表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/86

睡蓮ー言霊編ー

氣づいたら本日で二周年です。

まだ続いてるの、正直いちばん驚いてるのは執筆してる本人です。

ここまで来れたのは、読者さんが居るのが一番大きいです。

笑った人、引いた人、静かに読んだ人、全員ありがとうございます。

これからもマイワールド全開で執筆し続けます。

たまに痛い回もお付き合いください。

これからもよろしく☆

親が仕事中の朝、輝と亨は早朝に家から出て行き、飛行機で沖縄へ旅立った。

輝も亨も手ぶらで、家出にしては荷物が少なすぎる。

持ち物はサイフと空飛びまくるキッズとスニャートフオンだけ。


亨:『自由だ自由だ!!わーいわーい!!』


輝:『かいふぉぉぉう‼︎(解放)今までで1番ちゃんとした土曜日の朝を感じる!!』


亨:『今日は全国民から輝が笑われるよ』


燿:『言霊やめろ!言霊を悪用するな!』


亨は憎たらしい親には二度と会わないと決めて家出をしていた。

この時は腹の底から笑う事ができた。

亨も輝も全ての鎖から解放された快感で誰の目も気にせず、はしゃいでいた。

飛行機から見える街の景色は二人を包み込むように癒した。

沖縄に到着すると、亨の表情が曇り始めた。


亨:『こ、ここまで来たら、あとは大丈夫だよね』


輝:『亨が家出る時、親は家に居たか?』


亨:『居ないよ』


輝:『仕事か?』


亨:『うん。休日は、ほぼ居ないよ』


輝:『じゃあ大丈夫だ。仮に親が亨の家出に気づいたとしても、乃木坂駅で二時間も待っている間に、必ず亨を見つけて捕まえている。たとえ巡回中に偶然亨を見かけていたとしても、沖縄に到着する前に確実に捕まえに来るだろう』


亨:『うん……。でも…、なんかさ、急に怖くなってきちゃってさ…。俺のお父さん怒ると怖くてさ…』


輝:『安心しろ、亨。捕まったら、私から家出に誘いました☆と笑顔で言うから後で怒られる心配はしなくていい。実は私は人に怒られるの大好きなのだ。このデラックスお仕置きチャンスを逃すわけにはいかん!ふはぁ~、怒られるの凄く楽しみだなぁ~。私がみんなに怒られるのを想像したら、ぞくぞくしてきたぞ!』


亨:『ぶっ!(笑)キモすぎ!元気出た!』


輝:『じゃあ、海行くか!』


亨は父親に怒られるのを超絶恐れていたが、輝が変ポコドMなのを知って安心し、那覇空港のバス停でバスを待った。


『僕たち、まーから来たぬ?』


突然、話し掛けられ、亨は反射的に逃げようとした。

振り返るとニコニコと笑っているおばあさんが立っていた。


輝:『こんにちは』


輝は冷静に挨拶をした。


『君たちんかい似とーん東京ぬいきがわらびが行方不明だって騒じょーんしが、君たちまーからきたぬ?』


亨:『何を言ってるか分からないよ』


輝:『セクハラならウェルカム!騒いだら馬にしてやるぞ!と言っている』


亨:『絶対違う』


癖の強い方言に苦戦している二人に、おばあさんはスニャートフオンを二人に見せて可能な限りの標準語で説明した。

すると、スニャートフオンの画面に亨と輝の顔画像が載せられており、行方不明ニュースサイトが開かれていた。

亨は恐竜の帽子をかぶってガオガオポーズをきめたかっこいい画像を提供されていたが、どういうわけか輝の画像はセピアで加工されたドアップすぎるドヤ顔が使われていた。


輝:『誰だこんな不細工なドアップ写真選んだ奴は!?』


亨:『ぶっはははは!公開処刑みたいになってんじゃん。ネッツの皆の反応見てみよう!』


輝はその画像を見て、自分がいつこんなふざけた表情をしたのか必死に思い出そうとした。

すぐに頭に浮かんだのは剛仁だった。

輝が勢いで“嫁になれ”と言ってしまった、思い出したくもない黒歴史。

その場で剛仁が、いつの間にか盗撮していたに違いない。

しかも、その写真をセピア調に加工し、顔をドアップにした恥ずかしい画像を全国ニュースに送りつけるなど、悪意としか思えない。


挿絵(By みてみん)


