鯛と蜜柑
毎度馬鹿馬鹿しいお話を一席。
時は安永、師走の候。
改元が功を奏したか、先の明和の『明和九年の迷惑年』より一転、元号の名の如く、寿安永寧おだやかに時が過ぎ、年明けまであと五日ばかりを残す日の出来事。
一.奉公成立
気の早い冬の陽が暮色を漂わせはじめる八ッ半刻、一人の若者が寺を訪う。
「ごめんくださいやす。和尚様、今年も注連飾りをお持ちしやした。どうぞお納めくだせえ」
「おお、一郎殿。毎度有難い。ほぉ、また見事な。仏様もお慶びになるじゃろ」
「ありがてえことでごぜえます」
この一郎、農民ながら手先が器用で、自宅で編んだ縄やら、野辺で拾った草花やら、端切れやらを活用し、夏は七夕飾り、冬は注連飾りを夜なべで作り市へと売りに出る。
なかなかの定評につき、特に作物の育たぬ冬の時期、年越しのよい足しになる。
『売れ行きのよさも神様仏様のお陰』と、通り道の寺のために一つ取り置きし、帰りがけの奉納を慣わしとしている。
「一郎殿、少しばかり時間をくれんかの。実は一郎殿に会いたいという御仁がおるんじゃ」
なにやら和尚が小坊主に耳打ちし、小坊主が使いに走る。
「それとな、一郎殿、侍になるのはいかがかの」
「お、おらがお侍に?!」
「一時的になのじゃが。ま、しばしお待ちくだされ」
-おらに会いたい人がいるとか、侍になるとか、和尚様、なんだってんだ?
四半刻もたたぬうちに、小坊主は一人の侍を伴って戻った。
「失礼つかまつる。立花正之進にござりまする」
「おぉ、立花殿、ご在宅じゃったか。これはよい。よくおいでなすった。例の一郎殿がここにおる故」
侍と見て、慌ててひれ伏した一郎が、面をあげると、まるで鏡があるかのように、自分の顔がそこにある。
なんと一郎と立花正之進は瓜二つ。
にんまりと笑う和尚。
「お初お目にかかり申す。いやはや、此程までとは…」
「お武家様にお声がけいただけるとはもったいねえことでごぜえます」
一通りの挨拶ののち、とっておきのいたずらを打ち明ける童子のごとき表情で正之進がこう宣う。
「卒爾にて失礼かと存じまするが、一郎殿、そなたにお願い申す。
それがしは、そなたと成り変わりをしてみたいのじゃ」
なんでも、正之進は勘定奉行に代官見習いとして仕官しており、住民の九割方を占める農民達の生活向上こそが国の発展、と考える。
だが、検地に出れば、庄屋に下にも置かぬもてなしを受けるばかりで、庶民の実態に触れることができぬ。
かねてより和尚に相談していた所、そっくりな男がいるから成り変わりはいかがと。
確かに自身による体験が最善、と考えた所存。
なんとまあ、よきお代官様がいたことか。
- お、お代官様?! 将軍様の次に偉い方でねか?!
「それがしと瓜二つのそなたにしかお頼みできぬこと。ほんの一日のみにてよいのだが…ただし、くれぐれも他言無用にてお願い申す。無事、終了した暁には、お礼はいたす。一分金一枚でいかがか」
四分が一両。百両の盗人あらば、問答無用で死刑のご時世、一日の成り変わりにて一分金とはいかに。
そもそも庶民は金貨(※)にお目にかかる機会すら稀有。
(※江戸時代は金貨、銀貨、銅貨が流通しており、通常、庶民が使用するのは銅貨。単位は「文」で、一分は千文)
- 今日の注連飾りの上がりより銭が稼げるべ。
いやそれよりも、この若きお代官様に逆らって命があるものか、和尚様の思し召しを断ってよいものか。
金のためではなく、決して金のためではなく、一郎は申し入れを諾とする。
「ただ…おらにお代官様のふりなんてできるじゃろか」
成り変わりにて一郎が、奉行勤めは難しかろう。丁度、今日明日は休日。明日は何かと慌ただしいが、本日この後、正之進は用向きもなく、今がまさに成り変わりにうってつけ。
ここで会えたのも仏様の思し召しと、一郎は今すぐの成り変わりを決断す。
明日の五ツ刻にこの寺にて待ち合わせ、成り変わりを完了とす。
お礼の一分金はその折りに。
そうとなれば話は早い。
周りの者を欺くために、互いに話し方指南の上、身上を交換す。
「おらんちはここから半里ぐれえで、ここの塚を曲がって、あとはまっすぐだ。一本杉の隣で戸口にこの注連飾りがある家でさあ。おっかあと二人で住んでまさ」
寺の庭に棒を使って絵を添えて、道なりを説明する一郎。
