ネギ玉豚丼
卒業して数年。
彼は『就職活動の敗者』のレッテルを背負いながら、学生時代からのバイト先で勤務するフリーター。
現役就職した友人たちは、何度かの昇給がたり、フリーターの俺の月給をすぐに追い抜いてしまった。
「元気ですか、たまには帰ってきてください。今度ゆーちゃんの入学祝いをします」
休憩中に届いた、久しぶりの母からのメールは、悪意のない鋭利なもので、姉の子は、とうとう小学生になる。
そっと携帯電話の電源を落とし、残り10分で睡眠をとった。
×
"なんでも出来ていいよな"
"××君は、頭もいいし優しいし、すぐ仕事みつかるよ"
"ーー…なんか、ガッカリした"
×
たまに見る夢はどこか現実的で、どうしようもない感情を抑えた。悩んでいても、起きなくては、どうしようもない。
働く、稼ぐ。その気持ちだけでも、いいと思っていたものの、現実はそう甘くはないようで、見えない重圧が彼の背中に毎日乗せられていた。
「なあ、お前って本当は何がしたかったん」
しばらくして、店が空いた頃、店長が口を開いた。
「え、ああバイトですか?楽しいですよ」
少しやつれた店長は、大げさにため息をついて、背中をドンッと叩く。
「バイトじゃなくて、仕事。バイトが夢だった、なんてないだろ?」
彼の心にぐさりと刺さった言葉に返事をする前に、団体客が来てしまう。失礼しますと店長の横を抜け、水出しとメニューを取りに出た。
「ーーーでさあ。俺、フリーターって無理なんだよね」
若い10名程のスーツを着た男女の団体客のひとりが、女性らに向かい言う。
彼が全員に水を配り、注文を聞こうとしている時だった。
「え~、なんで?ニートは無理だけどさあ」
斜め向かいに座る、女性は言う。
「就活、失敗、の負け犬だぜ?恥ずかしくねーのかよと思うね」
「まあ、確かにねえ~」
小さめの笑いが起こった。決して、楽しい時の笑いではない。
誰に向けて言っているのかは、彼には的確な判断は出来なかったが、それは自分に言っているように聞こえた。
「バイトなんて、子どもくさいことよくやってるよね~」
笑い声のせいで、注文が聞き取れない。思わず、彼は持っていたペンを落としてしまった。
そのペンはコロコロと、男性の足元に転がってゆく。
「おにーさん、大丈夫?ちゃんと、仕事、してくださいよ」
「すいません…」
ペンを拾った瞬間に、上から先ほどより暗い笑い声が聞こえる。
男性はクスッと笑い、ゆっくり注文を読み上げた。
注文票には、少しぐちゃっとしたペン跡が移った。
「失礼いたします…」
キッチンに注文を伝え、店内に背を向ける。情けない自分に腹が立ているようであった。
彼らは、なにも悪くない。
親も友人も、世間も悪くはないのに、誰かのせいにして逃げる自分に苛立った。
どこか、正当化して、生産性のない事を強いられているように、脳を切り替えながら生活していた。
「お前、ホント自分大好き人間だよな」
「…え?」
「言い返さない、進もうとしない。"分かりました""大丈夫です""わたしがやります"ばかり。自分でやってお終い」
カウンターの隅で、何やらシフト表をみつめ計算をする店長は、吐き捨てるように彼には言葉を投げつけた。
「…べつに、自分がやれば済む話で…」
「だから、それがいけないんだよ」
「自分でやってしまうからいけないんだよ。後輩が来ても、そうだから育たねー」
「でも…」
「できるようになった奴は、次に残して進まないといけないんだ。育てられない人は、自分も育てられない。新しいところに、出てけないんだ」
「…」
彼は右手に持った布巾を、ギュッと握りつぶした。
そして彼の中で、片付けられない感情が沸き上がる。
「学生の時からここにいて、長いけど。あんなにやる気溢れてたのに、変に大人になって」
まあ、こっちは助かってるけど、などというフォローが終わる前に、また声がかかる。
その後の事は、彼は何も覚えていない。
気がついたら、時間は過ぎていて、電車に乗っていた。もしかしたら、今までも、こうしていたのかもしれないと思った。
答えの出ないモヤっとした感情は、公道で出してはいけない気がした彼はどこかに、当たってやろうと、すぐそばに立っている定食屋に飛び込んだ。
「いらっしゃいませ」
券売機で発券し、促されるように席に座る。
調理人は、炎と闘いながら、厚めに切られた豚肉を網の上で焼き、その間にご飯を盛り、ソースを回しかけてフライパンを温める。
強めの火力で焼かれた豚肉を、荒々しくハサミで切り、フライパンでソースと絡め、ご飯の上に被せた。
そこからは、あっという間で輪切りのネギを手づかみでふわっと乗せたあとに、半熟卵をそのネギの中に落とした。
「お待たせしました」
それが自分の目の前に置かれた瞬間、急いで箸を割り、味を感じる間もないくらいに無我夢中で食べ、急いで店を後にした。
帰り道での目つきはとても厳しいもので、いつにない緊張感を感じながら、この日を終えた。