第001話 あやかしの王が死んだ
白い壁に囲まれた四角い施設。
扉はなく、開けっ放しの出入口からは近くに咲く薄紅色の花弁と共に、人間としては長身すぎる少し長い白髪の男が頭を下げて中へ入ってきた。
二メートル以上はあるだろう長身には似つかないヒョロっとした骨ばった体は服を着ていない。
ただ、その体に"あるべきもの"が何もなかった。
なぜ、髪の毛があるのか疑問に思うほど。
施設の中は一つのテーブルに向かい合う椅子があり、申しわけ程度に置かれた小さな棚があるだけ。
ただ、背後にもぽっかりと口を開く出入口があり、二階へ続く階段がある。
「それで? 今日は、誰に怖がられて泣いてるんだ?」
そんな男を椅子に座ったまま見上げる俺は、毎度ながら同じことを考えていた。
――顔の部位が一切ない男。
目も、鼻も、口さえ……。
当然、眉毛も何一つない"顔無し"だ。
『うっ、ううっ……。近くの村に住んでる、女の子……』
両手で顔を覆っているが、顔の部位がないから当然涙は流れないし、泣き声も聞こえない。
声を介さず脳内へ直接飛ばしてくる。
人間にもそんな魔法はあるが、こいつは"あやかし"だ。
この世界で人間と共存している得体のしれない存在。
正義と悪なんて概念はなく、人間に害をもたらす存在でもある。
「だいぶ増えたなぁ……」
そんなあやかしの話を聞くのが、俺の主な仕事だ。
ただ、正直言って面倒くさくもある。
カオナシの話を聞いて、棚から取り出した地図を広げた。
そこには、数多くの赤いバツ印がつけられている。
これは、カオナシが人間と揉めて移動した証だ。
俺は、カオナシが言う場所にも赤い印をつける。
『うっ、うっ……ゴメンナサイ』
顔面凶器のくせして小心者のカオナシは、話を聞いてくれる俺の側を離れたくないらしい。
正直、そろそろ手詰まりだ。
黄昏色の眼鏡を少しだけ上にずらして、肉眼で道筋を探す。
この施設は、あやかしが来ることから町の中心より離れた場所にあった。
一応、デカデカと看板も掲げられている。
「俺がいる町を中心にした周辺は、正直言ってもう難しいんだよなぁ……」
あやかしにも位があった。
人間に近いほど、上位のあやかしと呼ばれている。
こいつは、中位のあやかしだ。
「さて、どうするか……」
「主ぃ……。カオナシは、体が大きいあやかしですし、少しくらい遠くても時間をかけずに来られるのでは?」
『うっ、うっ……頑張るから、お願い……』
下から声が聞こえてきて視線だけ向ける。
俺の膝にちょこんと丸くなって座っていた白銀の子狐にしか見えない、愛くるしい相棒のルッカが提案してくる。
思わず破顔しかける表情筋に力を入れ、右手でモフモフの毛並みを撫でた。
――癒やされる……
「ルッカの優しい案を採用するか。問題になった隣村からも離れてる渓谷で」
『有難う……。また、話聞いてほしい。ノワール』
「ポンポン来るなよー」
去っていく後ろ姿を見送った俺は、ルッカを抱えて立ち上がった。
一仕事終え、少しくせのある白金の髪を乱す。
俺が立ち上がったことで、腕に抱かれたルッカは首に巻きついた。
そのまま外へ出て伸びをする。
いまはほどよい暖かさな季節のため、寒くはない。
黄昏色の眼鏡から見える青空に、あくびを噛み殺す。
施設へ振り返って立て掛けられた看板に目を向けた。
"あやかし専門協会"出張所。
俺の仕事だ。
「お前の手触り、昔飼ってた猫に似てるんだよなぁ」
「主ぃ、もっと撫でてください!」
ルッカも動物の形をしているが、上位のあやかしだったりする。
あやかしは人間なら誰もが持っている"魔力"から生まれる存在だといわれていた。
ただ人間のように群れず、子孫を残すという概念は一切ない。
「……どうして俺は生まれたんだろうな?」
ただ、人間に近い上位のあやかしだけは生殖機能がある。
そうでなきゃ、いま俺は此処にいない――。
「主は、望まれて生まれたんです! そんな主に出会えた僕は幸せ者です……」
ルッカは狐の姿をしているのに、毛並みは猫のように柔らかくて癒やされる。
揺れる尻尾が顔に当たって少しだけ擽ぐったいけど、ルッカは世界一可愛くて優しい俺の相棒だ。
再び視線を前に向けると、遠くに城のようなものが見える。
