後編
―――――遥か昔に神が創り出し、人間に与えたとされる刀がこの世界には3本存在する。
そしてそのうちの1本がこの刀なんだと、少しして徐に目を開けたセイが淡々とした口調でそう説明した。
神が創り出した刀という話は、これまでに何度か小耳に挟んだことがある。ただとにかく驚異的な力を持っているらしいという話だけで、その刀自体が意思を持っており、更には所有者に対して対価を要求するなどといった話は全く聞いたことがなかった。セイの説明する内容が衝撃的すぎて、ほとんどついていけずにいる俺を放置したままセイは「そんなわけで」と言葉を続ける。
「俺の刀はさ、血を浴びないと錆びる刀なんだよ」
だからちょっと血をやってたんだと、セイは事も無げに言うとすっくと立ち上がり、城の方へ向かって歩き始めた。その後ろ姿を目で追いつつ、「じゃ、じゃあ、さっきの奴は誰だったんだよ?」と慌てて尋ねると、セイは俺に背中を向けて歩き続けながら「だから刀だってば。自分で自分を斬るのが嫌だから、刀に自分で採ってもらってんだよ」と面倒くさそうに答えた。そして少し離れた場所まで行くと、ふとその場に立ち止まって振り返り、「おい、エンチェス。なにぼさっとそんなとこに突っ立ってんだよ。お前、俺を呼びに来たんだろ?」と呆れたような表情をしながら笑った。
それ以来、何度かセイが、彼曰く刀に血を与えていると思われる現場に遭遇した。しかし結局、これまで一度としてその刀と思われる人物の顔を見たことがない。以前、そのことをそれとなくセイに言うと、「あー、無理無理。コイツ、すっごいプライド高いし。契約者の俺ですら嫌がってたのに、他の奴に見られたなんてことになったら何を仕出かすか」と深い溜息を吐いた。これまでの苦労を感じさせるような、その重い溜息に俺が「なるほどな」と深く頷いてみせると、セイは何を思ったのか突然「そうだ、それが良い」などと呟いた後、にやりとした笑みを浮かべて言った。
「……なぁ、この刀の真名教えてやろっか?」
「いや、遠慮する。断固として遠慮させて頂く」
その言葉の意味を深く考えることもせず、ほとんど反射的に、間髪をいれずそう答えた俺に対して、セイは一瞬呆気にとられたような顔をした後、文字通り吹き出した。「エンチェス。お前、普通はもうちょっと悩むとこなんじゃないの」と途切れ途切れに言いながら、結局セイは目尻に涙が浮かぶまで笑い続けた。思えば、ここ最近はあんな風に笑う姿を見た記憶がない。
***
イルク国国王陛下から大将になれと命じられたあの日。突然のことに呆然とする俺の前に国王により引き出されて来たのはなんと、数年前に置き捨ててきた兄弟の一人である三男であった。これは一体どういうことなのかと考える間もなく、薄らと涙を浮かべた三男に「兄貴!」と思い切り抱きつかれた。記憶の中にある小憎らしいばかりであった幼い三男の姿を脳裏に浮かべながら、訳も分からないまま、取りあえずは張り付いたままの三男を何とか宥めすかして引き剥がし、事情を聞いた。
話を聞くと、俺の故郷は俺が旅に出てから程なくこの国の支配下に置かれることになったようで、今は二男と三男、それから三女がこの城内で文官、軍人、侍女とそれぞれ異なる職種で働いているということであった。それらの事実とこの状況を擦り合わせてみるに、どうやら俺は家族を盾に国王に脅されているのだということが分かった。間違っても、久しく会うことのなかった兄弟の再会、なんて状況ではなかった。
元々、家族を憎く思って家を飛び出したわけでもなく、家が貧乏であることさえ抜きにすればむしろ家族のことは好きだった。周囲を巻き込むようなやり口はあまり好きではなかったが、国王という大勢の上に立つ立場の人間であるならばそれも仕方がないと、ほとんど腹を決めていたところ、ふとセイと目が合った。
