151.絆
「レ、レイちゃんっ!?」
とんでもない場面を見られてしまった僕は思わず叫んでしまったが、当のレイちゃんはビクッと肩を震わせた後でキョトンとした顔を浮かべた。
「わっ、ビックリした。大きな声出して、どうしたのユウくん?」
「へっ? え、えっと……」
……よく考えてみれば、サトリさんは入口に立つレイちゃんに対して背を向けていた。
先ほどまでの会話を聞かれていなければ、今の異常な状況はまだ露見していないということだ。
「……ふふ、ごめんね。少し冗談が過ぎたかな?」
サトリさんが僕にだけ聞こえる声量でそう呟くと、お腹の辺りまで下げていたチャックを首元へと戻した。
露わになっていた白い肌が再びラッシュガードで隠されると、僕は安堵のため息を吐く。
……しかし、僕を見つめるサトリさんの瞳には、未だ妖しい光が消えていなかった。
先ほどの行動は本当に冗談だったのだろうか?
もしも、偶然タイミング良くレイちゃんが現れていなければ、今頃一体どうなって……
「……ユウくん? サトリちゃんも黙り込んで、どうしたの?」
固まっていた僕達に対して、レイちゃんが怪訝そうな表情を浮かべる。
僕は慌てて笑顔を作って、不審な状況を取り繕うとする。
「な、なんでもないよ! それよりも、レイちゃんこそどうしたの? 向こうで何かあった?」
僕がそう聞くと、レイちゃんが呆れたような表情で、大げさにため息を吐いた。
「二人が戻って来るのが遅いから、ちょっと様子を見に来たの」
「うっ……ご、ごめん……」
「あはは、ごめんよレイコ。ちょっとユウキと話が盛り上がってしまってね」
サトリさんの含みを感じるような発言に、僕は内心ヒヤヒヤしていたが、レイちゃんは特に引っかかった様子もなく話を進める。
「仲が良いのは結構だけど、あんまり遅いと今度はフユキくん達までこっちに戻ってきちゃうよ?」
「そ、そうだね。それじゃあ、早くみんなの所へ戻ろうか」
僕は後ろめたい空気が残る空間から早く離れようと彼女たちを促すが、サトリさんはニッコリと笑って僕にバケツとライターを手渡してきた。
「……サトリさん?」
「すまないが、ユウキは先にみんなの所へ戻ってくれないかい? オレは……」
彼女が、その青い瞳をスッと細くして視線を動かす。
「オレはレイコと少し話があるから」
「えっ、私?」
ドクン、と大きく心臓が跳ねる。
やっぱり今日の彼女は何かおかしい。一体レイちゃんに何を言うつもりなんだ。
「い、いや、それは……」
「大丈夫。少し話すだけだから、すぐにオレ達も戻るよ。駄目かい?」
「うぐっ……」
彼女の言葉に、僕は返答に窮してしまう。
僕がサトリさんを止める具体的な理由を説明出来ないからだ。
「ユウくん。サトリちゃんもこう言ってるし、先に行ってて? あんまり待たせていたら、フユキくん達も心配するだろうし」
「……う、うん。分かったよ……」
レイちゃんにまでこう言われてしまっては、僕にはこの場を離れる以外の選択肢など残っていないだろう。
僕は後ろ髪を引かれながらも、レイちゃんとサトリさんが残る別荘を後にするのだった。
***
「――で、誰だよお前?」
ユウくんが去って、眼の前の女と二人きりになった私――音虎 玲子は尋ねる。
「誰って、新城 佐鳥だよ。友人の名前を忘れるなんて、悲しいね」
「ガワはな」
私は血液操作でギンギンに強化した眼球で、推定サトリちゃんを睨みつける。
「肉体も振る舞いも、この目に映る情報はお前を新城 佐鳥だと言っている」
だが。
「私の魂がそれを否定してんだよ。さっさと答えろ。お前は誰だ」
「キッショ。なんで分かるんだよ」
そのくだりはもうフユキくん編でやった。
サトリちゃんが端正な表情を悪意的に歪めると、ズ……と彼女の体に何やら巨神兵をミミズ状にしたみたいなヴィジョンが巻き付いていた。
そういうタイプか。サトリちゃんの脳は無事だったみたいで何よりである。
「……素晴らしい。ひと目見ただけで分かったぞ。この神子などとは比べ物にならない躰を持っているようだ」
「セクハラする前に質問に答えてもらえる? 誰だお前」
「ヒトの言葉を借りるならば"神"と呼ばれているな」
ほう! やっとオカルトの親玉が出てきてくれたか!
