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徳密と澄子は、夕食の準備を始めるために、穏やかな黄昏の中、厨房に足を踏み入れた。

この時は他の僧侶も居り、徳密が中に入ると後輩達が挨拶を交わした。

厨房に広がる静謐な空気は、まるで時間が止まったかのように包み込んでいる。

何を作るか話し合っていたところに楓芽が現れ、挨拶を交わした。


楓芽:『徳密さん、お忙しいところ、私のお仕事を代わりにやっていただき、ありがとうございます。おかけで助かりました。感謝の気持ちを込めてお礼の品を用意しましたので、どうぞお受け取りください』


徳密:『ありがとうございます』


楓芽は徳密にお礼を言った。

それを見た僧侶は『こんな泣き虫にお礼なんか言わなくてもいいのに』と言う者も居たが、お礼を伝えることの大切さを楓芽は、この場で後輩たちに教えたのである。

徳密には、それは納得がいかなかった。

食べ物を平気で残したり、人に嫌味を言ってみんなで笑ってた人が何を偉そうに言うのかと。


徳密は貰った物をそっと自分の胸にしまい、手を洗って料理を作った。

徳密の動きは、無駄がなく、全てが一つの調和を奏でている。


徳密はまず、キッチンの作業台に整然と並んだ食材を見つめ、その一つひとつに感謝の念を込めながら手を伸ばす。

新鮮な野菜が、陽の光を受けて輝いている。

徳密は手に取った山芋を優しく洗い始めた。

その清らかな水が野菜の表面を洗い流す音が、まるで小さな祝福のように耳に届く。

水は冷たく、透明な流れがまな板の上で軽やかに踊り、山芋の皮に残る微細な土が音もなく流れていく。


澄子はその間に、包丁を使って野菜を切り始める。

包丁は、まるで長い年月を共にしてきた親友のように、スムーズに食材の上を滑る。

包丁がまな板に当たる音は、心地よいリズムを刻みながら、まるで静かな交響曲の一部のように感じられる。

切り取られる野菜たちは、均等に分かれながら、次第に料理の姿を整えていく。

澄子の手の動きは慣れており、その眼差しも真剣そのもので、全身全霊を込めて食材と対話しているようだ。


調理が進むにつれて、キッチンの中には、さまざまな音が織り成すハーモニーが広がっていく。

油が沸騰し、食材が揚がる音と共に香ばしい香りが立ち上る。

その香りが、厨房の空気を満たし、徐々に全体に広がっていく。

火のそばで、フライパンの中で泡立つ小さな泡の音が、静かな対話を交わすように続いている。


台所に居る者全員が、その全ての過程がまるで修行の一環であるかのように、心を込めて丁寧に調理を続ける。

その姿は、料理という行為を通して心の平穏を求め、食材への感謝の気持ちを表現している。

厨房の中の静謐な空気は、まるで心の状態を反映しているかのように、ひたすらに穏やかで、皆が作り出す料理に込められた思いを映し出している。


調理が進むにつれて、夕食の準備は単なる食事の支度を超え、心と心を結びつける儀式のようなものとなっていく。

その一つひとつの行程に心を込め、日常の中にある感謝の念を見出しながら、静かに夕食を完成させた。


この時、徳密はあとどれくらいここに居られるか……、と心の中で呟いたが、一切顔に出さなかったため、この変化には誰にも氣づかれなかった。


丹精込めて作り上げた料理が完成すると、それを慎重に食堂へと運ぶ準備を整えた。

厨房から食堂へと続く道は、広いが、その道を一歩一歩、確実に歩みながら、運ぶ料理が揺れたり倒れたりしないように氣を使う。

大きなトレーに盛り付けられた料理を両手でしっかりと支え、澄子はその脇でさらに別のトレーや皿を持ち、互いにサポートしながら歩いていく。


食堂の扉を開けると、そこには温かみのある光が広がり、木製の机と座布団が整然と並んでいる。

机の上には、既に箸や器が美しく配置され、そこに落ち着いた雰囲気が漂っていた。

徳密と澄子は、料理をテーブルの上に丁寧に並べていく。

その手際は、まるで儀式のようで、各料理が正確な位置に置かれる様子は、まさに美しい配置の芸術そのものだ。


その頃、食堂の外から、僧侶たちがぞろぞろと現れ始める。

一列に並んで、静かに歩を進めている。

僧侶たちは、落ち着いた僧衣を身にまとい、各々が持つ木製の杖や香炉の持ち方も、心の落ち着きを反映しているようだ。

足音が、まるでその場の静寂を破らないように、ゆっくりと慎重に響いている。


僧侶たちが食堂に入ると、徳密と澄子は一礼しながら、その進入を見守った。

僧侶たちは、各々の位置に着席し、自然な流れで席に座る。

その動きは、洗練されていて、まるで長い間に培われた習慣がそのまま表れているかのようだ。

僧侶たちが席に着くと、その静かな緊張感が、食堂全体に落ち着きと調和をもたらしている。


徳密と澄子は、僧侶たちが着席した後も、その様子を見守りながら、必要に応じて料理を再度整えたり、追加の食材を用意したりする。

