『流れ星と血の薫り』2
『Never bend 聖女とケモノと夜の街』外伝(短編版)。
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2.
人目を避けるように身を移した、村外れの森の中でのことだった。
「吸血鬼など存在しない」
「……はあ?」
ふいなパートナーの言葉に、リリスは心の底から呆れたような声を上げた。
「……貴方がそれを言うかね?」
何かの冗談だろう、と言うように、嘆息混じりの言葉。
リリスの方を見もせずに、ファウストはふっと軽く笑う。
「勘違いするな。あくまでも「普通の人間」にとっては、と言う話だ」
そんな言葉に、リリスは眉根を寄せて小首を傾げる。
「……どゆこと?」
「簡単なことだ。「我々のような」者でもなければ、それがヒトであるか人外であるかなど見分けようもない。そうだろう? そうでなければ、セインティア、お前のような『聖徒』――取り分け『狩人』は、悉くが廃業と言うことになりかねん」
冗談めかして、そんなことを言うファウスト。
皮肉っぽくて難解な物言いではあるが、彼の言いたいことはつまり――「理解出来ないモノは存在しないのと同じ」だと言うこと。
リリスは「まあそうだけど」と一応は納得しつつも問うた。
「でも、私たちはその「普通のヒトたち」の依頼で調査するのが仕事でしょ? その結果、本当に『闇の魔獣』、或いは『闇の眷属』を発見することもあるわけで。……「存在しない」なんて、言っちゃっていいものなの?」
「確かに、そう言ったケースもある。退化しているとは言え、ヒトにも、一応は生物としての危機察知能力はあるからな。だがそれは、十中八九、朧気な嫌悪や不安程度のモノであって、我々のように、具体的な形を為す類のものではないのだ」
あくまでも、持って回った物言いを改めないファウスト。
「? ? ?」
リリスはますますわけが分からなくなって、頻りに小首を傾げた。
そんな彼女に、ファウストは呆れたように肩を竦めて嘆息した。
「……やれやれ、察しの悪い『狩人』殿だな」
そんな言葉に、「むっ」と件の『狩人』殿は眉根を寄せるものの、事実であるので反論は出来ない。ただ不満そうに腕を組んで、彼女はふいと顔を背けた。
「ふんだ。悪かったわね、どうせ私は半人前ですよー、だからこそファウスト大先生に御同行願ったんでしょー?」
「まあな。お前の義母にも、良く頼まれているしな」
「何よ、子供扱いして。お義母さまもお義母さまよ、私だって頑張ってるのに……」
ぶつぶつと続けるリリスに、ファウストは控えめながら、心底愉快そうにくっくと笑う。
「まあそう言うな。それも母の愛ゆえのことだ。たとえ子が何者であろうと、血の繋がりがなかろうと、親の愛は普遍的で強固なものだ。そしてそれは、ありふれたように思えて、実はとても得難いものなのだ。悪く言っては彼女が哀れと言うもの」
「……うん、分かってるわ。この年までずっと私を見守ってきてくれたんだもの、お義母さまには感謝してる――それと、もちろんアル、貴方にもね」
そう言って年若い『闇の狩人』は、夜闇のような男に太陽のような笑顔を見せる。
そのあまりの眩しさに、ファウストは寸前の会話を僅か忘れてしまっていたが、
「……で? 結局答えは教えてくれないわけ?」
そんなリリスの言葉に、ああ、と笑って、改めた。
「繰り返すが――ヒトの持つ危機察知能力と言うモノは、野生の動物や我々などに比べれば微々たるものでしかない。ゆえに、微かな嫌悪や不安と言う朧気な形こそが最も純粋であり、信ずるに値するものなのだ。それが具体的になればなるほど、そこにはヒトの盲信や願望などが不純物として混在することになる」
「えっと……つまり、特定の個人に対して具体的な依頼をすること――具体的な「吸血鬼退治」を依頼すること自体が、眉唾だってこと?」
「まあ、そう言うことだな」
リリスの答えに満足げに頷くファウスト。
が。
「……ただもう一つ、眉唾である理由を挙げるならば」
「? ……挙げるなら?」
ふと、ぽつりと続けたファウストに、リリスはきょとんとしつつも、その言葉の続きを待った。
「もしそれが事実であった場合、『闇の魔獣』の存在に気付いた時点で――」
そうして。
閉鎖された山村を斜に臨みながら、黒衣の男は冷淡に告げた。
「その人間は、もう死んでいる」
