魔女のみつけた愛
12月25日、僕は魔女を愛した。
12月31日、魔女は愛をみつけた。
****Track 1
12月のイベントといえばクリスマスと大晦日と打ち上げだが、イベントに縁の無い男子高校生にとって、12月の最大で唯一のイベントが「期末試験」である。今年が終わるまで残り僅かであること、また大学入試前最後の期末試験であることから、先生たちはいつも以上に張り切って試験の準備に取り組んでいる。同時並行して生徒の顔に暗い翳りがさす。特に、野球部やサッカー部といったスポーツ系部活に所属する脳筋バカ達は、期末試験が明けた時に行う女の子達との打ち上げとデートで何とかモチベーションアップを図っている。その様子が見ていて哀れでしかない。猿の顔面にいくらご褒美をぶら下げても、猿は所詮猿である。
良からぬ思考が周囲に伝播しないように、手元の文庫本に視線を下げる。
今日は期末試験の初日。既に英語と生物の試験が実施され、残すは英文法のみである。周囲では、単語帳をめくりながらお経のようにブツブツと英単語を唱えている人がいる。
「お前は試験勉強をしなくていいのか?」
「さぁー?」
後ろの席に座るバスケットボール部部員の田中義明は僕の手元を覗き込みながら問いかけてきた。
「さぁー? お気楽な返事だな」
「Everything comes in handy when used correctly. 訳してごらん」
彼は友人と呼べるほどの仲ではないが、話すと悪い奴ではない。消しゴムを貸し借りする(主に僕が貸している。)仲である。
「は? もう一度いってくれ」
「Everything comes in handy when used correctly. ヒントはことわざ」
「えっと、ハンディは便利だろ、そしてコレクトリーは正しいだから…」
教室に試験監督を担当する先生が入ってきた。周囲が慌ただしく動き出す。
「はい、時間切れ。正解は『バカと鋏は使いよう』」
「バカと……おい、それはどういう意味だよ」
解答用紙が配られ始め、教室が静かになった。
試験が終了し、試験監督の先生が教室を出たところで教室内が騒がしくなった。
教室内の各所において、安堵や溜息が聞こえ、「オワッター(笑)!」の叫びが否応なく耳に入る。試験期間中は終礼を行わないので、早々と荷物をまとめて教室を出て行く生徒もいる。僕の後ろに座る義明もクラスのバスケットボール部部員に声をかけられて教室を出て行った。
試験の終了したお昼時の教室に用事のある生徒はいない。試験終了から15分も過ぎない内に、教室に残されたのは僕だけになった。
誰もいなくなった教室で僕はスクールバッグからスマートフォンとBluetooth接続式イヤフォンを取り出す。イヤフォンを耳に嵌めながら、スマートフォンのロックを解除し、動画アプリを開く。
「お、アップされている」
つい口から言葉が漏れてしまった。
僕には密かな趣味があり、それはバーチャル・シンガーを追いかけることだ。フォローしているシンガーは何人かいるが、推しは一人に決めている。バーチャル・シンガーとは、音楽活動しているVTuberの事であり、「Vシンガー」と呼ばれることもある。
新着リストにアップされた動画をタップする。
真っ黒な画面の中央にグラフィティ調で書かれた「魔女―音華」の文字が浮かび上がる。
彼女の新曲「えんとつのない街」を聞いた。
耳が幸せになる素晴らしい4分32秒を味わった。彼女の歌と声を聞くと心が浄化された気分になる。誰もいない教室で一人、バーチャル・シンガーの歌声にまったりする状況に若干、いやかなり、変な感じがするが、誰も見ていないので問題ない。
もう一回聞こうと思って、スマートフォンの画面をタップしようとしたところ、
「あ、あっ、あの」
イヤフォンをしているとはいえ、周囲の音が聞こえなくなる訳ではない。背後に人の気配も感じたので、右耳のイヤフォンを外して後ろを振り向く。
我が校の女子制服を着た、おそらく生物的に女性である人が立っていた。
「えっと、その、あ、あの、その」
しどろもどろに、というか、喋りにくそうにしていた。彼女がどんな人であるかを理解するためにももう少し様子を見ることにした。
「えっと、お、お」
「お?」
「お、おん、音楽は、好きですか?」
最後の方は声が小さくなっていたのでよく聞き取れなかったが、聞き返すまでもなかった。
「うん、まー、人並みにね」
彼女の質問に対して、無難な回答をしてみた。初対面の人にバーチャル・アイドル『音華』の曲が好きですとはさすがに言えない。
