第010話 あやかしの楽園
「あの女狐ー!」
書類作りなどで軟禁された俺達は、数日ぶりに町へ戻ってきた。
興奮したイブリースは戻って早々、施設の一階で叫んでいる。
俺の代わりに滞在中、塔へ足を運んでくれていたイブリースは艶狐と何かあったらしい。
大人しかったのは意外だが、我慢していたみたいだな……。
きっとアノニマスがいたからだろう。
子孫繁栄の概念がないだけで、あやかしも多種多様だ。俺のもとに集まっているのは基本的にあやかしとしては優しい奴らが多い。
「イブリースも大人だったんだなぁ?」
「からかってるの? また蹴られたいのかしら」
「三回目はありませんよ! この小娘が! 主を誰だと思っているんですか」
……また始まった。
色々あって疲れた俺は椅子に腰掛けたまま二人のことを放置して果実水を飲んでホッとする。
暫く耳元で騒いでいたイブリースは口を開けたまま急にテーブルを叩いた。
「忘れてたー! 子狐と遊んでいる暇はなかったわ。またね!」
「ん? 二日間有難う、イブリース。またな」
「ハァ……使えるときは使える小娘なんですけどね。急いでましたが、あやかしに大事な用などあるんでしょうか」
ルッカのいうとおりあやかしに急用など思いつかない。
うちが特殊なだけで、基本的には群れないあやかしの集会なんてあるのか?
果実水を飲み干して立ち上がった俺は残してきたアノニマスに対する罪悪感はあったが、家のような施設に戻ってきて完全に脱力している。
「よし、今日も早く寝て明日は豪勢な食事をしよう」
「はい! 沢山食べて栄養補給してください」
テーブルから跳び上がって首に巻き付くルッカを撫でながら二階に上がった。
あることが理由で、この施設には一切開くという動作をする扉がない。
だから、二階の部屋も"入口"になるなんて思いもしていなかった――。
「主! 二階の扉部分が、あやかしの世界と繋がっています!!」
「えっ……? 嘘――」
だろう。
そう言いかけて、目の前に広がる色鮮やかな空間へ一歩踏み込んでしまった俺達は眩しい光に包まれた。
眩しさに両手で顔を覆った俺は頬を舐められる感覚で目を開ける。
耳元で何かを言っているルッカの口の動きは分かるが、なぜか耳に水が入ったように聞こえない。
「ルッカ……お前の声が聞こえない。あと、少しだけ頭が痛い――」
「――かし、……に来――です」
「うーん……やらかしたのだけは、分かる。二十八年目にして、これはないよなぁ」
空を見上げて直ぐに理解する。
薄紅色の空に、薄く見える白い月と"赤い月"。二つの月がある。
人間界には白い月が一つしかない。赤い月は"あやかしの世界"である証だ。
視線を前に向けると、多種多様のあやかしが大通りを闊歩している。
この失態は艶狐に背後を取られたときのように不意を突かれた気分だった。
「主ぃ、申し訳ございません! 僕も、気持ちが緩んでいたようです」
「いや、俺も同じだ。薄紅色の空とか、思っていたのと違って派手で驚いたが……」
「重大な問題があります。此処は大通りなので、家屋の裏に参りましょう!」
人間に近い上位のあやかしでも、どこかしら異なる部分がある。アノニマスは例外だけど……。
俺達は人間だと悟られる前に裏手へ回った。息を潜めて壁に背中をつけ、精神統一するように心の中を空っぽにして気配を消す。
家屋の横にあった樽の上に跳び乗るルッカは溜息をついた。
「問題は山のようにあります。まずは、出口を教えてくれる"案内人"がいないと帰れません」
「聞いたことがあるような……。ルッカは、案内人にはなれないのか?」
「はい……。僕も、此処に来たのは初めてなんです。主を知っているあやかしも滅多に此処には来ないでしょう」
人間界で生きるあやかしはほとんど此処には来ないらしい。
視線だけ大通りに目を向けると、祭りのように沢山のあやかしが闊歩している。
あと、空以外にも違和感を覚えたのは建物だ。
一階建てなのはいい。ただ、屋根の造りが異なるし、どこか雰囲気が違う。
「ああ。この屋根は、"瓦"というものです。あやかしの世界では、おとぎ話が流行っていまして、それを模したのだとか」
「へぇ……こういうの、なんて言うんだろうな。焦らないといけないのに心が和むような」
「"和風"ですね。艶狐が着ていた服は、"和服"と言うらしいです」
あの民族衣装は和服っていうのか。この世界自体が和ませるおかげで、緩んでしまう俺達の前に見覚えのある女が現れる。
あのときとは違って直ぐに反応したが、軽く前に手をかざされ動きを止めた。
「……此処は"楽園"と呼ばれるあやかしの世界。魔法はご法度。人間とバレます故……」
「艶狐……どうして、此処にいるんだ? アノニマスは」
「今日は朝から晩まで身体検査とやらで、暇だったの。まさか、こんなところでお兄さんとまた直ぐに会えるとは思わなかったわぁ」
口調が違う様子に一瞬緊張するが、会ったときと同じ様子に短く息を吐く。
この世界で魔法を使えないのは痛いな。
俺とは違って毛を逆立てるルッカを撫でて落ち着かせる。
信用はしていないが、ルッカと違って此処のことに詳しそうだ。
状況を直ぐに理解した様子の艶狐は、赤く艶めいた唇を軽く舐める。
「此処から出たいのよねぇ? それなら、貴方の魔力を吸わせてちょうだい。あのときからとても魅力的で、美味しそうだったのよぉ」
「これは取引か? 断る。悪いが、お前は信用出来ない。それに、会って二度目のあやかしを信じる魔導士はいないだろう?」
「ええ、そうね。だから、私は能力を使っているんだもの」
こいつ、協会の魔導士にも能力を使って何かしているのか?
