150.暗雲
無事サトリさんの別荘に到着した僕――立花 結城は、案内された男子部屋での荷解きもそこそこに、フユキくんと神田くんと並んで晴天のビーチを眺めていた。
ちなみに僕達は揃って水着姿である。
昼食はビーチでバーベキューをするらしいので、せっかくなら食事前に軽く海水浴を楽しもうという流れだったのだが……
「しっかし、マージで人いねえな。夏休みシーズンのビーチだぞ?」
フユキくんのそんな言葉に、僕は改めて目の前に広がる海岸を見渡した。
僕達以外は無人……という訳では無いが、それでもこの時期にワイドショーで映されるような海水浴の風景とはかけ離れた様子に、僕も感動より困惑が先立ってしまう。
「凄いよね……プライベートビーチって、みんなこんな感じなのかな?」
僕の言葉に、神田くんが指を顎に当てて首を傾げる。
「というか、日本って法律的にプライベートビーチって存在しないんじゃなかったか……?」
「なんか急に怖い話が始まったな……」
国内有数の大企業である新城コーポレーションに若干の不信感を募らせていると、そんな大企業の社長令嬢の声が僕達の背中を叩いた。
「確かに。法的には海岸や砂浜の個人所有は認められていないけど、海岸にアクセス出来る部分の土地を私有してしまえば、実質的にプライベートビーチを持つことは不可能では無いんだよねぇ」
「それって法的には?」
「黒よりのグレーかな」
「金持ち怖ぇ~……」
神田くんとサトリさんのそんなやり取りに、僕達が振り返る。
「「「おぉ……」」」
僕含めた男子組が思わず感嘆の声を漏らす。
そこには水着姿の女子たち――"御影一年の三女神"が、夏の太陽にも負けない輝きで佇んでいた。
「お待たせ。みんな」
サトリさんはウォーターデニムのショートパンツに、上はラッシュガードを羽織った肌の露出が少ない装いだ。スラリと伸びた長い脚に、日本人離れした外見は男女問わずに見る者を魅了してしまいそうだった。
「お、遅くなってごめんね……?」
そんなサトリさんの後ろに隠れるように立っている白瀬さん。
普段は私服も露出を避けた大人しめのファッションを好んでいる彼女だったが、今日はどういうことか、結構攻めた感じの黒ビキニ姿であった……
後から聞いた話だが、レイちゃんとサトリさんに丸め込まれて選んだ水着らしい。
御影学生の男子達が猥談を始めると、十中八九の鉄板ネタで出てくる彼女の高校生離れした、その、あれだ……む、胸が否が応でも強調されてしまい、僕含む男子組はうっかり視線が吸い寄せられないように、若干挙動不審になっているのが見て取れた。
そして……
「みんな、お待たせーっ!」
――目の前にいる彼女の姿に、心臓が一瞬止まったかと錯覚する。
「どう、ユウくん? 似合うかな?」
レイちゃんがニコニコと微笑みながら、夏の太陽に浮かされるようにポーズをキメている。
海風に揺れる髪。透き通るような白い肌。
そして何より各所にフリルが飾られている純白のビキニは、まるで彼女の穢れない清らかな心を表しているようで、見ているだけで目が眩しいくらいだ。
レイちゃんの水着姿を見るのは初めてでは無かったが、それでもやはり青空の下で肌を露わにしている姿は、非日常感も相まって何度見ても慣れそうになかった。
「……ユウくーん? かわいい彼女が感想を聞いているんですけどー?」
ジト目で苦言を呈してくるレイちゃんに、僕は呆けていた意識を慌てて引き締める。
「ぇあっ、えっと……その、す……すごく似合ってる……です」
言葉にするのがやっとで、顔が日差しとは別の要因で熱を持つのが分かる。
そんな僕の反応に満足したのか、レイちゃんが手に持ったビーチボールを掲げて笑みを浮かべた。
「よろしい! それじゃあ、お昼までちょっと動いてお腹空かせよっか!」
レイちゃんの言葉に引っ張られるように、女子組が波打ち際へと足早に向かっていく。
「みんなも早くーっ!」
そう言って手を振る彼女達の姿に、男子組はしみじみとため息を吐いた。
「……プライベートビーチで良かった。本当に」