輝はあの時、剛仁をブラックホールに閉じ込めておけばよかったと心の底から後悔していた。


輝:『だめだ!見るな!見たら顔がマントヒヒになる!こんなの私ではない!私は、もっと美しい筈だ!これは酷い!悪意を感じる!アイツに違いない!後で縛り付けて私の88編ポエムを全部暗記するまで監禁してやる!!!』


亨:『残念……、輝が自ら全国ニュースに自分の顔を犠牲にするハイスペックドアホだったら輝と一生友達でいたかったのに…』


輝:『私が事前に美の暴力性を社会に問いかけるために自ら提出した逆張り芸術写真だ。つまり私は今、行方不明者であり、被害者であり、前衛アーティストでもある。評価は10年後にされる。とでも言うとでも思ったか?』


亨:『輝ならやりかねない』


輝:『友達を売ってまでやる勇気は、まだ無いぞ!』


亨:『まだ?いつかやるんじゃん』


輝:『いや、やる。やるとしたら、そうだなぁ……。都会を捨て、シーサーを選んだ二人というタイトルにしろとこだわりを入れるから楽しみにしていてくれ』


亨:『友達キャンセルで』


輝:『キャンセル料をイタダキマス。沖縄まで来た友情は当日キャンセル不可・返金なし・シーサー付きでゴザイマス』


亨:『なんでぇぇぇぇ!?』


輝:『今さら友達やめても遅いのだ。もう亨は私の行方不明人生の共犯者なのだ』


亨:『規約ちゃんと読んだよ。“家出同行者は、精神的に置いていかれた時点で自然解散とする”って小さく書いてあった』


輝:『精神だけ先に東京へ単身赴任させるみたいな新システムやめろ。肉体は沖縄、魂は満員電車ってなんだその過労死一直線プランは!?そんなデタラメな規約作成した覚えはない!』


亨:『だから今この瞬間、俺はもう東京に帰った扱い。友情は置いていくよ』


輝:『帰った扱いって言いながら、今、亨は私の隣でバスを待っているではないか。その時点で帰宅意思ゼロなのだよ。つまり共犯者確定~~~!!友情キャンセルも不可ぁ~!!』


亨:『おばあちゃん、コイツが俺をいじめる。助けて』


おばあちゃん:『ぬーんうとぅるしこーねーんさぁ』


亨:『うんうん、輝がいじめてるね、よくないね、かわいそうって言ってるよ』


輝:『どこに輝という単語があった?!ずるいぞ!亨!全国民に笑われるという言霊が本当になってしまった私がかわいそうなのだ!』


亨:『言霊かぁ。じゃあ、これも言霊にならないかなぁ。今日、クソでっかい鬼でも現れて暴れてくれないかなぁ。そしたら暫くお父さんに会わなくて済むのに』


輝:『やめろ!その言霊はシャレにならん!鬼が集結して本気出して暴れたら本当に帰れなくなるぞ』


亨:『うん、それでいい。家の環境が悪くなければ俺だって家出なんかしないんだからさ。帰ったって俺は、お父さんに勉強しろって言われるだけだもん。俺の親は子供が楽しく生きる事よりも、子供が立派に思い通りに育つ事しか頭にないんだよ』


輝:『お父さんも、その環境で育てられたから、それが当たり前なのかもしれん。私のお母さまも父が教育委員長をやっているから恥をかかせるなと言われて育ったから私にも同じ事を言ってる。今は窮屈な環境から抜け出して自由だと思うかもしれないが、そう思う時間は短いかもしれん』


