暴走
突如として剛徳寺に現れた強大な破壊神、バキュラ。
空は暗雲に覆われ、雷鳴が轟く中、巨大な影がお寺の境内をゆっくりと覆い尽くしていく。
観光客たちは恐怖に駆られ、悲鳴を上げながら門から次々と逃げ出していく。
『きゃぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎』
『うわっ⁈うぁぁぁぁぁ‼︎』
混乱の渦に巻き込まれた人々の声が、まるで嵐のように渦巻き、子供の泣き叫ぶ声が響き渡っている。
その中で智真が動き出した。
智真は冷静にバキュラをじっと見据えていた。
全身が震える恐怖を感じながらも、智真の心には強い決意が芽生えていた。
これ以上の破壊を許すわけにはいかない。
僧侶としての責務が、智真の背中を押した。
智真は、声を上げる準備をしながら、後輩僧侶たちに振り返った。
智真の目に映ったのは、恐怖に満ちた顔をした仲間たちである。
しかし、その顔には希望の光も宿っていた。
僧侶たちは智真の存在を頼りにしているのだ。
智真は心の中で僧侶たちの名を唱え、勇気を与えるように努めた。
『私たちは七人で一つだ‼︎』
智真の呼びかけに応じ、六名の後輩僧侶が智真の元へと龍のように並んで集まった。
僧侶たちの心が一つになる瞬間、空気が変わる。
まるで、僧侶たちの中に潜む力が目覚めるようだ。
全員がその場に立ち尽くし、智真の目を見つめる。
智真はしっかりとした声で、唱える言葉を発した。
その声が響くと、後輩たちの表情が変わった。
恐怖から勇気へと移行する瞬間だった。
智真はその様子を心の目で感じ取り、心が高揚するのが伝わった。
自分自身を鼓舞し、ついに念仏を唱え始めた。
『南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏……』
その声は、穏やかな波のように周囲に広がっていく。
後輩たちもそのリズムに乗って、次々と声を重ねていく。
僧侶たちの声が一つになり、境内に響き渡る。
すると、まるで空気が震えるかのように、周囲の景色が少しずつ変わり始めた。
バキュラはその巨体を揺らし、無慈悲な眼差しを向けてきた。
だが、智真たちの唱える声は、その凄まじい破壊の力に対抗するかのように、ますます大きく、強くなった。
心が一つにまとまり、神聖なエネルギーが僧侶の周りに渦巻いていく。
智真は声が嗄れるまで、心の底から思いを込めて唱え続けた。
その声に応じるように、後輩たちも一斉に声を上げている。
僧侶の声はまるで嵐の中の明るい光のように、周囲の混乱を切り裂いていく。
バキュラは動きを止め、智真たちの声に耳を傾ける。
その瞬間、まるで時が止まったかのように感じた。
恐怖に怯えていた観光客たちも、思わずその光景に目を奪われ、動きを止める。
僧侶たちの強い意志と連帯感が、場の雰囲気を変えつつあった。
智真はさらに声を張り上げた。
その声と共に、僧侶たちの唱える真言が、境内の空間を満たしていく。
まるで光の波が、バキュラに向かって進んでいくかのように。
周りに集まる仲間たちの力が、ひとつの大きな渦となり、立ち向かう姿勢を作り出している。
バキュラは、僧侶たちの声に対抗するかのように吠え、地面を揺らした。
だが、智真たちの声は揺らぐわけにはいかない。
僧侶たちは、お互いの存在を感じながら、一体感をもって唱え続けた。
この瞬間、剛徳寺を守るための一つの力となっていた。
智真の心に宿る決意は、仲間たちに引き継がれ、共に立ち向かう準備を整えていた。
空気が張り詰める中、智真は強く心の中で祈り続けた。
智真の声は、まるで風のように自由に、そして確固たる意志をもって響き渡っていた。
この瞬間、何も恐れず、共に進むことができると信じていた。
