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翌日。明星が出勤すると、西願はすでに自分のデスクに座り、優雅なティータイムを満喫していた。その隣、本来なら明星の席に、先客がいる。
栗色の長い髪をハーフアップにまとめて、時折、顔の前でひらひらと振る手の詰めには、ブルーのシックなネイルアートが施されている。
「おはようございます。あさみさん、早いっすね。」
「あら、おはよ。アンタも早いじゃない、偉いわねぇ。」
優し気な笑みを浮かべる彼女が救護課所属のあさみだ。あさみは西願の同期で、時折、こうして仲良さげに話をしている。
「そういえば、1週間前の化け狸の事件、後始末大変だったらしいわよぉ~。被害者が現実認めたくなくて揉めに揉めて大荒れ。迎えに来た奥さんは大泣き」
「あのおっさん、プライド高そうでしたもんね」
彼の中では、仕事ができ、部下からも上司からも慕われ頼りにされる優秀な自分。家に帰れば妻と娘が優しく出迎えてくれる。それが、現実だった。
しかし、夢から醒めれば、出世街道にも乗れぬまま、年下上司に無能と呼ばれ、家に帰れば妻と娘から邪険に扱われる、と本人談。
現実と理想との乖離。そこに付け入られたのだろう。
「なにが嫌な嫁よ。いい奥さんだったわ。被害者の代わりに頭下げて、"出世できなくても毎晩一緒に夕飯食べれたら充分よ"ですって!!頭が下がるのはこっちよね〜。特例として、その会話の記憶だけは残したわ。」
「さすがあさみちゃん。優しいわね~」
そう言った西願の顔は、愚かな人間もいたものだ、と物語っている。
「ま、そんな事より。ちょっと気になる話が上がってきたから、報告兼ての相談に来たんだけど、いいかしら?」
あさみはそう切り出すと早速話し始めた。
とある小学校に通う5年生男児が、ある日突然、誰かと話しているような独り言を言うようになった、と。
「イマジナリーフレンドって奴じゃないっすか?」
「それ、アタシも考えたのよ。でもね、どうも相手は女の子みたいなのよねぇ」
相手が女だと問題があるのだろうか、そう思っていると西願が補足をいれる。
「イマジナリーフレンドはね、同性である場合が多いのよ。それに、5年生で発現するのは珍しいわね」
「でしょ?そういうわけで、ちょっと調査してほしいのよ。アンタたち今なにも抱えてないでしょ。課長には言っといたから」
じゃあよろしくね、と資料を置いて去っていった。
「相変わらず仕事ってか、根回しが早いわね。…じゃ、早速だけど行ってみよ」
───────
捜査対象の名前は鴻上レン。
11歳になったばかりで、サラリーマンの父と専業主婦の母を持つ、至って普通の少年だ。症状は夏休み、8月の終わり頃からだそうだ。
母親の証言では、その《症状》については知らなかった。
セミロングの柔らかい髪が優しそうな雰囲気を醸し出す、柔らかな人。一人息子が可愛くて仕方ない、といった様子で、玄関にも数々の写真が飾られていた。
「何も、何も変わっていません。あの子に異変があればすぐに気づきます」
そう気丈にも言った母親は、言葉とは裏腹に自分を抱き込むように腕を組んでいた。
「イマジナリーフレンドなら、母親が知らないはずないわよ。よっぽど関心がないなら別だけど…そうじゃない」
二人は対象の通う学校近くの喫茶店で、放課後になるのを待つ事にした。
西願は紅茶とケーキ、明星はコーヒーをそれぞれ頼んだ。
「家では現れないイマジナリーフレンドって、どうなんですか?」
「うーん、私も詳しくないのよねー。でも、まぁ、珍しいとは思うわね。父親もアテにならなかったし、クラスメートにも聞き込みかけるか…」
母親から話を聞いた後、父親にも会いに行った。しかし母親同様、収穫はなかった。
『息子の事は、妻に任せております』の一言だ。
「虚者ですかねぇ」
アイスコーヒーのコップはすでに汗をかいている。氷がカランと音を立てた。
西願の頼んだショートケーキは、すでに苺を残すのみだ。
明星は、どうでもいいけど、ケーキって経費で落ちるんですか、と聞こうとしてやめた。
「可能性は高い、というかそれしかないわね。アポは取ってるし、まずは担任から行きましょうか。貴方は本人に当たってみて」
苺を大事そうに口に運ぶ西願。
「えっ」
「……なによ」
「逆じゃないっすかね……俺が子どもに声かけたら案件っすよ……?」
チンピラ風情とロリータ少女。どっちもどっち、かもしれないが、年が近い(ように見える)西願の方が、通報されるリスクは低い。
「どっち選んでも通報されるリスクはあるんだから。……警察手帳、首から下げとけばいいんじゃない?」
はぁ、と長めのため息をついた後に冷めた目でそう言われた。
「じゃ、解散」
明星は仕方なく、伝票片手に立ち上がった。