第013話 ブランシュ家
昨日直してもらった黄昏色の眼鏡を耳に掛け、朝から少し遠い街まできていた。
此処は俺が拠点を置いている町とは違って貴族が多くを占めている。
その頂点に君臨するのがブランシュ家。俺の実家だったりする。
「二十歳のときに出たっきりだから、約八年かぁ……長いな」
「そうですね。主と最初に出会ったのも、この庭でした」
「いまも変わってないな。確か、物心ついたときに此処でも楽園に連れて行かれそうになったんだった」
あのときはまだルッカがいなくて誰かに後ろから腕を掴まれて、連れて行かれずに済んだんだ。
幼い頃、俺を魔導士として育ててくれた師匠のような人に、自分は人間だと強く意識しろって言われた気がする。
当時はまだ瞳の色なんて他の奴と少し変わってるくらいにしか思ってなくて、自分は人間だと疑わなかった。
あれは俺があやかしとの混血だと知っていた"あの人"が、楽園に魅了されてあやかし側に行かないように、そっと教えてくれていたのかもしれない……。
「主ぃ……主ぃー。誰かが扉から出てきました」
「あっ、悪い……。昔のことを少し思い出していた。誰かって……あっ――」
庭から通じているのは裏門で、使用人くらいしか使わない場所だ。
俺が、最後に出て行った場所でもある。
「……お帰りなさい、ノワール。元気そうで、祖母は嬉しく思います」
「お祖母様、お久しぶりです。俺も、元気なお姿が拝見出来て嬉しいです。母へ会いに来ました」
「ええ。でも、それだけではないのでしょう? その眼鏡。一つ付与が減っていますね」
その言葉に俺は思わず目を丸くした。祖父も凄い人だけど、祖母も穏やかで普通の人にみえて、特殊な眼を持っている。
――"鑑定眼"。
これは世界で一人とかいう大層な能力じゃないが、特異体質だったり特殊能力のようなものは産まれたときから魔力を持つ人間でも稀だ。
俺が知っている中だとシアン、祖父母に母さんくらいか。
「はい。少し、ヘマをして……割ってしまったんです。何やら色誤認、という付与は特殊だとか」
「ええ。あれは、わたくしが頼まれて付与しました」
「えっ……お祖母様でしたか」
お祖母様は魔導士じゃない。だけど、鑑定眼を使って復職のように祖父を手伝っていると聞いたことがあった。
眼鏡を外すと付与もないため、金色の瞳が晒される。
「いつ見ても、貴方の瞳は綺麗に輝いていますね。隠してしまうのが、残念でなりません」
「この瞳を見て、綺麗だと言ってくれる"人間"はお祖母様だけですよ」
祖母は昔から俺の瞳を綺麗だと褒めてくれる唯一の人だったのを思い出した。
反対に、祖父は幼少期に横顔を見たくらいで顔も覚えていない。
仕事に追われ実家にいることが少なく、生真面目な人だった。
だから、産まれた瞬間から嫌われていると思っている。
立ち話に花を咲かせていたことで、心配した祖母の専属メイドが向かってきた。
祖母が断ったのだろう護衛も数人陰から目を輝かせている。
「――ノワール坊ちゃま、お帰りなさいませ。アステール様、そろそろお身体に障ります……」
「ふふっ、分かりました。貴方は本当に心配性ですね。ノワール、こちらは後でお返ししますので、わたくしの部屋に来てください」
「分かりました。宜しくお願いします」
額に手を当てて瞳を隠す俺は祖母を見送ってから母親がいる離れに向かった。
実はある理由で母さんは離れの家屋にいる。
祖父は理由を知っているはずなのに、話を聞くことすら出来ていない……。
お祖母様はあの様子だと知らないのだろう。
「主ぃ……今日も、あの鳥がいますよ。僕が追い払いましょうか」
「そうだな。でも、危害を加えるわけじゃない。様子を見よう……いまに始まったことじゃないしな」
「まぁ、そうですけど。相変わらず、あの方はお優しいですね! さすが、王妃様のお母様です」
王妃か……。
ルッカは俺と初めて会ったときから、あやかしの王の子供だと分かっていて近づいたんだろう。
その理由は分からない。俺の父親らしいあやかしの王が、監視か……父親らしいことをしようとでも思ったのか。
いまではどうでも良いことだけど。
ルッカが来てから寂しくなくなったし、数え切れないほど楽園へ行きそうになる俺を守ってくれた。
本家も静かではあるが、こちらはさらにシーンとしていて人がいる気配すらない。