この国を治める人族の王は、基本的に緩いらしい。
だからか分からないが、この周辺にいるあやかしは中位すら少なく穏やかだ。
縄張りにしているあやかしで、一番強いのはウチの"問題児"かもしれない。
穏やかな時間が流れる中、急に髪をなびかせるほどの突風が通り過ぎる。
すると、リラックスしていたルッカが急に毛を逆立て飛び降りた。
「……凄い突風だったなー。ルッカ? どうした?」
「――主ぃ……。いえ、なんでもないです……」
言葉と裏腹で、力なく地面についた尻尾と垂れた耳を眺める。
昔から、あやかし協会で言われている言い伝えがあった。
『突風が吹いたとき、それは何かの前触れである』と。
ルッカを抱き上げた直後に横を何かが通り過ぎる。
背後へ回り込まれたのに気がついて、施設へ向き直った。
「……"ヒガクレ"か? 俺じゃなかったら、サクッと殺られてるぞ」
「す、すみません……。大変なことが起きて、周りのあやかしが荒れてまして……。ノワールさんに、対処してほしいのですぅ」
姿が見えない声の主はヒガクレという、下位のあやかし。
陽の光に同化して姿が見えず、俺はあやかしが持つ"妖気"を感じ取っている。
あやかしにとって、妖力は魔力に等しい。
妖気は妖力を使うことで漏れでる残滓みたいなものだ。
こいつは存在自体が妖力の塊みたいなもので、ダダ漏れで分かりやすい。
「大変なことって、なんだ? んで、どこでやりあってるか教えてくれ」
「は、はい……。それが、ワタシも今しがた知ったのですが……。その、"あやかしの王が亡くなりました"……。それで――」
「えっ……? ちょっと待て。あやかしの王が、亡くなった……? ルッカ――」
俺が声をかけると、両手で器用に耳を押さえている姿が目に入る。
様子がおかしく心配したルッカの理由は分かった。
ただ、これは協会に属する俺にとっても重大な話でもある。
どうして誤魔化したんだ……?
あやかしの王。通称:CLOWN。
俺たちあやかし専門協会でも第一に教えられるほどの重要人物である。
上位のあやかしは千年くらいが寿命といわれているほど長生きだ。
現在の王は、それを軽く超えて千五百歳とかいわれている。
一説によると妖力の高さで寿命も決まるんじゃないかと噂されているほど。
俺は思わず唾を飲み込んで、口を押える。
――思っていた以上に相当厄介だ。
「CROWNは、俺たち協会側にとっても重要人物だ。……これから、CROWN候補による戦争"が始まる――」
「主ぃ……すみません。僕、直ぐにお伝え出来なくて……」
「いや、その話はあとにしよう。ヒガクレ、現場に連れて行ってくれ」
この問題は俺に扱える内容じゃない。
俺は一度深呼吸してから気持ちを切り替える。
町を出ると、ヒガクレのあとを追って再び首に巻きついたルッカと共に、少し離れた森に向かった。
俺は足を速める魔法によって、二倍速く駆け抜けることで直ぐに現場へ到着する。
威圧するほどの妖気に足を止めた。
木々の間から覗く襟足ほどに伸びた紅い髪が風に揺れ、立派な二本の角に、眼光の鋭い双眸と視線が重なる。
その近くには、地面でうずくまるカオナシの姿があった。
「んっ……。まさか、大暴れして迷惑かけてたのは、ウチの問題児か」
据わった目は、怪しげな光を放っている。
敵意を向けてくる人型のあやかしは、根は良い奴だが怒ると手がつけられない乱暴者で、問題児の良鬼だった。
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<<あやかし紹介>>
ー No.Ⅰ Name.カオナシ(顔無) ー
基本的に人里から離れた静かな場所を好み棲み処にしている中位のあやかし。
二メートル以上ある長身の男を模した姿をしている。
整えられた白い前髪に短髪。体格の良さ以外で変わったところはないに等しいその顔は、顔面蒼白で必要な部位が一切ない。
目も、鼻も、口さえ。当然、眉毛もない顔無しである。
顔の部位がないため会話は成り立たない。
能力は特にない。なぜ、中位のあやかしなのか謎に包まれている。
追記……
<ノワール情報>
性格は様々。
このカオナシは顔面凶器のクセに小心者で、争いを好まない。
能力は人間好きが高じて会話をするために独自で編み出した念話。