† † † † †
夜の帳が降りていた。
澄んだ風は頬に心地好かったが、夏季とは言え、高地ゆえの冷えた夜風が、少しばかり漠然とした不安を煽る。けれど、木々の合間に見える星空と三日月、そして微かな虫の声は、数多の詩人と子供たちの心を一時の夢の中へと誘うことだろう。
そこは、村外れの森の中。夜闇と同化するかの如くの黒衣の長身が、独り何かを探すように佇んでいた。
彼はしばし、そのまま何をするでもなくそうしていたが、ふと「ふむ」などと呟いてから、誰もいないはずの森に問うた。
「……そんなところで何をしているのかな? イザーク」
そんな言葉に、木の陰からその長身をそっと覗いていた少年は、照れ笑いと共に姿を現した。
「……あは、ばれてましたか」
悪びれた様子もなく、粗末な上着を羽織って現れた赤眼の少年イザークに、黒衣の医師ファウストは嘆息混じりに振り返った。
「もう夜も更けたと言うのに……その様に出歩いては御母上が心配するぞ?」
けれど、イザークは苦笑しながらも首を振った。
「そうですね……でも、僕はこんな時間でもなければ外へ出られませんから……悪いとは思いますけど、母も理解してくれています」
そんな言葉にファウストも頷いて、ふと、手近な自然石を椅子代わりに腰を下ろした。
「……そう言うことならこちらへ来なさい。少し話そう」
元よりそのつもりだったイザークは、その言葉に嬉しそうに頷いて、ほどなくファウストの隣りへと腰を落ち着けた。
「今宵のような夜の散歩は、良くするのか?」
隣りに腰掛けた、実年齢よりも余程小柄な少年を、穏やかな灰色の瞳で見下ろしながら、ファウストは問うた。
少年は、木々の合間に覗く煌めく星空をその赤い瞳に映しながら、はにかむように笑う。
「ええ、もう日課みたいなものです。僕は夜が……夜の空が、好きなんです。確かに暗く寂しいけれど、それだけじゃなくて、そこには星も月もあります。それを、とても美しいと思う。だから、夜空が好きなんです。……と言っても、僕が知っているのは、僅かばかりの本の中の世界と、この夜空だけですけど」
そう言って、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
そんなイザークに、ファウストはただ静かな声音で、
「……そうか」
とだけ答えて、そっと、ささやかな光の瞬く夜空を見上げた。
イザークもまた、そんなファウストに倣って夜空を見上げる。
そうして、どれほどの時が経った頃だろうか。ふとイザークは言った。
「なぜ……あんなこと言ったんですか……?」
「はて。あんなこと、とはどんなことかな」
何がおかしいのか、ファウストは少しばかり笑い混じりに言う。
それが少しだけ腹立たしくて、イザークは険悪に眉を寄せた。
「とぼけないで下さい――僕を、殺さないなんて言ったことです」
「何でも何もなかろう。事実殺すつもりがないからそう言っただけの話だが」
「でも僕はっ……」
「――「僕は化け物」……か?」
言いかけた言葉をファウストに継がれて、イザークは思わず押し黙る。それを確認してから、ファウストは続けた。
「何故お前は、そう執拗に己を卑下しようとするのか。その外見ゆえか、陽に焼かれる体ゆえか、或いは――」
ふと、一息の間だけ眼を閉じて。改めるように、イザークを見据えた。
「人の死を察する、その『能力』ゆえか」
「っ……」
――図星だった。イザークはぐっと押し黙る。
だが、
「……よければ、君の口から、詳しく話してはくれないかな」
そう言って優しく微笑むファウストに、やがてはぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「……初めは、よく分からなかったんです。小さな頃から、時々、不思議な感じがして……でも、遠くで「何か」があったんだってことしか分からなくて……でも――
……きっかけは、何年か前、村の男の子が行方不明になってしまった時のことです。
僕は普段家の外に出ることはありませんから、外で何かあっても、母が話してくれない限りは知ることができません。母もおしゃべりなヒトではありませんから、余程のことでなければ何かあったとしても外のことなんて話してはくれません。
