プロローグ
―—時は二千二十五年、三月二日。
中央線の通勤快速の出発音を聞いて焦った。菊池大智はエスカレーターの人込みを呪った。一段に一人ずつ人がいて、それがこの東京駅にごった返していた。
「『駆け込み乗車はご遠慮ください!』なんていちいち聞いてられっか!」
しかし大智は、転んでしまった。悲しいことに電車は行ってしまった。
うつむいている大智に、声が降り注いできた。天使みたいな高揚感を持った、低い男の声だ。
「いやーしかし、危なかったですなあ」
まるで、大智の知り合いのような声だったが大智はその声に聞き覚えはなかった。
「……誰、ですか?」
大智の問いに声は返した。「ああ、失礼。わたしこういうものです」
やわらかい手が、名刺を差し出した。大智は少し頭を下げながらそれを受け取った。
名前のところを、大智は音読した。「北島浩太、小説家――か」
裏面にはプロフィールのようなものがあった。丸みを帯びたゴシック体で「1982年生まれ ライトノベル・ミステリを中心に活躍中」とあった。
「駆け込み乗車は危ないですよ」
北島という男になだめられていると、後続列車が来た。
大智は乗ることにしたが、北島は乗らないらしい。「ではさよなら」というように、北島は頭を下げた。
電車の中で大智は、朝見た新聞の一面記事を思い出していた。「作家、探偵事務所を創立」という見出しだった。
「作家の北島浩太さん(32)が探偵事務所『北島探偵事務所』を設立。北島さんは2007年にライトノベル『第二スペースオペラ~日本国戦記~』でブレイク。同シリーズは2014年に最新8刊が出版された。北島さんの最新作は2019年に出版された『通り魔はすぐそこに』であり、第二巻が近日出版予定とのことだ。
なお北島探偵事務所の住所などホームページは、3月1日に開設された。そちらもぜひ見てほしい」
北島浩太――。
あの優しそうな男、探偵だったのか、と大智は思った。