1日目 神と紙
ふむ。どうやら、ここは奴らの中心地のようだな。
天に向かって巨大な四角い槍が何本も伸び、青い空への視界を狭くしながら生意気にも俺を見下ろしている。視線を落とせば様々な色の箱が行き交い、それがある一定の規則に従って停止し、奴らに道を開けている。
その奴らと言えば、薄い箱を手でべたべた触りながら、甘ったれた表情で歩行をしている。特殊な奴では、耳に固そうな輪を付けているものもいる。全く、天界から見ていた通りの出来だな。
で、その救いようの無い奴らはなぜ俺に話しかけない? 普通なら、俺に感謝の気持ちを伝えるのが普通だろ。俺は神なんだからな。お前たちに命を与えてやったのは俺だぞ?まあ、待てば誰か話しかけてくるだろう。全身白い服を着ているのはこの中で俺だけだから、かなり目立つはずだ。
「なに、あの服だっせー!」
「うわ、あのじいさん、今にも死にそうなツラしてやがるぞ!」
「あんな年寄りになりたくないわー。」
駄目だ、腹が立つ! 全く、どいつもこいつも馬鹿な奴らばかりだ! 黙って聞いてれば! どこでそんなに俺を傷つける言葉を習った! お前達を救済してやろうとやって来た物を! 今すぐお前達を滅ぼしてくれるわ! 機会を逃したな、馬鹿共が!
「おじいさん、どうしたんですか、そんなに顔を赤くして。」
「なんだ!」
こいつらの仲間わけでいう、男だった。穴のあいた白い履物に薄汚れた黒い衣服を身にまとった奴が俺の顔を覗き込んでいたのだ。
「なんでもない!」
その衣服には、“中”と書かれた金色のボタンが留めてある。周りの奴らとは違い、こいつは薄い箱は持っていない。黒い瞳に、短い黒髪。丈は俺より少し小さい位か。頬の筋肉の上がったこいつの表情から、本当に俺を気遣ってくれていることが伝わってくる。
「・・お前が俺に話しかけた最初の一人だ。良かったな、これでお前達の寿命は少し延びた。」
「寿命? 大丈夫、おじいさん? 頭打ってない?」
「打っていない。」
駄目だ、こいつに俺の言葉は通じていないのか? いや、確かにこいつは俺が喋り終わった後考えて言葉を紡ぎ出した。通じていないわけではないのか。それなら、俺の話が高度すぎて分からなかったということなのか?
「だから、お前達は今日死ぬ予定だったんだよ。」
ピシッと言ってやった。
「あ、その設定いいですね! ちょっと待ってください、メモしますんで!」
メモ? ああ、お前が取りだしたその四角い紙きれか。その手の棒で紙きれをなぞってどうする?
やっぱり馬鹿は馬鹿か・・んん!? お前、いつの間に紙に文字を残した! 一体どんな仕掛けが、っておい! まだしまうな! どんな仕組みか見せろ!
「おじいさん、見た感じ、すごい個性的なファッションがお好きなんですね。」
メモと棒が名残惜しい。で、なんだって? こせいてきなふぁっしょん? なんだそれは。やっぱり、こいつと俺の言葉は少しずれがあるようだな。
とにかく、適当に返事をするか。
「まあな。」
「全身白の、レース付きの服を着た老人。顔にはしわが深く刻まれ、顎には白くなった立派なひげが蓄えられており、僕との経験の差を思い知らされる。」
「・・なんだそれは?」
「へへっ、実は僕、去年から小説書き始めたんです。でも、中学生だから経験も浅くて。だから、慣れる為にこういう小説的な分析の仕方をするんように心がけているんですよ。今のは、おじいさんの見た感じを。」
しょうせつ、か。良く分からないが、言葉を操る物なのだろう。
待て。さっき、こいつは俺の分析をしたと言ったな。はは、嘘もほどほどにしておけ。こっちはさほど器は大きくない。
「おい、お前。聞くが、俺のどこにしわと髭がある?」
「え? あるじゃないですか。ちょっと待ってください、鏡だしますから。」
ほう。お前がカバンから出したそれが鏡か。それを俺の方に向けてどうす・・な!? 誰だこいつは!