けど、その時ばかりは違いました。家の中にいても外の慌ただしさが分かるくらいでしたから。……だから、言ってみたんです。東の崖の方は見てみたの? ……って……
……男の子は崖から足を滑らせて、そのまま死んでしまっていたそうです。
……それからです。村のヒトたちは僕を気味悪がるようになりました。……いえ、以前からそうであったものが、表に出てきただけなのかも知れませんが――今回みたいに、村で何か良くないことが起きる度、それは僕のせいだと言うようになったんです。
その度に母も、事故で死んでしまった父も、僕を庇ってくれたけれど……そのおかげで今もこうしていられるけど……でもっ……」
ぎりり、と音がするほどに、イザークは拳を固めて唇をぎゅっと結んだ。認めたくないことを、それでも認めなければならないと自身に言い聞かせるように、眼を閉じて俯く。
やがて、震える声がファウストの耳を打った。
「……っねがいです……お願いですからっ、僕を殺して下さいっ……! このまま、母に迷惑を掛けて、村のヒトたちに疎まれて、ただ床の中で朽ちるのを待つなんて僕には耐えられないっ……! こんなっ……こんな僕に生きている価値なんてないっ……! いなくなった方がみんなのためなんだよっ……! だからっ……!」
「――馬鹿なことを言うなよイザーク」
凛とした低い声が、際限のない幼子の慟哭を止めた。
「……っ……ファウスト……せん……せっ……?」
涙混じりに見上げた顔は、先ほどまでの優しさが嘘のように険しいものだった。けれど、その哀しみすら覗かせる灰色の瞳は、けして恐怖を煽るような類のものではなかった。
「イザーク、お前は勘違いをしている。親にとって、子の死以上に悲しむべき事柄などない。母にとって、お前の命以上に大切なものなどありはしないのだ。だからこそ、いかな苦労と引き替えにもお前を護ろうとする。お前の言葉はその母を愚弄するものに他ならない。お前が死ぬなどと、母を想うならば二度と口にするのではない。……良いな、イザーク」
そんな言葉に、イザークは今更ながらに自戒して頭を垂れた。
「……っ……ごめんなさい……ファウスト先生、ごめんなさい……っ……」
「……それにな、イザーク」
必死に涙を拭うイザークに、ファウストは声音を和らげて続けた。
「ヒトの価値などと言うものは、時を変え、場所を変え、自らを研き、そうして僅かずつ勝ち得ていくものだ。お前がまだ自らの価値を見出せていないと言うならば、それは在るべき時と場所が違うのか、努力が足りていないのか、或いはその両方と言うことなのだろう。……安心しなさい。諦めず進み続ける限り、いつかきっと、お前の価値が認められる場所へと辿り着ける。――こんな私でも、存在を許される場所があるようにな」
そう言って、灰色の髪と瞳をした貴人は、くしゃくしゃと少年の白い髪を撫でた。
幼少に失った父親を思わせるその大きな手に、泣いていたイザークも、いつしか年相応の無邪気な笑顔を浮かべていた。
そんな彼に、ファウストもまた優しい微笑みを返すが、すっかり高くなった月を見て告げた。
「……ふむ、思ったより話し込んでしまっていたようだ。もう戻りなさい、イザーク。仕方のないこととは言え、母上を心配させるのも程々にせねばな」
そう言って、今一度、ぽんと頭を撫でたファウストに、イザークは素直に頷いて腰を上げた。
――が。
「……ああ、そうだ……」
そんな風に呟いて、イザークは足を止めた。
怪訝な顔を見せるファウストに、彼は確信めいた声音で告げた。
「この森の奥には行かないで下さい。いつだったか……少し前、遠くの方で感じたのと同じ……凄く嫌な――血の臭いがするから」
† † † † †
「……アル」
ふと、背後からかけられた自らを呼ぶ声に、ファウストは振り返る。
そこには、夜闇を照らすような黄金色の髪をした少女が、複雑そうな顔で立っていた。
「すまないなセインティア。存外長く待たせてしまった」
そんな言葉に、リリスは軽くかぶりを振る。
「ううん、気にしないで。今は私がいない方が話しやすかったと思うし……あの子も、今まで誰にも話せなかったことを貴方に話せて、少しは気が楽になったと思うわ。あんな風に話を聞いてあげることなんて……」
私には出来ないことだもの、とリリスは苦笑した。
「……助けてあげなくちゃ、ね」
リリスの言葉に、ファウストもまた力強く頷く。
「ああ――今夜中に、けりをつけよう」