バキュラに立ち向かうため、僧侶の力は、確かに一つになっていた。
ここで、智真は後輩僧侶達にバキュラの歴史を語った。
『バキュラは平安時代初期に山で白の色が特徴だった姿でお生まれになり、神仏習合の象徴的な存在として伝えられておりました。この時代は神道と仏教が共存し、互いに影響を与え合っておりました。バキュラはその中で、神性と仏性を持ち、宇宙の真理を把握する力を象徴しておられました。また、当時は自然や神々に対する敬意が強く、神様や仏様が日常生活の中で重要な役割を果たしておりました。そのため、バキュラは人々にとって守護神のような神聖な存在であり、共生の象徴としての役割を持っておられました。平安時代の人々は、バキュラを通じて自然や宇宙の調和を理解しようとし、神様と仏様の両方の教えを融合させて、精神的な支えを求めておられました。
しかし、大正時代の神仏分離令によって、神道と仏教の分離が進み、宗教的な統一性や共存が失われてしまったことが、バキュラの性質の変化に大きく影響してしまいました。バキュラはもともと、神様と仏様の両方の性質を持つ存在であり、西洋思想と東洋思想を統合し、宇宙の真理を把握する力を持っておられました。しかし、神道が国教として強調されるようになると、仏教の教えや理念が軽視され、バキュラの中にあった調和が崩れていったのです。この分離によって、バキュラの力のバランスが崩れ、破壊神としての側面が強くなって白から黒の姿になってしまいました。結果として、バキュラとしての役割を果たすことができず、慈悲と救済の理念が失われていきました。バキュラの怒りは、人間の無関心や自然破壊に対する反発から来ているので、今のバキュラは非常に危険な状態です。今すぐに、この場から逃げなさい。そして金剛龍寺に頭を下げて神仏一体の剣を借りるのです。これは破壊や攻撃をする為の刀ではありません。神道や仏教の教えに生命を吹き込むことができる人、つまり神仏の教えを体現する者にしか扱えない特別な刀なので、それを持つことができる者を急いで捜さなければなりません。仏道一直線に生きた我々ではできない儀式があります』
その瞬間、僧侶たちは驚きの表情を浮かべた。
智真の言葉を尊重し、彼の決意を理解する者もいた。
後輩僧侶たちは、一瞬の葛藤を経て、智真の指示に従い始めた。
恐怖を感じながらも、智真の強い意志に触発され、逃げることが彼を守るためだと考えるしかなかった。
後輩たちは一斉に後ろに下がり、出口を目指して走り出した。
智真は般若心経を唱え始めた。
そのとき、バキュラが智真の声に気づき、怒りを爆発させた。
そして、巨大な触手を振りかざし、智真に向かって突進してきた。
後輩僧侶たちはその瞬間、恐怖に駆られながらも振り返り、走りながら智真の姿を見つめた。
智真は後輩たちに目を向けることもなく唱え続けていた。
智真の声は、僧侶たちの胸の奥に深く響き、決意をさらに固めた。
僧侶たちは、一人また一人と智真の元を離れ、境内の外へと走り去った。
後輩たちは、安全な場所にたどり着くと、振り返って智真を見つめた。
僧侶たちの胸には、智真への不安が渦巻いていた。
智真が一人で立ち向かっている姿が、僧侶たちの胸に重くのしかかる。
一方で、智真は自分を犠牲にする覚悟を決め、最後の力を振り絞って声を張り上げ続けた。
後輩たちが無事に逃げられたことで安心したような表情を見せたが、同時にバキュラとの対峙が迫っている。
後輩僧侶たちは、智真の無事を祈った。
智真が自分たちのために戦っていることを理解し、決して忘れないと心に誓いながら。
しかし、般若心経を唱え終わった後から智真の声が完全に聞こえなくなってしまった。
僧侶たちが振り返ると、バキュラの触手が智真の首をはねる姿が見えた。
智真は最初の犠牲者となってしまった。
僧侶たちはパニックになり、全員体が動かなくなっていた。