お前は本当にそれでいいのか、とそんな風に聞かれているような気がして、俺は視線を合わせたまま軽く一度だけ頷いて見せた。するとセイは、その顔を思い切り歪めた。今にも畜生、と毒突き始めそうなその表情はけれども瞬く間に消え去り、セイは一つ溜息を吐くとその視線を国王に向けた。
「……暇潰しに付き合ってやる。でも生憎、俺は同じ場所に長くは留まれない質だからさ。飽きたらいつでも俺はここを出ていくからな」
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「只今、戻りました」
セイと別れた後いつものように報告をしに執務室に向かうと、相変わらず陛下は執務机に向かって山のように積み上がった書類を次々と手に取っていた。
「御苦労。……奴は?」
「ちょうど今、刀を取りに行っております。間もなくこちらに参上するかと」
俺がそう言い終わると、扉の向こうからコンコンと扉を叩く音がした。それから続けて「参りました」と感情が一切感じられない平坦な声が一言そう告げるや否や、陛下はそれまで一心に取り組んでいた書類から顔を上げて俺を見た。
「下がってくれ」
「御意」
その場で一礼して扉の前まで行くとタイミングよく扉が開き、ちょうど俺と入れ替わるようにしてセイが部屋の中へと入って行った。ちらりと見えたその横顔は無表情そのもので、後宮で見せた穏やかな雰囲気はどこにもない。きっちりと正しく軍服を着こなす姿は容易に他者を近づけない、殺伐とした雰囲気すら纏っており、まるで別人のようである。
***
セイはあの刀がある限り、本来同じ場所に長くは留まれない宿命にある。あの刀がある限り、彼は嫌でも血を求めて戦場を彷徨い続けなければならないのだ。二男から話を聞いた時は嘘だとしか思えなかったが、あの現場を見て以来、かの”夜明けの神”はまさにセイ以外にありえないと確信している。そうだとすれば、陛下の異様と言われる行動も納得がいく。伝説の刀を携えた最強の軍人たる”夜明けの神”は、まさに誰しもが喉から手が出るほど欲しがる存在だ。
きっとセイは他の誰よりも、痛いほどにこの現状を理解している。彼はこの国に来た際に言っていたとおり、実際のところ本気でこの国を出て行こうと思えばいつだって出て行けるはずなのだ。幾度となく脱走を繰り返しながら、それでも結局また戻って来るのは他でもない、王妃の存在があるからだ。
頻繁ではないものの、陛下は王妃の下へ定期的に通っている。まだ子宝には恵まれていないが、俺から見る限り両者の関係は概ね良好である。けれども同時に、王妃に対する陛下の挙動があまりに堅苦しいようにも思う。長く空席のままであった王妃の座に、陛下自らが望んで彼女を迎えたという割にその片鱗が全く見えないのだ。
一方で、その陛下が明らかな執着を見せる相手というのがセイである。そしてセイは王妃である彼女と元々顔見知りであり、更に言えば彼女に対して少なからぬ好意を抱いている。ここでまた穿った考えをすれば、もしかすると陛下が望んでいたのはあくまでセイであって、彼を手に入れるために彼女を王妃に据えたのではないだろうか。そうでなければ、いくらセイといえどもあれ程頻繁に王妃たる彼女の下を訪ねるわけがない。いや、セイであるからこそ、そんな真似をするからにはそこに何か確固とした理由が存在するはずなのだ。
そして自惚れでないとすれば、俺もまた多かれ少なかれ彼の足枷の一つになってしまっているに違いない。セイは一見すると軽い遊び人のように思えるが、実際は非常に情に厚い人間である。そして頭の回転が恐ろしく速い。セイはきっと、自分のせいで俺を面倒な事態に巻きこんでしまったと気に病んでいる。しかし、実際そうなのかもしれないが最終的にあの時ここに留まると決めたのは俺自身である。どうせ一度は家族を捨てたのだ。あの時もう一度捨てたって良かった。
