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入学式の夜

「さてと…そろそろ帰りますか」


 大きく伸びをした椿は戸締まりをすると校舎を後にした。


ひたひたひた……椿が足を止めればすぐに背後から忍び寄って来る足音も止まる。


あ……またか……別に椿は自意識過剰ではなく、今までの経験からして角を右、左、右と三回曲がっても執拗に付いて来る足音は、もはや偶然を通り越して犯罪のレベルである。


 いつもなら園長と一緒に帰っているので、気にならないこの帰り道なんだけど、毎年なぜかこの季節になると、いつも椿は誰かに後を着けられている気がする。


 実際現在形で後を付けられてるんだけどね。


 ただでさえシルクのように光り輝く銀髪に青い双眸の椿は、奇特な趣味を持ったその手の人達に狙われやすい。


 一度、怒って後を着けて来るなよな! キモイんだよ!!とキレた事がある。その時は痩せたヒョロヒョロの眼鏡にギンガムチェックのシャツを着た男が虚ろな目をしてカメラを構えていた。


 「ぼ、ぼぼぼぼぼぼ…僕のルナちゃんが喋った〜!! ルナちゃんは喋っちゃダメなんだ。黙れ!!」


 目を血走りながら椿の首を絞めて来た事があって以来、椿の家族は毎年春は椿に気をつけるように言い聞かせるようになった。


 学生の時でさえも父親が心配してSPをつけたほどだ。今は2番目の姉が父親のように心配して、自分の門下生を椿のSPにつけさせている。


 「はあ〜今日も無事に家に辿り着けた……」


 職場から自宅までは電車一本で通える距離だが、駅から家までの道があまり人が通らず寂しい通りになっている。家に着いた途端、くるりと後ろを振り返った椿はいつものSPの女性にぺこりと頭を下げた。


「本日もお疲れ様でした」

「大丈夫ですよ。蘭先輩にこの後稽古を付けてもらう約束ですので、気になさらないで下さい」


 この女性が言う蘭先輩とは、私の一つ上の姉 早乙女蘭のことだ。姉の蘭は空手を長年やっていて、今では日本チャンプとしてここ何年も女王の座に君臨している。


「「お帰り〜椿(姉)〜」」


 この二人の姉達が自分に駆け寄って来る。

いつも二人には心配ばかりかけているから、もう少し強くならないと…とは思うけれど、蘭姉が言うには武道には向き不向きがあるから、私には無理なんだって。


 それに下手に素人がやろうとすると怪我をする恐れがあるからって、この四月と言う時期には毎年蘭姉の門下生を椿のSPにつけさせている。


 早乙女ゆりは椿よりも三歳年下の妹で早乙女四姉妹の末っ子二十四才。末っ子と言うと普通は甘えん坊とか言われるが、ゆりはリアリストで将来設計はばっちりだ。幼い頃からレストランのホールマネージャーをしたいと言っていた彼女は、その言葉を貫徹させた。ゆりは高校卒業後、短大進学し卒業後はホテル系列のレストラン店でホールマネージャー候補として働いている。



 自分にも厳しく他人にも厳しい彼女は妹と言うよりも同士と言う感じだ。この三人で囲む食卓は女子会のように煩くてあったかい。

 今までは一番上の姉ー早乙女 桜もいたけど、桜姉はある事情で離れて暮らしている。そんな桜姉もようやく結婚が決まった。そうなると四姉妹がそろうのはたまにしかない。


「おかえりなさい。椿さん」

「お兄さん。ただいまです」


 奥の部屋から出て来たのは、すでにスーツから部屋着に着替えている柏木臣ー聖南十字学院幼稚舎園長で、蘭姉の旦那さんである。


「臣、この後はどうする?」

「そうだな…」


 ちらりと私達姉妹を見て酒豪姉妹がそろえば飲むしかないだろうとなった。


 ずらりと畳の上に並ぶと言うか、転がっているビールの空き缶の山を見れば酒臭いため息しか出て来ない。

それをせっせと片付けるのはいつも椿の役目である。


 「うま〜!! やっぱ家で呑むビールが一番!」


 哀しいかな、女三人で囲む食卓には色彩豊かなタイ料理が並んでいる。

グリーンカレーは椿のお手製だ。

臣はすでに出来上がってしまい先に戦線離脱。


「ねえ、いつも椿が夕食当番の時っていつもビールがつきものなのよね」


辛口ビールが苦手なゆりは不満タラタラ。


 「んで何で今日の夕食はタイ料理なわけ? 椿姉がタイ料理を作る時はなんか嫌な事があった時だよね」


 ギクッ。なんでこの子って本当に鋭いのよ〜!!


 「ん…あのさ……実はね……」


 この日あった事を話し終わった椿に二人は「そうだね…四月っていつもクラス役員を決めるからね。それは揉めるし、嫌煙されるよね…」と腕組みして頷いてる。

こればっかりは教育者にしか理解出来ない悩みだ。同じ悩みを持つ小学校教諭の京子も四月は嫌いだとボヤイテイタからな。

「明日から名古屋に出向だから早く寝るわ」といって寝たゆりは二階へと消えた。


 「でもさ、結果的にはその島袋さんって人が役員になってくれたんでしょ? なら、良かったじゃん。色々ウルサイって椿は言ってるけど、子供を持つ親にしてみればそれは当たり前の事なんじゃない? だってさ〜自分の子供を半日とはいえ、他人に預けるんだよ。心配するのが本当じゃん」


 ーああ…そうか…。

 今まで悩んで腐っていたのがバカみたい。そうだよね…。何だかストンと憑き物が落ちたみたいに、蘭の言葉が椿の心にすんなりと入って行った。なんでこんな簡単な事がわからなかったんだろう。

私は今まで自分が教育者として仕事をしているのにって、いつもそればかり思ってたけど。

 年中組から入って来る子供達や保護者達にとってみれば、はじめて言葉を交わすのだから、不安になるのは当たり前だ。


 「蘭姉……ありがと……。私さ、すっかり忘れたよ。幾ら勤務年数を重ねて行っても、毎年毎年、年中組に入るのは新しい人達だって事忘れてた。その人達にとっては私はまだまだヒヨッコなんだよね……」


 大きな湯のみにたっぷり注がれたビールに口づけるように啜るとため息を吐いた。


 「あんたは今ようやく良い先生になったってことだよ。普通はそんな事もわからないですぐに結婚退職しちゃう人もいるんだから、胸を張りなよ」


 言葉を飾らない蘭姉の言葉は本当に心にしみる。


 「んーわかった…じゃあ寝るね」


 この日は珍しく有り難い助言をくれた蘭姉に感謝をしながら、椿は久々に悪夢にうなされる事なく朝までぐっすり眠れた。




早乙女姉妹の名前を変更しました。

あやめ→蘭


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