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誕生

剛徳寺では除夜の鐘が鳴っている。


除夜の鐘は本来ならば煩悩をはらうものだと最蔵は思ってきたが、今この瞬間、澄子と共に迎える新たな命の誕生を前に、その音が持つ意味が少し違って感じた。

鐘の音は確かに厳かな響きを持ち、煩悩を打ち消す力を持つとされているが、それが今、最蔵の心に響くのは、むしろ新たな希望と、生まれてくる命の音としての力に変わっていた。


最蔵は静かにそうに思いながら、澄子の手を握りしめていた。

澄子の顔は疲れきっていたが、目には確かな決意と喜びが宿っている。

赤ちゃんの誕生は、最蔵にとっても、まるで新しい命の希望を見つけたような感覚があった。


澄子が今、体験している痛み、苦しみ、そしてその先に待っている新しい命との出会い。

すべてが最蔵にとっては、まさに新しい人生の始まりのように思えた。

鐘の音が鳴り響くたびに、心の中で何かが解き放たれるような感覚があった。

それは煩悩を消すというよりも、今この瞬間と、命を育むことの素晴らしさを強く感じさせる音だった。


最蔵は、澄子の手をしっかりと握りしめながら、声をかけ続けた。

赤ちゃんが少しずつ、確実にその命を宿し始めていることを感じながら。

最蔵は澄子にとっての支えとなり、二人で共に乗り越えようとしていた。


鐘の音がまた一つ響いたその瞬間、最蔵は心の中で静かに誓った。この新たに生まれた命を、そして澄子を守り抜くことを。

澄子が母親になったその日を決して忘れることはない。

除夜の鐘が鳴る中で、最蔵の心は新しい希望で満ちていた。


『はぁっ、はぁっ……!うっ……!うぅぅぅっ……!』


澄子は布団の上で、身体を硬直させながら息を整えようとした。

しかし、次々と襲い来る痛みが澄子の意識を掻き乱し、顔を歪ませる。

激しい陣痛がその度に澄子を打ちのめし、額に浮かぶ汗が髪をぴったりと顔に貼り付けていた。

澄子の手は震え、最蔵の腕を必死に握りしめていた。

もう目の前が霞み、呼吸さえもうまくできない。


『澄子、息をゆっくり、深く吸って。一緒に呼吸を合わせよう』


最蔵は必死に澄子を励ましながら、その手をしっかりと握りしめる。

最蔵もまた、初めての経験に不安と緊張が入り混じった声を出す。

だが、澄子にとってその声が唯一の支えだった。


『……うあぁぁあぁっ!あぁぁあああぁあぁあぁっ!!!!!!!』


澄子の声が部屋の中に響き渡る。

その叫びが最蔵の心に突き刺さり、必死にその痛みに耐えようとする。


『大丈夫だよ。私がずっとそばにいる。澄子、あなたは強いから、赤ちゃんも頑張ってるよ』


最蔵はその手に力を込め、澄子に伝わるように声をかけた。

その声はどこか震えていたが、必死に澄子を支えようとする強い意志が感じる。


一方、寺の境内では、除夜の鐘が深く澄んだ音を響かせ続け、その音がまるで時を告げるかのように空気を震わせていた。

鐘の音が響くたびに、遠くから人々の祈りの声が微かに聞こえてくる。

その静謐な空気の中で、最蔵と澄子は赤ちゃんを迎えるために、ただひたすらに戦っていた。


僧侶たちが除夜の鐘を鳴らしている裏で、楓芽は指示を出しながら、一室を整えるために動き回っていた。