けれどもあの日、俺はそうはせずにまんまと国王の思惑通りに拾い上げた。そしてそれをきっかけとして全てが決した後、すぐ傍で「全く甘っちょろい野郎だよ、お前は」と精霊が俺に言った。
「お前はさ、いつまでたっても甘っちょろい野郎のまんまで一番大切なもの以外を捨てられない。お前みたいなのが戦場なんざ行った日にゃ、そりゃもう無様な死に顔を晒すはめになるんだろうな」
あの非常に意地も口も悪い精霊は、常にありのままの真実のみを口にする。確かに俺はこれまで一度も戦場という場所に立ったことがない。正直、なるべく避けて通るようにしていた。それはきっと、この精霊の言うとおりであるに違いないと俺自身が頭のどこかで認識していたからなのだろう。
友人を思うなら、セイにきちんと伝えるべきなのだ。俺のことは気にしなくて良い、と。たとえ陛下の不興を買ったとしても、あの時この場に留まると俺自身が決めた以上、それはそれとして潔く何事をも受け入れるのが道理なのだから、それをお前が自分のせいではないかと気にするのはむしろおかしな話なのだ、と。
それなのに俺は、気にするなというその一言すら言えずにいる。一度は捨てたはずの家族を今度こそ本当に失うかもしれないのかと考えると、まるで魔術をかけられたかのように何も言えなくなってしまうのだ。そのくせ友人が王妃に向かってどこか苦しげに微笑む表情を見るたびに、この上ない罪悪感を覚える。俺にとってはどちらも大切な存在で、どちらをも切り捨てることが出来ない。
そんな俺の苦悩もまたあの精霊はお見通しのようで、あの日、精霊の言葉にただ無言で俯くしかなかった俺に対して「まぁでも、そんなしょうもないお前が必死に足掻いてんのを見んのも俺は嫌いじゃねぇよ?」と慰めに見せかけた蔑みの言葉を口にして笑った。
***
「外せ」
ガチャリと扉が閉まる音が響き、扉の向こうから微かに聞こえていた足音も全く聞こえなくなった時。執務机の正面に立った男はそう言って、相手の視線をそこに向けさせるように自分の胸に当てた手を二度叩いて見せた。
「近頃は脱走の頻度が上がっているようだな。何が不満だ?」
「不満っていうかさ……言ったろ? 俺は同じ場所に長く留まれない質だって」
自分の言葉を無視して全く違う話を振ってきた相手に対して、男は不愉快そうに顔を顰め、そんな話はどうでもいいとばかりに心底面倒くさそうにそう答えた。執務机に座った男は正面に立つ男の様子をじっと見つめていたが、ふとその眼光を鋭くさせた。
「……いつまで知らない振りをしているつもりなんだ?」
男は相手の突き刺すような視線に対して全く応えた様子はなく、僅かな間をおいた後、軽く鼻で笑ってみせた。
「その言葉そのままそっくり返してやる。お前こそいつまで知らない振りをしているつもりなんだ? 俺がまともに仕事をしている姿を見たことがないって言って、そんな奴がどうして中将なんだって疑る奴が城内で増えてるんだろ?」
執務机に座っていた男は無言で立ち上がると、ゆっくりと相手の方へと近づいていった。
「そんなにこの刀の使い手が欲しいなら、お前に真名をやるから。だからとっととコレを外してくんないか?」
そう言って男は徐に首元を寛げると、段々と自分に近づいてくる相手に見せつけるようにしてシャツの中から首にぶら下げられた鎖のついた何かを引っ張り出した。すると先程まで執務机に座っていた男は彼のすぐ目の前に立つと、その首にぶら下げられた鎖を手繰り寄せてそこに付けられた宝玉を握り締めた。
「“セイシェラジナス”」
男は突如として宝玉を強く引くと、素早く彼の後頭部に手を回して耳元でそう囁いた。するとその言葉と同時に男の手の中の宝玉が一瞬淡く光り、その宝玉を身に付けた人間の身の一切の自由を奪い去った。
「解放出来る訳ないだろう。……分かれ」
その甘く掠れた声は相手の思考さえも奪い、紡ぎだす柔らかなそれは耳元から首筋へと移動すると、確かな痛みを残していった。