びっしりとしわだらけの平たい顔、薄い髪、白い髭!
「お前、こいつは誰だ?」
「おじいさんに決まってるじゃないですか。鏡は自分の姿を見る為に使うのに。それより、声が震えてますけど大丈夫ですか?」
ほ、本当に俺の姿はこれなのか? 確かに、自分で顔を触ってみると、感触が一致している気がする。
俺の認識している自分の姿は、もっと張りとツヤのある肌を持っていたはずだが。
そうか! 天界では時間が止まっていた! ここに来て急に時間が進むようになったから、俺の姿にもこいつらと同じように“歳をとる”という現象が起こったんだ! 俺の姿はこいつらと良く似ているから、そうであっても不思議じゃない。
「おじいさん疲れてるみたいですから、僕の家に来ませんか? お茶ぐらいなら出せますよ。」
「いや、いい。お前達に世話になりたくない。」
「遠慮しないでください! ここらへん、最近治安が悪いんです! 僕、心配で心配で・・!」
ふん、知ったこっちゃない。もし俺に襲いかかってくる輩がいても、俺の力があれば死ぬことは無い。
「お願いします!」
・・おい、そんな顔して頭下げるなよ。液体が目から溢れてるぞ。しかも、周りの奴らがこっちを見てやがる。あー、嫌だ嫌だ。絶対、お前の住処なんかに行かないからな。
「どうぞ、入ってください。」
結局、来てしまった。全く、辛抱強い奴だ。ま、別に三分の制限時間があるわけではないからな。どこへいったっても大丈夫なのは大丈夫なんだが。
しかし、ボロボロの住処だな。木造建築、というやつか。昔の大工たちが作っていた、あー、なんだったかな? ほう、ほりゅ、ほりゅじ? 寺だった気はするが、その建物の質と似ている。大分昔に建てられたのだろう。今くぐった戸は穴だらけ。入口にはこれまた汚れてボロボロな履物達。
見上げれば、天井には小さく、黒くてかてかした小さな物が奥へと移動して行くところだった。あの素早さをこいつらが手に入れたらどうなるんだろうか。
「あれ、健人、この方は?」
「さっき交差点の所に立ってた人だよ、お母さん。ちょっと心配だったから連れてきたんだ。」
おい。お前はそう言うがな、俺はこの家でくつろげるとは思えんぞ。逆に、疲れてしまいそうだ。ま、俺は疲れるという現象に遭った事は無いが。
「名前はなんて言うんですか。」
もじゃもじゃの髪に、薄いピンク色の衣服。こいつはお母さんと言うのか。ま、俺の名を言ってやってもいいだろう。
「俺の名は・・。」
いや、ちょっと待てよ。ここで神と言ってしまったら、偵察の意味が無くなってしまうのではないか? 俺はこの社会の輪に入り、この地球が今どうなっているかを調べに来た。こいつらが、俺が神であることを知れば、きっと俺を恐れるか敬うかで、いつもの接し方はしてこないだろう。
「俺の名前は、おじいさんだ。」
「おじいさん、ですか。」
どうだ、文句は無いだろう。こいつが俺に付けた名前だからな。
「冗談がお上手ですねー!」
ホホホと、気味の悪い笑い方をするお母さんという奴。全く、邪道だな。
「もう、お母さん。お年寄りに立ち話させるってどういう頭してるのさ。」
「あっ。いけない。本当だわ。ささ、おじいさん、上がってください。家、平屋の上狭いですけど。」
俺を奥につれて行って、座らせ、話をすると。献身的な奴らだな。中にはこういうのもいる、というわけか。
いや、待て。唯の通りすがりに、こいつらはこんなことをするか? お決まりなら、鋭利な物で一突きするか、重い物で嬲り殺すか。ひどい時にはバラバラにしたり、解剖したりしていたはず。つまり、こいつらは俺の正体を見切り、嘘偽りの姿をわざと俺に見せているのか・・!? 何と恐ろしい奴らだ。警戒せねば。