その姿には冷静さと迅速さがあり、出産のための準備が次々と整っていく。

しかしその場に集まった人々は、外での慌ただしい様子を感じることなく、静かな顔を保っていた。


『お湯をもっと持ってきてください!清潔なタオルも多めに!』


『はい!わかりました!』


『あ、もう時間!行ってください!』


『はい!』


部屋の外ではそんなやり取りが飛び交い、室内では最蔵が澄子に必死に声をかけ続けていた。


『はぁっ……!うっ……ああああっ!!!!あぁあああああぁあぁぁあぁっ!!!!!!!!!』


澄子の息遣いは次第に荒くなり、身体中の力が抜けていく。

痛みに耐えながら、澄子はその胸の内で何度も赤ちゃんに語りかけていた。


『頑張ってくれてるんだね』


陣痛の波が強く、長く続くようになり、澄子の身体はまるで引き裂かれるかのような激痛に見舞われていた。

呼吸もままならず、目の前が真っ暗になりそうだったが、最蔵がそばにいてくれるという確信だけが、澄子に踏ん張る力を与えていた。


『澄子、次の波が来たら、深く息を吸って、力を入れて!押してみよう!』


最蔵の声が、澄子の耳に届く。

その言葉が澄子を引き戻し、もう一度、力を振り絞ろうという気持ちを呼び起こす。


『うっ……うぁぁぁぁぁぁっ!うああぁああぁぁあああぁぁぁあぁぁあぁぁあぁあぁ!!!!!!!!!』


澄子の叫び声が再び部屋を震わせ、その身体の奥から力を振り絞る。

その頬は真っ赤に染まり、全身に汗が滲み、髪が顔にまとわりついていた。

それでも、澄子は諦めなかった。

赤ちゃんを、最蔵の子を産むために。


『澄子、すごい!赤ちゃんが降りてきてる!もう少しだよ!』


最蔵の声に、澄子は少しだけ力を抜く。

その言葉が、澄子に残された最後の力を引き出した。

澄子の中にあった全ての不安や恐れが一瞬にして消え、ただ赤ちゃんに会うことだけが頭に浮かんだ。


『もう……少し………もう少しで……会えるね…………』


澄子はその言葉を呟くように吐き出し、目を閉じてその瞬間を待った。

全身が震え、呼吸が荒くなり、もう力が尽きそうになっていたが、心の中で確かに感じた。

自分は強い、そして、これから母になる。


除夜の鐘が再び響き渡り、その音が澄子を包み込む。

澄子はその音を胸に、次の波に備えて深く息を吸った。


『澄子、深呼吸して!今だ、力を入れて!』


『……………………………………!!!!!!!!!』


最蔵の声が再び澄子の耳に届く。

全身に力がこもり、澄子はその瞬間に全てをかけた。

叫ぶ余裕もなく、ただ体中の力を振り絞って、赤ちゃんに会うことだけに集中した。

一人じゃない。

これから沢山の光の中で生きていこうと思い描きながら。


その瞬間、最蔵の声が歓声のように響いた。


『頭が見えたよ!澄子、あと少しだよ!もう一押しだよ!』


澄子は目を閉じ、全てを込めて、最後の力を振り絞った。

その体内から、赤ちゃんがようやく産道を抜け、出てきた瞬間を感じ取った。


『………うっ……うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!…………あぁあああああああああっ!!!!!』