交渉決裂したいま、案内人を探すのは至難の業になる。艶狐に出会えたのも、奇跡的だ。
「人間側にいたいなら、悪用するなよ?」
「フフッ……お兄さん、優しいのね? いいわ。案内人になってあげる。"現在は"同じ協会の仲間だもの」
「ウゥゥー……信用なりませんが、致し方ありません。主に何かしようものなら、ただじゃ置きませんよ」
調子の良い艶狐はわざとらしく胸元を大きく開けて何かを取り出す。
見せられたのは尖った二本の角だった。いや、正確にはその模造品。
微かに妖力を感じる。
警戒を強めるルッカを抱きかかえると、艶狐が近づいて来た。
「これは、あやかしが作った"妖具"。あの子鬼ちゃんみたいな角ねぇ。頭に着けると、あら不思議……あやかしに瓜二つ」
「子鬼? もしかして、イブリースのことか? 本当だな……鏡がないから分からないけど、変な気分だ」
伸ばされた腕に一瞬警戒するが、頭につけられた角へ触れると本物のようで強く握っても外れない。
微かに自分自身からも妖気のようなものを感じ取れる。不思議な感覚だ。
腕の中から見上げてくるルッカは悲しそうな顔をしてみえる。
「主が、小娘と同じ姿に……。主は人間なんですからね! 断然、いまよりも凛々しくて素敵なんですから!」
「あらぁ。子鬼ちゃんと違って素敵じゃない。人間も良いけどぉ……こっちも良いわぁ」
悲しい理由は直ぐに分かった。艶狐と違い、ルッカは人間の俺が好きらしい。本当に可愛い奴だ。
妖具とはいえ、この世界限定らしく人間界に戻ったら自然と外れるらしい。
「準備は整ったし。行きましょうか」
「えっ? 出口を案内してくれるんじゃないのか?」
「まだ"藍青色の夜"まで時間はあるから、せっかく来たんだもの。観光案内するわぁ」
案内人になる代わりとして自分に付き合えと強引に腕を掴まれ大通りに戻る。
先ほどよりも違和感はなく、こちらを気にするあやかしはいなかった。
首に巻き付いたルッカを宥めつつ艶狐に案内されるまま、行き着いたのは古民家のような落ち着いた場所。
少しの違和感は店内にいるあやかしが一人も椅子に座っていないことだった。
「えっ? 椅子はないのか?」
「フフッ……此処は、"お座敷"っていうのよぉ。あの子達が座っているのは"畳"っていって、足を畳んで座るの。初心者は投げ出しても怒られないと思うわぁ」
「主ぃ……座っているあやかし、みんなのんびりしてますよ」
艶狐のいうように、そこにいるあやかしは足を畳んで飲食を楽しんでいる。
俺達に気付いた店員のあやかしに案内されるまま、窓際の席に座った。いままで足を畳む動作なんてしたことがなかったが、思ったよりもキツい。
艶狐は造作もないようで、席に案内してくれた店員にそのまま注文をしていた。
「お近づきの印ってことで、私のおすすめをご馳走するわねぇ」
「あ、ああ……。共通の通貨か、分からないしな」
「女狐が誘ったんですから、これで貸し一つとか言い出さないでくださいね」
俺と違いしっかり者のルッカが指摘する。艶狐は口元を緩めて首を縦に振った。
ほどなくして頼んだものが届くが、見た目は奇怪でやけに甘ったるそうな匂いがする。
「えーっと、白い玉に黒っぽい粘土? あと透明なゼリーと、果物に黒い、これは蜜か……」
「ぷっは! その表現はないわよぉ。この黒っぽいのはあんこって言って甘くて美味しいのよぉ。あと、この黒蜜。こっちの方がさらに甘いわよぉ」
「この女狐! 主を愚弄するのは許しませんよ!」
恐る恐る口に含むが、あんこの優しい甘さが口の中を駆けめぐった。衝撃に目を見開き、同時に肩が揺れる。
黒蜜の濃い甘さに普通の蜜との違いを感じ、無心で食べていたらいつの間にか空になっていた器を眺めた。
「そんなに美味しかったぁ? 誘って正解だったわぁ。これで、少しは仲良くなれたかしらぁ」
「この痴れ者が! 一つの食べ物だけで仲良くなれるわけないでしょう!」
「――まぁ、知らないものを教えてくれたことには感謝する」
軽く甘味を食べた俺達は店から出る。
次の場所に誘って、再び腕を組んでくる艶狐を振り解こうとしたときだった。
急に背後から反対の腕を強く引き寄せられ振り返る。
「ちょっと……! どうして人間のアンタが、楽園にいるの!?」
その姿は見間違えるはずもない。二本の角に赤い髪をしたとても良く知るあやかしだった。
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<あやかし紹介>
No.Ⅶ Named.艶狐(???)
基本的にあやかしの楽園と呼ばれる世界にいる上位のあやかし。
白い艶のある腰まで伸びた髪に黄色い瞳。スラッとした容姿で、あやかし界の絶世の美女といわれる。
狐特有の白くて長い耳と太い尻尾もある。
艶狐は女の形しかいない。
主に人間の女性に取り憑いて男性と夜の営みをしたりもしている。
能力は、人間の男を香りで魅了して魔力を喰うこと。人間に取り憑いて操ること。狐火。
追記……
<ノワール情報>
いまは人間側に協力しているため、与えられたあやかし専属部隊がある協会にいる。
身長は百七十センチと少し。
契約上、人間に取り憑くことも夜の営みはもちろん禁止されている。