亨:『自由ってさ、儚いんだね』


輝:『ああ……』


おばあちゃん:『あんやさ……』


亨は被害者ムーブをかましときながらも沖縄での輝との共犯生活が思ったより居心地いいと思っていた。

しかし、この楽しい時間が長くは続かない現実に氣づいた。

我に返った瞬間、家出した事が父親に知られ、強く叱られる光景が頭に浮かび、急に怖くなってしまった。


亨:『………どうしよう』


輝:『財布でも落としたか?』


亨:『帰りたくない…。痛いのやだ!!!怖いのやだ!!!うわぁぁぁぁぁん!!!!わぁぁぁぁぁぁん!!!!』


輝:『亨が怒られないように私が先に謝るから心配しなくていい。人に怒られるなんて、私には茶を飲む豪華な休憩時間にすぎんのだよ』


おばあちゃんは、涙をこらえきれず泣き出した亨を、何も言わずに優しく抱きしめた。


輝:『どうか私達の事は誰にも言わないで下さい』


おばあちゃん:『君たちぬうやんかえーわんから連絡しておちゅんくとぅちゅーやわんがやーんかい、一時間ぐれー海んかいそーてぃ行ちゅさぁ』


輝:『宜しくお願いします』


輝は、おばあちゃんの言葉を聞き、一時間海に行った後に警察に連絡するのだろうと覚悟を決めた。


一方、わんわんと泣き続ける亨の姿を見て、おばあちゃんは胸が痛んだ。

その場で警察に連絡する事はせず、亨と輝を連れて一緒にバスに乗った。

亨の帰りたくないという強い気持ちが、言葉にしなくても目から伝わってきたのだろう。

海に着いてからも、おばあちゃんは警察に連絡を入れなかった。

悪い事だと分かってはいたが、今ここで警察を呼んでも誰にとっても良い結果にはならない。

そう判断していた。


バスの中で、おばあちゃんが沖縄の海を見るなら百名ビーチがいいと亨と輝にすすめてきた。

二人はその言葉に従い、百名ビーチへ向かう事にした。


亨はバスの窓に顔を近づけて外を見ていた。

海が見えた瞬間、思わず声が出た。


亨:『わぁ、きれいな海。東京では、こんなに何色もある青色の水面を見た事がないよ』


バスが進むたびに景色が変わるのが楽しくて、亨は窓の外を見つめていた。

亨にとって沖縄の海は逃げてもいい場所があると思わせるような景色であった。


海を見た瞬間、輝はなぜか落ち着かなくなった。

広くて、静かで、何も求めてこない。

東京では、何かに追われるのが当たり前だった。

それが急に消えて、胸に穴が開いたような氣がした。

輝にとって沖縄の海は追われなくなった自分を突きつける景色であった。


砂浜に出た瞬間、亨と輝は思わず両手を広げた。

沖縄の海が、体いっぱいに飛び込んできた。

おばあちゃんも潮風に顔を向けて、ゆっくり両手を広げた。

海の開放感を一緒に感じている、そんな氣がした。


そして、亨と輝は靴と靴下を脱いだ。

砂の感触が足の裏にくすぐったく、二人は声を上げて笑いながら走り回った。

波打ち際まで全力で駆け、足先を水につけると、冷たさにびくっと跳ねる。

それでもすぐに慣れ、二人は水の中を歩いたり、走ったり、波を追っては逃げたりもした。


亨:『うわーっ!波がくる!』


輝:『気持ちいい!』


笑い声が海風にのって広がっている。

時間も忘れて、子供だけの世界がそこにあった。

砂と水と太陽に包まれて、すべてが楽しかった。


おばあちゃんは笑顔で二人を見守っていた。


波打ち際で走り回り、砂や水と戯れていた二人は、やがて座り込んだ。

靴も靴下も脱いだまま、砂に体を預けた。

足の裏にはまだ砂がくっつき、波がゆっくり洗い流している。

潮風が髪や顔に触れ、あたたかい太陽のぬくもりが体に残った。


亨:『おばあちゃん、海見れてよかったよ』


輝:『海の先にある石碑は何だ?』


おばあちゃん:『百名ビーチんかえー伝説ぬあるぬさぁ。空ぬ女神さまが、くぬ海くぃーてぃやってぃち、はじみてぃふぃさうるちゃるばすなんやさ。くぬ浜ー特別やるばすなんやてぃん』