「ほほう、そなたは絵心が優れておるな」
「もったいねえお言葉でごぜえます。近所の子供らにせがまれてよく描いてるだけでさ。おら、こんなことしかできねす」
お奉行様に褒められて、調子に乗った一郎は犬やら雀やらを描く。
「絵師のようじゃのう。紙に書き付けてもらいたいものじゃ」
「お代官様のためなら、おら、いつでも描きますです」
本日の一郎の予定は、時刻も時刻ゆえ、帰宅したらおっかあの作った夕餉を食べ、あとは寝るだけ。
明日は六ツ刻に起床、土間の甕を持ち、家から西の方角の井戸で水を汲み、家の裏で薪を割り、おっかあの作った朝餉を食す。
朝の日課のその後は、用向きのふりをして、寺に出向いてくればよろし。
一方、立花正之進のほうは、母と下働きと共にこの近くの屋敷で暮らし、本日は取り立てた用向きもないため、正之進に成り変わった一郎は、自室で書でも読みたればよろし。
得心した二人は衣を取り替え、和尚は一郎の髷を整えさす。
「いやいや、これは見間違えまするぞ」
斯くして、上質な着物と腰に下げた刀が落ち着かぬ一郎は、小坊主に連れられ立花のお屋敷へ。一方、正之進は篭を背負いて一郎宅へ。
二.窮地
- こ、こんな立派なお屋敷だか。
お庄屋様のお屋敷より広いんでねえか。
小坊主と別れた一郎は、黒門の前で立ちすくむ。
「あら、お帰りなさいまし」
庭先の女が一郎に声をかける。
「た、ただいま戻りましたでござる。おっか…は、母上」
「御新造様でしたら、お屋敷におられますよ」
- 年の頃からおっかあと思ったが、おっかあじゃねえのか。
下働きてえことか。
正之進に聞き置いた自室に入り、どうにか刀掛けに刀を置いた一郎、部屋の外から声が掛かる。
「正之進殿、お帰りなさいまし。和尚様の御用向きは終わったのですか。母からちょいと頼み事がござりまする」
- こ、今度こそ本物のおっか、母上にちげえねえ。
「は、母上、なんでございましょう」
正之進の母上は、きりりと丸髷結い上げた、気の強そうなおなご。
こんなにきつかねえけども、面差しはおらのおっかあに似てるかもしれないと、緊張しつつ考える一郎。
「そなたが寺へ出向いた間に呉服屋の使いが参りましてな。得意様への年賀の書状を『是非とも立花様にお願いしたい』と。そなたが良筆故のこと。母は鼻がたこうござりまする」
- げっ! おらが書状を書く?!
そんなの聞いてねえだ!
おら、自慢じゃねえけど自分の名前と数字ぐらいしか書けねえだ!
「頼みましたよ」
母上は紙束を一郎に渡すと「あぁ忙し」とつぶやきながら去りたもう。
一郎、一世一代の窮地!。
三.流行
一方、正之進。
「おっかあ、ただいま戻りましたでござる」
一郎が作った注連飾りを吊るした戸口、建て付けの悪い木戸を引き、正之進が家に入ると、土間でなにやらしていた母が迎えに出る。
「なんだい、お侍様みたいな口をきいて。 おや、篭が空だね。売り切れご免かい。盛況で何よりだ。さ、夕餉にしよう」
-成る程、それがしの母上と面差しが似ている。
正之進、はじめて足を踏み入れた庶民の家に素早く視線を走らせる。
とは言え、土間の他には囲炉裏を囲む板敷きの間しか見当たらぬ。
囲炉裏周りに箪笥やら長持ちやらが置かれており、どうやら一間だけの様子。
庄屋屋敷とはかなりの格差。
誂えられた夕餉は、少しばかりの野菜が入った雑穀粥の椀と、漬物が二切れ。
- こ、こればかり?
されど、母の椀は一郎のものより盛りが小さい上、明らかに具なし。漬物も添えられておらぬ。
「今日はこんなだけど、お正月はご馳走にしよ。餅も魚も買ってさ。あぁ、一度でいいから鯛なんて食べてみたいもんだねぇ」
- 鯛はそれがしも好物にてござる。
「そうそう、お前さんが今日、市に行ってる間にさ、村役の権兵衛さんが来てね。隣村が明後日の市でお前さんの注連飾りを出したいって言ってきたらしいんだよ。なんでも瓦版で注連飾りの記事が出てたらしくてね」
- それがしも瓦版は楽しみにて候。
確かに、瓦版で紹介されると流行るでござる。
「とは言え、あたしは字が読めないけどさ。で、注連飾り、今日の市に全部持ってっちまっただろ。今から作れるだけ作るかい?」
- な、なんと! 細工物は無理でござる!