「そ、そ、その、ど、ん、どう」
「ちょっと、音楽を流していい?」
僕は彼女の言葉を途中で遮った。はっとした彼女は、小さくうんと頷いた。
「そうだな、どんな曲にしようかなー」
スマートフォンのミュージックアプリに保存されているプレイリストに素早く目を通す。彼女にどんな曲が好きかを尋ねても、回答が得るまでしばらくかかるかもしれないので、ここは自分の判断で曲を選ぶ。
時々家に帰ってくる父親こと将嗣の言葉を思い出した。『相手が気持ちよく話している時にたくさんの情報を引き出せる。その努力は惜しむな。』僕はこの見知らぬ女子生徒に対して、彼女話しやすいように働きかけをしている訳だ。
「教室には僕たち以外いないから音を流しても大丈夫でしょ」
うんと再度頷く彼女を見て、僕はスマートフォンを操作してイヤフォンの接続を解除し、ミュージックアプリの再生ボタンを押した。
スピーカーから柔らかいピアノとドラムの音が流れ出た。
「それで、僕に何か用かな?」
改めて彼女に向き直る。彼女のブレザーの襟に着けた学年章から僕と同学年であることはわかった。長い黒髪を肩まで垂らし、途中で二つに分けている。僕は着席したままなので彼女を見上げているが、立ち上がれば僕よりも10センチ程度背が低いだろうか。見知らぬ顔なので、少なくとも同じクラスの生徒ではない。全校の女子生徒の顔と名前を一致させていると豪語する義明がここにいれば、彼女が何者であるかわかると思うのだが、残念な事に彼はこの場にいない。
「今、音華の新曲を、聞いていたよね?」
「うん」
彼女の話し方に違和感を覚えた。
「どう、思った?」
「新曲のこと?」
「うん」
「良かったよ。君は、もう聞いたんでしょ?」
「えっ、あー、うん。久しぶりの、カバー曲で、えっと、『プルルとコロの大冒険』の映画の主題歌で、やさしい、絵本のような世界観を優しく歌っていて、」
彼女はしどろもどろな様子から一転して、饒舌に音華の新曲について語った。彼女の饒舌を聞きながら、違和感が確信へと変化した。
「あのー」
彼女の話を遮るように、少し大きな声を出してみた。
「あっ、はい、すみません、どうぞ」
「ありがとう。君の名前を教えてくれるかな? 僕は石狩正太郎」
「あ、うん、七野琴音といいます。よろしくお願いします」
琴音は小さくお辞儀をした。
「そこまで畏まらなくていいよ。それより、一つ、いや、二つ聞いていい?」
「何でしょうか?」
僕は机の上でピアノやドラムスの音を流している自分のスマートフォンを指さす。
「この曲、今まで聞いたことある?」
「えっと、うーん、無いです。ピアノのリズムが現代的でカッコいいですね」
彼女の返答に気になるところがあったが、すかさず用意していたもう一つの質問をぶつけてみた。
「音楽に合わせて話しているでしょ?」
はっという冷たくなった彼女の声を聞いた。スマートフォンからBGMを流し始めた瞬間から琴音の言葉数が一気に増えた。それだけではなく、琴音は音楽のリズムに合わせて会話をしている。最初は、僕も同じ曲を聞いているため、そのように聞こえてしまったと思っていた。ただ、思い返してみると、初めて彼女が僕に話しかけてきた時、僕は左耳にイヤフォンを差したままでいた。その時イヤフォンから音楽が流れていたのだが、その時の琴音は誰もがわかるくらいに話しづらそうにしていたし、リズムなんてなかった。
数回の呼吸音の後、琴音は口を開いた。
「気持ち悪い、ですよね」
「ん?」
「ごめんなさい、もう、二度と会話しませんから」
琴音は一歩、二歩と後ろに下がる。
僕は離れていく琴音の白い手首を掴んだ。
「え?」
後に振り返れば、この行動は僕の人生の転機となるだろうが、行動を起こした瞬間は未来のことについて一切考えていなかった。
「あー」
座っている姿勢から離れていく手首を掴もうとしたため、大きな音を立てながら机と椅子を動かしてしまった。机の上にはスマートフォンと愛用のシャープペンシルが乗っていて、幸いにスマートフォンは落ちなかったが、シャープペンシルは机の上から転げ落ち、コロコロと僕の足元まで転がってきた。
「急に掴んで悪かった」
琴音の手を優しく放す。彼女は俯きながら掴まれなかった右手で左手の手首を押さえている。
「その、なんだ」
これは初対面の人に言う言葉じゃないだろうなと思いながら、脳内に浮かび上がった言葉を口に出す。
「行かないで欲しかった」
琴音はピクッと震えた。
「君ともう少し話していたかったんだ。それに、君のような熱意のある音華のファンは少ないからね」
最後の一文はおどけるように言ってみた。
