忍辱
剛徳寺、今日もまた何かが起きようとしていた。
冬の冷気がお寺の庭を覆い、静寂とともに、僧侶たちの足音が石畳に響いている。
そこに、ひときわ異彩を放つ若者が一人、目立つ存在としてその場に佇んでいた。
心平。
剛徳寺の中で最年少の僧侶であり、僧侶と配信者という二つの顔を持っている。
心平の姿を一見すると、典型的な僧侶の姿にしか見えない。
清潔感溢れる僧衣に身を包み、木の座布団に正座をして経を唱えている姿。
だがその瞳の奥には静けさではなく、何かを秘めたようなミステリアスな魂が宿っている。
まるで、時折感じるわずかな微笑みの背後に、別の世界が広がっているかのように。
寺内では心平くんと呼ばれ、年齢がまだ二十歳を迎えたばかりの心平は、僧侶として修行の日々を送っているが、他の僧侶たちとはどこか違う。
心平には、昼と夜で全く異なる顔が存在するのだ。
日が沈むと、心平は僧衣から華やかな着物に身を包み、お寺の一室でパソコンの前に座る。
夜の顔、あるいは別の顔とも呼べるその姿は、昼間の冷徹な僧侶とはまったく異なり、むしろ華やかで魅力的だ。
着物は鮮やかな色合いで、水色の刺繍が施されたもの。
心平はその着物に身を包み、部屋の中でライブ配信を始めた。
照明が灯り、カメラに自分を映し出すと、その一瞬で心平の表情は輝きを増し、まるで異世界から来たような神秘的な魅力を放つ。
夜のライブ配信では、心平は普段見せない笑顔を浮かべ、視聴者とやり取りをしながら、時折冗談を交えたり、または深い哲学的な話を語ったりする。
その落ち着いた声と繊細な言葉の使い方に、心平の人気はどんどん高まっていった。
視聴者たちは、そんな心平の人柄に心を引かれ、心平がどんな人物なのか、その裏に隠された物語を知りたがっていた。
この時は、心平は決してそのすべてを明かすことはなかった。
ただ一貫して、僧侶でありながらも、どこか謎めいた存在であり続けるのだ。
そんな心平の本当の姿は剛徳寺の中では、まだ誰も知らない。
剛徳寺の中での心平の存在感もまた独特である。
僧侶たちの中でも、心平の修行に対する姿勢は真剣そのもので、厳しい戒律を守り、日々の修行を欠かすことはない。
それでも、他の僧侶たちが昼間の仏事に集中している間、心平は他の何もかもがそぎ落とされたような環境の中で心を落ち着ける。
その静寂と深い集中の中で、心平は何かを感じ取っているようだ。
仏教の教え、修行の意義、そして自分自身の存在意義について、日々考えを巡らせている。
だが、その一方で、心平の夜の顔には異なる思索が渦巻いている。
ライブ配信の中で見せる笑顔や軽妙なトークの裏には、自分自身が抱える内面の葛藤や不安、人とのつながりを求める心が隠れているのかもしれない。
心平が何を求め、何を成し遂げようとしているのか。その答えは誰にも分からない。
心平が配信の中で語る言葉が何気なく聞こえるものが多くの人々にとっては深く心に残るものがあった。
心平がどのように心の中で折り合いをつけて生きているのか、誰も知ることはない。
それでも、心平はその二重の顔を持ち続け、どちらの世界にも忠実に生きていていたが、配信では自分が僧侶であることは明かせず、お寺でも男性が好きなことは隠していた。
心平は画面の向こうに溢れるコメントを見ながら、配信を続けていた。
その晩、夜遅くまで歌い、話し、少しばかりのファンとのやりとりを楽しみながら、心の中では完全に自分らしい自分に浸っていた。
昔ながらの和のメイク、華やかな女の子の着物、そしてその姿に寄せられる賞賛のコメント、女子トーク。
この時だけが心平にとって、唯一本当の自分になれる瞬間だった。
僧侶としての厳格な生活とは真逆で、無理にでも自分を押し殺さなければならない日常から解放されていた。
ある夜、いつも通り、配信中にコメントが流れるたびににっこりと微笑み、持ち前の歌唱力を披露していた時のこと。
だが、その日の配信は予想以上に長くなってしまった。