思いがけずビッグネームに出会えたことに、私は軽く目を見開いた。
そういえばカブトムシくんが確か、サトリちゃんは神の依代にされるみたいな話してたっけ。ということは、肉体は完全にサトリちゃんご本人様か。洗脳や変身じゃないなら少し厄介だな。
「サトリちゃんを解放しろ。今すぐ」
言うだけならタダだったので、私はとりあえず吹っかけてみた。神様はOKした。
「いいよ?」
「え、マジで?」
「代わりに君の躰を差し出せ。そうすればこの神子は解放すると約束しよう」
そう言って、ヤツは私の体を上から下まで舐め回すように見つめる。
「本来ならば、あと数十世紀は待たなければ完成しなかった筈の完全な神子……いや、それすら凌駕する究極の依代。君の肉体は神を宿す為に産まれてきたといっても過言ではない。さあ、その真体を神に捧げるのだ」
「あ? ふざけたこと抜かすな。今すぐサトリちゃんを解放しないと殺すぞ」
神様は私の言葉にくつくつと笑った。
「いいのかな? この私に対してそんな上から目線で物を言って――」
「警告はしたぞ」
神様の話が終わる前に、私は遠距離斬撃をサトリちゃんに纏わりつくヴィジョンに向けて放つ。過去最高にキている今の私の斬撃は、四聖すら一撃で両断出来るだろう。しかし……
「やっぱり、そのミミズみたいなのは実体じゃないんだな」
案の定、斬撃は虚空を断つだけで神様には効果が無かった。
サトリちゃんの体を使って、神様が笑いながら答える。
「そんなに私と遊びたいのなら付き合ってやろう。場所を変えようか」
神様はそう言うと、無警戒に背を向けてテラスに続く窓を開けた。
窓の外に広がる光景に、流石の私も思わず息を呑んだ。
「海が、赤い……? いや、それよりも……」
まるで血のように真紅に染まっている海もそうだが、それよりも私の目を引いたのは空だ。
サトリちゃんがフワリと空中に浮遊すると、にこやかに告げる。
「アレが私の本来の体だ」
空が……高層ビルのように巨大なミミズ巨神兵達で埋め尽くされていた。天体すら覗き込む隙間も無いほどに。
現実離れした光景を前に、私は砂浜まで駆け出してユウくん達の姿を探す。
私の意図を察した神トリちゃんが楽しそうに答える。
「お友達のことなら心配しなくていい。ここは神界……現世とは完全に因果が切り離された世界だ」
シャナの封絶みたいなもんか。私は雑に解釈した。
「……さて。自分で言うのもなんだが、見ての通り私は強大だ。いくら君が神に近い真体の持ち主だとしても、ヒト一人で抗える存在に見えるかい? まあ……」
神トリちゃんは言葉を切ると、上空からミミズ巨神兵達の一部がウネウネと巨体を蠢かせながら、轟音と共に地上に降りてくる。
「君が理解して絶望するまで、その身体に力の差を刻みつけてあげよう。時間ならいくらでもあるからね」
「……」
私は神トリちゃんを無視して、砂浜に打ち寄せる赤い海水をひと掬いすると、ぺろりと舐めた。しょっぱい。
うん、見た目はキモいが成分は普通の海水だな。これならイケるか。
「……何をしている?」
神トリちゃんが怪訝な表情を浮かべる中で、私は指先をカリっと噛んだ。
「私の力は自分の血液を操作する。血流を操作して膂力を強化することも出来るし、血液を刃のように飛ばすことも出来る。まあ血を操作するような事なら大抵出来るな」
「……何の話だ?」
「術式の開示だよ。まあ~聞いてくれよ。今話さないと多分もう機会が無いだろうからさ」
困惑する神トリちゃんを無視して、私はベラベラと喋った。
「だが……"自分の血"を操作するとは言うが、それは具体的にどう定義される? 他人から輸血された血液は私の血になるのか? 床に溢れて固まったら私の血じゃないのか? 血を一滴垂らしたコップの水は、どこまでが私の血として認識される? あっ、その顔は気づいたな。私が今、何をやろうとしているのか」
「……馬鹿な。そんなこと、出来る筈が……」
私は眼の前の赤い海に、指から染み出す血を垂らす。
「領域展開」
次の瞬間、海面に異常が起きる。
ボコボコと、明らかに自然現象とは異なる不自然な波の揺れ。
そしてそれは姿を表した。
それは怨嗟だ。
それは憎悪だ。
それは未だ解放されない咎人の絶望そのものだ。
涅烏帽子が居た。
爾阿万が居た。
荼李虎が、奉牢兌丹が、名前すら明かされずに143話でナレ死した四聖が居た。他にも数え切れないほどの悪霊達が居た。
赤い海水が形を作るのは、かつて音虎 玲子に敗れ、今尚苦界の痛みから解放されない魂達だった。赤い影達は憎むように、懇願するように叫ぶ。
【コロシテクレ……】
赤い影達を従えて、私は人間を弄ぶ邪神に真っ向から向き合う。この世界をお前の好きにはさせない!
神トリちゃんが困惑した顔で問いかけてきた。
「……なんだ、それは」
「知らんのか。友情パワーだ」
私は一人じゃない。だから戦える。それが人間の強さなのだ。開戦。