琴音はゆっくりと顔をあげた。
「お腹が空きました。ご飯を食べに行きませんか?」
教室の時計は午後2時を指そうとしていた。今日の試験が終了してから一時間が経とうとしている。
今朝、家を出る前に確認した天気予報では「今日は12月らしい天気になります」と書かれていた。12月らしい天気とは、暑いのか寒いのかわからない。
「ぶー、寒い」
コートのポケットに手を突っ込みながら昇降口から出る。琴音は耳を覆うほどの大きなヘッドフォンをしながら後ろから出てきた。
「イヤフォンを、スマートフォンに接続したい」
ブレザーのポケットから愛用のイヤフォンを取り出し、Bluetoothのペアリングを起動させる。琴音は自分のスマートフォンを操作して、僕のイヤフォンと接続した。これで周囲に音を漏らすことなく、音楽を聞きながら会話ができる。
左耳にイヤフォンを差し込むと、音量を抑えた陽気なクリスマスソングが聞こえてきた。
「これからどこへ行く?」
「なんで、教室に残っていたの?」
僕の問いかけに対して質問で返された。仕方ないので、僕から質問に答える。
「買い物をしようと思っていたんだ」
「買い物?」
「スーパーの特売が2時からなんだ」
ちらっと腕時計を見る。スーパーの特売が始まってから15分が経過している。
「行こう」
「どこへ?」
「その、スーパー」
出会ってから一時間程しか経っていないが、彼女は控えめな性格を表しながらも押しの強い面も見せている。
「いや、いいよ。急ぎでもないし」
琴音はすたすたと先を歩く。
「どっち?」
数歩先を歩いたところで、彼女は振り返った。
琴音の意思に反対してまで行きたいところがあるわけではない。
「こっちだよ」
琴音が進んだ反対の方向へ僕は足を向けた。
****Track2
クラスメイトでもない人とスーパーへ行くのは不思議な気分だ。そもそも、今まで学校関係者とスーパーへ行ったことが無い。昼下がりに制服姿の男子高校生と女子高校生が共にスーパーの特売コーナーを物色していたら、スーパーへやってきた専業主婦のみなさまはどのように思うだろうか。
変な方向へ思考が行きそうなところで、琴音のスマートフォンからイヤフォンを通して流れるクリスマスマスソングが、思考を現実に引き留めてくれる。
冷蔵庫の中身を思い出しながら、必要なものを手早く買い物カゴに入れていく。夕飯がいるかどうか将嗣に聞いていないが、残り物は明日の昼飯にしてもいいだろう。時々、琴音が値引きのモヤシやニンジンを探してきて、カゴの中に入れてくれる。
レジで会計を済ませ、買い物袋を提げながら琴音と共にスーパーから出た。
「ぐぅ~~」
視界の斜め下から低い音が発生した。
「ごめん、お腹が空いた」
「まるで怪獣が住み着いているみたいだね」
「もう」
琴音は僕の脇に小さなジャブを入れる。
「それにしても、お腹が空いたね」
「うん、お腹が空いた」
琴音が卵とベーコンをカゴに入れていたことを思い出した。もちろん、それらの購入代金は僕が支払った。
「家で、」
発言を思い直して口を噤んだ。琴音には琴音の用事や都合がある。
「ショウタロウの、家に行きたい、です」
「ん?」
琴音の艶のある白い頬が微かに赤くなる。
「ショウタロウの、」
「家で昼ご飯を食べにくる? 今誰もいないと思うから」
「うん!」
徒歩10分ほどで、落ち着いたベージュ色の外装を持つ二階建て一軒家にやって来た。この家は、僕の高校進学と将嗣の異動のため、フランスから日本へ帰国した時に一時的な生活拠点としていたマンスリーマンションでの会話で購入を決定することになった。つまり、将嗣「正太郎、家は必要と思うか?」僕「毎回の引っ越しは大変だからね」将嗣「二年くらいしたら、俺はまた海外赴任になるぞ」僕「その際は家を倉庫代わりにすればいいと思う」将嗣「それはいい考えだな、よし家を買おう」。
鍵を挿入しながら、あることを思い出した。後ろにいる琴音に大切なことを伝えた。
「ちょっと驚くかもしれないけれど、覚悟してくれ」
「えっ、どういうこと?」
僕はゆっくりと玄関を開ける。
「ひぃ、うわっ!」
玄関へ入ると、般若のような顔が彫り込まれた、高さが一メートルくらいある木の支柱が鎮座していた。
「何、これ?」
「トーテムポール。将嗣、父がアラスカの山奥へ行った時、現地の人からもらったらしい。ちゃんとした文化財だよ」
「へー」
琴音は物珍しそうにトーテムポールを眺める。
「上がりな。さっそく何か作るから」