自分でも気づかぬうちに時間が過ぎ、目の前のコメント欄には爆投げ師から、もっと長く配信してほしいというリクエストが届いていた。
心平は、感謝の気持ちを込めて了承し、そのまま配信を続けた。
時間の流れに身を任せるまま、意識は次第に遠のいていった。
普段の疲れもあり、気づけば心平は、うつろな目でカメラの前で横たわっていた。
誰の声も聞こえず、コメントの流れももはや耳に届かない。
やがて、意識がふっと消え、そのまま眠りに落ちた。
配信は、無意識のうちに続き、コメントの一部が次々に流れる中、カメラ越しの心平の姿は静かな夜を越えて朝を迎えようとしていた。
その朝、掃除の時間になっても顔を出さない心平を起こそうと慧心が部屋に訪れた。
心平の寝室に足を踏み入れると、そこにはまだ寝ている心平の姿があった。
しかし、目を覚ますことなく無防備に眠り込んでいるのは、いつもとは違う誰かの姿だった。
心平の髪にはウィッグがかぶされ、着物がふわりと広がっている。
慧心は混乱し、驚きが顔に表れた。
『えっ……、誰……ですか……?!』
慧心は思わず立ちすくんだ。
部屋の中にいるのは、心平とは異なる誰かが横たわっているように見えた。
慧心の心の中で、いくつもの疑問符が瞬時に浮かんだが、それ以上に心平が部屋に居ないことに違和感が強かった。
少しだけ視線を動かすと、パソコンが画面を映し出していることに気づく。
カメラのマークが点灯し、そこには配信中の文字が浮かび上がっていた。
慧心は目を見開き、画面を見て、次にコメント欄を視線で追った。
その欄には、次々と“どこのお寺?”や”お坊さんじゃん”というコメントが流れ、どんどんと混乱していった。
慧心は慌ててパソコンの画面を再確認し、そこに表示されているコメントと、流れ続ける自分の目の前の現実に、息を呑んだ。
『………なにこれ?!?!すみません、起きてください!』
慧心は、予想外の事態に焦りながらも、冷静に心平を揺り動かした。
心平は何も知らずに寝息を立てていたが、慧心の手が肩に触れると、ふわりと目を覚まし、ぼんやりとした目で見上げた。
『おはようございます』
心平の声はいつも通りの穏やかなものだったが、慧心の表情を見て、何かがおかしいことを直感的に感じ取った。
その『おはようございます』の一言が響いた瞬間、慧心は顔を一瞬引きつらせ、視線を改めてその姿に注ぎ込んでいた。
『その声…………』
慧心は、思わず言葉が喉に詰まり、心平が目を覚ました状態でもう一度目を凝らすと、その姿がどれほど異なっているかに気づき、ひどく動揺した。
ウィッグと華やかな着物、そして、今までに見たことのない心平の表情が、まるで違う世界から来た人物のように見えた。
その瞬間、心平は真っ青になり、声を荒げた。
『……………………!!!!!!!!!…こっ…このことは誰にも言わないでください!!!!お願いしますっ!!!!』
『カメラを止めなさい』
『はい……』
心平は驚きと恐怖を隠しきれず、目を見開いて深く息を吐きながら言った。
求めているのは、ただひとつ。
誰にも知られたくない……。
秘密の世界の一部を壊さないことだった。
慧心は静かに立ち去った。
その後、心平は急いでメイクを落とし、素早く作務衣に着替えることに集中した。
しかし、その姿を鏡で確認した時、心平の内側で何かが崩れ落ちる音がした。
完璧に隠してきたはずの自分が、慧心に見られてしまったその瞬間から、心平はどこかに無力感を感じ取っていた。
その日、心平の目はどこか虚ろで、いつものように流れるようにおつとめをこなすことができなかった。
掃除の手元が震え、顔色も悪くなった心平は、普段以上にミスを繰り返し、その度に内心で自分を責め続けた。
心平は、今まで積み上げてきた二重生活の破綻を迎え、ただ一つだけ願うばかりであった。
これ以上、誰にも知られないようにと。
だが、その秘密は、今や無理に隠しきれるものではなく、心に深い暗い陰りを落としていた。
心平の心の中に、慧心の過去の影が重くのしかかっていたからだ。