亨:『あの石碑は女神さまが海に降り立った場所なの?』


おばちゃん:『あんさぁ。あんすくとぅ、海てぃがろーしな、かじん、なんだかちゃーやかうすましく見ーんやし?女神さまん、いやでぃんなまんくぬ海んーちょーんかむしりらんやー』


輝は海をじっと見つめた。

女神が初めて足を下ろした場所、それを聞いただけで、胸の奥が少しざわついた。

ここには力が宿っている。

ただの海じゃない。

もし、ここを知っている者なら何かを成す事ができる。

そういう場所なのかもしれない。

6歳の体にはまだ大きすぎる感覚だったが、この海は特別なのだと感じていた。


その後、おばあちゃんが二人を見て、静かに訊いた。


おばあちゃん:『どうして、家を出てきたの?』


亨は少し躊躇してから、目を伏せて答えた。


亨:『お父さんが、俺になんでも完璧にできるようにって……。学校の事も、勉強の事も……全部…。少しでも間違えたら、ぶたれる事もあってさ……。だから、家に居ると……嫌になっちゃうんだ。勉強も、学校も、全部嫌いになりそうでさ……』


おばあちゃんは黙って頷いた。

亨の言葉には、泣きたいくらいの重さと、まだ6歳の少年らしい率直さが混ざっていた。


おばあちゃん:『なんくるないさ~』


亨は、ぽかんとしたが、おばあちゃんの柔らかい表情を見て肩の力が抜けた。

まるで、凍てついた心に、ふわりとあたたかい風が吹いたみたいだ。


おばあちゃんは輝にも家出の理由を訊いたが、輝は口をかたく閉ざしたまま、波の光をじっと見つめていた。

胸の奥では、こうなったのは自分が一番悪いのだと氣づき始めていた。

白石に礼を言えない。

弟と向き合えない。

母上に自分の意見を言えない。

父上に甘えられない。

自分を守る壁を作りすぎて素直に生きれない。

自己防衛で嘘も吐く。

剛仁に不満が何一つ言えず、攻撃する。

そうさ、私は異常なハイスペックドアホさ。

人の顔色をうかがいすぎるばかりに窮屈だとすら声に出して言えない。

誰かに決められた通りに動くロボットは、もうたくさんだ。

亨のように無防備に心をさらす事はできない。


波が足元に届くたび、輝は無言で海を見つめた。

この広い海は、ここにいるだけで自分の壁を簡単に洗い流してしまいそうだ。

だが、まだ消すわけにはいかない。

自分を守る策は残しておかねば。


だが、この海の向こうには、自由に動ける場所がある。

ここには、自分のやり方で何かを成せるような氣がした。

輝の瞳は波の揺らぎと同じ速さで未来の可能性を見つけようと努め、キラリと光った。


輝:『おばあちゃん、あなたの名前は何という?』


おばあちゃんはにっこり笑って答えた。


おばあちゃん:『海人深(あまみ)キヨ』


輝:『キヨばあ、私の嫁になれ』


亨:『お前何言ってんの?!そこは沖縄きて本当によかった、ありがとうだよ』


キヨばあ:『いいよ』


亨:『えっ?!ちょ…、いいよじゃない!いいよじゃないから!軽すぎるよ!』


輝:『さぁ、結婚指輪を買いに行きましょか、三人分』


亨:『俺は遠慮しとくね』


輝:『むむ……やはり、亨はまだ覚悟が足りぬか』


亨:『男とおばあちゃんと結婚するって、どうやってお父さんに説明したらいいのさ?絶対、反対されるって』


キヨばあ:『いいよって、何を言ってもいいよっていう意味よ』


亨:『ふぅ…、よかった…』


この瞬間、輝は家に帰る場所なんて無くてもいいと思っていた。

居場所が無くても、なんとかなる。

安心できる居場所が最初からなくても、生きていく中でどうにかしていける可能性は切り開ける。

自分で塞いでいた蓋が外れた日が来て自分の居場所を見つけた日が来た時に思い切り笑おう。