「どうぞ、おじいさん。座ってよ。」
「いや、結構。」
「何言ってるの。腰痛めるよ。」
何言ってるの、はお前だ。何が腰を痛めるだよ。俺はこの通り飛んだり跳ねたりしても
「ハグァッ!」
「おじいさん!」
*
目が覚めた時、見えたのは穴だらけの天井だった。部屋の色はオレンジに染まり、空気が冷えてきているのが分かる。この地球の気候は興味深い点がある。っと、そうだ。俺は腰の激痛に襲われて意識が途絶えたんだったかな。
「大丈夫? まだ痛む?」
こいつ、いつの間に側にいたんだ!? 全く気配がなかったぞ!? まさか、付きっきりだったわけではあるまい。こいつらにとって、俺はみずしらずの奴のはずだ。もし、こいつらが、俺が神だと知っていたとしたら、自分で治癒できるだろ、と言って近寄って来ようともしないだろう。同じ種族を簡単に切るようなやつらだ。
「・・大丈夫だ。」
「良かった、痛くないんだね。もう、おじいさんったら、いきなりジャンプし始めるんだからびっくりしたよ。だめだよ、もう若くないんだから。」
「・・そうだな。」
なぜだろうか。そんなことはあるはずがないのに、こいつといると、なんだか・・心が安らぐような、温かさを感じる。
「僕、お母さんの夕飯の手伝いして来るね。しばらく放ってたから心配なんだ。お母さん料理下手だから、僕が居ないと何するか分からないんだよね。前なんか、僕の誕生日にケーキ作ろうとして、泡立て器で壁に新しい穴作っちゃったんだよ。どうしたらそんな風になるのかって言う事なんだけどね。あ、おじいさん、今日は泊って行ってよ。安静が一番だから。僕の家、貧乏だから医者は呼べないけど、出来る限りの事はするからさ。」
こいつ・・。
*
「いただきます!」
こいつとお母さんは、俺の周りで栄養を摂取し始めた。茶色と白の物を、どんどん口に放りこんでいく。
「カレーだよ。おじいさん、食べないの?」
「俺はいい。摂取する気分じゃない。」
嘘だ。俺は、栄養を摂る必要が無い。そもそも、物を口に入れたらどうなるか分からないのだ。
でも、こいつらが一生懸命、必死に作ったと思うと・・。
*
「おじいさん、電気消すよ。」
音がして光が消え、俺はむっくりと起き上がった。俺には睡眠という物は必要ないからな。
しかし、こいつらには分からないことが多い。昔から今までずっとこいつらを見てきたが、今日ほどこいつらに感銘を受けた日は無かったな。大部分は、クズだ。馬鹿だ。生気を失った馬鹿共だ。だが、この家の奴は違う。一生懸命に生きている、そんな感じがした。
*
朝。あいつが今日は机にうずくまり、紙を棒で一心になぞっていた。
「おい、お前。何を書いてるんだ?」
「小説。・・っていっても、別に応募するわけでもないんだけどね。」
なになに・・? ある一人の男が・・。止めた、面倒だ。まず、字がめちゃくちゃで読めない。
「僕、文章の構成あんまり良く分からないんだ。できればアドバイスが欲しいんだけど、誰も見せる人が居ないから。」
「見せる人が居ない?」
「うん。僕、学校でもいつも一人で。皆、僕を貧乏神だっていって近付かないんだ。」
貧乏神だと? 誰だ、それは? 俺は神だ。貧乏神じゃない。
「失礼な奴らだ。」
「だよね。・・おじいさんって、本当はそんなに年取って無いんじゃない? なんだか一緒にいたら、すごい同年代の感じがするんだよね。今、何歳なの?」
何歳、か。
「分からない。俺と、お前達では時間の進み方が違っていたからな。」
おいおい、首を傾げられても困るんだが。正直な話をしたまでだ。
「あ、しまったぁっ!」
「大声を出すな!」
これはなんだ! 耳がキーンとうるさい!
