第027話 あやかし第八支部(中立派)
出発したのが昼を食べてからだったことで、第八支部がある街へ着く頃は再び藍青色の夜に染まってきた空へ視線を向ける。
「ノワールさん! 第八支部ですよー。広っ……!」
はしゃぐヴィオレットの声で再び前へ向き直ると、第七支部より大きな街が広がっていた。
少し離れた場所からでも賑わう声が聞こえてくる。
門番で協会の人間である確認を済ませると普通に中へ通された。
拍子抜けしたが、敢えて尋ねることをせず、先に中へ入ったヴィオレットに耳打ちする。
「あの門番たち、ヴィオレットのことを知らなかったな……。エリゴールも、気づかれなかったし」
「そ、そうですね……。まだ、伝わっていないのでしょうか?」
「――あの者達は階級が下だと思われます。騒ぎが起こらないよう、伝えられなかったのでしょう」
俺の疑問を軽く答えるエリゴールにヴィオレットは両手を合わせて拝んでいた。
この仕草はよく分からない……。
だけど、エリゴールの言っていることは正しい気がする。
第七支部が貴族の街だとしたら、此処は出店も多く、貴族よりも一般市民が多い。
ただ、聖女の誕生については街ぐるみで知らされているのが良く分かった。
「主ぃ……。代わりにそこら中、聖女の誕生祭って書かれた張り紙があります……」
「ひゃっい!? こ、これは……どうしたら!?」
「……落ち着け。支部経由で伝わっているのも、名前だけだ。門番からしても顔までは知られていない」
"聖女誕生祭"と文字で書かれた張り紙だけが街中の壁や、街を彩るように張り巡らされた鋼の糸へぶら下がる黄昏色をした灯籠にまで貼られている。
「幻想的でキレイですね! なのに……」
「まぁ、諦めろ……」
旅をする当初の計画だと、路銀を浮かせるために支部では協会内に寝泊まりさせてもらう予定だった。
ヴィオレットによって計画が狂ったが、おかげで路銀もまだある。
街のど真ん中で考え事をしていると、いつの間にかヴィオレットの姿が遠くなっていた。
多くの出店で賑わっているから当然とも言える。
「……ヴィオレットは鋼の心を持っていそうだよな」
「ですね……。でも、良いんじゃないでしょうか? 萎れていると主の面倒が増えますし」
「……ルッカはたまに毒づくよな。可愛いけど」
「主、第一主義ですので! もっと撫でてください」
こういうところも、あやかし……は関係ないな。
ルッカを撫でながら、視界から消えてしまいそうなヴィオレットを追いかける。
「とても素敵な出店ばかりで、迷ってしまいました……」
「まぁ、迷子にならなくて良かったよ……。買い過ぎじゃないか?」
俺達は出店がある大通りから少し離れた場所のベンチへ移動した。
両手いっぱいの料理を満足そうな笑みで握るヴィオレットに目を細める。
これがすでに歩きながら食べた分も入れると二食分くらいだ。
「うーん……昔からよく食べると言われていたんですけど、魔力が増えてから無限に入ります!」
「……聖女の能力か? まぁ、腹を壊さないなら別にいいけど」
ベンチでまったりしていると、不意に横から視線を感じて凝視する。
ただ、恐ろしい存在に気付いたらしい相手は体を小刻みに震わせながら素直に姿を現した。
隣で佇ずんでいるだけのエリゴールは、いるだけで牽制になっている。
「ふぁい? だれですか?」
「ヴィオレットは食べていて良い。それで、俺達を協会の人間だって分かって近づいてきた理由はなんだ?」
象牙色のローブは相手に向けて協会の人間であることを目立たせる意味を持っていた。
人間はもちろん、人間社会に溶け込んでいるあやかしなら誰でも知っている。
しかも、協会のある街に入れるあやかしは心臓を渡した者か、滞在申請を出した者だけと決まっていた。
顔は辛うじて人の形をしているが、体は布で隠しているところから人間に見せられない姿のはず。
明らかにこいつは後者だ。
「その……ワ、ワタシは……。近くを棲家にしている、下位のあやかしデス……。依頼を……したく」
おどおどしている様子から、エリゴールに怯えていることが見て取れる。
「こいつは犯罪を犯していないあやかしを喰い殺したりしない。ただ、依頼なら協会を通すのが義務だろう」
「も、申しわけ……。そ、そうなんデスが……。せ、聖女さまが、誕生されたとかで……バタバタしていると……」
張り紙は街中あちらこちらにあった。
それでも、聖女が誕生したことを理由に支部が機能していないのはおかしい。
赤い月の夜明けの影響か……?
「赤い月の夜明けが絡んだ案件か?」
「ハ、ハイ……! そ、それも伝えました……デスが、依頼が多いと……内容としては、"被害はあやかしだけ"だから」
「なるほどな……。すぐに人間へ被害が結びつかない案件は、後回しにされる」
ヴィオレットが食事を終わらせてから、詳しい話を聞く。
内容は複数のあやかしが棲む森で、縄張りにしていた中位のあやかしが暴走して暴れているという話だった。
少し前に同じ相談をあやかしから受けた気がする……。
「主ぃ……。ヒガクレと同じですよ……」
「ああ……。懐かしいやりとりだな。分かった。近くの森だと、いつ人間の被害が起きるか分からないしな」
「ア、アリガトウ……ゴザイマス! で、デスが……藍青色の夜は、あやかしの妖力が増します……」
すでに藍青色の夜を迎えていて、ヴィオレットの護衛という使命もあった。
協会内ならヴィオレットの話も伝わっているはず。
ヴィオレットを一次保護してもらって、俺だけでいくか……。
真剣な表情で考えている俺に、スッと一本の腕が空高く伸ばされる。
「――ヴィオレットを、協会で預かってもらって……俺一人で行くか。って、思ってますね?」
「……いまのは俺の真似か? いや、合ってるけど……。元々夜はあやかしが活発化する。藍青色の夜のいまは更に危険が増してるんだぞ」
「関係ありません! わたしは、無謀で言っているんじゃないですよ。ノワールさんがいる現在しか、戦いの経験を得られないと思うんです。万一のとき、自分の身はもちろん……仲間の身も守りたい!」
一瞬、聖女であるヴィオレットだけが使える全体回復魔法を言いかけて口を噤んだ。
ヴィオレットにとって、あれは仲間を守った回数に入っていない。
俺と同じで、傷つく前に守る力を欲しているんだ。
思わず緩む口元を手で隠して先に立ち上がる。
それから、ヴィオレットへ手を伸ばした。
「分かった。ヴィオレットの護衛だからな。何があっても俺が守るから、存分に吸収しろ」
「――ありがとうございます!!」
「問題ありません! 主のことは僕が守りますので」
手を握り立ち上がったヴィオレットから、下位のあやかしへ視線を向ける。
下位のあやかしもさすがにヴィオレットが聖女であることに気が付いていない様子で、道案内のため先に街の外へ向かって歩き出した。