慧心は表面上は冷静で、理性的に物事を考える人物であっても、その裏には誰にも知られたくない過去があったことを、心平は知っている。
以前、慧心が徳密や智真に対して行った数々の非道な行為を見てきたからだ。
心平は次は自分がターゲットになるのではないかという恐怖が膨れ上がっていた。
慧心は一見すると優れた僧侶であり、仏道に従い続けているように見えても、裏では支配で人を陥れた過去があった。
慧心がどれほど冷徹に、そして容赦なく他人を支配し、いじめてきたかを知っている心平にとって、その恐怖は避けられない現実である。
慧心は心平が弱さをさらけ出し、自己嫌悪と恐怖に満ちている状態であることを見抜いていているだろう。
心平の心の中に潜む恐れを引き出すことで、慧心は心平をさらに追い詰めていくことができるだろう。
慧心は、バキュラと人間が一緒に過ごした日から人をいじめたことが一切なかったが、徳密や智真にしてきたことを思い出すたびに、心平はそれが自分に降りかかるのではないかという不安に押し潰されそうになっていた。
心平は一度、深く息を呑んだ。
慧心の目が、自分に向けられるたびにその恐れが増していく。
だが、何日経っても慧心は変わらず、あの日の出来事すらも触れてこなかった。
それでも心平は油断大敵だと肝に銘じ、慎重に慧心の様子を見張っていた。
この日まで心平は無事に配信活動を続けていたが、心平が僧侶であることは視聴者に知られており、空気の入れ替えで開けた窓の景色から剛徳寺ではないかと特定されていた。
そんなある日のこと、心平はお寺の門を閉めている時のことである。
全ての門を閉め、最後の一つの門を閉めようとした瞬間、その背後に怪しい人物の影がひっそりと追ってきていることに、心平は気づいていなかった。
突然、後ろから不自然な足音が迫ってきた。
心平が振り返ると、複数の男たちが心平を囲い込んでいた。
『君、剛徳寺の配信者だよね?』
『え…………』
一人が鋭い視線で心平を見つめ、他の男たちもそれに続いてじっと見ていた。
心平は驚いて固まってしまった。
『これから一緒に遊ぼう』
男の一人がにやりと笑いながら声をかけてきた。
その一言で、心平の胸は締め付けられるように重くなった。
逃げることができるかもしれない。
しかし、体が動かない。
全身が凍りついたように、動くことができない。
男たちの視線が一層鋭くなり、近づいてきた。
心平の心臓は早鐘のように激しく打ち始め、手のひらに冷たい汗がにじみ出る。
普段は冷静な心平でも、この状況ではどうしていいのか分からなかった。
『さぁ、車に乗ろうか。いい所に行って楽しもうよ』
男が心平の腕を掴もうと手を伸ばした。
その瞬間、心平は息が止まるような感覚に襲われ、身体が完全に硬直してしまった。
まるで足が地面に根を生やしたように、どうしても動けない。
自分の体が完全に支配されてしまったかのような感覚。
心平の目の前がぼやけ、頭の中が真っ白になった。
身体は震え、声を出すことすらできない。
目を閉じれば、この恐怖から逃げられると思ったが、それすらできそうにない。
まるでこの場から抜け出す道が一切見えないように感じた。
そして男は心平の腕を掴み、車に引きずり込んだ。
その瞬間、背後から心平を守るように覆いかぶさり、男の指を逆方向に掴み上げ、声が響いた。
『触れるな』
そこに立っていたのは慧心だった。
普段の冷徹な表情の中に、今まで感じたことのない冷徹さと、どこか深い怒りが混じったその眼差し。それは、まるで暴風の前の静けさのように、男らに立ちはだかった。
慧心は静かに男たちを睨みつけていた。
その眼差しには、何もかもを引き裂くほどの鋭さがあった。
『帰れ』
男たちは、それに従わざるを得なくなり、目の前の威圧に圧倒され、何も言わずに後退りした。
慧心の冷徹さ、そしてその圧倒的な力に、抗う術はない。
そして、男たちが車に乗って去り、静寂が戻った。
心平は立ち尽くし、息を荒げながらもその場に倒れこむことなく、何とか踏みとどまった。