僕の言いたい事が分かっているのか、フユキくんと神田くんが深く頷く。
「ああ。普通の海水浴場だったら、多分ナンパが凄いぞアイツ等」
「レイって毎回そういうトラブルに巻き込まれてるよな……まあ、それはそうと」
コホンと芝居がかった咳払いをしてから、フユキくんが頭上の太陽を見上げた。
「やっぱり、夏って最高だな……」
その感慨深い呟きを否定する男子は一人も居なかった。
***
その後、サトリさんのお付きの執事やらメイドさんやらが準備してくれたバーベキューに舌鼓を打ったり、ビーチバレーでレイちゃんとペアで遊んだりと海水浴を満喫していると、気がつけば日が落ち始めていた。
「……という訳で、男子組からの持ち寄りで花火を用意しましたー。女子、拍手!」
「わー」
フユキくんの言葉に、レイちゃん達からパチパチとまばらな拍手が上がる。
「言ってくれれば、こっちで花火を用意したのに」
サトリさんはそんな風に言ってくれたが、別荘や食事の提供だけでも世話になり過ぎているのだから、これぐらいはさせて欲しい。
「……あれ? 光一、このライター火が付かないぞ?」
「おいおい、故障か? 一応事前に動作確認はしたんだけどな……」
花火用のろうそくを前に四苦八苦しているフユキくんと神田くんを見て、サトリさんが苦笑しながら立ち上がる。
「少し待ってて。部屋でライターを借りてくるよ」
「あー、わりぃ。頼むわ……」
神田くんがバツが悪そうに頬を掻く。
「いいってこと。ユウキ、一緒に来てくれるかい?」
「……えっ、僕?」
思いがけずサトリさんから声をかけられて、僕はきょとんとしてしまう。
もちろん手伝うのは別に構わないのだが、ライターを持ってくるだけで僕に何か役割が有るのだろうか?
そんな疑問が顔に出ていたのか、サトリさんが理由を付け加える。
「ついでにバケツも追加でいくつか持っていきたいからね。手を貸してくれると助かるんだけど……」
「ああ、なるほど。もちろん構わないよ。ちょっと行ってくるね、レイちゃん」
僕はそう告げると、サトリさんと一緒にビーチから歩いて5分程度の距離にある別荘へと戻る。
沈みかけた夕日の微かなオレンジが差し込む室内で、僕と二人きりになったサトリさんが不意に声をかけてきた。
「ところでユウキ。レイコとは上手くやっているかい?」
「へっ? きゅ、急にどうしたの?」
「ふふっ、ただの世間話さ。それで、どうなんだい?」
楽しそうに笑うサトリさんに、僕は気恥ずかしさを誤魔化すように軽い口調で答えようとした。
「おかげさまで。万事順調に――」
不意に脳裏を過ったのは、先日の自宅での一幕。
レイちゃんとの"初めて"を失敗してしまった苦い記憶……
「順風満帆、という感じでは無さそうだね?」
思わず言葉を詰まらせてしまった僕に、サトリさんが笑みを深くする。
「いや、そ、それは……」
「当ててあげようか? 失敗、したんだろう?」
どくん、と心臓が一際跳ね上がる。
サトリさんは具体的なことは言わなかったが、その瞳に宿る妖しげな光は、まるで僕の恥部を見透かしているかのようだった。
「な、何の話、かな……?」
酸欠に喘ぐ魚のように、僕はパクパクと口を動かして何とか話をはぐらかそうとする。
そんな僕の様子がおかしいのか、サトリさんはクスクスと口元を押さえて笑った。
……おかしい。
確かにサトリさんは少し黒い冗談も言うし、よく人をからかう悪癖がある。
でも、肝心な所では他者を思いやれる優しい女の子の筈だ。白瀬さんや神田くんの一件で、僕はそれをよく知っている。
……でも、今の彼女からは面白半分に人を傷つけるような……そんな悪意を僕は感じていた。
「……オレで練習するかい? 一回ならともかく、二回も失敗するような男は幻滅されてしまうよ?」
「ちょ、な、何を……!?」
そういうと、彼女はラッシュガードのチャックを首元から下に降ろしていく。
そこには中性的な容姿の彼女が、確かに女性であることを証明する膨らみが――
「……ユウくん? サトリちゃん?」
不意に入口から聞こえてきたレイちゃんの声に、僕の心臓は今度こそ凍りついた。