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けあらしの朝 24  作者: 翼 大介
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人生迷い道

 6月ともなれば日の出も早い。会社の駐車場に集合した3時を過ぎた時点で薄明るく、太陽も急くように蠢いているのではとさえ思えた。博之は水平線から昇る太陽を見ているうちに昔の記憶が一つまた一つと蘇り感慨に耽ったが今日の釣行はリスタートである。今、目の前にある景色をインプットして行くことが自分に課せられた使命なのだと余計な感傷は引っ込めた。

 車から降りると身震いがした。晴天ゆえに放射冷却が効いて朝方はまだ肌寒い。しかし天気予報では午前9時頃からジリジリと気温が上がり昼間は軽く汗ばむくらいになるとのことだった。

 (施津河のカレイ釣りは今頃から盛夏の前と夏が過ぎて晩秋辺りが釣期だ。しかし佐久間さんの伯父さんの船はずいぶんと大きいな。10トン、いやそこまではないか。だが今日乗船するのは12人だからスペースには余裕がある)

 朝陽を正面に見据えるように岸壁に立って明神丸という船名をまじまじと眺めているとガッシリした体格に赤銅色に日焼けした肌がいかにも長いこと海で生きて来たという証したっぷりの風貌の男が操舵室から身をひるがえし軽やかに現れた。佐久間の伯父、藤川晋作である。見るからに頑固者という雰囲気を醸し出しているが20年ほど前までは遠洋マグロ漁船に乗り組んでいたというから、そうした風体にもうなづける。下船してからは代々の家業である養殖業を継ぐとすぐに民宿と釣り船を始めたが佐久間の話ではここ10年ほどでようやく軌道に乗ったようである。ところが晋作の息子である恭一は東京でホテルマンとして働いていたのだが、昨年の夏に不慮の事故で亡くなった。恭一の妹は他県に嫁いでいて跡取りが不在となってしまったのだが佐久間はそのことについて多くを語ることもなかった。しかし博之は去年の暮れにQCサークルの資料作成で訪れた時に語った由里子の話の途中で見せた表情に翳りのようなものを感じたのだがもしかすると恭一を失ったことに思いが重なったのかも知れない。ボンヤリとそんなことを考えながら船に乗ろうとしたものだからバランスを崩して危うく海に転落しそうになったが上手いこと体勢を立て直して事なきを得たが佐久間をはじめとした同僚達は博之が船で怖い思いをして乗れなくなったという嘘を思い出して口々に冷やかしの言葉を浴びせたところへ晋作の罵声が飛んできた。

 「バカ野郎、何をボサっとしている。いいか船は静かな海に係留してても微妙に揺れ動いてるんだ。車にヒョイと乗るのとはわけが違う。船の動きに合わせてタイミング取らないと海に落ちるばかりか下手すると船と岸壁に挟まれたりするんだ。あれ、そういやお前さん見かけない顔だな。もしかして正二が誘った新顔というのはあんたか。次にまた同じことやらかしたら二度と乗せんからな、ガハハハハハ」

 晋作は博之が甥っ子である佐久間の同僚ということもあって冗談混じりにキツい言い方をしたが、一般の客であっても危険な行為と見れば真剣に叱ることもしばしばある。それは長年に渡って遠洋マグロ漁船に乗り組んでいる時々洋上で何度も命を落としていてもおかしくない場面に遭遇した経験から、たとえレジャーと言えど危険が潜んでいることを知って欲しいという気持ちの表れであった。

晋作は全員が船に乗り終えたことを確認するとここ数日の傾向からまず掛かり釣りをやると告げた。港を出て15分ほどで目指すポイントに着いたが博之は仙台在住時に何度も訪れた施津河湾でありながら一度も竿を出したことのないポイントに驚きを隠せなかったと同時に、あらためて施津河湾の広さと雄大さに何処か違う釣り場に居るような感覚に陥った。

 (おおい、由里子。施津河湾じゃ初めてのポイントだよ。お前の竿から先に降ろすからな)

 博之はそう呟くとブランクを全く感じさせない手つきで準備をした。長いこと使われずにいた釣り道具はこの日を待ちわびていたかのように竿もリールも躍動感たっぷりに博之によって操られた。仕掛けが底に着くやいなや、しゃくりを繰り返すと自分の手が感触を忘れていないことに安堵した。あとは魚のアタリを捉えて釣り上げるだけだがそれはリスタートの初日だからまずは海の匂いと風を身体で感じ取ることからだと空を見上げた時に突然、艫の左舷側でウヒョウッと歓声が上がった。声の主は野口だ。すぐに魚がヒットしたんだなと分かったが、佐久間は頼むからバレないでくれ、そしていくらでも良型で間違ってもギンポといった外道は勘弁だぜと祈るようにブツブツ言っている。メンバーの中で唯一人の課長である野口が真っ先に良型の魚を釣り上げてもらえば他のメンバーは今日一日よけいな気を遣わずに自分の釣りに没頭出来るからだ。そして佐久間のブツブツは念願通りに運びそうな様相だ。

 「よし、あの引き案配は外道ではないな。野口さんはここ施津河湾は本当に相性がいい。いつもそこそこの釣果を得るんだよ。他の釣り場じゃ冴えないんだがな。いつだったか岩手の綾里湾で二枚潮ってのに遭遇した時は最悪だった。野口さんは底は取れねえし仕掛けは絡む、なんなんだこれはとすっかり腹を立てちまってさ、それでもめげずに気を取り直して続けたがな。本当に好きじゃなかったらあそこでふて腐れて匙を投げただろう」

 「二枚潮なら俺も釜石で遭いましたよ。なんだか分からないうちにミズガレイが掛かってました。確かに底に仕掛けが着いたのかどうか判断しずらかったのを覚えてます」

 博之は遠い記憶を探り懐かしむように言った。そして再び艫に目を移すと野口の口元が緩んでいた。佐久間はさっきまで仕事中に見せるような顔つきで祈っていたのが、しめしめと言わんばかりのものに変わった。

 「おお、どうやらかなりの良型のようだぞ。見ろ、田村がタモを構えてるぜ。上手く取り込めよ。外したら何を言われるか分からないからな」

弧を描いて上がって来たのはマコガレイだった。目測で40センチ前後だろうか、田村はこれ以上ないくらいに慎重にタモ掛けをして無事に船上へ取り込むと野口は満足げに針を外してクーラーボックスに放り込んだ。

 「最も理想的な展開だ。さあて俺達もボチボチ何でもいいから釣り上げようぜ」

 佐久間が大きな声でしかもかなりわざとらしく言ったので他のメンバーはクスっと小さく笑ってうなづいた。天気予報通りにジリジリと暑くなって来たが海上をさわさわと静かに吹いてゆく風がそれを相殺するように心地よく釣りをするには申し分ないコンディションを作り出してくれた。結局、納竿までに全員に飽きないくらいのアタリが出て釣果もまずまず得られた。博之はそっとクーラーボックスを開けて自分の釣果を確認すると30センチ前後のマコガレイが6枚、アイナメが4匹横たわっていた。その中で一番良いサイズのマコガレイを釣り上げたのが由里子が使っていたタックルだったことにより満足感を覚えた。そして明神丸は爽やかな初夏の陽光を受けながら白波を立てて港へ戻った。

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