****Track3
琴音が我が家に来てから、彼女と一緒に過ごす時間が増えた。最初は一緒に本屋へ出掛けることもあったが、琴音は音楽を聞きながらじゃないと話しづらいから、自然と僕の家に来るようになった。
期末試験最終日、試験と試験の間の10分間休憩中に、古典文法の教科書を怖い形相でにらみつけている義明に声をかけた。
「はぁ、ナナノコトネ・・・?」
全女子生徒の顔と名前を一致させるために、脳のエネルギーを割いているといっても過言ではない義明に琴音のことを尋ねてみた。
「あ~、アイツかー、確か三組の子だよ」
どうやら今日も義明の有用性を確かめることができた。
「あまり学校に来ていない子じゃなかったかな」
義明はうーんと唸り声を上げる。彼の脳内データベースでも、不足している情報があるようだ。
「そう、教えてくれてありがとう。勉強に戻っていいよ」
「あっ、思い出した」
「ん?」
訝しげに彼の明るくなって顔を見つめる。
「七野さんは、胸が小さかった」
バシン。義明の後ろに座る女子生徒が彼の頭を教科書で叩いた。
義明から琴音についての有力情報を得ることができないまま、人通りが少なくなった午後1時15分の校門前で琴音と合流した。
「お待たせ」
琴音は厚く巻いたマフラーの中で小さく頷いた。
「今日も家で昼ご飯食べる?」
またうんと頷いた。
「じゃあ、行こうか」
我が家へ向かって歩き出した。
今日は寒いためか、それとも後でたくさん話ができるからか、琴音は黙々と我が家へ向かって歩いている。
教室でバーチャル・シンガーの動画を見ていたことをきっかけに交友関係を成立してから一週間が過ぎようとしている。その間、彼女の趣味は音楽だけでなく文学やアニメ、ゲームまでに及んでいることを知った。僕と趣味が共通するところもあったため、一緒に過ごしていても気疲れをするようなことはない。
この長いとはいえなくても、短くない関係の中で僕は琴音について何を知っていて、これから何を知りたいのか、考えることが無いわけでもなかった。手の届くところに誰かがいることを感じながら、家へ向けて歩き続ける。
ポケットから鍵を出して扉を開ける。何度か我が家へ訪れているので、琴音は玄関にあるトーテムポールに驚くことは無くなった。時々、トーテムポールに帽子が乗せられていることがあり、その様子を見てクスっと笑う始末である。ちなみに、帽子を乗せたのは将嗣である。
慣れた様子で琴音は我が家へ上がり込む。荷物を降ろすために、リビングルームへ入ると、壁に据え付けられた本棚を物色している背広姿の男性がいた。
「ハロー」
朝でも夜でもこの人の挨拶はいつも「ハロー」(「ハ」にアクセントを置いた日本語っぽい発音。)である。相手国の首脳の前でこんな挨拶をしないだけましだと思うようにしている。
「将嗣、家に帰っていたんだ」
「またすぐ本省へ戻るけどな」
「昼飯は?」
「食った。外に干していた服を取り込んだぞ。洗濯機に入っているのを洗っておいてくれ」
「了解」
将嗣は本棚から数冊の本を抜き取り、それぞれ中をパラパラとめくってから、自分の仕事鞄の中に突っ込む。そして、僕たちへ向き直る。
「あっ」
僕の後ろに隠れていた琴音をそっと将嗣の前に押し出す。
「えっと、あっ、その、えー」
しどろもどろになる琴音の横をすり抜けて、リビングルームに置かれたステレオシステムの電源を入れる。その様子を見た将嗣は微かに眉を上げる。スピーカーから緩やかな楽曲が流れ出た。
「えっと、はじめまして、七野琴音といいます。お邪魔しております」
将嗣は人と会う際の優しい表情を浮かべる。
「石狩将嗣だ。よろしく、七野琴音さん。君は正太郎と同級生だね?」
「あっ、はい。クラスは違います」
将嗣はローテーブルに置かれた、開きっぱなしのCDケースを手に取る。
「音楽は好きかい?」
「はい」
「そう」
将嗣は床に置いた仕事鞄を手に取る。
「七野さん、今日は話せてよかったよ。ゆっくりしていってくれ」
玄関へ向かって歩き出した。リビングを出ようとした際、将嗣は手に持っていたCDケースを僕に押し付けた。
「今夜は帰って来られないかもしれない」
将嗣は家を出て行った。
玄関の閉まる音を聞いて、張り詰めていた気を一気にガス抜きするように、琴音はソファに倒れ込んだ。
「お疲れ様」
キッチンで汲んできた水を差し出した。
「ありがとう」
琴音はグラスの水を飲みほした。
「ねぇ、聞いていい、将嗣さんはどんな仕事をしている人なの?」
「外交官。本人曰くものすごく優秀らしい。この部屋にある本はほとんど将嗣が集めたものだよ」
僕はいっぱいに本が詰め込まれている本棚を指差した。
琴音はふーんと納得したように頷いた。
