第009話 アノニマスの処遇
肝が冷えたまま、俺達はシアンに案内された別室で待機している。
あのときシーンと静まり返ったのは言うまでもなく、アノニマスの言葉は取り上げられることなく話が終わったのも正直怖い……。
部屋を移動してからも静まり返っていた中、顔からも激しい動揺がみえたシアンに座っていた俺は肩を掴まれる。
「ノワール……本当に、お前の子供じゃないんだな!? その、あやかしと――」
「断じて違う……。そもそもお前も知っての通り、あやかしは子孫繁栄に対しての概念はない。彼女も俺の仲間だ」
「そうだよな! ごめん! いやー、それにしてもいきなりパパとか言うから、脳内が爆発するかと思ったぞ」
落ち着かない様子で部屋の中をウロウロしていたから予想はしていた。
当の張本人は、備え付けのベッドで眠っている。
安心した様子のシアンに気付かれないよう俺は小声でルッカへ疑問を投げかけた。
「ずっと思ってたんだが、あやかしは眠る必要がないんじゃなかったか……?」
「主……僕達あやかしにも幼体は未知の存在です。それに、あの個体はあやかしの部位がありません」
「そうよ……。それに、寝る必要がないだけで、眠れないわけじゃないしね」
シアンに気付かれないようルッカが助言してくるのに加えて、イブリースも賛同してくる。
それから、先ほどと打って変わってイブリースがシアンを睨みつけるように向かっていった。
嫌な予感しかしない……。
「さっきから聞いてたら、アンタふざけてるの? 上位のあやかしであるアタシが、こんな人間と子供を作るわけないでしょ! そもそも、あやかしは単体で生まれるの。良く覚えておきなさい!」
「ひっ……! ご、ごめん! てか、オレ。あやかしとまともに話をしたの初めてかも……うわ、すげぇ!」
「なんなのよ、コイツ! 憎めない感じが更に腹立つんだけど!」
まさかのあやかしにも犬属性は適応することが判明した。
シアンはあやかしであるイブリースと話が出来て感動している。
こいつにならルッカのことも紹介しても良いかもしれない。
中立協会は問題を起こさない限り、あやかしについても寛容だ。
今日は結論が出ないだろうし、此処に寝泊まりは確定だろう。
俺はルッカの頭を撫でて擬態を解くように合図した。
理解が早いルッカは首からスルッと抜けて床に飛び降りる。
「うおっ!? えっ……嘘だろ!? ノワールの襟巻きになってたのか!?」
「お初にお目にかかります。主の、相棒であるルッカと言います。以後お見知りおきください」
「まさかの、あやかしの相棒!! 熱いな、ノワール! しかも、すごい可愛い」
シアンも見る目はあったようだ。
撫でたそうにしている姿にルッカと目配せする。仕方ないとばかりにシアンの横へ座るルッカに思わず顔が緩んだ。
「撫でてもいいですよ。ただし、主と違ってモフモフは半減してます」
「うはっ! ゴワゴワしてるけど気持ちいいー」
「良かったなぁ? さてと、話は明日の早朝かねぇ……早く寝て備えるか」
此処は広間にベッドが一つと奥に寝室だけの部屋が隣接している。
シアンも監視として共に寝るとのことで、アノニマスはイブリースに任せて移動した。
寝る時間には相当早いため、ベッドに座った俺はシアンによって質問責めに合う。
「そんなにあやかしと交流してるなんてノワールはすごいな! オレなんて、討伐隊に編成されて倒すことしかしてこなかった」
「そうだったのか。中立とはいえ支部にいたら交流はないかもなぁ」
「主は他の魔導士とは違って中立を体現されているんです。見習ってください」
膝の上に座って俺の代わりに自慢げなルッカが可愛くて頭を撫でた。
シアンも素直な性格だから、ルッカに手懐けられている気がする。
昨日も普通に寝たはずなのに、魔力を吸われてからどうにも眠い。
奥にある窓を覗くと、夕暮れどきで空が赤く燃えてみえる。
欠伸を噛み殺す俺に音もなくシアンが近付いてくると、大きな手が額に触れた。
急なことに目を見開く俺にルッカも立ち上がる。
「あー……これは、"魔力欠乏症"に近いな。実はオレ、相手に触ることで魔力の流れが分かるんだ! ノワールは魔力量も多いから活動出来てるけど、もっと寝ないと駄目だぞ」
「そう、なのか……? 凄いな。急すぎて驚いたけど」
「ああ、ごめん! 思い立ったら行動するのが悪いクセだって言われてるのに。あっ、さすがに女性にはやってないからな!」
魔導士の中には特殊な能力が開花する者もいると聞いたことがあった。
まさか、身近にいるとは思わなかったけど。
俺は魔力量が多いことと、魔法の威力がルッカ曰く最強らしいことくらいか。
熱い男なのに意外と冷たい手に触れられたことで眠気が増す。
男にも辞めた方がいいぞと窘める前に視界が振れてきた。
「悪い……少し、寝るわ」
「おう! オレは、あっちの様子と、支部長を見てくるから。ゆっくりしてくれ」
「主ぃ、お休みなさい」
掛け布団をめくって中に入ると、包まれる感覚に自然と意識を手放す。
「おーい、ノワール。朝だぞー?」
「主ぃ……起きてください。支部長という人間が呼んでいます」
「うーん……。えっ、と……嘘だろ。朝まで寝てたのか」
寝ぼける頭で顔を出す陽の光が差し込む中、すでに準備を済ませた全員に見下されていた。
なんだか恥ずかしい……。
ベッドから下りて体を伸ばすと、アノニマスも真似して小さな腕を伸ばしている。
あやかしでも幼体は人間の子供みたいに真似をするのか?
