141.うめぇ
「……神田くん、大丈夫かなぁ」
放課後、僕――立花 結城はレイちゃんと二人で帰り道を歩いていると、隣を歩く彼女が悲しそうに表情を曇らせながらそう呟いた。
「それって、今朝の噂のこと?」
僕が尋ねると、彼女はこくりと頷いた。
先日のライブで神田くんが起こしてしまったらしい、トラブルとも言えないような些細な出来事。
レイちゃんから聞いた顛末は、一部の心無い人達によって悪意的に歪められて、クラス内で小さな噂として広まっていた。
「……大丈夫だよ。殆どデタラメな噂話なんだし、僕たちが毅然としていれば噂なんてすぐに消えるから」
「うん……」
……僕の言葉はつまり、時間が解決してくれるのを待つしか無いという意味でもあった。
実際問題、ここで僕たちが必要以上に騒ぎ立てて神田くんの無実を訴えても、却って神田くんに良からぬ注目が集まるだけで、事態を悪化させることしか出来ないだろう。
「……んっ?」
そんなことを考えていると、ポケットに入れていたスマートフォンから通知音が鳴る。隣を見ると、同じタイミングでレイちゃんも鞄からスマートフォンを取り出していた。
僕たちはお互いに軽く顔を見合わせると、ディスプレイに表示されている通知を見たレイちゃんが呟いた。
「神田くんからメッセージ……?」
レイちゃんの言葉に、僕もディスプレイを確認する。
僕やレイちゃんにフユキくん達――仲の良い友人同士で固められたグループトークに、神田くんからのメッセージが届いていたのだ。
【kou1:今朝のことなんだが、俺はしばらくお前たちと関わらない方が良いと思う】
「えっ……?」
ディスプレイに表示されている言葉に、僕たちは思わず声を上げてしまっていた。
【kou1:音虎も、当面はバンド活動に参加するのを止めたほうがいい。アキラ達には俺から話を通しておく】
【kou1:俺のせいで、お前たちの評判まで落としたくない】
【kou1:勝手なことばかり言って、悪いと思っている。本当なら直接言うべきなんだろうけど、多分お前たちは受け入れないだろうから】
【kou1:引き止められたら、俺は多分お前たちに甘えてしまう。こうしてメッセージで一方的に話してしまうことを許して欲しい】
【kou1:友達にこれ以上、迷惑をかけたくない】
【kou1:本当にすまなかった】
【kou1さんがグループから退室しました】
「神田くん……」
届いた一連のメッセージを見て、僕はあまりの衝撃に呆然としてしまう。
正直、彼が言いたいことは分からなくもない。僕だって逆の立場なら――レイちゃんや皆に迷惑をかけるぐらいなら、自分から距離を取ることを選ぶだろう。
だけど、こんなやり方は……
……でも、これでいいんじゃないかな?
心の奥底で腐敗臭が漂う声が聞こえた。
レイちゃんがバンドを始めてから、僕と彼女の時間はどれだけ減った?
楽しそうに僕が知らない時間のことを話すレイちゃんに、本当に何も感じなかったのか?
妙にレイちゃんと距離の近い神田くんの姿に、ほんの少しでも疑いを抱かなかったか?
彼から勝手にレイちゃんと離れてくれるなら……それは凄く、僕にとって都合が良い話だとは思わないのか?
「……ッ!?」
脳裏を過った醜悪な思考に、僕の心臓が破裂しそうに脈打つ。
違う。僕はそんなこと思ってなんていない。
神田くんは、大切な友達で……ぼ、僕は……
「……ユウくん。私ちょっと行ってくる」
「えっ?」
眼の前が明滅するような情動に、僕が立ちすくんでいると、彼女は何か決心したような顔でそう言った。
『行くってどこに?』なんて嘘くさい言葉が喉の奥で固まる。
この状況で、彼女が向かう場所なんて分かりきっている。
大切な友達が悩んでいるなら、迷わずに駆け出せる女の子。彼女がそういう人だという事を僕は知っているのだから。
「……待って、レイちゃん」
だから、僕は駆け出そうとする彼女の事を――
***
「……これでよし」
グループトークで一方的に絶縁状を押し付けた俺――神田 光一は、全身を包む疲労感を誤魔化すように、自室のベッドに倒れ込んだ。
「さて、学校ではどうすっかな……」
ああは言ったものの、お人好し揃いの音虎達のことだ。学校でしつこく俺に問いただしに来る姿は容易に想像出来る。
そして、そんな奴らだからこそ、俺個人の問題でこれ以上迷惑をかけるのは嫌だった。
「……いっそ、また前みたいに学校サボって街をふらつくか? 名実ともに問題児の仲間入りだな」
口をついた自虐に、思わず苦笑いを浮かべていると、来客を知らせるインターホンの音が耳に届く。
少しして、対応した母親が自室の扉をノックしてきた。
「光一。音虎さんが貴方に会いに来ているのだけど」
「……行動力の化身かよ」
密かに想いを寄せる少女のフットワークの軽さに苦笑するも、大人しく顔を合わせる気など俺には無かった。
「あー……なんか体調悪くてさ。悪いが帰ってもらってくれ」
「……そう。音虎さんに伝えておくわ」
母親が扉の前から去っていくのを感じながら、俺は瞳を閉じる。
アキラ達には悪いことしたな……
一方的に音虎の脱退を決めてしまったことを内心で詫びつつ、埋め合わせの方法について思いを馳せていると、自室の扉が開く気配を感じた。
「お袋? 少し疲れてるから、夕飯まで寝かせてくれ……」
目を閉じたまま対応していると、気配はそのまま俺が寝転んでいるベッドの端へと腰掛けていた。
「お袋? まだ何か用でも――」
「……疲れてるところ悪いんだけど、夕食までちょっとお話しようか? 神田くん?」
「………………はぁ!?」
聞き慣れた――それでいて自室ではまず聞く筈の無い声色に、俺は思わず飛び起きる。
「ね、音虎!? てめえ、なんでここに居やがる!?」
「それはもちろん、神田くんのお母様に事情を話して入れてもらったよ。私、神田くんのお母さんとLINE交換してるし」
「人のお袋と何してんのお前!?」
音虎の謎の人脈に俺が戦慄していると、彼女はズイッと俺に近づいてきた。
……今更だが、惚れている女とベッドの上に居るという状況に、俺は若干ドギマギしていたのだが……
「……神田くん。私、結構怒ってるんだけど?」
「……へっ?」
先ほどから感じていた、音虎から漂ってくる雰囲気の正体に俺はようやく思い至る。
俺は知らぬ間に、割とガチ目に少女の逆鱗に触れていたようであった。