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70.ぼくのなつやすみ



 夏休みの早朝。

 毎年のように記録更新される異常気象の熱波が、猛威を振るい始めるよりも少し早い時間帯。

 僅かにヒンヤリとした風を頬に感じながら、少年は近所の公園へと向かっていた。


「ふぁ……ねむ……」


 時刻は午前6時過ぎ。

 一般的な男子小学生である彼にとって、普段の登校時間よりも大分早い起床は、それなりに苦痛であった。

 欠伸を噛み殺し、眠たげな瞳をこすっている少年の名前は"コータ"。ごくごく平凡な男子小学生である。


 さて、彼が惰眠の誘惑を振り切って、早朝の公園へと向かっている理由なのだが、その目的はいわゆる"夏休みのラジオ体操"に参加する為である。

 近年では諸々の事情で数を減らしている夏休みのラジオ体操だが、コータの近所では自治体が熱心なのか、毎年の恒例行事として開催されているのである。


「ふぅ、到着」


 体操が行われる広場に到着した彼は周囲を見回す。

 お年寄りにおじさんおばさん。コータよりも年下の小学校低学年と思わしき子供が数人。いつものことだが、盛況といえるような客入りでは無いようだ。

 強制参加という訳ではないので、彼のクラスメイトは見当たらなかった。まあ、皆勤賞で貰えるものが安い駄菓子の詰め合わせや文房具程度では、今どきの子供を呼び込むには少し訴求力が足りないのだろう。無論、コータも別に駄菓子や文房具が目当てという訳ではないし、ましてや健康増進に関心がある訳でも無い。


 では、何故コータが眠気を堪えてラジオ体操に参加しているのかというと――



 ~~♪ ~~♪ ~~♪ 



 コータがそんな益体もない思考を広げていると、耳慣れた音楽が鳴り始める。

 音楽に合わせて3分程度の軽い運動を終えると、彼は出欠確認のスタンプカードを取り出した。

 他の子供たちに混じって、スタンプ待ちの列に並ぶ。


「はい、今日も来てくれてありがとうねっ」

「おねーちゃん、ありがとー」


 列の前の方でスタンプを押してもらった子供に、スタンプ係のお姉さんがにっこりと笑顔を浮かべる。

 その笑顔を見ただけで、鈴を転がすようなその声を聞いただけで、コータの心臓は不安定に跳ね上がる。

 列の順番が回ってきたコータの姿を見て、スタンプ係のお姉さんは一際明るい表情を浮かべた。


「あっ、コータくん! 今日も来てくれたんだねっ」

「は、はい……」


 そう、彼がラジオ体操に参加しているのは、このスタンプ係のお姉さんに会うためだったのである。

 彼女は近所の中学校に通っている中学二年生で、ボランティアとしてラジオ体操の係員手伝いをしているらしい。

 綺麗で、優しくて、少しお茶目で。クラスメイトの女子とは違う"大人の余裕"を感じさせる美しい少女に、コータは夢中になってしまっていた。


「はい、ポンポンッと。コータくん、ここまで皆勤賞だねっ。えらいえらい」

「あ、ありがとうございます……」


 コータはスタンプを押してもらうと、緊張で僅かに声を震わせながら、彼女に話しかける。


「え、えっと、その、お姉さん。今日もいつもの(・・・・)、良いですか?」

「うん、いいよー。片付けが終わったら、すぐに行くから向こうで準備しててくれる?」

「は、はいっ!」


 コータは少女を独占出来る時間が確保出来たことに、むず痒いような喜びを感じながら公園の一角――バスケットゴールが用意されたコートへと走る。

 事前に用意しておいたボールを小脇に抱えて少女を待っていると、程なくして彼女がやってきた。

 身体のラインが分かってしまうような、薄手のスポーツウェア姿の少女に、コータはぎこちなく視線を逸らしつつ頭を下げる。


「よ、よろしくお願いしますっ」

「こちらこそ。コータくん、どんどん上手くなってるから、そろそろお姉さん負けちゃうかもなー」


 事の起こりは何だったか。

 両親に言われて仕方なく参加したラジオ体操の帰りに、いつもは混雑しているバスケットコートが空いていたので、何となくシュート練習を始めたのだが、そこを件のお姉さんに目撃されたのが交流の始まりだった。