料理が並ぶ机には、色とりどりの盛り付けが施され、各料理の香りが食堂に広がっていく。

その香りは、心地よいものとして僧侶たちの周りに漂い、心を穏やかに包み込んでいる。


僧侶たちは、食堂に並んだ料理を見渡し、その一つひとつに目をやりながら、静かに食事の開始を待つ。

僧侶たちの目は、料理に対する感謝の気持ちを表し、その所作は心からの尊敬を示している。

食堂の中には、料理を通して生まれる共同体の一体感が漂い、その空気は、徳密と澄子、そして他の僧侶たちが込めた心のこもった努力と、僧侶たちの深い感謝の念が一体となって、静かに満ちている。


すべての準備が整うと、僧侶たちは静かに手を合わせ、心を一つにして斎食儀を唱えた。

食事をいただく前に心を清め、食材への感謝の気持ちを表すための重要な行為である。


一同:『われ(いま)(さいわ)に、仏祖(ぶっそ)加護(かご)衆生(しゅじょう)恩恵(おんけい)によって、この(きよ)(じき)()く。つつしんで(じき)来由(らいゆ)をたずねて、(あじ)濃淡(のうたん)()わず。その功徳(くどく)(ねん)じて(しな)多少(たしょう)をえらばじ。いただきます』


その言葉を唱えながら、目を閉じて深く呼吸をし、一つひとつの言葉が心に染み渡るのを感じた。

食事が提供されることに対する感謝の気持ちが、心の奥深くに浸透していく様子が食堂の中に漂う静かなエネルギーによって伝わってくる。


斎食儀が終わると、食堂の空気は一層の静けさに包まれた。

ゆっくりとした動作で、まずは各自の前に置かれた箸を手に取る。

その手の動きは、まるで時間がゆっくりと流れているかのように、一つ一つの行為が慎重に行われる。


お椀を持ち、静かに食べる。

ほんのりとした蒸気が立ち上り、その温かさが手に伝わる。


一つ一つの料理を一口一口、丁寧に味わっていく。

まるで、宇宙の本質が宿っているかのようだ。

箸が料理に触れる音さえもなく、食堂の静寂をさらに深める。

料理が口に運ばれるたびに、僧侶たちは目を閉じてその味わいに集中し、心の中でその食事がもたらす恩恵に感謝の意を表している。

料理の中に込められた思いと、心の中の感謝が、静かな調和を生み出している。


食後は洗鉢をし、漬物で器を一つ一つ丁寧に綺麗にする。

これも食事を通じて得た感謝の気持ちをさらに深めるための大切な儀式である。

漬物を食べる際にも音を立てぬよう、注意する。


最後に心を込めて食後観を唱える。


『われ(いま)、この(きよ)(じき)(おわ)わりて、(こころ)ゆたかに(ちから)()()つ。(ねが)わくは、この心身(しんじん)(ささ)げて(おの)(わざ)にいそしみ(ちか)って四恩(しおん)(むく)(たてまつ)らん。ごちそうさまでした』


徳密は、この場所だけでなく、外食の際も斎食儀を徹底している。

客や店員に心なく笑われても感謝の気持ちも常に誰よりも心にあるのである。

食事を必要以上に残す行為をあまりよく思わない徳密は、楓芽がよく食べ残しをすることに呆れていた。

食事だけではない。

徳密は全ての生命を平等に大切にしてきている。

それは突然やってくるゴキブリにさえも刺激を与えないように優しく外に逃がしていた。

これが楓芽との差であり、最蔵が徳密をお気に入りの弟子と評価する存在であった。

この差別が原因で楓芽は徳密に嫉妬していた。


しかし、この日、徳密は義徳から貰ったパンフレットを早く見たいという思いは食事の後に行動で現れてしまった。

1日の作業を全て終えると、突然マッハ5の速さで自室へ向かった。

徳密の異変に氣づいたのは楓芽であった。

だが、自室に入った者の干渉をするような人ではない。

次に廊下を走った時に静かに歩くように言うという程度の距離感を常に保っている。


自室に入った徳密は義徳から貰ったパンフレットをゆっくり広げた。

既に知っていることが多かったが、自分にぴったりなお寺だと納得する点が多い。

徳密は実際にお寺に行ってみたいと興味がわき、この日、最蔵に突然ではあるが明日、里帰りしたいので休みが欲しいとお願いした。

すると、最蔵は3日後には必ず帰るという約束で快く受け入れたのだった。

この時、徳密は金剛龍寺に行くことは言わなかった。

再び自室へ戻り、今度は楓芽から貰ったお礼の品を広げた。

中には、ひまわりの種が入っていた。

徳密の心には楓芽に言われた言葉が心に傷がついたままだった為、嬉しいという感情はなかった。

謝罪があったら、この運命は変わっていたのかもしれない。


その晩、徳密は天志の手をまた握ってみたいという思いで目を閉じたら、なんと天志が大きな手を徳密に向ける夢を見たのであった。


挿絵(By みてみん)

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