一念三千
澄子が退院の日を迎えると病室には朝の光が柔らかく、まるで仏の慈悲が差し込むかのように穏やかに広がっていた。
病院のスタッフは、一切の怠りなく、最後の手続きや支度を整え、澄子はベッドの上で少し緊張した面持ちでその時を待っていた。
心の中には、この数日間の修行のような時を共に過ごし、多くの教えと智慧を授けてくださったこの場所に対する感謝の念が、深く、静かに満ちていた。
そのとき、穏やかなノックの音がして、ドアが静かに開かれると、そこに最蔵が姿を現した。
最蔵は、その手に清らかな白い和服を携え、澄子の退院を迎えるための、ささやかながらも心のこもった贈り物を持っていた。
この和服は、仏教の教えに基づいた清浄な姿を示すものであり、まさにこの世の苦しみから解放され、新たな道を歩む澄子を祝福するためのものであった。
最蔵の心遣いには、深い慈愛と尊敬の念が込められており、これは澄子の新たな一歩を導くための、仏の教えに根ざした支えの象徴であった。
和服の白は、澄子がこれからの人生において、清らかで誠実な道を歩むことを願う、最蔵の真摯な祈りの現れである。
その背後には、天台宗の教えに従って、全ての存在が一つであるとの認識が静かに宿っていた。
澄子はその和服を受け取りながら、心の中に深い感謝の念を抱き、これから訪れる新たな日々に対する希望と決意と覚悟を新たにしていた。
最蔵が優しく言葉をかけると、澄子は微笑みながら、ゆっくりと立ち上がった。
体はまだ少しふらつくものの、法華経の教えに支えられ、ここまでの日々を乗り越えてきた道のりが、少しずつ澄子を強くしていた。
最蔵: 『澄子様、本日はついにご退院の日を迎えましたね。ご体調はいかがでしょうか?』
澄子はにこやかに微笑み、深く息を吐きながら答えた。
澄子: 『はい、最蔵さんのおかげで、無事にここまで来ることができました。ありがとうございます』
最蔵は、心からの微笑みを浮かべつつ、白い和服を優しく手渡した。
澄子:『これは?』
最蔵: 『この白い和服は、一念三千の教えを反映するのをイメージをして、私たち僧侶が手を合わせて丁寧にお作りしたものでございます。一瞬一瞬の意識が全宇宙を内包することを示すものであり、澄子様がこれからの人生においても、心の中で全てを含む深い理解を持たれることを願っています』
澄子: 『ありがとうございます。………うわぁ、あったかぁい。どこが徳密さんが作った部分で、どこが楓芽さんが作ったんだろう?』
最蔵: 『徳密さんと楓芽さんをご存知ですか…。実は徳密さんは私の1番のお気に入りのお弟子さんでして、とても可愛く、お寺の中でも1番努力をしている僧侶でございます。そして、慈悲心があり、知恵も豊富な方です。楓芽さんも知恵があります。ですが…徳密さんに嫉妬されているようで………』
澄子:『そうだったのですか……』
最蔵: 『……あまり、いじめないでほしいのですがね、どうもそうはいかないようでして。それから、徳密さんが作った場所は桜で、楓芽さんは帯です。皆、真剣に作ってました』
澄子:『こんなに嬉しい贈り物は初めてです。ありがとうございます。後で皆さんにもお礼を言いますね』
その和服を受け取ると、その柔らかな布に心地よさを感じ、穏やかな心が広がった。
最蔵の言葉と、僧侶たちの優しい心遣いが、澄子の内面に強く響いた。
最蔵: 『私は退院の手続きをいたしますので、お着替えが終わりましたら待合室でお待ちください』
澄子:『お金は後でお返しします』
最蔵: 『お気になさらないでください。元気を取り戻していただけたことが、私にとって何よりの返済のようなものです』
澄子:『ありがとうございます、最蔵さん』
最蔵: 『では、のちほど』
澄子は最蔵の後姿を見て自分も人に無条件に優しくなりたいと思っていた。
自分が人に優しくしていることは澄子には氣づいていなかった。
そして、病室の一角で、静かに和服に着替え、鏡に映る自分の姿を見つめた。
その姿は、以前の自分とは異なり、内に秘めた強さと清らかさを感じさせるものであり、法華経の教えが心に深く浸透した証であった。
澄子は、これまでの修行と教えが、自らを新たな段階へと導いたことを実感していた。
全ての身支度が整い、澄子は待合室へ行った。
退院の手続きが終わった最蔵は椅子に座って澄子を待っていた。
そして、澄子が来たことに氣付くと椅子からすぐに立ち上がってマッハ5の速さで澄子の方へ駆け寄ってきた。
最蔵: 『澄子さま…………、と……、とてもかわいいでございます』
澄子のあまりの可愛さにうっとりした最蔵は言葉が片言になり、目を合わせなくなっていた。
澄子:『あ、ありがとうございます……』
お互いに目を合わせなくなった澄子と最蔵は共に病院の玄関に向かった。
病院の外に一歩踏み出すと、夏の終盤の穏やかな風が二人を優しく迎え、澄子の頬を撫でる。
その新鮮な空気を深く吸い込みながら、澄子は心の中に広がる感謝の気持ちと、法華経の教えがもたらす平安を感じ取った。
澄子: 『空がとても青く見えますね…。長い間、こんなに美しい空を見たのは久しぶりです』
最蔵はその言葉に温かい笑みを浮かべ、澄子の横に並んで歩き始めた。
最蔵: 『この青空のように、澄子様のこれからの人生も澄んだ青空のようなものであることを、心より願っております。お寺でも沢山の教えを共に学び、実践してまいりましょう』
澄子はその言葉に心を打たれ、新しい生活への希望と、少しの不安を抱きながら、一歩一歩を踏みしめて歩んでいった。
最蔵が差し出した手を取り、澄子はお寺へ向かった。
道中、澄子は目に映るすべてのものに対して感謝の念を抱いた。
道端に咲く花々、流れる川の音、そして澄んだ青空。
それら全てが、法華経の教えによって心の中で響き渡り、澄子の歩む道を照らしていた。
澄子の心には、仏の慈悲が深く根付いており、その導きが新たな旅路を明るく照らし続けていた。
お寺に戻ると、澄子は再び日常の生活に戻る準備を始めた。
病院で得た経験と法華経の教えを胸に、新たな一歩を踏み出す決意を新たにし、未来に向き合う姿勢を固めた。
最蔵もまた、澄子を温かく見守りながら、これからの歩みを共にすることを誓い、共にその道を歩んでいく意志を新たにしたのである。