「原稿用紙がもうあと一枚しかない!」
よしよし、だんだん収まってきた・・。
「え、何だって?」
「はあ。もう、こんなところで年寄りなところ出さないでよ。原稿用紙があと一枚しかないって言ったの。」
それがどうした。
「買えばいいじゃないか。地球には、通貨制度があるのだろう?」
ため息をつくな、もっとちゃんとしろ。
「僕の家にはお金が無いんだよ。だから、制服も靴も全部ボロボロなんだ。ほら、これも。」
ああ、確かにお前の棒の先は綻びてボロボロだな。ふむ・・。
「よし、お前には借りがある。ここで恩返しといこうじゃないか。」
「え? 恩返し?」
俺は指をふった。シュンッと音がして、現われる新しい紙と棒。
「・・・・え?」
口をぽかんと開けてだらしない。まだ、これじゃ足りないと言うのか?
「しかたない、追加でやってやる。」
パチンッ!
突如、地面が激しく揺れ始めた。
「うわっ、なに、地震!? おじいさんが指を鳴らしただけなのに!」
「ああ、そうだ。俺が指を鳴らしただけだ。ちょっと壁の穴を見てみろ。」
「何を・・ってええええっ!? 穴がゆっくり塞がっていく! 家が、家が生きてる!?」
実際には違う。生きてるのではなく、修復をしている。壁や、床、天井の全ての穴を、周りの素材を引き延ばして塞いでいるのだ。揺れは、まるで俺達を地面から振り落とそうとしているかのように続く。
「これ、もしかして、おじいさんの力なの!? おじいさんって、何者!?」
――俺は答えなかった。
激しかった地震が収まり、外から何かの囀りが聞こえてきた。俺の知らない物だ。
この地球について、俺は知らない事が意外に多い事が、良く分かった。
*
「健人、健人~! これは、これは一体どういう事なの!?」
「実は、おじいさんが!」
こいつは、興奮した様子でお母さんにさっき起こったことを詳しく語った。俺が見ていなかった所も、全部だ。
お母さんは、何度も何度も俺に頭を下げた。信じられないからこそ、こうするしかないのだろう。
そのとき、入口のドアが叩かれた。
「すみませーん! お伺いしたい事がー!」
俺はとてつもない寒気を感じた。少しして、理由が分かった。俺の神としての勘が、俺自身の危険を察知しているのだ。
「はいー!」
止める間もなく、お母さんが戸をあけてしまった。
そこには、黒いスーツに身を包んだ、三人の男が居た。
「私、こういうものです。」
男の一人は、スーツの胸の所の小さな袋から紙きれを出し、お母さんに手渡した。あれもメモだろうか。
「神殺し・・ですか。」
俺の予感が的中した時だった。こいつらがどういう奴なのかは分からないが、俺に危害を加えようとしているのは間違いない。
「はい。ここで、巨大なエネルギー反応を感知いたしました。――調べさせてもらっても、よろしいでしょうか。」
とてつもない殺気に、お母さんと“こいつ”は怯み、後ずさった。
「失礼します。」
その隙をつき、三人組はずかずかと家に上がり込んできた。
ここで、こいつらの息の根を止めてもいい。だが、俺の力はでかすぎて、範囲をコントロールできない可能性がある。つまり、せっかく見つけたこの有能な二人を同時に殺すことになってしまう・・!
そう思った時、男の一人と目が合った!
「お前が神か。」
見つかった・・! まだ決断もしていないというのに・・!
「捕えろ!」
三人組が突進してくる! どうする? どうする?
くぅ・・俺は・・俺は・・!
「おとなしく捕まれ・・!」
パチンッ!
ぐちゃっ。べちゃっ。どしゃっ。
**
俺は何気無しに指を振り、あいつの使っていたのと同じ原稿用紙と棒を出現させてみた。同じ様に、使ってみる。
「・・この棒、なにもでないじゃん。」
ぽいっと、棒を投げると、それは放物線を描くことも無く宙に固定され、止まった。
呆然と、その棒を眺める。
「俺も、あいつらのこと、偉そうに言えないかもな。」