そして、澄子は痛みの中で戦い続けた。

その叫びが部屋中に響き渡り、剛徳寺の鐘が新年を告げる音を轟かせた時だった。


『出ました!今、頭が…、肩が出ました!』


その瞬間、赤ちゃんが誕生した。


『あぁっ!生まれた!赤ちゃん、生まれたよ!』


最蔵が赤ちゃんを抱き上げ、その小さな命が力強く動き出した。

赤ちゃんは泣き声をあげ、最蔵は優しく澄子の胸に抱いた。


『おぎゃぁぁ!おぎゃぁぁぁぁ!』


最蔵は涙を浮かべて、赤ちゃんを澄子に見せた。


『澄子……赤ちゃんだよ……生まれたよ……!』


澄子はその瞬間、全身の力が抜け、涙が頬を伝った。

視界が滲んで、赤ちゃんの姿がかすんで見えたが、それでも澄子は微笑んで赤ちゃんを胸に抱きしめた。


『やっと会えたねぇ。頑張ったねぇ。この子が私のお腹にいてくれたんだね。ありがとう。最蔵も頑張ったねぇ、ありがとう』


『本当によく頑張ったね。澄子、ありがとう!本当にありがとう!』


最蔵は澄子と赤ちゃんをそっと抱きしめ、涙を流して喜びを分かち合った。

1月1日、剛徳寺に新しい命が誕生した瞬間、澄子は母親に、最蔵は父親になったのであった。


その後、かけつけた助産師に支えられ、落ち着いた頃に僧侶たちが一斉に部屋に入ってきた。

最初に足を踏み入れたのは、楓芽だった。

少し早足で部屋に入り、最蔵と澄子を見つけると、微笑みながら静かに声をかけた。


『おめでとうございます、澄子さん。最蔵さん、よく頑張りましたね』


楓芽の言葉に、澄子は涙を浮かべたまま、赤ちゃんを抱きしめた。

最蔵も澄子を見つめ、安心したように肩の力を抜く。

澄子の顔には、長い苦しみの後にようやく訪れた安堵と喜びが満ちていた。

最蔵の手をぎゅっと握り返し、最蔵の胸に顔を埋めた。


『ありがとう』


澄子の声はか細かったが、心からの感謝がこもっていた。


楓芽は静かに一歩後ろに下がり、僧侶たちも次々に入室してきた。

皆、澄子と赤ちゃんに優しく微笑んで、静かな祝福の言葉を口にした。


『おめでとうございます、澄子さん。無事に元気な赤ちゃんが生まれて、何よりです』


『お二人ともよく頑張りましたね』


その言葉の一つ一つが、澄子にとってどれだけ心強かったことだろう。

身体中が疲れ切っている中で、孤独を感じる暇もなく、みんなの温かな言葉が包み込んでくれた。

最蔵もその間に澄子の手をしっかり握り、涙を浮かべながら澄子に語りかけていた。


『これから2人で育てよう。大切に大切に育てよう』


澄子はその言葉を聞いて、少し顔を上げ、最蔵に微笑み返した。

目の前に広がる温かな光景が、澄子を完全に孤立させることなく、むしろ新しい家族としての一体感を強く感じさせてくれた。

赤ちゃんもその間に、澄子の胸の中で安心しきったように眠りについていた。

みんながそっと見守る中で、赤ちゃんの小さな手がふわっと動いた。


『この子は、私たちみんなの宝物だね』


澄子がそう言ったその時、最蔵は優しくうなずき、澄子の肩に手を置いた。


『そうだね。私たちの新しい家族が、今ここにいるよ』


その言葉に、他の僧侶たちも穏やかな顔でうなずき、和やかな空気が部屋に広がった。

誰もが、ただただその喜びの瞬間を一緒に分かち合っていた。


楓芽が軽く頭を下げ、静かな声で言った。


『では、これからお祝いの儀式を行わせていただきます。澄子さん、最蔵さん、赤ちゃんの無事を祈って…』


その言葉に、他の僧侶たちも静かに手を合わせ、皆で祈りの言葉を唱え始めた。

澄子と最蔵、そしてその赤ちゃんに、剛徳寺で迎えた新しい命への祝福が込められていった。

その一つ一つの言葉が、澄子の心を温かく包み、愛され支えられていることを実感させてくれた。


『おめでとうございます。これからの毎日が、二人にとって素晴らしいものになりますように』


僧侶たちが一斉に声を揃えて祝福の言葉を贈ると、澄子は涙をこぼしながらも、心から微笑んだ。

そして、最蔵がその手をぎゅっと握り返し、澄子の肩を優しく抱きしめる。

赤ちゃんも、その小さな体で、何もかもを感じ取っているかのように、安らかな顔をして眠っていた。


その瞬間、澄子は確信した。

この新しい命が、どんな試練をも乗り越えていく力になることを。

そして、これからも一緒に歩んでいく最蔵と共に、どんな困難も乗り越えていけるということを。

今は孤独ではない。

家族に囲まれ、共に歩む仲間たちと共に、この新たな命を迎え入れる準備が整ったのだ。


静かに新しい年が始まると共に澄子と最蔵、そして赤ちゃんの未来に、心からの祝福が降り注いだのであった。


1月1日、最蔵と澄子の間に元気な男の子が誕生し、剛仁と名付けた。

愛読いただき、誠にありがとうございます。連続での公開となりましたが、皆様の温かいご支援に心より感謝申し上げます。


本年も変わらぬご愛顧を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

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