再生
最蔵は静かな夜、光明と向かい合っていた。
薄暗い部屋の中、光明の顔には深い影が落ちていた。
その目はどこか遠くを見つめ、過去の記憶に囚われているようだ。
最蔵はその瞬間、光明の心の中に秘められたものが何であるかを知りたくなった。
これから光明の口から語られることになる過去が、想像を絶するものであることを、最蔵は感じ取っていた。
『俺の過去は、まるで悪夢のようだったよ……』
光明が最初に発した言葉に唾を飲む最蔵。
その声は震えており、言葉を紡ぐのに苦労している様子が見て取れる。
最蔵は心の中で覚悟を決め、光明の話をじっと待った。
光明の言葉は、次第に重くのしかかった。
まるでその思い出が心を引き裂くように。
『俺は実の親に捨てられたのか売られたのか、わからないんだ。俺は誘拐されたのかもしれないし、それすらもわからない。俺が物心がついた頃には豪邸の中で外の世界が全く見えない環境の中に居たんだ。窓は一切なかった。扉はあるけれど、取っ手も鍵も外側にしかない。俺が外に出ることは、物理的に不可能だったんだ。今思うと、俺は育てられたというより、奴隷のように扱われていたよ。俺の存在は、あの人たちにとって特別な意味を持っていたのかもしれないけど、それは俺を支配するための口実だった』
光明の目は、過去の記憶に深く沈んでいた。
『豪邸の持ち主は、ほとんど俺と顔を合わせなかった。周りにいた連中は俺に対して異常なまでの愛情を注ぎ、スキンシップを繰り返してきた。それが洗脳の一部だと気づくのは、ずっと後のことだ。俺はそれを普通のことだと思い込んで、それが人間の本能として受け入れていた。毎日、違う大人が俺に触れて、俺の心を操作してね……男も女も…』
言葉が詰まると、光明の表情は苦痛に満ちていた。
最蔵は、その様子を見つめながら、何も言わなかった。
光明は、まるで言葉を飲み込むかのように静まり返り、過去の恐怖が光明を捕らえている。
『俺が初めて人が嫌だなと思い始めたのは5歳の時で、俺が苦しんでる時に周りの大人たちが輪になって“喜びなさい”と笑っていたのが嫌で仕方なかった。俺が抵抗すれば、その裏でむごい計画を進められていたから、俺はいつも笑顔を作ることを強要された指示に従うしかなかったんだ。その連中は俺を何も知らないまま育てることで、思うがままに操ろうとしていたのだ。内心は地獄のような苦しみを抱えながら、表向きは幸せな子供をずっと演じてた。夜になると、恐怖が襲いかかって、眠れない日々が続いたよ。夢の中でも、俺を取り巻く影が俺を支配し続けてた』
何もかもが洗脳の一部であることが明らかになっていく。
最蔵は言葉を失い、ただその痛みを感じるしかなかった。
光明の過去は、まるで悪夢のように息苦しいものであり、抱えている苦しみの深さを想像するだけで、胸が締め付けられた。
光明の目の奥には、まだ癒えぬ傷が潜んでいた。
『俺は幼稚園や学校も知らなかった。教えられたのは、わけの分からない儀式だけ。あそこに居た連中は俺を選ばれた子として育てていると言って、俺の心を恐怖と従属で満たしてた』
最蔵はその言葉を聞きながら、胸が苦しくなるのを感じた。
どんな儀式が行われていたのか、想像するだけで身震いした。
儀式と呼ばれるものが、どれほど恐ろしいものであったのか、光明の目が一瞬、暗い影を帯びた。
『儀式は、俺の存在を証明するためのものだった。これを行わなければお前は呪われるなどと教え込んで、俺はその言葉を信じて恐怖に怯えながら従ったんだ』
『その儀式というのは、どのようなことを?』
光明は服を脱いで肌を見せた。
全身傷だらけであり、最蔵は直視することが途中でできなくなるほど酷い傷跡であった。
『………これは、ナイフで切られて、そこを直接舌で抉られたり吸われた跡。全部の儀式を言ってたらキリがないけど…、儀式の中に、自分の血を捧げることを強要されたことがあった。周りは冷たい視線で俺を見て、俺の恐怖を楽しんでいるようだった。あの時、俺はただ自分が生き延びるために、与えられた役割を果たすしかなかった。お前は特別なのだから、これを成し遂げることができると連中らは言ったけど、俺はただの操り人形だった』
最蔵は光明の目を見つめ、言葉を失った。
『その後も、俺の身体と心は徐々に蝕まれていったよ。洗脳の中で、俺は自分が何者であるかを見失って、周りの世界から完全に孤立してた。どれほど恐ろしいことが起こっても、俺はそれを受け入れなければならなかった。心のどこかで、自由を求める気持ちはあったけど、俺を支配する恐怖がそれを押しつぶしていたのだ。俺がバカなのか……、当時は、そこから逃げるという発想が一切無かった。誰かに助けを求める発想もなかった』
光明の過去は最蔵の心に深い傷を刻み込んでいた。
『しかし、どのようにしてそこから抜け出されたのですか?』
『観音さまが俺の前に現れたんだ。まるで夢の中の幻影のように、壁をすり抜けて優しい眼差しで俺を見つめてた。あんなに心が温かくなったのは初めてだったよ。空気が変わって、部屋の暗闇が一瞬で明るくなってた。その瞬間、俺の中の恐怖が消えたよ。目の前の壁が薄紙のように崩れ去って、外の世界の光が差し込んできてね……。俺は導かれるままに一歩を踏み出して、自由を求める心が、俺を突き動かしてた』
最蔵はその言葉に引き込まれ、心の中に希望を感じた。
光明の語る観音菩薩との出会いは、光明にとっての救いであり、過去の鎖から解放されるきっかけとなったことを理解した。
光明はその時の感覚を鮮明に思い出しながら続けた。
『俺は観音さまの光の中で眠っていて、気がついたら剛徳寺にいたんだ。初めて見る外の景色にびっくりして、どうしたらいいのかわからなかった。初めて見た太陽は神様の光なのかなって思ってたし、とにかく何これ?ってなった。周りには広がる空や緑で満ちていて、一気に自由になったから、どうしていいか分からなくて暫く動けなかった。ただ、人を見ると不安が一気に押し寄せてきちゃって……何かされるっていう恐怖が………。手には、どういうわけか、紙の束が入った風呂敷が目の前にあった。何なのか全く分からなかったから、近くにいた人に尋ねてみたんだ。これは何ですか?って。その人は優しく微笑みながら、お金ですよって答えてくれたんだ。俺には、お金という概念が理解できなかったから、それすらも全然わからなくて、それはどう使うものですか?って訊いたら、食べ物や飲み物、自分に必要なものを買うために必要なものなんです。お会計の時に出す分だけを出して、あとは他人に見せてはいけないものですよと教えてくれたんだ。俺には、それがどれほど大切なものか理解できなかったけれど、少しずつ世界のルールを学び始めたんだ。それが福智桂之助との初めてのやり取りだったんだ』