「お、おら、いささか疲れておる故、明日にするだ」
「おや、疲れたかい。今日はやめてさっさと寝るとするかね」
- この囲炉裏端が寝床とな。
板敷きから体に凍みる冷気と、壁から入り込むすきま風。
- これは夕餉を食して体が温いうちに寝るに限るでござる。
庶民体験、文化的格差衝撃。
四.露見
翌朝、西の井戸に水を汲みに行った正之進は、童子を連れたおかみさんに遭遇する。
「一郎にいちゃん、おはよう! 絵かいてよ! 絵!」
童子はどうやら一郎と顔見知りらしい。
童子にせがまれ、落ちている枝で地面に絵を描く正之進。
「にいちゃん、それ、なんの絵? おばけ?」
「あ、あぁ、いや、そなたの顔を描いた所存でござるが…」
「えっ! おら、こんなおばけみたいな顔? うわーん!!!」
途端に火が着いたように泣き出す童子。
- 寺小屋きっての神童と呼ばれ、勘定奉行仕官に抜擢されたそれがし、図画工作と泣く子は苦手ござる…
「かたじけない。今日のおらは剣術なら得意じゃ」
居合、抜刀、斬り、返し刀。
手を取り指導したれば、童子はすっかり泣き止みはしゃぎまわる。
「すげー! おら、お侍さんみたいだ!」
- 太平の世にありて実戦経験はなけれども、かような場にて道場の経験が役立とうとは。
童子親子と別れ、おかみさんの見よう見まねで水を汲み、重い甕を持ちて一郎宅へ戻り、どうにか薪割りをこなし、朝餉を食す。
「おっかあ、おら、用向きにつき、昨日の市の道の寺の和尚様の元へちょいと行って来るべさ」
「はいよ。どなたさんか知りませんが、なんのお構いもできませんで。一郎にはよ帰るようお伝えくださいまし」
-な、なんと。見破られていたとは。
這々の体で一郎宅をあとにして、寺へと向かう正之進。
ううむ、字が読めずとも、母とは侮れぬものよ。
五.奉公終了
約束の五ツ刻、寺にて顔を合わせたる一郎と正之進。
興奮を交え互いの報告をなす。
「それがしは一郎殿の質素な暮らしぶりを身を以て学び、大層有意義でござった。有り難きこと。和尚様にも改めてお礼申し上げまする」
「おらは夕餉も朝餉も米をごちそになって、もう正月が来たかと思っただ。ありがとうごぜえます!」
「時に一郎殿、そなたの母上から、注連飾りの追加作成を頼まれたが、それがしは断り申した。かたじけない」
「とんでもねえ。おらが帰ってからやりまさ。おらもお代官様のおっかあに、呉服屋の依頼とかで年賀の書状頼まれて困っただ…んだども、やることもねえから描いてみただ。見ておくんなせぇ」
拡げたる紙には目玉が飛び出た鯛。
めでたい、とな。
「ほうほう。判じ絵(※)とは。一郎殿はなかなか粋なことをなさりおる。文字の読めぬ者にも伝わってよかろう。うちの寺も取り入れてみようかの」
(※江戸時代の脳トレクイズ。江戸末期に流行。寺社で出題され、景品が出ることもある)
「これは見事な鯛でござる。此度は一郎殿の判じ絵にて呉服屋へ渡しまする」
「こ、こんなんでええだか。おら、鯛は食ったことはねえけども、祭りで見たことがあるから描けただ。見といてよかっただ」
- そなたの母上も「鯛を食べてみたい」とおっしゃっておった。
鯛を買うには足りぬと知りつつ、立花正之進は一郎に一分金を渡し、成り変わりは終了す。
「ありがとうごぜえます。おら、うまいもん食って、絵描いただけでこんなきれえな銭までもらっちまって…ありがとうごぜえます!」
六.御年玉
時は変わって大晦日。
寄り合いに出向いた一郎が、夕刻、家に戻ると、家の前に見慣れぬ木箱が。
開けたれば、絵姿ではなく本物の鯛と、添えられた一枚の書状。
書状には、童子が描いたような蜜柑の絵。
おっかあと一郎は、はじめての鯛を存分に食し、最高の正月が迎えられたとか。
お後がよろしいようで。