152.奇跡
"それ"は常に一人だった。
隔絶した才能を持ちながらも、それに胡座をかかず努力が出来る人間だった。
だが、類稀なる非凡を持ちながらも……否、その非凡さ故に"それ"は歪んでいた。
常人には到底理解出来ない破綻した願望に向けて、"それ"は足を止めなかった。止めることが出来なかった。劣化も疲労も知らず、止まらずに動ける足が有ったから。
……気がつけば、"それ"の前には無人の荒野が広がり、横に目を向ければ隣に立つ者は誰も居なかった。
"それ"は常に一人だった。
***
私の絆の軍勢を前にして、神トリちゃんが大きい石をひっくり返したみたいな表情を浮かべる。
「それは……神の領域だ。ヒトが手を伸ばしていい範疇を越えている」
「見解の相違だな。この程度の児戯でそんな持ち上げてくるようじゃ~案外カミサマとやらも大したことないんだナ?」
ゲギャギャギャッ! と私が笑っていると、レスバ耐性が無いのか神トリちゃんが顔真っ赤にしてミミズ巨神兵達をこちらへけしかけてきた。私も応戦するようにゾンビーどもをミミズに突っ込ませる。
「人間風情が! 軽率に神の領域に足を踏み入れたことを後悔するがいい!」
神トリちゃんの号令でミミズが巨体を振るう度に、ゾンビ達の頭や四肢があっさりと消し飛ぶ。
普通に考えれば簡単に分かる。こんなでけぇヤツには勝てねぇってことぐらい……
ミミズとゾンビくん達の戦力差を見て、私は進撃のジャンみたいになった。
だが、進撃とは違い私のゾンビくん達は頑丈だ。肉体の損傷など意に介さずに、ワラワラとミミズに取り付くと肉を削っていく。まるで失われた自分の肉体を求めるように……
【コロシテクレ……】
駄目だ。まだ眠ることは許さん。私のために戦え。
泣き言を吐いてくるゾンビどもの身体を再生しつつ、私は最前線から少し離れた場所で戦いの様子を観察していた。
指揮官として俯瞰した視点から戦況を把握し、神を穿つ一手を模索している――訳ではなく。
私はこの戦いに全く興味がなかった。
「茶番だな」
私は眼前の戦いを適当に眺めながら独り呟く。
不死身の兵隊とミミズ巨神兵達の戦いは、千日手の様相を呈していた。
神トリちゃんは私の身体が欲しいから、私本体にはあまり派手な攻撃はしてこないし、私にしても神トリちゃんの身体がサトリちゃん御本人様の物だから、迂闊に攻撃する訳にはいかない。そもそも神トリちゃんの肉体を破壊しても、多分神様本体には大したダメージにはならないだろう。
こうなってしまえば、私の勝ち筋は既に概ね決まっているのだが……
「……可哀想な奴だな」
神トリちゃんが心底憐れむような目を私に向けてきた。
「お前は孤独だ。音虎 玲子」
「ほう、急に分かったような口を聞いてくるじゃないか」
「涅烏帽子や四聖からの記憶で私は知っている。お前の人生は復讐そのものだ」
そういえば、奉牢兌丹くんは私の記憶を読んだみたいなことを言っていたか。彼の創造主である神様が同じようなことが出来ても不思議ではない。
「自分を理解せず、共に歩もうとしなかった者達への復讐。それがお前の根源なんだろう? だから自分の理想を他者に押し付けて壊す。私を否定したお前達が悪いとでも言うように。違うか?」
「……黙れ」
私の反応が気に入ったのか、神トリちゃんは楽しそうに続けた。
「お前は賢い。頭のどこかでは分かっていた筈だ。こんな虚しいことを続けて何になるのかと」
「黙れ! 貴様に何が分かる!」
私は激昂するように叫ぶと、上空に浮かぶ神トリちゃんに向かって飛びかかった。私の無謀な突進を軽くいなすと、奴は私を慈しむように抱きしめた。
「は、離せ! 私は、私は……!」
「もう苦しまなくていい。私がお前を理解しよう。もうお前は孤独ではない。共に生きよう、音虎 玲子」
そう言うと、神トリちゃんの唇が私の唇に重なる。
次の瞬間、私の意識は白く瞬いて――
***
くたりと脱力した新城 佐鳥の身体を抱きかかえた音虎 玲子は地上に降り立つ。
彼女が支配していた亡者達は全て形を失い、赤い海へと還元される。
上空を見上げると、そこには恐怖すら感じる程に美しい星空が広がっていて……空を埋め尽くしていた"神"の肉体は消え失せていた。
「……くっ、ふふふ」
音虎 玲子の口から笑みが溢れる。
こうなることは分かっていた。
それでも予測と実際に体験するのとでは、やはり充足感とでもいうべきものが違う。
空を埋め尽くしていた"神"の肉体は、残らずこの少女の内に取り込むことに成功していた。
「素晴らしい! ああ、やはり思った通りだ! 君の肉体は最高だよ、音虎 玲子!」
新城 佐鳥の肉体から、音虎 玲子へと宿主を移した神が哄笑する。
「ちまちまと捧げられる供物などつまらん! やはり肉は自身の手で括るに限る!」
そして少女の姿をした神は、神界の向こう側――現世で少女達の帰りを待っている子供達に目をつけた。
確か、この身体の想い人だったか。
「身体の礼だ。まずは恋人を取り込んでや……」
神の身体がピタリと止まる。
何かに気づいた訳でも、思索にふけっている訳でもない。
単純に少女の身体が、神の意思に反して動かないのだ。
「なんだ? これは一体……」
【どうだった? 私の身体を自由に出来た感想は?】
「は?」
次の瞬間、少女の頬がナイフで裂かれたかのように大きく切り開かれる。
出血も痛みも伴わない裂傷からは歯と舌が、それに眼球が一つギョロリと現れた。
「ね、音虎 玲子……!? 馬鹿な……"神"を全て取り込んだんだぞ……!? 貴様、何故動ける!?」
頬の口が嘲笑するように露悪的な笑みを浮かべながら囀る。
【私の身体だからな。相手の土俵で戦う馬鹿がどこに居る?】
「あ、ありえない……!」
神は知らなかったのだ。
自分が如何に甘い楽園に存在していたのかを。
自ら創り出したこの世界の人間には存在しないもの――音虎 玲子が持つ、神の想像すら超えた邪悪を。
【見当違いの考察をベラベラベラベラと、その気になっていたお前の姿はお笑いだったぜぇ~?】
神は知らなかったのだ。人間の持つ底すら無い悪意を……!
***
"それ"は常に一人だった。
前方に広がるのは無人の荒野。
隣を歩んでくれる者はいない。
理解者も味方も、敵すらも"それ"には居なかった。
……だが、後ろを振り返れば常に誰かが居た。
"それ"に追いつこうと。
"それ"がやらかした因果に応報を与えようと。
彼らは叫ぶ。
「そこで待っていろ」「絶対に逃さない」「すぐに追いついてやる」と。
"それ"は――音虎 玲子は一人だったが、孤独では無かった。
それは正しく奇跡だった。