『近所に引っ越してきた櫻子はツンデレだけど嫌いじゃない!件』 その8話 お父さんとお母さんの過去
社長が写真を見ながら話し始めた……。
「お父さんがうちのバイク屋に初めてきたときは強烈だったなぁ。いきなりうるっさいバイクで店に来てヘルメットを脱いだと思ったら、
『このバイクに乗せてもらってもいいっすか⁉』
って。店の前に置いてあったレース用のバイクを指さしてね。それから毎日のようにうるさいバイクに乗って来て、これがまたしつこくてねぇ。『絶対みんなより俺のほうが速く走れる!』って店の連中やお客さんに食って掛かって。始めは、皆軽くあしらっていたけど、あんまりしつこいので皆イライラしだしてねぇ。それならやってみろと店のサーキット走行会に連れて行って走らせたんだ。
そうしたら全然だめで話にならない。レース始めたばかりのお姉さんにも抜かれる始末。挙げ句に転倒してうちのレース用バイクを壊しやがった!
店やお客の連中は、『どうせこいつはバイクが悪いとかタイヤがダメだから』とか何か言い訳をするのだろうと思っていたのよ。そしたら、たかしはなにしたと思う? ヘルメットを脱いで皆の前で土下座だよ、土下座! そして頭を地面につけて、
『みなさん、すみませんでした……』
と号泣よ! 大事なバイクを壊してしまったって泣きながら謝ったのよ。ちょっと可哀想だったけどね。
それからこれに懲りてもう店には来ないだろうと皆思っていたら
『なにか手伝わせてください』
と毎日のように来たよ(笑)そんなことがあってから皆はお父さんを可愛がってね、どこか憎めないやつだって。うちのチームの一番うまい奴にバイクの乗り方や調整の仕方とか熱心に聞いてそれをノートに書いていたな。でもうちのバイクを壊したのを気にしてか『バイクに乗りたい、レースに出たい』とは言わなかった。
でもある時、お客さんがエントリーしていたレースに急に出られなくなったから代役を探していたんだ。そこで俺がたかしに、
『出てみないか? 』
と言ったんだ。たかしは最初、
『コケてバイクを壊したらいけないから……」
と断っていたがバイクの持ち主が、どうしてもたかしに走らせてみたいと言って、二人で説得して出場する事になったんだ。
結果は、予選二位、決勝四位だった。俺達は素直に喜んだよ! 四位入賞なんてチームで初めてだったから。でもお父さんは、何故かヘルメットを脱いだらまた号泣してるのよ! そして泣きながら言ったよ、
『すみません勝てませんでした……』
『おいおい、勝つつもりだったのかよ!』
って号泣しているたかしの目の前でみんな大爆笑さ!
それからすぐ自分のバイクを売ってバイトで貯めたお金も全部使ってレース用バイクを買ってさ。本格的に参戦するようになったんだ。そして一年目はシリーズランキング三位になった。そして二年目はすごかったよ、出たレースは全部優勝、その中の一つのレースは雨のレースだったけど三位以下を周回遅れにしてしまったよ。ちなみにその時の二位は、今日来ているイケおじの片川さ。あいつ、たかしに一回も勝ててないのよね。
(社長には悪いけどは途中からあんまり話の内容が分からなかった。とにかくお父さんがすごく速かったということだけは解った)
そして二年目が終わってすぐ、うちの松金が欲しいという話が他の大きなチームから来てね。ちょっと説明が難しいけど簡単に言うとお金をもらってレースに出場する、プロのライダーにならないかという事だよ。でもお父さんは、その話を断った。理由は子どもが生まれるからって、和美さんに心配かけたくないって。だから来年で引退するから最後の年は、社長のチームで走るって言い出した。でも私はそこでお父さんを怒ってしまってねぇ。
『たかし! ふざけるな! レースで飯が食える! ワークスライダーになれる! レースをやっている奴なら誰もが夢見ていることが今、たかし! 現実になろうとしてるのに!』
ってね。実はその話が来る前、シーズン前のテスト走行の時だった。このサーキットの最終コーナーで酷い転倒をしてしまってね……お母さんもその転倒の一部始終を見ていたんだ。それはバイクとお父さんが宙を舞うほどの転倒で幸いたかしの体はどうもなかったんだけどバイクはボロボロ……そんな大転倒を目の前で見たお母さんは大号泣……。たかしは笑って帰ってきたけど和美さんは大泣きしている……。そんなお母さんを見てたかしは、何か思ったのだろう……。
そして三年目のシーズンが始まり私はたかしの気が変わることを信じていた。その年もたかしの勢いは衰えなかった。この年は日本全国のサーキットを回って、出たレースは全戦全勝。五つのサーキットでコースレコードとクラスの年間チャンピオンを決めた。でもお母さんはあの転倒以来サーキットに来ることはなかった。
そしてたかしの最後のレースはここであったんだ。その頃のたかしは全国から注目されるほどの速さだった。私はシーズンが始まってから、次の年の事は怖くて口にしていなかったんだけど決勝スタート直前に
『社長、今までお世話になりました』
と言ってスタートラインに並んでね。結果はもちろん優勝。最後のお立ち台に上る時、久しぶりにサーキットに来たお母さんが赤ちゃんを連れて来ていてね。その時の写真がこれだよ。たかしのレース人生最後のお立ち台。
『多くの記録と記憶を残したライダー』
なんて……それからは全然音沙汰なしでさ。たまにレースに出てみないかって連絡しても
『もう若い子には敵わないからハハッ』
とか言って交わされて。そうこうしているうちにバイクレースなんてお金ばかり掛かって馬鹿らしいってみんな辞めていっちゃってさ……不景気で従業員も雇えなくなって、バイクも全然売れなくなって……。私もなんとなくやる気がなくなっててさ。そんな時、たかしから何十年ぶりかに電話があって
『バイク探してくれませんか?』
と聞いた時はとても嬉しかったんだ! レースなんて関係ない、お父さんがまた大好きなバイクに乗りたいって言ってきた事にね。おじさんはさやちゃんの家族がうらやましいよ! それとおじさんはお母さんからちょっと嫌われていたけど、今日仲直りができたからよかったよ。俺もまだまだ頑張らなきゃな!」
この話を聞いて私は思った。お父さんは、バイクのレースを辞めたのは、お母さんのせいだと思われないようにしているのかなって。お母さんも、お父さんがレースを辞めたのは自分のせいだって思っているのかもって。
お父さんとお母さんの過去が聞けて嬉しかったと思いつつ続く……。