****Track4
期末試験最終日からテスト休みという名の休日を4日間過ごすと、テスト返却と終業式がやってきた。テスト休み中も琴音と何度か会った。
終業式の翌日は12月24日である。
学校へ行く日と同じ時間に起床して朝食を食べる。普段であれば、着替えて学校へ向けて出発をしているが、今日から冬休みなので自室へ戻る。音楽を聞きながら、タブレットで新聞を読み、ゆったりとした午前中を過ごす。朝食の時に淹れたコーヒーが無くなったので、補充するためにキッチンへ降りた。リビングルームに将嗣がいた。彼の足元に大き目な旅行鞄があった。
「ハロー」
いつもの変な挨拶をする。
「まだ仕事へ行ってなかったの?」
「これから行く」
「コーヒー飲む」
「少し貰おうかな」
キャビネットから小さめなカップを取り出し、コーヒーを注ぐ。
「はい」
リビングルームに突っ立っている将嗣にカップを渡す。
「飲み終えたらすすいでおいて」
僕は自分のマグカップに淹れたコーヒーを持って自室へ上がろうとする。
「おい、正太郎」
「何?」
「今日から冬休みだろ。冬休みの予定は?」
「うーん、無い、かな」
琴音と会う他に予定はない。
「将嗣はこれから出張?」
「そうだ。欧州がごたついていてね、帰国は来年になる予定」
「柚絵さんは?」
柚絵は僕を生んだ後、将嗣と離婚して独身生活を送っている。離婚したとはいえ、二人は新婚夫婦のように仲が良く、お互いのところへ頻繁に行き来している。柚絵は将嗣と違って大手商社で勤務しているが、同じように世界中を飛び回っている。そのこともあって、柚絵は我が家を倉庫代わりにして荷物を預けている。
「柚絵とロンドンで会う約束をしている。だから、あいつも年末は日本にいないから、家のことはよろしく」
どうやら大人の遠距離恋愛は国境を越えるらしい。
「わかった。バイバイ」
僕は力なく右手を振って、将嗣に別れの挨拶をする。
「なぁ、正太郎」
将嗣は少し考えてから、ステレオシステム横の本棚へ行き一枚のCDケースを引き抜いた。
「この前、七野琴音が来た時に流していた曲だろ」
将嗣は引き抜いたCDケースの表面を僕に見せた。音華のファースト・アルバムだ。
「うん、そうだけど……」
僕と将嗣は、世の中の少数派になるだろうが、親子で趣味が共通している。将嗣は文学や美術について理解があるし、アニメもたくさん見る。廊下にお気に入りのイラストレーターが作成したオリジナルイラストのタペストリーを飾っている。バーチャル・シンガーやアイドルについて、詳しくはないが存在を認知している。
「この歌い手さんと七野さんの声、似ているな。いや、そっくりだ」
「…………将嗣もそう思う」
初めて琴音に出会った時から、彼女の声が音華に似ていると感じていた。
教室で琴音が声を掛けて来た時、僕は彼女が話しやすいようにスマートフォンから音楽を流した。その時選んだ曲が、音華のセカンド・シングルに収録された楽曲のインストルメンタル版だった。彼女の声が選んだ楽曲とぴったり合ったので、びっくりし、偶然と思った。それから何度かBGMとして音華の曲を選択しているうちに、疑惑が徐々に確信へと変わった。琴音が音華のオリジナル曲を口ずさむところも目撃した。
「お前もそう思っていたのか。そして、本当のところは知らないと」
「うん」
「まぁ、人の声が似ているかどうかなんてよく分からないからな。KGBでそういう訓練をしていたらしいけどな。それより、もう一つ」
「何?」
「女の人を泊めるのはいいが、悪いことはするなよ」
「……」
「バレていないと思ったな。隠ぺい工作で俺の目を欺くには十年早い」
「いや、隠していた訳じゃないけど…」
これはまるで言い訳をするみたいだ。将嗣は琴音が家にやって来たことも知っているし、実際に彼女に会っている。
「どうせ、七野さんだろ。泊めるなとは言わない。悪いことはするなと言う」
「えっと、なんで分かったの?」
積極的な隠ぺい工作をしていた訳ではないが、彼女が泊った時はちゃんと後片付けをしている。三日連続で家に帰ってこないこともある将嗣が家の様子を詳しく知るはずがない。
「知りたい? せっかくだから教えてあげよう。冷蔵庫の中の食糧の減りが早い」
琴音が泊りに来る日は、いつも一緒にスーパーまで買い物へ出掛け、必要な分だけの食材を購入している。残り物は翌日に消費しているので、証拠らしい証拠は無いはずだ。
「ポイントは飲み物だな。水や牛乳、ジュースのボトルは普通に生活をしていて一気に飲み干すことは無いから、二日三日は冷蔵庫に残るんだよ。ちゃんと計ってないけど、俺が居ない間にたくさん減っているとなんとなく思ったのさ。それに、ゴミ箱だ」