たとえ、帰る場所や保証がなくても、自分で選んだ生き方なら、それを抱きしめて生きていこう。

沖縄の風がそう教えてくれたような氣がした。


輝:『キヨばあ』


キヨばあ:『ぬー?』


輝:『………、その………、ありがとな…』


輝は後ろを向いたまま、照れくさそうにキヨばあに礼を言った。

キヨばあの声は、ずっと優しくて温かく、心が落ち着いた。

それは亨も同じだった。


キヨばあのたったあの一言が、どれほど自分たちの胸を動かしたのか、その時はまだ、うまく言葉にできなかった。


キヨばあは、二人の後ろ姿を見つめながら、静かにスニャートフオンを取り出そうとした。

警察に連絡をしようと画面に触れようとした、その刹那だった。


背後から、はっきりとした足音と、人の声が重なって聞こえてきた。

ざわり、と空気が変わる風を肌で感じた。

キヨばあが振り返ると、そこには数人の警察官が立っていた。

砂浜の端、木陰の向こう側。

気配を消すように近づいていた彼らは、すでに十分な距離まで来ていた。


一方、亨と輝は氣づかなかった。

二人は海面に反射する太陽の光をじっと見つめていた。

波が揺れるたびに、光が砕けて、きらきらと散っていく。

その美しい景色に、ただ目を奪われていた。


キヨばあの胸が、きゅっと締めつけられた。

亨が泣いていた顔が、鮮明によみがえった。

小さな肩。

必死にこらえていた声。

その記憶が、今この瞬間と重なって、胸が痛んだ。


キヨばあは、二人をそっと引き寄せ、強く、強く抱きしめた。


キヨばあ:『……よく聞きなさい。あなた達は、とっても良い子。生きていればね、辛い事は必ずあるものなの。生命は試練が重なって、強くなっていくんだよ』


亨は何が起きているのかわからず、ただ黙って聞いていた。

輝も、いつもより真剣な声色に、自然と背筋を伸ばしていた。


キヨばあ:『でもね、必ず良いこともある。どうしようもなく辛くなったら、私の事を思い出しなさい。いいね』


キヨばあは二人の顔を、順番に見つめた。


キヨばあ:『この世の中は、嫌な事ばかりじゃないよ。私を信じて。いつか、きっとまた会えるよ。これは、お近づきのしるしに約束のお土産だよ』


そう言うと、キヨばあは頭に巻いていた白い布を外した。

ためらいなく、それを三つに千切った。

裂ける音が、微かに深海の底に響いた。


キヨばあは笑顔で、一切れずつ、二人の手に渡した。

その瞬間、亨と輝は氣づいた。

キヨばあの額に、小さな角がある事に。


驚く間もなく、キヨばあはその角に二人の手をそっと触れさせた。

冷たくて温かかった。

不思議と安心できる何かがあった。


後ろから警察官たちが、さらに距離を詰めてきた。

キヨばあはそれを悟り、角が見えないように、二人を強く抱き寄せた。


キヨばあ:『次にいちゃいん時ーくぬ布持ってきてやー。うぬ時ーくりてぃーちんかい結ぼ』


耳元で囁かれたその言葉は、波の音に溶けていった。

キヨばあは、二人の手をしっかりと握り、ゆっくりと警察の方へ振り返った。


その時だった。


警察官が一斉に動き、キヨばあの腕を強引に掴み上げた。

二人の小さな手が、無理やり引き剥がされた。


輝:『……え?!』


亨:『キヨばあ?』


何が起きたのか、頭が追いつかなかった。

ほんの一瞬の出来事だった。


キヨばあは、さようならは言わなかった。

ただ、最後まで二人を笑顔で見つめていた。


パトカーに乗せられていくキヨばあを、亨と輝は見えなくなるまで追うように見つめ続けた。

亨は、胸が苦しくなり、その場にしゃがみ込んで泣いた。


その晩、二人は警察に飛行機に乗せられ、東京へ帰る事になった。


