
「私を巻き込まないで下さい」