扉を開いて中に足を踏みいれ母さんのいる部屋に向かう。
「――母さん、ただいま。八年ぶりとか、親不孝者の息子でごめん。相変わらず、元気そうで良かった……」
母さんがいる部屋に入って直ぐ視界に入るのは大きめのベッドへ穏やかに眠る女性の姿。
不思議なことにやせ細ってもいない健康そのものである体で、俺が産まれると同時に二十八年間も眠り続けている。
備え付けられた椅子に座ると、襟巻きになっていたルッカも飛び降りて膝に座った。
「不肖ながら、このルッカ。あの日から現在も、主をお守りさせて頂いています!」
「昔も現在も、可愛い俺の相棒だよ。だから、心配しないでほしい……」
メイドもいない部屋で静かに眠る母さんへ、俺は優しく手を握る。
温かい……。
この温もりが、いつまで続くかも医者には分からないと言われた。
俺も協会で八年働いた実績がある。次は祖父と会って隠している理由を問い質す。
「母さん、少しだけ……いまいる町を離れることになったんだ。だから、次に会いに来られるのは少し先だと思うけど、さすがに今回よりは短いから」
「王妃様、ご安心ください! 今後も僕が、主をお守りしますので!」
「それじゃあ、また来るから……元気でいてほしい」
手を離して椅子から立ち上がると、ルッカは再び定位置に戻った。
離れがたい気持ちを押し殺して俺は祖母がいる本家に向かう。
祖母の部屋について声をかけると明るい返事に扉を開けた。
中にはメイドの姿はなく、祖母が低い椅子に腰掛けている。
「思ったよりも早かったですね。此処にはメイドは疎か護衛もいません。何か急いでいるようなので、詳細だけ聞かせてくれますか?」
「さすが、お祖母様ですね。察しが良すぎて少し怖いです……。あの町に二年も滞在していましたが、移動しようと思います」
「あやかしが活発になり始めたことで、貴方にも問題が生じましたか……。寂しいですが、可能なら今度は手紙をくださいね」
この金色の瞳が原因だということはあやかし以外は知らない。
優しく微笑む祖母に、俺も笑顔で頷いた。
今度は長く町や村に滞在することはないだろう。手紙は魔導士がよく使う使い魔に運ばせたらどこへでも届けることが可能だ。
「此処は貴方の家なのだから、いつでも顔を見せてくださいね」
「ですが、俺は……」
「わたくしは、貴方の父親が誰でも構いません。貴方が、あやかし達の戦争に巻き込まれることを危惧しているのです」
あやかしの王が亡くなって活発になったいま、拠点を移すなんて行ったら誰でも気付くだろう。
他に人の気配がないことで、首に巻きついていたルッカが床に飛び降りた。
祖母は知っているため驚かない。
「ご安心ください! この僕が、主をお守りします」
「あら……ごきげんよう。貴方も元気そうで何よりです。それは頼もしいです。この子のこと、宜しくお願いしますね」
「ルッカもこう言っていますし、大丈夫です。お祖父様にも、宜しくお伝えください」
胸を張ってみえる可愛いルッカを抱き上げる。
祖母から眼鏡を受け取って挨拶を交わした俺達は、そのまま部屋を出て本家を後にした。
最後に八年間、稽古をした裏庭にも別れを告げて――。
施設に戻ってきた俺達は出入口付近で、カオナシとヒガクレがしゃがみ込んで地面を見つめている姿に気付き、不審に思いながら歩み寄る。
「お前ら、そんなところでしゃがみ込んで何しているんだ?」
「あっ! ノワールさん、お帰りなさい」
『ノワール、お帰り……。それが……知らない、あやかしが倒れていて……』
倒れてる、知らないあやかし?
そばに寄って直ぐに分かった。
地面に顔を伏せ、横たわる姿には黒い大きな双翼が特徴的な男のあやかしが、血を流して倒れている。
その羽根も血が滲んで痛々しく見えた。
「これは……危険な匂いしかしないな。お前ら、力を貸してくれ。こいつを施設に運ぶ」
「この顔……まさか。いや、そんなはずは……。あの者が、自らの血に塗れるはずが」
「ルッカ? 知り合いなのか?」
血相を変えてみえるルッカに質問するが、驚いている様子以外に返答はない。
カオナシ達のおかげで施設内に収容出来ると二人を外に出してからすぐにあやかし避けの結界を張る。
「これで、他のあやかしからは勘付かれないだろう……。さて、どうしたものか」
まずは、何か知っていそうなルッカが冷静になるのを待ってから考えることにした。