顔を洗って頭を起こし、支部長室を尋ねる。
「失礼します。ネウトラーリ支部長、お連れしました!」
「朝だから、少し声を抑えるように。昨日、その幼体について話し合った。結論として、自動魔力吸収をどうにか出来るまで保護下に置くと決まった」
「そう、ですか……。有難うございます。いつ生まれたのかは分かりませんが、まだ幼体なので配慮して頂けたら嬉しいです」
支部長がいう保護下はあの塔へ隔離するという意味だ。
あの聳え立っていた数本の塔は討伐対象ではないが、問題のあるあやかしを隔離するためのもの。
まだ幼体であるアノニマスは眉を下げ、隣にいるイブリースではなく俺を見つめてきた。
中立協会で働くあやかしがいると良いが、俺はこれ以上関われない。
支部長室から出た俺達は特別に塔内部を案内してもらえることになった。
アノニマスを隔離部屋に連れていける人間がいないからだけど。
「アノニマス、大丈夫かしら……ここ、暗くない?」
「ああ。でも、仕方ない……。人間の俺じゃ世話が出来ないし。イブリースに任せるわけにはいかないからな」
「パパぁ……アノニマ……」
長い階段を歩く中、一段下でイブリースに手を握られて歩くアノニマスの声に眉を寄せた。
これが最善策だと思っている。能力によっては共存出来ない場合は多い。ただ、今回は幼体だっただけ……。
寂しそうな声に応えられないまま一番上まで登り辿り着いて、開けた扉の先は殺風景な個室だった。
扉はあやかし用の結界が張られているが、アノニマスには効果がないと思う。
ベッドに、何も入っていない本棚。小さなテーブルと椅子が一つずつ。ある意味俺の住む部屋と大差ないな。
「支部長が例のあやかし"専属"協会から応援を呼んだらしいから安心しろよ!」
「子孫繁栄の概念がないあやかしに、子供の世話が出来るのか?」
「うーん……頭が悪いオレには分からないけど、妖艶な美女らしい。妖艶ってなんだ?」
胡散臭さしかない。
そう思っていたときだった――。
いつから背後にいたのか分からないあやかしの気配に、アノニマス以外の全員が咄嗟に後ろへ振り返る。
「どーもぉー? やっと気付いてくれたぁ。私、噂のあやかし専属部隊から来ましたぁ。艶狐です。どうぞ、よしなに」
「こいつ……。誰にも気付かれず背後にいるなんて――」
「うはー。一本取られたぁ! 悪いあやかしだったら殺られてたな!」
背後にいたのは白と赤で染められ花の模様が散りばめられた民族衣装のような姿に、生足が覗く妖艶な女だった。
白い艶のある腰まで伸びた髪をなびかせ、黄色い瞳が獲物を見るように笑っている。
人間とは違った違和感にはすぐに気付いた。頭の上には長い耳がピンと立ち、太い尻尾が妖しく揺れている。
狐のあやかし繋がりで何か思うところがあるのか、毛を逆立てるルッカが唸っていた。
「主、気を付けてください! この女狐は、個体名のとおり男を騙すのが得意です。何故、"人間側"にいるかも不明です」
「あらぁ、失礼しちゃうわぁ。そんなの決まってるでしょー? あやかしより素敵な殿方が多いから、人間側についてるだけぇ。利害の一致よ」
「それは信用するには弱いな。けど、俺にはアノニマスの面倒は見られない……。変なことを教えるなよ?」
未だにアノニマスの個体名は分かっていない。
ルッカの言葉で、同じ女の形をしていることに不安もあるが、支部長が用意した艶狐へ任せることにした。
アノニマスも怯える様子はなく、艶のある唇を一舐めして近付いてくる艶狐に、襟巻きになっているルッカは威嚇する。
「――貴方、とても"良い匂い"がする。容姿はもちろんだけど……心も素敵なお兄さんには、悪い虫を追い払う"白銀狐"がいるのねぇ。残念だわー。でも、アノニマスちゃんの面倒を私が見るから、今後も会えるわねぇ」
「この女狐が! 主に色目を使っても無駄ですからね! あやかしの能力など主には効きませんから」
「纏ってる妖力は、男を騙す香りか……道理で、シアンがおかしいわけだ」
急に静かになったシアンの瞳は、黄色い靄がかかったように発光していた。
あやかしの能力に心を奪われるのは半人前の証拠。
シアンはまだまだこれからだな。
能力に掛かったことでほくそ笑む艶狐に、俺は指を鳴らす。
「ハッ! あれ、オレどうしたんだ?」
「まだまだ未熟者だってことだ」
俺は指を鳴らすことで、自分の魔法だけじゃなく、あやかしの能力も無効にする魔法を組み込んでいた。
一種の催眠みたいなもので、脳内で指を鳴らすという行為で勝手に処理されるよう魔法を組んでいる。
「もう。少しくらい楽しませて欲しいわぁ。それじゃあ、あとは任せてぇ? アノニマスちゃん、お姉さんと仲良くしましょうねぇ」
「パパぁ? アノニマ……」
「悪い……。俺は"人間側"だから、一緒にはいられないんだ。お前の幸せを願ってる」
寂しそうにするアノニマスの手を艶狐が握るのを確かめてから、イブリースは手を離した。
意外と文句を口にしないで静観しているイブリースの様子に違和感を覚えながら、俺達は塔を後にする。