命
最蔵が過去を語り終えた瞬間、夕日が静かに海の水平線に溶け込んでいった。
空はオレンジと紫が交じり合い、海の上に金色の光の道を作り出していた。
その沈黙の中で、ただ一つ、遠くで波の音だけが耳に届く。
しかしその静けさを突き破るように、バキュラが歩るきだした。
重厚な足音が、周囲の静寂に響き渡り、ドシーン!ドシーン!と大地を揺らす。
バキュラの足が大きく動くたびに、地面が微かに震え、周りの空気も一緒に揺れ動く感覚が伝わってくる。
お寺の門の前では、僧侶たちが必死に力を合わせて、古びた木製の扉を抑えている。
汗が額を伝い、呼吸が荒くなり、僧侶たちの手のひらには緊張で白くなるほど力がこもっている。
それでも、扉は少しずつ、その圧力に耐えきれず、わずかに軋む音を立てる。
バキュラは近くにいるだけで破壊できてしまうほど強力だと伝えられており、その力は凄まじいほどの威力であった。
そして、バキュラが進んでいく先には、スーパースターの銅像が立ち、その姿が夕日の光を浴びて一瞬金色に輝く。
しかし、バキュラが一歩進むたび、その銅像が不安定に揺れ、振動がその表面に伝わる。
銅像の足元から、地面にまでわずかなひび割れが走る音が響き、銅製の肩から耳障りな音が立ち上る。
銅像の目が、バキュラを見据えるかのように、冷たい輝きを放つ。
それはまるでバキュラを見下ろし、何か言葉を投げかけているかのようだ。
バキュラの足取りが一瞬止まる。
銅像の周りに漂う空気は、重く、どこか嫌な予感を含んでいた。
その場に立ち込める空気の密度が高まると同時に、バキュラの体内に何かが迫っている感覚が走る。
それが恐怖か、怒りか、あるいは両者が混じり合ったものなのか、バキュラには分からなかった。
ただ、何かが激しく鼓動し、体が鋭く反応しているのを感じる。
それでも、バキュラは前に進んだ。
その足音が大きく響くたびに、空気がさらに震えるかのようだった。
その頃、澄子は意識を失い、血塗られた世界の中でただ浮遊していた。
刃物が胸に突き刺さり、出血が止まらなかった。
救急車の中で、澄子の体はすでに冷たく、血圧は下がりきっていた。
病院に到着したとき、医師たちは一刻を争って手術室に運び込んだ。
楓芽は扉が閉まる最後の一瞬まで澄子に頑張りなさい・目を開けなさいとは言わず、あなたが剛徳寺に来てから実は挨拶すらできなかった一人の僧侶が人に挨拶ができるようになったことを打ち明けたり、鳥に導かれ剛徳寺に来てくれてありがとうとお礼を言ったり、法華経を丸暗記したことを褒めたり、今度は法華経を皆で説く時間を作りたいねと言ったり、お釈迦様のお誕生日に皆でインドカレーを食べようと約束をしたり、天台宗の難問クイズを出して答えを言ったり、声を掛け続けていた。
手術室の灯りが眩しく、白く冷たい空気が澄子を包んでいた。
機械の音が無機質に鳴り響き、看護師が慌ただしく動き回り、医師たちが指示を出し合っている。
しかし、その中で澄子の心臓の鼓動が次第に弱まり、ついにモニターが警告音を鳴らした。
ピー…ピー…ピー…
その音が途絶えると、部屋に重苦しい沈黙が訪れる。
医師たちは瞬時に反応し、手を動かす。
しかし、澄子の胸には深く突き刺さった刃物がある。
通常の心臓マッサージができない。
医師の顔が険しく歪む。
心臓が停止し、澄子の命が失われかけていた。
その時、手術室の外側で楓芽が澄子を救うため、お経を唱え、祈っていた。
それ以外に自分にできることが何もないのだ。
ただ黙ってじっとしていることなどできないのが楓芽である。
色んな渦に長時間耐え続け、楓芽の声は冷たい空気の中にほとんど消えていきそうだった。
それでも決して諦めなかった。
その先では手術台の上で澄子の命が失われつつあった。
まだやるべきことがあるはず…。
生きなければならない理由がきっとあるはず…。
生きるために力を…。
周囲の医師たちは、心臓を再起動させるためにあらゆる手段を講じていた。
澄子の胸を開き、傷口を避けて心臓の上部に圧力をかける。
手が震え、必死で動かし続けるが、血液の流れが滞り、モニターに表示された数字が低下していく。
『あぁ……駄目だ…もう…』
医師の一人が小さな声で呟いた。
『……………』
その言葉が部屋に広がり、時間が止まったようだ。
その頃、剛徳寺の前に一人の僧侶が現れた。
ひときわ厳かな気配が漂い、風は静まり、空気は澄み渡り、まるで世界の時間が止まったかのような感覚に包まれている。
『本日、刀をお貸し願いたいとのご依頼をいただき、こちらへ参りました。しかし、命がけで止めようとしてくれた仲間が大怪我をしとるのに一人の人間は過去の話をダラダラと……。命に関わる事態であるというのに、怪我や命を守ること優先するよりも自分のこと先ですか………。仲間が命がけで誰かを止めたのは強い愛情や心配があったことやろう。話し合いが大事なのはもちろんですけど、仲間を思いやる心が大切でございます。慈悲のない方には、刀をお貸しすることはできません』
突如として現れた一人の僧侶が静かにそう言葉にした。
その刹那、その僧侶の背後から黄金に輝く龍が舞い降りてきた。
無限の知恵と慈悲を宿し、すべてを見通すような深い静けさをたたえている。
神々しく、まるで天界から降り立ったかのように龍の尾は空中にしなやかに揺れ、鳴り響くような優しい音を奏でているかのようである。
それはまるで天の意志が宿ったような神聖な力が漂っていた。