輝:『帰らなくては……』


亨は空港で帰宅を拒み、逃げるように首を振り続けた。

それを見て輝は静かに言った。


輝:『今は何をしても、何を言ってもキヨばあには会えん。ここで騒げば本当に、もう会えなくなるぞ。大丈夫だ、私の言葉をよく思い出してくれ』


輝はウインクをして、そう言った。

その言葉に亨は泣きながら、うなずくしかなかった。

真横に警察が居る為、『任せろ!私は怒られるの大好きだ!ついてこい!』とは言えなかったが、亨は輝が言いたい事を読み取って白い布を握りしめて帰ると決めた。


機内は、行きとは正反対だった。

あの日の楽しさは影もなく、重く沈んだ空気が流れていた。

窓の外には沖縄の夜景が広がっている。

輝は、その向こうに沖縄の海を思い浮かべ、亨と共にドヤ顔で東京へ帰っていった。

恐怖の主導権を自分で握るなど、これほどのラッキーチャンスは他にないのだ。

輝は自分が矢面に立つ瞬間を超絶楽しみにしていた。


だが、大人は、そんなにアホではない。


飛行機が滑走路に着いた瞬間、亨は表情が変わった。

窓の外に広がっていたのは、今日見てきた美しい景色ではなく、無機質な灰色の地面と規則正しく並ぶ白い線だった。

亨は、さっきまで握りしめていた白い布を無意識に更に強く握った。


輝はシートベルトを外し、胸を張った。

亨は、これから地獄のような波が押し寄せてくるのに何故、輝は堂々と立っていられるのか全く理解できなかった。


機内を出ると、空気が変わった。

透き通った沖縄の空気はなく、濁った重い東京の独特な匂いが鼻を刺した。

それでも輝は真っ直ぐ立って歩いている。


亨は輝の後ろに隠れるように歩いた。

足が浮いているような感覚がした。

視界がぼやけて夢の中に居るような感覚だ。


亨:『……本当に怒られるよ』


輝は振り返らずに答えた。


輝:『全国ニュースデビューも果たしたし、次が本番だな』


亨:『そこ誇るとこじゃないから』


輝:『だが歴史的瞬間ではある』


空港の出口に近づくにつれて、亨の呼吸が少しずつ早くなった。

人混みの向こうに、父親の怒った顔が勝手に浮かんで、胸がぎゅっと縮こまった。


亨:『……やっぱ怖い』


その声は、今にも泣き出しそうだった。


輝は立ち止まらなかった。

歩きながら、亨の方を向いた。

一瞬だけ、真剣な目になった。


輝:『安心しろ、亨。これは私のご褒美だ。亨に譲ったりはしないから肩の力を抜くがよい』


そう言って、輝はまたドヤ顔に戻った。


輝:『私はこれから全力で怒られる予定だ』


亨:『……それ、普通の人は一番避けたい予定なんだよ』


到着ロビーの自動扉が開いた瞬間だった。

乾いた破裂音のようなフラッシュが容赦なく二人を照らした。

白い光が何度も瞬き、視界を切り裂いた。

亨は反射的に肩をすくめ、足を止めた。


『こちらです!』


『僕たち、無断外出について、どう考えてるかなぁ?』


『お父さん・お母さんにちゃんと謝れる?』


報道陣が一斉に距離を詰めてきた。

マイクが突き出され、レンズが二人を狙い撃ちにしても輝は亨の前に立って堂々と一つ一つの質問に冷静に答えた。

それはまるで、戦場に立つ者の顔だった。


アナウンサーが近づき、マイクを向ける。


アナウンサー:『今回の件について、どちらが先に主導したのでしょうか?』


輝はフラッシュが焚かれても、目を逸らさず、柔らかい表情で答えた。


輝:『私だ。亨は、私に従ったにすぎん。家を出ると決めたのも私だ。飛行機を選び、行き先を定め、歩かせたのも、全てこの私だ』


言い訳一つ言わず、そう冷静に答えた。