「ゴミ箱?」
「風呂場のゴミ箱からこの家の人物でも、柚絵でも無い髪の毛が発見された」
「……ゴミ箱の中を見ているの?」
「職業病だ、気持ち悪い顔をするな。ゴミ箱の中を見ればその人の生活状況がなんとなくわかるんだ。これもKGBを退官した人から得た豆知識さ」
「その豆知識を実の息子の生活状況を知るために使うな」
「すまん、すまん。さて、そろそろ行くか」
将嗣は一度キッチンへ行って使用したカップをすすぎ、僕のいるリビングルームへ戻ってきた。
「今夜から日本にいないから先に言っておくわ。メリークリスマスとハッピーニューイヤー、アンド、今年もよろしく」
クリスマスは明日で、元日は一週間後である。
将嗣は足元の旅行鞄を持ち上げる。
「じゃ、行ってくるわ」
「将嗣」
「なんだ?」
「何のために生きているの?」
将嗣は一瞬考えるそぶりをしてから、
「女のため、いや、正確には柚絵のため。柚絵のことが好きだからね。そのために俺は仕事もするし、飛行機にも乗る。お前のことは二の次だな」
「はぁー」
「男でも女でも好きな子は大切にしろよ。そして悪いことはするな。後は任せた、Bye-bye」
将嗣は家を出て行った。手に持っていたマグカップの中のコーヒーは冷めていた。
昼過ぎに琴音が家にやって来た。
「迎えに行けなくてごめん」
「いいの、道わかるから」
琴音はいつものと違って、大きなスポーツバッグを背負っていた。
「今日、泊っていい?」
「いいよ。将嗣は今日から出張で家にいない」
「いつ帰ってくるの?」
「来年らしい」
「そう」
クリスマスソングを流していたリビングルームへ入る。
「明日、予定ある?」
「いや、無いけど」
将嗣にも言わなかったが、琴音と一緒に過ごすという予定以外は無い。
「よかった。明日、一緒に行きたいところがある」
琴音は持参したスポーツバッグを開け、中からサンタクロースが被るような赤い三角帽子を取り出し、自分の頭の上に乗せた。
「明日は忙しくなるから、今日クリスマスしよう。メリークリスマス」
「一日早いけど、メリークリスマス」
電車を降りたら隣にいる琴音が自分の腕を僕の腕に絡めてきた。彼女の大きなスポーツバッグは僕が背負っている。
「迷子にならないでね」
少し引っ張られながら、僕は琴音と共に改札を出た。
自宅の最寄り駅から20分程度電車に乗ってたどり着いたのは都心の繁華街。クリスマス当日だけあって、駅前のスクランブル交差点にものすごい数の人が行き来している。
「こっち」
いくつかの角を曲がったところでたどり着いたのは、ある雑居ビルの前だった。
「ここ」
琴音に腕を引っ張られながらビルの中へ入り、エレベーターで三階へ上がる。
エレベーターを降りると直線の廊下があり、突き当りに扉があった。琴音と共にその扉をくぐる。
「メリクリ、音華ちゃん」
「おはよう、音華」
部屋へ入ると茶髪をボブカットにした女性と背の高い女性が迎え入れてくれた。
「静澄さん、春姉ちゃん、おはようございます。メリークリスマスです」
琴音に「春姉ちゃん」と呼ばれた背の高い女性は、入り口で突っ立っている僕へ近づいた。
「ふーん、君が音華の選んだ人ね」
まるで値踏みされるような視線を向けられる。
「春姉ちゃん、だめ」
すかさず、琴音は僕の腕に抱き着いて春姉ちゃんから引き離す。
「ショウタロウ、私から離れないで」
「うん」
琴音の強い口調に頷くしかなかった。
「鞄貸して」と言って、琴音は僕の肩から自分のスポーツバッグを取り、近くのテーブルの上に乗せる。それからスポーツバッグを開き、中から赤や緑といったクリスマスカラーに包装されたパッケージを四つ取り出した。
「これ、春姉ちゃんにクリスマスプレゼント、静澄さんもどうぞ」
「ありがとう」「わーい」
「愛世羅ちゃんとブーさんは?」
「二人はまだ来ていないよ」
「下の部屋空いていますか?」
「空いているよ」
「ありがとうございます。ショウタロウ、行こう」
僕は琴音に引っ張られるようにして部屋から出た。エレベーターで二階へ降りて、「控室1」という札を扉に貼り付けた部屋へ入った。
「あ、ありがとう。一緒に来てくれて」
「うん」
「まだいられる?」
「うん、今日は琴音のために一日空いているよ」
「うん」
琴音の頬が微かに赤く染まる。
「あのね、大事なことを、話したいの」
琴音はスポーツバッグを開いて、昨日発売された音華のサードアルバムを取り出した。
「私、音華なの」
「うん…………やっぱり」