恐怖が少しずつ消え去り、落ち着くにはまだ時間がかかりそうだ。
しかし、その瞬間、慧心が一歩前に出て、心平に静かに声をかけた。
『大丈夫?』
その声には、普段の冷徹さとは違う、少しだけ温かみのある響きがあった。
それが、まるで心平の震えを静めるかのように、心に直接触れた。
心平は深く息を吸い込み、震える声で答えた。
『はい……、ありがとうございます』
心平は自分の弱さを感じずにはいられなかった。
しかし、慧心の冷徹な瞳の奥に、ほんの少しだけ見えた優しさに、少しだけ救われた気がした。
『人は耐え忍ぶだけでは強くなれません。何も隠さず、立ち向かい、堂々と生きなさい』
慧心は心平を見守るようにその場に立ち続けた。
その一言は、まるで嵐が過ぎ去った後の静けさのように、心平の中で深く響いた。
もう何も恐れることはないという、信じられないほどの安心感が包み込んだ。
その後、心平は目を閉じ、深呼吸をし、震えを抑え込むように静かに立ち上がった。
あの恐怖に支配された瞬間を決して忘れない。
しかし、慧心の力強い存在が、自分の中で新たな強さを芽生えさせた。
それは、ただの力ではなく、守るべきものを守るための、揺るぎない決意だった。
最後の門を閉めた後、心平は慧心に問いかけた。
『慧心さん、私はあなたが過去に徳密と智真をいじめていたことを知っています。しかし、今は人を守ろうとしている……。どうして、そんな風に変わったのでしょうか?』
慧心はしばらく黙っていた。
冷徹な表情を崩すことなく、視線を遠くに向けていたが、心平の問いかけに内心が揺さぶられたのか、少しだけ肩を沈めた。
『地位と名誉と期待が私を狂わせた……』
慧心の声には、普段の冷徹さとは違う、ほんの少しの震えを感じた。
過去を振り返るその表情は、心平が想像していたものとは違っていた。
まるで、苦しみを抱えた人間のように、そしてそれを許せない自分を責めているようにも見える。
『それを変えたのは澄子さんの言葉でした。人を踏み台にして地位や名誉を得ても、最終的にその名誉は空虚であって、得たものはただの影に過ぎない。そう言われた瞬間に自分がどんなに惨いか思い知ったのです』
心平は静かに聞いていた。
慧心の過去の行動が冷徹な支配ではなく、心の中でその後悔を抱えていたことに、少し驚きの気持ちを覚えた。
『人を傷つけ、心を壊してしまった。それがどれほど苦しいことかを、私はその時には分かっていなかった。今は、その痛みを背負っている。私がしたことは、決して許されるものではないと、今でも思っている。過去の自分を許しても、相手が許すとは限りません』
心平は言葉が詰まった。
慧心が過去の過ちをこんなにも悔いているとは思わなかったからだ。
『人を傷つけることではなく、思いやるこころを持つこと。それが私の過ちから学んだことです』
慧心は静かに息を吐き、心平を見た。
その瞳の奥には、冷徹な面影だけでなく、深い後悔と、今の自分を引き受ける覚悟が込められているように見えた。
『私は、もう二度とあんな過ちは繰り返したくない。だから、心平さんが危険にさらされたとき、無意識に動いてしまったのかもしれません』
心平は慧心の言葉に少しだけ胸が締めつけられる思いを感じた。
慧心の過去の行いが、悔いを伴って今の姿に繋がっていることを理解し、少しずつ心の中で慧心に対する見方が変わっていった。
『もし過去のままでいたら、慧心さんは女の子の姿の私を侮辱してたのでしょうか?』
慧心は静かに答えた。
『それはない。私は剛徳寺の住職になるのが夢だから、心平さんが女の子になったことで侮辱するようなことはない。ただ、もし心平さんが住職を目指してきたら、正直、ライバル意識が強くなって、徳密さんと同じように試練を与えていたかもしれない』
心平は驚きとともに眉をひそめる。
『でも、女の子の姿の私を見て、気持ち悪いとか思ってませんか?』
慧心は少しだけ苦笑を浮かべ、目を細めた。