顔は笑っていなかったが、亨を守る為に言葉を選んでいる男の目をしているのは、亨には秘かに氣づいていた。

この瞬間、亨はガラスが割れたような苦しい感覚を覚えた。


アナウンサー:『子供だけで勝手に家を出て遠くまで行って、その後、重大な問題になるという認識は?』


輝:『承知の上で連れ出した』


亨が、思わず輝の袖を掴みかけた。

輝は一切振り返らず、質問に答え続けた。

咎があるなら、すべて自分にだけ向ければいい。

叱責も、非難も、処分も、矢を向けるのは自分だけで十分だ。

弱き者が逃げる道を選ぶなら、それを咎める資格があるのは、同じ恐怖を踏み越えた者だけだ、と輝は思っていた。

先に立てる者は恐れを知っている者なのだ。


アナウンサーの先に警察官たちが一直線に並んでいた。

輝の表情は全く変わらなかった。


亨は、言葉を失ったまま、輝の背中だけを見ていた。

誰よりも大きく見えた。


逃げぬ、折れぬ、矢は全てこの身に受ける。

それが、輝が選んだ帰還だ。


一人の警察官が輝の前に立った。


亨:『お父さん……』


亨の父だった。


亨の父:『君たち何をやってるんだ!連絡も一切なし!皆必死になって捜してたんだぞ!』


声が、ロビーに響き渡る中、輝は亨の父に笑顔で、こう答えた。


輝:『知らんがな』


空気が凍てついた。


亨の父:『知らないで済まされると思うな!親がどんな思いで待っていたと思ってるんだ!』


輝:『では、訊く。どんな思いで家を出たか、一つでも答えてみろ』


亨の父:『どうせ、しょうもない理由だ!どれだけの人に心配をかけたと思ってるんだ!』


輝:『警察官としては立派でも、父親としては、まだ現場検証が足りんようだな。恐れて逃げた子に、後から心配したと叫ぶのは簡単だ。自分は何も変えずに済む。怒れば、親としてやる事はやったと思い込める。楽だな。考えなくていい人生は』


亨の父:『…………!!!』


それを聞いた瞬間、亨の父は拳を強く握って怒りを抑えた。


輝:『腐った脳みそで飯をガブガブ食ってるバカ共、よく聞け!家出には必ず理由がある。理由を知らないまま怒っている時点で、貴様らは子どもを見ていない。見ているのは自分の正しさだけなのだ。なぜ逃げたかじゃない!なぜ一緒にいられなかったかだ!それを考える器もないなら、怒る資格などない!』


亨の父:『分かった。亨に寂しい思いをさせたのが悪かったかもしれない。亨とは後でゆっくり話をすると約束するから、そこは安心して』


輝は無言で亨の父親を睨みつけた。

目に映るのは、怒りに震える父親の顔。

だが、子供に手を上げる者の言葉など、信じられるはずもない。

ここでDVの事実を口にすれば、亨の父は職を失い、さらに亨に危害を加えるリスクが高まる。

だから、口を閉ざした。

瞳の奥の鋭い光だけで、警告も、抵抗も、すべてを伝える。

亨の父がその意味を察するかどうかは知らない。

ただ一つ確かなのは、ここで崩れれば、すべてが終わるという事だ。


亨の父:『次に家出をするような事があれば、その影響は君たち自身だけのものでは済まない。友達も、周りの人も巻き込まれるんだ。私は警察官として、親として、黙って見過ごす事はできない。親としての責任を果たす為に、君たちが自分の行動の結果を理解するまで、徹底的に指導する。次は容赦なく友達の縁を切らせてもらう。君たちの家出は、逃げるための行動ではなく、誰を傷つけ、誰を巻き込むかまで考えて行動する責任を伴うという事を、よく覚えておきなさい』


輝:『私たちは逃げてるわけではないのだよ。貴様が守りたいものを盾にして脅すのは、ただの保身だろ?友達を切る?構わん。だが、一つ言っておこう。次に本当に守るべきものを傷つけたら、その時は私にも考えがる』