音華こと琴音は不思議そうな表情を浮かべる。
「あまり、驚いていないの?」
「いや、驚いているよ。ただ、その、昨日、将嗣に言われたんだよ、『琴音は音華』の可能性があるってね。それに、会った時からなんとなく思っていたよ」
「将嗣さん、気づいていたの!?」
「うん、この前、期末試験の最終日に将嗣に会ったでしょ。その時、似ていると思ったんだってさ」
「すごい」
「単なるはったりかもしれないけど、将嗣のことだからね」
世界中の諜報機関とコネクションのある外交官の考えていることはわからない。
「そう、なの」
「一つ、僕から聞いていい?」
「何?」
「上にいた、二人、静澄さんと春さんは、」
「その話は後で、教える。まだ、私の話、大切な話は終わっていない」
琴音はすうっと、息を吸い込む。
「私はショウタロウのことが、好き」
「僕も琴音のことが好き、愛している」
準備をしていなくても、この時言うセリフは決まっていた。
琴音の顔がぱっと朱色に染まった。自分の顔も火傷したように熱くなっている。
琴音は腕を広げて一歩二歩と近づいてくる。
「おい、押すな」「今中へ入ったら、修羅場?」「音華ちゃん、かわいい」「私たちの正体バレたよね?」
扉の向こう側が騒がしい。
僕は琴音と目を合わせた。彼女は気まずいと恥ずかしいを混ぜ合わせた表情を浮かべている。
「開けてあげようか」
「うん」
僕は扉の把手を回すと、ドタバタと四人の女性がなだれ込んできた。四人のうち二人は既に顔を合わせている。
「お姉ちゃんたち、何しているの?」
琴音は暗い表情で四人を見下ろす。
「すまん」「不可抗力」「てへぇ」「巻き込まれました!」
先に立ち上がった春さんは僕に向かってにこやかな表情を浮かべた。
「私たち五人揃ったところだし、自己紹介をしようか、少年。私は春篝だ」
この日は、音華たち五人のバーチャル・シンガーのライブストリーミングの日だった。それぞれ自己紹介をして、しばらく雑談をしていたところで時間になり、五人はリハーサルへ行ってしまった。
二時間くらいしたところで、静澄がやって来た。
「みんなのご飯買ってきて。これが買い物リスト、こっちがお金」
静澄は文字が書かれた小さな紙とお金が入った茶封筒を渡した。
「早く買ってきてね」
静澄の後ろで琴音は申し訳なさそうにしていた。
「行ってくるよ」
琴音とすれ違う際に、「頑張ってね」「うん、ありがとう」と囁き合った。
部屋を出て、扉を閉めたところで、中から静澄の「いいなぁ、彼氏欲しい~」という声が聞こえた。
夜8時から音華たちのライブストリーミングが始まった。僕は地下一階にある録音スタジオのコントロールルームの隅っこで様子を見ることが許された。
「君も魔女たちの声に魅了された一人か」
隣にセーターを着た大柄な男性が着席した。録音スタジオへ入る時、音華たちのプロデューサーと紹介された。
「お仕事の方は?」
「エンジニアのみんなが頑張ってくれているから、俺はここでゆっくり聞いていればいいのさ」
インターネットというサイバー空間に音華というバーチャル・シンガーが生きている。そして、現実という空間では琴音という女の子が生きている。
12月25日、僕はサイバーと現実を行き来する歌の魔女を愛した。
****Track5
クリスマスのライブストリーミングを終えた後も、僕と琴音は一緒に過ごした。学校が冬休みであることや将嗣が海外出張中であることから、琴音は毎日のように我が家へ泊りに来た。
音華以外のバーチャル・シンガーとも面識を持つことができたため、6人で都心へ遊びに行くこともあった。(その時は僕が強制的に荷物持ち係にされてしまった。)
また、音華の母親に面会する機会があった。将嗣のことを琴音の母に伝えたところ、少し思案顔になってから、以前将嗣と出会ったことがあるようなことを話した。
12月28日の夕方に僕は将嗣へメールを送った。メールには、電話をしたいと書いた。数時間後に「12月31日JST18:00、お前から掛けろ」と書かれた短いメールが送られてきた。
クリスマスから一週間が経ち、僕は音華たちのレコーディングが行われた雑居ビルへやって来た。隣には琴音がいる。
この日は12月31日、大晦日だ。明日公開するPVの最終チェックと今年最後のライブストリーミングを行う予定だ。午後六時五分前に僕はそっと録音スタジオから出て、廊下の突き当りにある休憩室へ入った。
スマートフォンにインストールした通話アプリを開き、将嗣へ発信する。数秒後に繋がった。
「もしもし」
『正太郎か、どうした』
「今いい?」
