仏の光
剛徳寺に広がる異様な緊張感の中、被害が拡大していった。
普段は心安らぐはずの場所が、今はまるで別の世界のようだ。
それだけでなく、外には普段では考えられないほどの騒音が響いている。
陸上自衛隊や航空自衛隊が動き、戦闘機、ヘリコプター、装甲車、戦車などが出動し、バキュラの動きを封じ込めるために兵器や特殊部隊が投入され、地上戦や空中支援が行われた。
そこに防衛省も出動し、危機管理センターを設置して、事態の収束に向けた指揮を執っていた。
しかし、特殊作戦群や陸上自衛隊の特殊部隊が、通常の兵力では対応できないような特殊な任務に投入されているが、バキュラには全く効果はない。
高い訓練を受けている部隊でさえも最前線での特殊な戦術や情報収集、破壊工作が期待されるも1秒で無意味と化した。
バキュラの破壊力は科学者・専門家チームも頭を抱える威力であった。
そこで更に物理学者、化学者、怪獣研究者、伝説や神話に詳しい学者たちも出動するものの、神話的な存在なのかは関係者ですら数人しか認知しておらず、書物をかたく封印されているため、科学者や宗教・歴史専門家たちがその起源や弱点を解明することも、対策を講じることすらも不可能である。
オカルト研究者や霊的な指導者も何の役割を果たすこともできず、物理的な戦闘よりも霊的、儀式的な方法で対応するも全員消されてしまった。
そこで内閣官房や危機管理センターが更に動員され、バキュラの出現に対する国家的な対応策を立てるもまた全員死亡。
防災、警備、治安、医療の調整を行うもパンクしており、国民への指示や避難指示を出す者まで隅々人が死んでいった。
内閣調査室や警察庁、消防庁などが協力し、政府のトップが指揮を執り、事態の収束を目指すも期待ができない状況にまで追い込まれている。
民間の特殊救助隊が出動するも、民間の科学者、工学者、兵器の開発者などが協力して、バキュラに対抗するための新しい技術や兵器を開発する時間などなく、何の役にも立たず、まさかの撤退。
そこに突然、現れた一人の僧侶と黄金に輝く龍であった。
その僧侶は高校最後の夏休みに剛徳寺に訪れた荒木田義徳であった。
義徳の足音が静かに響く中、副住職の最蔵と光明が裏門から現れた。
最蔵は義徳を見て、驚きとともに敬意を表すように頭を下げた。
義徳は眉をひそめながら足を進める。
境内に向かうその道には、マスコミの車がずらりと並び、カメラマンや記者たちが忙しく動き回っている。
寺院の方向を見つめながら、何か重要な出来事が起きているのを捉えようと必死だった。
義徳は無表情のまま、最蔵の方へと歩いた。
向かう途中、目の前に立ちふさがったのは、取材中のカメラマンである。
義徳と黄金の龍を見逃すまいと、レンズを向けて近づいてきた。
『すみません、ここを通らせていただけますか?』
それでもシャッターは止まず、マスコミが押し寄せてきた。
『誠に申し訳ございませんが、お務めの妨げとなりますので、どうかお引き取りいただけますでしょうか。お手数ではございますが、フラッシュもお控え下さい。龍神様もお怒りになれば、人に害を及ぼすことがございます。あなた方よりも遥かにお力をお持ちでいらっしゃいます。その際には、己の行いの結果として、どうぞご自分でお受け取りくださいませ。私は一切お助けすることはできません』
義徳の警告に、報道陣は一瞬驚いたように目を見開いたが、シャッター音は鳴り止まなかった。
マスコミの心には“僧侶のお願い”など取材に対する邪魔でしかないという考えがあるようだ。
龍神様は途中まで大人しかったが、利益を求める人間を見抜き、カメラや照明を破壊していった。
まさにそれは神対応といえるだろう。
これ以上、悪行をしないように龍神様に止めていただくことは、ありがたいのだ。
義徳はそのまま一歩踏み出すと、カメラマンが思わずその場を退くのを待たずに、今度は図々しく最蔵の方へと向かった。
まだ懲りてないようだ。
そしてその背後で、少しずつカメラマンたちのざわめきが遠くなるのを感じながら、義徳は静かに歩いた。
その先には最蔵と光明が居り、義徳は冷静にゆっくりと進んだ。
そして、二人に頭を下げた後に言葉を交わした。
『初めまして、私が荒木田義徳でございます。本日、刀をお貸しいただきたいとのご依頼を賜り、こちらへ参りました。しかし、バキュラは本来現れる予定ではなかった神さまでございまして、周期的に出現する存在でございます。そのため、現在、刀を握れる者がこの世にはいない状況でございます。選ばれた者以外が見ることも許されません』
『そ、そんな……』
『最蔵さま……、天台宗の教義である妙法蓮華経には、命の尊重と深い慈悲の心が何よりも重視されておりますが、お墓を蹴る行為は如何なものでしょうか………』
『それは……』
