139.真名看破
「――あっ、神田くん!」
「ったく……お前は誰かが見ていないと、何かトラブルに巻き込まれなきゃ気が済まねえのか」
ナンパ男達と音虎の間に割って入ると、俺は彼女の手を掴んで強引にその場を立ち去ろうとする。
邪魔をされた男達は不愉快そうな表情を隠さずに、俺と音虎を呼び止める。
「あぁ? なんだよテメェは?」
「関係無い奴は引っ込んでろよ!」
「関係者に決まってんだろ、空気読めよ。俺はこいつのバンド仲間だよ。女の顔は覚えてるのに、隣に居た野郎のツラには興味無いってか?」
俺は殊更低い声を出して男達を威嚇する。
睨みつけられた男達が怯むのを見て、俺は鼻を鳴らした。自慢出来ることじゃないが、人相の悪さには自覚が有るんでね。
「おーい、神田!」
「あっ、音虎さんも。二人が中々戻ってこないからよー」
そうこうしている内に、俺達を探しにアキラとダイチもやって来た。二人は俺と音虎の前に立っているナンパ男達を見て、怪訝そうな表情で声を掛ける。
「えーっと、そっちの二人は? ウチのメンバーに何か用?」
「……チッ、行こうぜ」
「お、おう……」
数の差が逆転してしまい、旗色が悪いことを察した男たちは、舌打ちをしてこの場を立ち去ろうとする。
ふぅ、これでひとまず何事もなく――
「……ケッ、男侍らせて良い気分になってるクソビッチが」
……去り際、男たちが音虎に向かって吐いた捨て台詞が、俺の耳にも届く。
「――ッ」
次の瞬間、俺は思考と視界が白く瞬くような感覚を覚えた。
それが大きすぎる"怒り"によるものだと理解するよりも先に、俺は音虎に暴言を吐いた男に向かって拳を振り上げていた。
「へっ?」
「なっ!? か、神田っ!?」
俺は別に何を言われようが、殴られようが構わない。
だが、音虎に対する今の言葉だけは……
この呆れるほどにお人好しで、善意の塊みたいな彼女を侮辱することだけは、絶対に許せない……!
「駄目っ! 神田くんっ!!」
「ッ!?」
男の横っ面に拳を叩き込む寸前で、少女の悲痛な叫びと背中に感じる温かい感覚が、俺を正気に立ち返らせた。
振り返ると、音虎が必死な様子で俺の背にしがみついていた。
「ね、音虎……?」
「私は平気だからっ! そんなことしちゃ駄目っ!」
「……お、俺は……」
一方で、未遂で済んだものの殴られる寸前だった男達は、腰を抜かして俺達の前から逃げ去っていった。
そのみっともない様子を見ても、溜飲が下がるどころか、俺の心は自己嫌悪と自分に対する失望でいっぱいだった。
俺は今、何をしようとしていた?
今ここで暴力沙汰なんて起こしたら、俺はともかく一緒にライブに参加していた仲間や音虎にまで悪評が付くと、どうして少しでも立ち止まって考えられなかった?
「……悪い、頭に血が上ってた。もう少しで皆に迷惑かけるところだった……」
「い、いいって別にそんなの。仲間があんな事言われたら、誰だって頭に来るさ」
「……すまん、先に帰るわ。次までに頭冷やしておく」
俺は逃げるようにその場を立ち去ろうとするが、音虎が俺の背中に不安そうな声色で話しかけた。
「か、神田くん……その、私……」
「……音虎は、アキラとダイチに立花の所まで付き添ってもらえ。大丈夫だとは思うが、さっきの奴等がまだ近くに居たら不味いからな」
彼女の言葉を最後まで聞く前に、俺は一方的にそう告げると足早にライブハウスを立ち去った。
湿度の高い夏の空気が、俺を暗い感情から逃がすことを許さないと告げるように、体に纏わりつく。
薄暗くなっていく空の下で、ぐるぐると自責の思考に囚われながら帰宅する。それはベッドで眠りにつく瞬間まで、俺を責め立て続けた。
……だが、俺の軽率な行いに対する本当のペナルティは、その翌日にやって来た。
「……うーっす」
音虎にどんな顔をして会えばいいのか分からず、俺は鬱々とした心持ちのまま教室の扉をくぐる。
「……」
「……あん?」
その瞬間、クラスの何人かが俺に対して視線を向ける。特に親しくもない奴等だったが、視線に乗るその感情には覚えが有って……
「やっ、コーイチ」
「……おう、新城」
爽やかな笑顔の新城が俺に声をかけてくる。
彼女の明るい空気に遮られるように、俺に向けられていた視線が霧散する。
「来て早々で悪いんだけど、一緒に自販機まで行かないかい?」
「はぁ? お前、突然何を……」
「まあまあ、HRまで時間はまだあるし良いだろう? オレが奢ってやるからさ」
「お、おい……」
殊更にニコニコと笑顔を浮かべる新城に、俺は強引に廊下へと引っ張り出される。
そのまま近くの階段脇の自販機へ……向かわずに、新城は人気の少ない屋上方面へと足を進める。
「おいっ! 一体どこに行くつもり……」
「……コーイチ、少し不味いことになってる」
周囲に人が居ないことを確認した新城が、先ほどまでの笑顔を消して、真剣な表情で俺へと向き直った。