『気持ち悪い?そんなこと思いません。むしろ、可愛いって思ったし、正直言って、抱きしめたいって感じです』
心平は目を見開き、驚きのあまり言葉を詰まらせる。
『………なっ…なんですって?!』
慧心は、少し照れくさそうに言った。
『好きなことをしてるだけで、気持ち悪いなんて思う人間の方がよっぽどおかしい。この世の中のほとんどの人が自分の好きなことをして生きてるわけで、その全てを気持ち悪いって思う方が矛盾してる』
心平は迷いながらも、少し声を震わせて言った。
『でも、私はどうしても怖いのです。女の子の姿でいると周りの目がどうしても気になって…』
慧心は優しく答えた。
『煩悩。自分の心が他人の評価に振り回されることこそが、心の安らぎを妨げる原因になります。仏教では、こうした煩悩を超えて、無駄な執着から解放されることを目指しております』
『煩悩……』
『煩悩とは、欲望や執着、そして恐れや不安など、心を乱すすべてのものを指します。例えば、他人の目を気にしすぎて心が揺れ動くこと。それも一つの煩悩です。仏教では、こうした煩悩を克服するために修行を重ね、最終的には涅槃の境地、つまり心の平安と解放を得ることを目指すのです』
心平はゆっくりと頷きながら、慧心の言葉を噛みしめるように聞いていた。
『涅槃……。心の平安ですか…。でも、それってどうやったら……?』
慧心は少し微笑み、静かに答えた。
『無常を受け入れることです。すべてのものは変わりゆく。心平さんの姿も、まわりの目も、すべては時間と共に変化していくもの。だから、過去にこだわりすぎたり、未来に不安を抱きすぎたりしても、それは意味がありません。今、この瞬間を大切にすることが、心の平安を得るための第一歩です』
心平はしばらく無言で聞き入り、その言葉を心の中で繰り返した。
『今、この瞬間…』
『はい。心平さんが今を大切にして、他人の評価に振り回されることなく、ただ自分らしく生きることこそが、仏教が教える道でございます』
心平はその言葉に少しずつ心が落ち着いていくのを感じた。
『堂々と生きること……』
慧心は頷き、真剣な表情で続けた。
『堂々と生きるということは、自己をしっかりと見つめて、他人の目を気にせず、自分の歩む道を信じて進むこと。仏教の教えには、自利利他という言葉があります。自分自身を大切にし、その上で人を思いやること。まずは自分を受け入れることが、人をも助ける力になるのですよ』
心平は少し涙をこらえるように目を伏せ、静かに言った。
『ありがとうございます、慧心さん。私、目が覚めました』
『自分を開いて強く生きてください。そして、その心の平安を大切にして、毎日を大切に過ごしていけば、自然と周りの人にもその心が伝わっていく時が来ます』
初めて慧心が心平に対して見せた優しさや、仏教の教えを交えたアドバイスに、心平は驚いた。
それまでは慧心が冷徹で理論的な人だと思っていた心平は、慧心が抱えている内面的な苦しみや悩みを知り、非常に繊細で人を思いやる人であることに気づくのであった。
同時に仏教の教えを通じて、心平は理論ではなく、慧心が自分自身の経験から得た深い知恵を持っていることに気づいた。
慧心の言葉が心平にとって納得のいくものとして響き、一人の人間として支えてくれる存在として感じるようになった。
そして、心平は少しずつ自分に対する自信を取り戻し、他人の目を気にしすぎず、自己を大切に生きる重要性を感じた。
この変化を経て、慧心を過去の冷徹な人として見るのではなく、心から尊敬し、感謝できる存在として捉えるようになった。
これまでの慧心はどこか近寄りがたい存在だったが、この会話を通じて、心平は慧心に対して新たな信頼と尊敬の気持ちを抱くようになった。
慧心が過去の過ちを悔い、今を生きる中で人を思いやる心を大切にしていく姿勢に、心平は深く心を打たれ、同時に自分がどれだけ慧心に対して偏見を持っていたかを反省するのであった。
近日、63話にてイラスト公開
慎重に2人の絵を描きます。




