~わたしって?~
人の手により愛されて、人の手により散りゆく命。
たったひとりだと思っていた家族に見放され、他人だと思っていた家族に拾われる。
ある時までは愛されて、ある時が来たら嫌われる。
人の役にたっている者もいれば、人に嫌悪される者もいる。
大きさは人の足元ほどの者がいれば、人の腰よりも高い者もいるし、二つの足で立てれば身長さえも超える者がいる。
重さもそれに比例して、一キログラムに満たない者から、余裕で五十キログラム、六十キログラムをも超える者がいる。それ以上重い者も中にはいる。
どんな大きさ、重さのわたしたちだろうと、生まれたときはそんなに変わらない。
人と同じでお母さんのミルクを飲んで大きくなる。
お母さんがお母さんとしての役目を果たさない、または果たせないときは、人がわたしたちを育ててくれる時もある。
目が見えて、走れるようになる頃にはすごく好奇心旺盛でやんちゃ坊主、お転婆娘になっている。
いろんな物を噛んだり、つついたり、引っ張ったり。
時にはひっくり返したり、覗いたり、潜ったり――。
そんなことをしているうちに、お母さんのミルクよりも、お母さんが食べている物が欲しくなる。
固くて大きい物はまだ苦手だけど、軟らかくて小さい物なら食べられる。
気がつけば、一緒に生まれてきたはずのわたしたちなのに、あの子はちょっと小さくて、あの子はちょっぴり大きい?
ちょっぴり大きいあの子は毛布に潜って寝るのが大好きで、ちょっと小さいあの子はおもちゃを振り回すのが楽しいみたい。
そんなわたしは、人に抱っこしてもらうのが一番お気に入り。
兄弟とふざけたり、遊んだりしながら大人になるための勉強も一緒にする。
時々痛い思いもするけれど、悲鳴をあげるだけでなく、やり返す。
そうやって、痛みや噛む強さの加減を覚えていくのだ。
わたしたちは人よりも数倍早く年を取る。
だからその分、身体や心の成長も早いらしい。
そして生まれてから十五年経ったころに、わたしたちは遠い遠い世界へ旅立つのだ。
しかし、それより前にわたしたちには人の家族との出会いがある。
それは様々な方法で、様々な場所で行われる。
生まれたときから同じ家族のもとで過ごす者。
一定の期間は一緒に暮らし、新たに違う家族と過ごし始める者。
また、同じように一定の期間は一緒に過ごすのだけど、その後たくさんの人に見られるガラス窓付きの部屋に入れられて、新たな家族が決まる者。
最後に、生まれたとほぼ同時に紙の箱に入れられ、見知らぬ外に置き去りにされる者――。
中には野外で生まれ育ち、人に捕らえられ、生きるか死ぬかが紙一重になる檻に入れられる者もいる。
その中で家族が決まった者だけ、生きられる。決まらなければ、その短い一生の終わりを告げる鐘をならすことになるのだ。
これは、そんなわたしたちの一生の一部なのだ。
細々と、活動していきます。