 ***



「――ねえ君。お節介かもだけど、シュートフォームに入ってから一拍溜めると、グッと良くなるよ?」

「えっ?」


 年上の綺麗なお姉さんに声を掛けられた事もそうだが、彼女のアドバイス通りに動いたらビックリする程に動きの精度が上がった事も、コータには驚きだった。


「そっか、コータくんはバスケ部なんだ。こんな朝から自主練なんて偉いねー」

「い、いえ。コートが空いてたから、ちょっとボールに触ろうかなって思っただけで……」


 一通り自身の動きをコーチングしてもらったコータは、アドバイスをくれた少女と休憩がてらに雑談を交わす。

 よくよく相手を見ると、先程のラジオ体操でスタンプを押してくれたお姉さんだった事に気づいたコータは、翌日からはお姉さん目当てでラジオ体操に参加するようになっていた。

 我ながら浅はかだとコータは自嘲するが、初恋の熱に浮かされる少年は、体操終わりに勇気を出して彼女に声を掛けるようになる。

 相手が社交的だったこともあり、お互いにバスケットボールに精通しているという共通点から、気がつけばコータと少女はラジオ体操の後に1on1をする程に親しくなっていたのだった。



 ***



「よっし、今日も私の勝ちー!」

「くぅっ……!」


 僅かに息を弾ませたお姉さんの声に、コータは悔しさを滲ませた呻き声を零す。


「つ、次は負けませんからっ」

「ふふ、楽しみにしてるね。コータくん」


 ニコッと微笑むお姉さんを直視するのが何だか照れくさくて、コータは誤魔化すように自分のカバンを漁って汗拭き用のタオルを探した。


「……あれ?」

「どうしたの、コータくん?」


 カバンを底まで探ったが、目当てのタオルが見当たらない。どうやらカバンに入れるのを忘れていたようだ。


「あー、いえ、タオルを持ってくるの忘れちゃったみたいで……」


 まあ、仕方ない。汗の感触が少し不快だが、家に帰ってシャワーを浴びれば済む話だ。

 そう考えていたコータの頭にフワリと柔らかく、甘い香りのする何かが覆いかぶさった。


「――えっ?」

「私のタオル。まだ使ってないから汚くないよ」


 自分の頭に乗っているソレが、お姉さんのタオルだと理解した瞬間に、コータの顔が真紅に染まった。


「い、いやっ! わ、悪いですよ!」

「別にいーよ、タオルぐらい。予備のやつだし。明日のラジオ体操の時にでも返してくれればいいから」


 そう言って、お姉さんがコータの頭をタオル越しにワシャワシャと拭う。

 たまにお姉さんから感じる甘い匂いと同じ香りのタオルに包まれて、コータは夏の陽気とは別の理由でクラクラするような目眩を覚えた。


「それじゃ、私はそろそろ行くね」


 バイバーイと手を振るお姉さんを、コータは呆然と見送る。

 去りゆく少女の後姿を眺めながら、コータは借り受けたタオルをモフモフと握りしめた。


「……」


 その柔らかい感触に、コータの下半身に感じたことのない奇妙な感覚が芽生えるのだが、それの正体を彼が知るのはもう少し後の話である。







 まあ、(レイコ)なんだが。

 私はコータくんの視界から離れた後で、夏の太陽に顔面を妖しく光らせた。


 チーちゃんを正式に間男枠として採用することにした都合上、今年の帰省ではちょっと負の想念を食い足りなかった私は、適当な男の子をつまみ食いすることにした。

 そんな訳で手軽に飯を回収出来そうなイベントとして、ラジオ体操の係員を引き受けた所、引っかかったのが先程のコータくんである。

 とりあえず仕込みとして、現在は年上の優しいお姉さん()によって情緒をグチャグチャされている真っ最中である。

 未来の希望に満ちあふれている少年の心にちょっとね。ほんとちょっとだけトラウマをね? トラウマって言っても2・3年ぐらい引きずる程度のかるーい奴よ? 四捨五入すれば0だから無いも同然よ。私は自己弁護を終えた。


 しかし、我が事ながらクソみてえな欲求を抱えた女である。一体どうしてこうなってしまったのか。心当たりは全く無かった。

 もはや過去に何か悲しい出来事が有ったとか、強烈なエピソードの回想回が無ければ話が破綻するレベルのクズである。このままではいけない。

 ちょっと今は思いつかないが、きっと辛く悲しい過去(episode)が私に有ったのだろう。後で設定を考えておこう。

 そんな感じの夏休みのとある一日であった。



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― 新着の感想 ―
[一言] つまみ食いくらいならコータくんの脳は守られるね!
[一言] 本当にどうして他人の脳を破壊する事にここまでの労力を割き続けられるのだろうか? この努力を自分の人生を豊かにする方向に使ってれば真っ当に幸せになれるだろうに
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