その場の緊張が高まる中、突然、陰影の中から一人の男が現れた。
薄暗い境内の中で不気味に浮かび上がり、その表情には冷たい笑みが浮かんでいた。
『ボーっとつっ立ってる暇があったら頭使えよ。このままだと滅びるよ』
その声は、周囲の混乱と緊張感を嘲笑うかのように響き渡った。
男の笑みは一瞬にして周囲の空気を凍らせ、僧侶たちの顔を一瞬で歪ませた。
どこか不吉な運命を予見するかのような存在感を放っている。
『般若心経で対抗する前に、人間がそれぞれ見直せばこうならなかったのにバカだなぁ』
その言葉は、鋭い刃のように、まるで無関心のまま日常を生きる人々の心を突き刺した。
彼の視線は、まるで人間の無知と傲慢を見透かすかのように、全てを見抜いているかのようである。
『思考停止したクソ野郎が増えたものだな。まるで運命を他人任せにしているようだ。お前らバカ共では金剛龍寺に頭を下げたところでって話よ。まさか先輩に言われたマニュアル通りに必死こいて貸してって言うんじゃあないよな?それを俺はバカだと言ってるんだよ。その前にやることあるだろ。自分で考えて行動できないバカが増えすぎ。何?まさかこんな状況で背中向けて仲間を置き去りにして6人揃って厚かましく“バキュラが暴走してるから刀を貸してくれ”とでも?誰が貸すんだよ?刀を持つ相手にも道具のように戦えとでも言いそうだな。まるで、お前らゾンビだな。俺が同じようにお前らを殺しておもちゃにしてやろうか?生きたままだと“かわいそう”だからさ』
と、男は黄金の刃物を向けながら低い声で言った。
その言葉は、僧侶たちに向けられたものだけでなく、この時代を生きる全ての人々への警告のようでもあった。
彼は、目の前に広がる混沌とした現実を嘲り、果敢に立ち向かうことのない人々に対して、何らかの失望感を抱いているようにも見える。
これが社会の歪みを直視させるための鋭い指摘だったのだ。
バキュラの破壊の背後には、人々が目を背け続けた問題があった。
その言葉の重さは、責任を感じる者たちに重くのしかかるものだった。
この男は、何を求め、何を考えているのか。
彼の存在が、僧侶たちに与える影響は計り知れなかった。
彼が笑う理由は、一体どこにあるのか。
人間の本質を見抜くその目に、僧侶たちは身の毛がよだつ思いを抱えながら、立ち向かう準備を整えた。
だが、ただ立ち向かうだけではだめだ。
バキュラにとって脅威となったのか、またはその意識を引き寄せてしまったため、反応として襲ったのか考えなければならない。
僧侶たちが男の言葉に衝撃を受けている中、眼鏡をかけた僧侶が前に進み出た。
彼の心臓は激しく鼓動していたが、仲間を守るために勇気を振り絞った。
『私は、法照と申します。あなたは一体、誰なのですか?』
その問いかけに、男は答えた。
『俺は光明。生きてたら69歳だよ』
『えっ…、まさか、あの………事件の…………』
『そう、ここのクソ副住職に俺の大好きな桂之助の意思を全否定した怒りで、また生き返っちゃった。アイツどこに居る?桂之助が作ったお墓を蹴ったことを土下座で謝ってもらいたいんだけど』
法照は光明の顔を見て教えてはいけないような氣がした。
だが、こんな時に法照は良からぬことを考え込んでしまい、見抜かれないように自分を抑えた。
『すみません………、私は本当に駄目な僧侶かもしれません……』
自分に対して危害を加える可能性や、光明の怒りが自分たち僧侶の責任を問うものであることを恐れていた。
光明が求めている最蔵の居場所を教えてしまうことによって、彼の怒りが再び燃え上がるのではないかという懸念もあった。
法照は、光明の言葉や行動が自分や仲間にとって危険である可能性を感じており、そのことが自分を駄目な僧侶だと感じさせているのであった。