『大丈夫だ。こっちはロンドンの朝九時。ロンドン市民なら年越しに向けて準備をしているところだよ。今ホテルで柚絵と一緒に来年の欧州情勢を予想している』
それは仕事しているという意味なのか、それとも暇なのかよくわからない。
「あのさ、今度帰国した時、琴音、七野琴音に会って欲しいんだけど」
『ナナノ……あー、あの子ね。そういえば、俺の予想合っていた?』
僕はまだ音華の正体について将嗣に伝えていなかった。
「うん、合っていたよ。さすが現役外交官」
『いやー、照れるなー』
「それで、会ってくれる?」
『一度会っている人にもう一度会わないといけないのか。どんな顔をして合えばいいんだ?』
僕はすっと息を吸い込んだ。
「僕の未来の結婚相手に会う時の顔をして欲しい」
『…………お前、本気か?』
「うん、本気」
『なぁ、実の息子の未来の結婚相手に会う時の顔って、どんな顔だ?』
「それは自分で考えて欲しい」
スピーカーの奥から微かに物音と柚絵の声が聞こえた。
『そうだ、良いこと考えた。柚絵に行ってもらおう』
自分ができないことを他人に任せる魂胆らしい。将嗣と柚絵がごそごそと何か話し合っている間に休憩室の扉が開いた。リハーサルに一区切りをつけた琴音が、僕を見つけにきたのだ。
「ごめん、今将嗣と電話中」
「うん、待つよ」
『おい、正太郎。そこに七野さんがいるんだろ、電話を代われ』
休憩室の扉の近くに立つ琴音にスマートフォンを差し出した。
「将嗣が代わってほしいって言っている。ロンドンから」
琴音は不思議そうな顔を浮かべながらスマートフォンを受け取り、スピーカーに耳を当てる。途中で顔を真っ赤にしながら、二言三言話した後、琴音はスマートフォンを返してくれた。
「もしもし、代わったよ。どんな話をしていたんだ?」
『本人に聞け。状況はわかった。お前、本気なんだな』
「本気だよ」
『一度落とした女からは、なかなか離れられないぞ』
将嗣が言うと説得力がある。離婚してもなお、将嗣と柚絵は仲がいいのだ。
「うん、そんな予定は無い」
『そういうことは本人に言ってやれ。それじゃ、Happy New Year, Bye-bye』
将嗣側で電話が切れた。
「ごめんね、変な話を聞かせて」
どんな話かわからないけれど、間違いなく変な話しだ。
「ううん、大丈夫」
琴音の頬がまだ少し赤い。
「後でスタジオに来て欲しいって、神橋さんが言っている」
神橋さんは先日会ったプロデューサーである。
「うん、わかった」
しばらく談笑をしたところで、僕たちは録音スタジオへ戻った。
琴音はすぐにレコーディングルームへ入る。既に春篝さんたちがいた。
「正太郎くん」
僕は神橋さんに声をかけられた。
「ちょっと一緒に来てくれる」
神橋さんの先導で僕たちはスタジオの隣の会議室へ入った。
「君に聞きたいことがある」
「なんでしょうか?」
「来年はどんな一年になると思う?」
「それは、僕個人のことですか? それとも世界情勢について? それとも、」
「君が好きに答えていいよ」
ちょっと考えてみた。
「来月から大学受験が始まります。もちろん、僕もその受験競争に乗ります」
今月は琴音と一緒に過ごす時間が長かったが、日々の勉強を怠ることはなかった。放任主義なところがある将嗣は、落第しなければ報告不要ということで、僕の進学先について口出しをしてこない。
「ただ、琴音、音華と出会って、学業以外についても考えるようになりました」
「どんなことを考えたんだい?」
「ちょっと、言うのが恥ずかしいんですが、『愛』だと思います。実の父親が以前言っていましたが、外交官は人を愛す仕事だそうです。僕もそういう仕事をしたいと思っております」
神橋さんは一旦視線をテーブルの表面へ向けてから、僕へ向き直る。
「君も音華も純真に愛を語ろうとする。僕はそれにほだされて新しい曲を書いてしまうんだ」
神橋さんは持参したノートパソコンを開く。
「君にこれを聞いて欲しい。音華の新曲だよ。そして、タイトルをつけて欲しいのだ」
「タイトル、ですか?」
僕の疑問に答えず、神橋さんは再生ボタンを押した。
「神橋さん、」
音楽が終わったところで、僕は向かいに座る神橋さんに尋ねた。
「僕はいつまでも、魔女の側にいられると思いますか?」
眉を微かに上げる神橋さんを見て、僕は会議室を飛び出した。ちょうど琴音がレコーディングルームから出てきた。
僕は彼女を強く抱きしめた。
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1月1日先行配信
音華/ニューシングル「魔女のみつけた愛」