『法華経の中で強調されている最も重要な教えの一つは“一切衆生悉有仏性”、つまり全ての生命には仏性があるということでございます。これは、全ての生命が仏性を有し、最終的には仏果を得ることができるという教えです。この教えに基づき、法華経は大乗仏教の経典として特に重視されており、法華経における一乗思想は、すべての人々が仏になれる可能性を持っていることを表し、仏教の根本的な教えは、全ての人々が仏に成る力を持っているという普遍的な救いの可能性を説いております。
また、仏は過去、現在、未来という時空を超えて存在しており、時空を超越した存在であるとされています。釈迦牟尼仏、お釈迦様は私たちの中に永遠に存在し続けており、どんなに過去にどのような行為をなさった者であっても、その方に対して無慈悲な行為をとることは、仏教の根本的な精神に反することになります。仏教では、全ての命に対して慈悲の心を持つことが極めて重要であり、これを決して忘れてはなりません。
法華経には、供養の教えもございます。この教えは、すべての衆生に対して慈悲の心を持ち、命を尊ぶことが仏道の第一歩であると説いております。剛徳寺には慈悲深く衆生を助ける菩薩として、観音菩薩像があります。観音菩薩は私たちを救い、導いてくださる菩薩であり、その慈悲の心は法華経の中でも重要な位置を占めております。妙法蓮華経観世音菩薩普門品の偈や品をお読みになったことがあるかと存じますが、その中で観音菩薩はすべての命を慈しみ、守る存在として描かれております。
たとえその命が傷つけられたものでありましても、その方を慰め、浄化を願うことが仏道であり、修行の根本であるとされています。したがいまして、お墓を蹴ることは、その方に対する不敬であり、無慈悲な行為に他なりません。天台宗の教えでは、全ての命を大切にし、供養することが仏道の最も基本的な教えとされております。このような行為は、仏道の根本から外れるものと申し上げざるを得ません。
もし、最蔵さまがそのような行為をされたのであれば、そこには愛情や慈悲の心が欠けていたのではないかと拝察いたします。しかし、私は最蔵さまが心から仏道を信じ、お寺を守ろうとされているお方であることを知っております。どうか今一度、天台宗の教えの根本に立ち返り、命の尊さと浄化を願う心を深く思い出していただければと存じます。
最終的には、仏教の根本精神である慈悲の心を持ち続け、他の命を大切にすることこそが、真の仏道を歩む道であることをご理解いただき、今後のお行いにおいてもその心を大切にしていただけますようお願い申し上げます』
義徳は冷静にそう言葉にした。
その言葉の中には、徳密のいじめ問題や優先順位が自分が先といった最蔵の自己中心的な態度への注意が含まれていた。
最蔵は悔しそうに頭を垂れた。
『義徳さま、あなたのおっしゃることは、まったくもってごもっともであると存じます。私自身、あまりにも自分の立場に固執いたしました。その結果、相手を思いやる気持ちを失っていたことを痛感いたしております』
義徳は表情を変えずに最蔵の言葉に答えた。
『最蔵さま、私も最蔵さまのように何が正しいのか、何が間違いなのかを見誤ることが多ございます。しかし、徳密さんから天台宗の仏教の教えを深く学ばせていただくうちに自分を越えて他者の命を尊び、すべての命に仏性があることを理解いたしました。最蔵さまも、これからその道を歩まれますことを心よりお祈り申し上げます』
最蔵は目を閉じて心を込めて答えた。
『…私は、心がすっかり曇っていた愚かな人間だ……………。情けない……………。自分がいかに傲慢であったか……。仏教を学び、修行をしているはずなのに他の命を尊ぶ心がどこかに消えてしまっていた……………。どんなに長い修行を積ませていただいても、心に慈悲の気持ちがなければ、仏道を歩んでいるとは申し上げられません。私がなした行動は、仏教の根本から外れておりました…。それに氣づくことができたのは、ひとえに義徳さまのお言葉のおかげでございます』
義徳は、その言葉に静かにうなずいた。
『最蔵さま、仏教の教えは決して他人を責めるためにあるのではございません。自分を見つめ、心を改めるためにこそあるのでございます。すべての命には仏性があるという教えを実践させていただくために必要なのは、何よりも思いやりの“こころ”でございます』
最蔵は顔を上げ、義徳を見つめながら答えた。
『私もこれから、慈悲の心を持ち、命を尊ぶ行いをさせていただきます。今まで、どれほど多くの命を軽んじてきたか…。そのことに氣づかせていただきました』
義徳は柔らかく微笑んだ。
『最蔵さま、その決意があれば、必ず仏道を歩まれることができるでしょう。仏道には時に試練が訪れることもございますが、そのすべてが最終的には最蔵さまのご成長に繋がります』
最蔵は、その言葉に深くうなずいた。
『試練、ですね…。それもまた、私の修行の一部…………』
義徳は少し考えてから答えた。
『はい。仏道は常に自分を見つめ、思いやり、どんな小さな命であっても尊重することが求められます。それが最も難しいことであり、最も大切なことでございます』
