第038話 一時の平穏
数日、町に滞在したあと、広大な森を抜けるための準備が整って門へとぞろぞろ歩いていく。
世話になったという理由で、町の人たちが挨拶をしたいとのことだった。
――別にいいのに……。
「本当に有り難うございました。また、町に訪れることがありましたら歓迎します」
「ミスティも、面白かっタ! また、来たら遊んであげル」
「こちらこそ、お世話になりました!」
ヴィオレットが代わりに挨拶をしてくれたから、笑顔で頭を下げるだけにした。
正直、町や村に行くだけで挨拶は面倒くさい……。
ヴィオレットの正体は知られていないから、逃亡の身とはいえ旅人のようにまったり出来るかと思ったが……このローブのせいか。
あやかし専門協会に属する限り、ローブを着ないといけない。暑さや寒さに強いのだけはいいけどな。
ローブの襟元を掴んでヒラヒラと動かす。
挨拶を済ませ、ミスティだけは森の前までついてくると言うことで、歩きだした。
「ミスティも、此処で生まれて、他は行ったことないから残骸、楽しかっタ!」
「……それは良かったな。でも、どこにも行ったことないのに、裏側や残骸とか良く知ってたな」
「それはネー! 他のあやかしが、教えてくれタ! あの青い一つ目とかモ!」
まさかの発言で呆気にとられ、ルッカと顔を見合わせる。
あやかしは上位じゃなくても侮れないな。
「……あいつとも顔見知りだったのかよ。はぁ……暫くは楽園に足を突っ込みたくないな」
「――問題ございません。私がお側にいる限り、二度はございません」
「黒天宝さん、さすがです! あの時もそうでしたし、頼もしいですね! ノワールさん!」
両手を重ねて眩しい視線を向けてくるヴィオレットが、あのときのエリゴールについて語り始めて苦笑いを浮かべる。
だけど、俺もエリゴールを信じて、あいつは応えてくれた……。
相変わらず一定の距離感で背後からついてきているエリゴールを横目で見据える。
「見えてきたヨ! 広い森!」
ミスティの言葉で前へ向き直ると、朝方にも関わらず暗い森の入り口が見えてきた。
密集する森のおかげで、暑い季節でも涼しく、代わりに昼間でも暗い。
「文献で読んだ程度だったが……本当に暗いな」
「そうですね……。ですが、寒くても安心してください! あったか野菜スープを提供します!」
「有り難う。楽しみにしてる」
ミスティは笑顔で俺たちの周りをクルクル回る。
別れることに対して寂しさは微塵も感じられない。あやかしらしさを感じて、反対に顔が緩む。
「ミスティ、色々と有り難う。元気でな」
「ミスティちゃん! 有り難うございました! 楽しかったです。お元気で!」
「ミスティも、お祭りみたいだっタ! えっと……人間はこういうって言ってタ。またネ!」
手を振るミスティに同じく返して、空を見上げた際、離れた場所に一本だけ立っていた木の枝にあの鳥を見つけた。
暗い森の中へ一歩踏み出す。広大な森以外に情報はなく、中立本部より前にある竜人族の都へたどり着くまで何日かかるかは分からない。
「森の中は、あやかしの棲み処だから油断せずに行こう」
「そ、そうでした! 友好的な方ばかりで、忘れそうです……」
「僕もいつも以上に五感を研ぎ澄ませておきます!」
首に巻き付いたルッカの可愛い言葉で、頭を撫でる。
癒やしだ……。
薄暗いとはいえ、昼間だから微かに森の隙間から差し込む一筋の光を見上げる。
「夜は少し、怖いですが……素敵ですね!」
「ああ。赤い月の夜明けのせいで、少し夕暮れに近い色合いだけど」
「主ぃ……森の中には、あやかしもですが、あの者たちもいるのでは?」
「あ、そうだった……敵と認識されると厄介だからな。刺激しないように、ゆっくり進むべきか」
ルッカが心配しているのは森人族だった。
広大な森には必ず一本以上の魔力生命樹が存在する。
空気中に漂っている魔力の素を排出していると言われていて、世界にとって重要な樹だ。
それを守っているのが森人族と呼ばれる精霊に近い存在。竜人族と同じくらい長生きでもあって、魔法に長けた種族だ。
「はっ! もしかして、噂の森人族さんですか? 仲良くできたら良いんですが……」
「そうだな。同じ人間に分類される種族ではあるし……仕事熱心なのも、悪いことじゃない」
「ですよね! わたしたちの代わりに、大事な樹を守ってくれていますし……」
「ですが、彼らにとっては仕事とは思っていないでしょうけどね」
世間話を交えながらだいぶ進んでいくと、人間が通るような平坦な道は終わり、獣道へ変貌していく。
またも体力勝負になりそうな気配を感じて思わず顔が歪んだ。
視線を感じて隣を見ると、真ん中を歩いていたはずのヴィオレットが横並びで顔を覗き込んでいる。
「――魔法を使うか……」
「大丈夫ですよ! わたしは体力と筋肉があるだけですから、気にしないでゆっくり歩きましょう!」
「森は深いから横に並んで歩いたほうが良いか……。エリゴール、引き続き背後は任せる」
「――ノワール様の仰せのままに」
にっこりと笑顔を向けるヴィオレットに頭を掻きながら一歩を踏みしめた。
残骸が嘘のように平和だ……。
周りには背の高い木以外、草しかなく、森に入ってから異様なほどのあやかしの気配は感じていたが、一定の場所に留まっている。
ただ、森の中に複数の目が有るような空気に包まれていた。
ヴィオレットは警戒心ゼロなのか、陽気に鼻歌を歌っている。
「その歌……歌詞とかはあるのか?」
「歌詞ですかー? ふっふっふ……今日の献立です!」
胸を張って言い切るヴィオレットの満足そうな顔に思わず顔が緩む。
野菜の歌らしい……。




