001 父さん、会社が倒産したよ
僕の名前は杉岡龍児。
今年で47歳になる。
中年と言うより、もはや初老と言って良い年齢ではあるけれど、そんな自覚は全く無くて心はいつまでも14歳であると言ってはばからない。
清らかに貞操を守りつつ、純な気持ちを大切に持ち続けている心は初心な少年であると言っておこう。
妻子も無ければ、結婚暦も無く、だから当然の様に離婚歴も無い。
そう言えば、友達もいないなと思いつつ、孤高に生きる一匹のはぐれ狼純情派であると自画自賛したりするのだけれど、別にこちらから拒んだりしているわけではない。
むしろウェルカムヒアであると言えるだろう。
ドンと恋である。
変換ミスで表示された「恋」という文字で上手い事を言ったなどと悦に入りながら、僕の物語を始めよう。
アニメやマンガの学園ものならば人の輪郭だけで表情も描かれないモブである。
ラノベならば主人公達と同年代に生きているだけの描写もされない存在でしかないのだけれど。
僕が書く僕の物語であれば、僕が主人公であったとしても何も問題ないはずである。
誰かに迷惑をかけることも無い。
たぶん、きっと、そうであってほしいと願わずにはいられない。
それすら許されないと言うのならば僕は何のために生まれてきたのであろうか。
きっと多くの人のそんな事は知らねぇよと、言う吐き捨てている様な言葉が幻聴として聞こえてくるのだけれど、ここは一つダメな人間の模範として今後の人生の参考の一つと頭の中の片隅に留めておいてくれる事を願うのだ。
ようやく街の雪が解け始め、少し早い春の陽気で道路のアスファルトが見えるようになった昨日。
20年務めた会社が倒産した。
僕は無色になった。
Coolorless。
色に関する仕事をしていた僕にとっては、なんて素敵な最適な誤変換であろうか。
シアン、マゼンタ、イエロー、ブラックなどのインクを混ぜ合わせて調合し、様々な見本に合わせた色を作るのも僕の主要な仕事の一つであり、会社が倒産した事でそれが無色になると言う、なんて皮肉が聞いているのだろうかと思わずにいられない。
改めて正確に記載させてもらうならば、僕はUnemployed/無職になってしまったのである。
残業が毎月100時間で残業代無し、工場の中は年間を通して気温30度・湿度60%の高温多湿。
ボーナスも住宅手当も燃料手当も無く、辞めていく人も後を絶たない状態だった。
それでもこの地獄のような日々に慣れてしまっていた僕は、このままこの生活が続いていくんだと根拠もなく思っていた。
ほかの残った社員も同じようにハードMな人達ばかりだったので、きっとハァハァ言いながら働いていくのだと。
先に根を上げたのはハードSだった会社のほうだった。
正確に言うならば、試合に勝って勝負に負けた感があるのだけれど、そんな訳で僕が勤めていた会社は倒産したのである。
新たな未来に夢と希望を胸に抱き、羽ばたくには何よりも先立つものが必要であるのだけれど、給料は未払いとなっている。
僕は宵越しの金は持たない主義の男であるので、給料日を前にして銀行の口座三つには残金は皆無である。
20年分の退職金は中退共というところに手続きをしてからひと月ほどかかるらしく、失業保険も手続きしてからひと月近く先であるために所持金は財布の中の186円である。
無いものは無い。
背に腹は代えられないので、携帯料金代と車の保険代は同居する親に借りるしかない。
生命保険は連絡して事情を話し、その他のものは滞納して、金が入りしだい払う事にする。
そんな訳で親に会社が倒産した事を伝えなければならないのだけれど、どんな反応をするのかと思い悩むのであった。
親父は現在71歳になり、現役の大工である。
息子の出来が悪く、稼ぎも少ないためにその歳になっても隠居するわけにはいかないのである。
個人事業主の日給月給制であるために夏場は今でも手取りが僕の倍以上になる事もある。
なんにしても今回は非常事態であって、以前のパチンコで借金を300万ほど作って債務整理した時とは違うのだ。
その時の返済は四年半かけて完済し、今はブラックではあるけれど借金のないきれいな身の上である。
確かに今も金がないのは銀玉遊戯に勤しんでいるからではあるのだけれど、依存症である僕に何ができると言うのだろうか。
僕は現実に目をつむり、全ての問題を先送りにすることで生きてきた。
それが僕であり、僕である。
既に生まれて約半世紀。
いまさら生きざまを変える事も、矯正することもできるわけもないのである。
人生に必要な事は開き直る事だとどこかの誰かも言っていたはずである。
あのプライドが高かった社長が倒産を社員の前で発表した時、逃げずにいたののもそういう事だろう。
弁護士に任せっぱなしにせずに社員の質問に答え、ここに至るまでの経緯を丁寧に、弁護士がまだ話すかという顔をするくらい語っていた。
個人的にはその責任感をもう少し前から発揮してくれればまだ何とかなったんじゃないかと思うのは確かなのだけれど、生きざまを見せたのは確かである。
リアルに嫌気がさして異世界にでも行こうかと思ったところで、アニメやラノベや漫画の様にチートな主人公として異世界転移が出来るほど世界は優しくできて出来いないのである。
僕はスマホを取り出し、親父にメールすることにした。
「父さん、倒産したよ」
昨日は僕も帰りが遅く、同居する親に言い出す機会を失ってしまった為に今日は普通に仕事に行くと家を出て車でブラブラしながらメールを送る時期を親父が家に帰って来る時間を狙って送ったのである。
すぐに返信が来ると思ったが、親父からは返事は来ない。
親父からの返事を待つ中、まだ会社が維持していけるくらいには利益を出せていた頃を思い出す。
そう言えば、一緒に働いていた人たちは今どうしているのかと思うのだ。
そんな中で数少ない女性社員だった田所さんとのいい加減な会話を思い出し、僕は一人車の中で思い出し笑いしたのだった。