最蔵は暫く黙ってから、深く息を吐いた。
『私が犯した過ちに対する償いは、これからの行いによってお示しするほかございません。今後は、剛徳寺の者たちにも、より一層心を込めて接させていただこうと存じます。仏教の教えを、さらに深く学び直し、命の尊さをお伝えするために精進してまいります』
義徳は優しくうなずいた。
『それが、最蔵さまの修行の始まりでございます。仏道は、日々の行いにこそ現れるものでございます。最蔵さまが変わることで、お寺も、そして多くの人々を変える力となるでしょう』
最蔵は静かに目を閉じた。
『ありがとうございます、義徳さま。もう一度、仏教の教えを心に深く刻み直します。そして、命を尊び、慈悲の心を忘れぬよう、日々を過ごしてまいります』
少し間を置いてから義徳は真剣な表情でこう言葉にした。
『最蔵さま、仏道において最も大切なのは“慈悲”でございます。それがすべてに通じる道となるのです。どんな小さな命であっても、その命が持つ尊さを理解し、慈しみ、守ること。それをお忘れにならぬようお願い申し上げます』
最蔵は深くうなずきながら答えた。
『はい、必ずやお守りいたします。義徳さま、ありがとうございます』
最蔵は、義徳の言葉を胸に、心の中で新たな誓いを立てた。
その刹那、龍神様が最蔵と光明を包み込んだ。
この時、バキュラの怒りが最高潮に達し、更に予期せぬ危機が迫ってきていた。
だが、何よりも状況を困難にしていたのは、境内を取り囲んだ数百人以上の報道陣である。
マスコミの車両が境内の外に何十台も並び、記者やカメラマンが入り乱れている。
カメラのフラッシュが絶え間なく光り、マイクが次々と押し寄せ、僧侶たちが進む道を遮っていた。
音声や報道が寺の静けさと神聖さを打ち破り、まるで現世と霊的な世界の間にある境界が崩れかけているかのようだった。
義徳は顔をしかめ、最蔵に視線を向けた。
『これは…予想以上に厳しい状況です。神仏の力を借りるために集まった霊的リーダーたちや巫女たちが、境内に近づけません』
最蔵もまた、境内の外に目を向け、深い息をついた。
記者たちがどんなに撮影を続けようとも、彼らの姿が神聖な儀式に影響を及ぼすことに心中の不安が募る。
だが、ここで立ち止まれば取り返しがつかないことになる。
『最蔵さま、私たちは神仏の力を信じ、儀式を進めなければなりません。報道陣の存在がどうであれ、私たちの目的は明確です。バキュラを鎮め、ここに平和を取り戻すこと。まずは、儀式を行う場所を確保し、神々の力を呼び寄せるための準備を整えましょう』
しかし、マスコミが引き下がる気配はまったく見えない。
カメラマンたちは、僧侶や神職たちが進もうとする道に立ちふさがり、フラッシュを焚きながら、何か注目すべき映像を探している様子だ。
『すみません、通してください!』
最蔵が一歩前に出て、毅然とした声で頼んだが、記者たちは無視して次々とシャッターを切り続ける。
無言の圧力が周囲に広がる中、義徳は沈黙を守りながら状況を見つめていた。
その時、義徳の隣で、巫女たちの一団が境内に近づこうとするが、警備員によって進行を妨げられていた。
巫女たちは一瞬立ち止まり、ため息をつく。
その中の一人、若い巫女が義徳に向かって声をかけた。
『義徳さま、このままでは神聖な儀式を行うことができません。神々への祈りを捧げるためには、静寂が必要です。しかし、どうしても報道陣が…』
義徳はしばらく黙っていたが、やがて冷静に答えた。
『私たちが何をすべきかは、すでに決まっています。彼らの無遠慮な行動をどうこうするよりも、神仏の力を信じ、今できることに集中するべきです。儀式が始まれば、自然と静けさが訪れるでしょう』
最蔵も少し緊張した表情で頷いた。
その後、義徳は冷静に最蔵に指示を出した。
『最蔵さま、これから儀式や祈祷に参加する人たちに知らせ、できるだけ早く境内に入れるよう手配してください。儀式を始めるためには、神々への礼を尽くす準備が整わねばなりません。報道陣が気になるかもしれませんが、彼らの心に届くのは、私たちの祈りの力です。光明さん、あなたの力も必要です』
最蔵は少し深呼吸し、目を閉じた。
心を落ち着けて、即座に行動を開始する。
その後、数人の警備員がマスコミ陣と対峙し、巫女と僧侶たちを静かに通すための交渉を始めた。
報道陣の混乱を抑えるために、複数の僧侶たちがその場で説得を行い、ようやく霊的リーダーたちが境内に足を踏み入れることができるようになった。
とはいえ、儀式の開始には時間がかかるだろう。
この短い時間でも、バキュラの怒りが再燃しないことを祈りながら、義徳たちはすぐに儀式の準備を整え始めた。
神々の力が集まるために、少しでも早く静けさを取り戻す必要がある。
神仏の助けを借りるためには、我々の意志が必要だと、義徳はその信念を強く心に抱きながら、儀式に臨む準備を進めたのであった。