亨の父はその言葉に息を詰めた。

自分が警察官として培ってきた理性も、父親としての権威も、この一瞬で簡単に揺らいでしまう感覚を初めて味わった。

自分の子供を前にした無力感がじわじわと広がった。

胸の奥で、亨を叱る以前に無事でよかったと思う自分を否定できない。


亨の父:『次は氣をつけなさい』


かろうじて吐き出されたその言葉は、懸命に亨を思う父親の声だった。


亨の父:『さぁ、亨、帰ろう』


亨の父が亨の肩に手を伸ばして連れ去ろうとすると、亨は反射的に体をよけ、輝にしがみついた。

輝は両手で亨の父の手を押し返した。


輝:『力、強いって』


亨の父の表情が一瞬、曇った。

警察官としての冷静な顔は崩さず、だがその目には一瞬、警戒と苛立ちが走っているように見えた。


輝:『やっぱり、亨が家を出た理由なんかどうでもいいのではないか。ただ怒鳴って黙らせるんだろう』


亨は肩をすくめるでもなく、ただ静かに輝を見つめた。

空港のロビーには、まだ報道陣のフラッシュがちらつき、ざわめきが響いている。

だが二人の周囲だけ、時間が止まったかのような緊張が漂った。


その刹那、羽田空港の床が尋常ではない振動で揺れ始めた。

最初は微かな揺れだった。

だが次の瞬間、足元が生き物のようにうねり、荷物がゴトゴトと転がり始めた。

天井の照明が微かに揺れ、ガラスの窓がキーンと高い音を立てた。

人々は驚き、叫び、足元の不安定さに踏みとどまれず、転倒しそうになっている。


『何だ?何だ?』


周りの声がざわめき、悲鳴が響き渡っている。

カートや手荷物が空港内を転がり、キャスターの音も高く響いている。


亨は恐怖で硬直し、輝にしがみついた。

輝は亨を抱きしめながら冷静に周りを確認した。


その瞬間、亨の父が素早く二人を抱きかかえた。

亨と輝の頭を腕で覆い、身体で守る。

父親としての本能が、パニックに陥る群衆よりも先に動いた瞬間だった。


空港全体が揺れ続ける中、窓ガラスの外に広がる海に異様な影が浮かび上がっている。

最初は水面の揺れの反射かと思われたが、次の瞬間、漆黒の大きな猫のような姿がゆっくりと海の底から現れ始めた。


床が更に震え、空港の支柱や荷物が軋む音が響き渡ってきた。

大勢の人が悲鳴を上げ、逃げ惑う姿が見えた。

その巨大な影は、海の底から押し上げられるようにして姿を現した。

そして、二足で立ち上がり、漆黒の皮膚に覆われた体が圧倒的な存在感を放った。


そして、窓ガラスに映った大きな瞳が、ギョロリと不気味に動き、空港の内部を見下ろしている。

まるで全ての人間を捕食するかのような眼差しで光を吸い込むような漆黒の瞳に、恐怖が何倍にも膨れ上がった。


マスコミは条件反射のようにカメラを構えた。

空港内はフラッシュが一斉に光り、ガラス越しの謎の巨大な瞳を捉えようと必死だ。

しかし、揺れで体を支えきれず、三脚や機材が倒れ、カメラマン自身も足を踏み外して派手に転んでいる。


亨は父の胸に顔を埋め、耳を塞ぐようにして小さな声を震わせた。

輝は亨の父の腕の中から冷静に外を眺めていた。


轟音とガラスの軋む音、人々の悲鳴、揺れる床の振動。

その中で、巨大な漆黒の体が海の底から押し上げられる度に空港の構造物をねじ曲げるかのようだ。

海の底から出てきた巨大な猫みたいな生命体の目がギョロギョロと動くたびに、全身を凍り付かせる恐怖が人間の脳を支配している。


輝は亨に真顔で、こうつぶやいた。


輝:『亨、これって、言霊だよな?』


亨:『……は?』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