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彼方、竟日


 憲孝、と典座(てんぞ)の呼ぶ声に、彼は手を止め、はい、と答える。典座の姿は薄暗がりにあって、憲孝のほうからその表情は窺えない。憲孝は布巾で丁寧に手を拭き、畳んで、懐に仕舞うと、典座にもう一度、なんでしょう、と訊ねた。

 師走は大晦日、僧堂内の鐘楼で撞く鐘の音が、身体の内で鳴るように、静寂に響いている。静けさに返った庫裡には、典座と憲孝の二人しかいない。典座は、この僧堂の運営管理を行う役職、六知事の一つで、修行僧達が口にする食事作り等、炊事の一切を取り仕切る。憲孝は昨春、まだ堂内の会計を担う副司寮(ふうすりょう)から、この典座寮に配属された。常であれば半年程で別の寮に転役となるのだが、どうしてか今も憲孝は典座寮に勤めたまま、こうして再び冬を迎えた。年を越せば、憲孝がこの僧堂に入門して五年目の春が来る。

 現在、典座寮には彼の他に二人、修行僧がいて、典座である玄智のもとにつき、僧堂の食事を担っている。しかし、この大晦日に限っては、彼等は他の作務に駆り出されていた。憲孝がこうして典座に残されたのは、彼等のうち、一番ここでの経験があるからなのだろう。典座寮に配属された当初こそ戸惑ったものの、この頃は典座や、先達修行僧の手取りを盗み覚え、煮炊きと作務が随分と身体に染み込んできた。

 真冬の庫裡は、身を切る程に底冷えしている。頬は刺すように凍えて熱を持ち、吐く息は白い。しかし、それもあと数時間後には、目の前の釜から上がる湯気に取って代わる。僧堂の朝は早い。まだ日も昇らないうちから朝の読経、朝課がはじまり、その間、典座に勤める憲孝は、朝の食事である粥座(しゅくざ)を作る。

 薄く炊いた粥に、胡麻塩と、繊維が見えるほどに切った沢庵、粥座にはそれだけと決まっている。入門した当初こそ、その枯淡そのものの食事と、細かく定められた食事作法に面食らったものだったが、しかしそれもすっかりこの身になじんでしまった。

 庫裡の僅かな灯りの下には、磨き上げられた飯器や菜器、木桶が並べ置かれてひそやかな光を放っている。調理台の上の目の細かい竹ざるには、明朝の粥座に使う米と麦や粟といった五穀を、種類ごとに取り揃えてあった。明日はいつも粥座に作る白粥を炊かない。正月朔日から三日間かけて、法要の一つである般若会が行われるためだ。五穀を塩で薄く炊くそれは五味(ごみ)(しゅく)と言い、憲孝の修行するこの僧堂では、吉慶日や、寺全体を清める大作務の日といった時にしか作らない。五穀の中にもみがらや砂利が混ざっていないか、丁寧に選りわけながら、取り除いた小石一粒々々にも心を配り、用意を調える。

 典座に勤める者は、他の修行僧と同じようには坐禅や托鉢に出ない。その代わり、食事を作る事こそが修行になっているのだ。

――()(べい)()誤り(よな)(のぞ)くこと有らば、自手(みずか)(けん)(てん)せよ。『清規(しんぎ)』に云う、「食を造るの時、須らく親しく自ら照顧すべく、自然(じねん)(しょう)(けつ)ならん」と。

 憲孝が修行に励む禅宗、そのうちの一派を開祖した道元禅師は、宋の僧侶、長蘆宗賾(ちょうろそうさく)による『(ぜん)(ねん)清規(しんぎ)』を引いて、『典座(てんぞ)教訓(きょうくん)』にそう記している。衆僧を供養す、故に典座有り。典座はただの煮炊き係ではない、真摯に仏道を求め修行をする僧達のいのちとこころを支える、重要な責務を担っている。禅において、食が仏道と通じるものとして位置づけられている事は、一修行僧である憲孝も入門以前より学び知ってはいたが、その禅師の記すところの奥深さに気付いたのは、こうして典座寮についてからの事だった。

「憲孝」

 典座の声に、憲孝はもう一度答える。

「はい」

「そろそろ甘酒が足りなくなる頃だろう。向こうへ行って、様子を見てきなさい」

 この僧堂には、大晦日の夜、僧堂に続く山道を登って、門前町の多くの人々が除夜の鐘を聞くために集まってくる。その人々が凍えず暖を取る事が出来るよう、堂内の一角に場所を設けて甘酒を振る舞う事が、この僧堂の昔からの仕来りだった。

 典座に、はい、ともう一度返事をし、憲孝は奥へ向かうと、かまどにかけていた大鍋を抱えるように持った。とろ火にずっとかけていた鍋肌は熱く、かんかんに熱した懐炉を腹に忍ばせたようだ。蓋のすき間からは、麹の甘く発酵した匂いがする。まだ憲孝が小さく、出家の為の儀式である得度式も済ませていなかった頃、大晦日に少しずつ口にする甘酒は特別で、一際美味しく感じられた、その事をふいに思い出す。あの時は父も健在だった。

 行ってきます、と裏手から庫裡を出て、大鍋を抱えたまま沓脱に置いた草鞋を器用に履くと、憲孝は山門の方へ向かった。この僧堂は、山門を背に、正面に本堂、左側に鐘楼があり、庫裡は風呂場である浴司を挟んだ鐘楼の向かい側に建っている。門をくぐってすぐ、本堂に真直ぐ向かう参道に面した場所に、甘酒を振る舞う小屋を建てているのを今朝方見た。

 水と違い、嵩がある分、大鍋は重い。足を踏み出すたびに右へ左へと身体が揺れそうになる。こぼさないよう気を付けながら歩いていくと、やがて夜更けの縁に、寺内に集まった大勢の人と、彼等が声をひそめて鐘の音に耳を澄ませている様子がぼんやりと見えてきた。その一部、そこだけこうこうとしろく明るい場所が、憲孝の目指すところだろう。ごおん、と鐘が鳴る。一歩々々、ゆっくりと足を踏み進める。


「助かる。そろそろそちらに行かないといけないと思っていたんだ」

 憲孝が木箱に大鍋をおろし、息をついて額を拭うと、洸祐が言った。洸祐は憲孝と同じ年に入門した同輩で、今は殿司寮(でんすりょう)で修業している。憲孝は、彼と入れ替わるようにして典座寮に転役になった。二人は年齢も同じであるせいか、他の修行僧より何処か気やすい。憲孝は片手をあげて洸祐に答えた。

「休む暇もないか」

「いや、今は少し落ち着いたよ」

「今年は、去年より多く来て頂いているみたいだな」

「ああ。甲斐がある」

 この甘酒の美味さが評判を呼んだな、と笑う。

 一夜建ての簡易な小屋には、洸祐の他に修行僧が三名、詰めていた。入門一年目の新到、二年目の旧新到達だ。折り畳みの長机の上には、大鍋のかかった小さなコンロが二つあり、天井から吊るされたランプに、羽虫や蛾も暖を取ろうとはらはら舞っている。明かりに照らされた人々の顔は、寒さに赤く染まって、新しい年を迎える瞬間を待とうとしずやかに高揚していた。お願いします、と手渡された湯呑や茶碗に、とろりとした甘酒を鍋からすくってそそぐと、甘い湯気がふわりと漂い、わあいい匂い、あたたかい、と彼等から小さく声がもれる。その様子を見ていると、憲孝の心の内も、火がともったようになるのだった。この甘酒も、憲孝や洸祐、修行僧達が今日の為に仕込んだのだ。

「……今年も終わりだな」

 憲孝が言うと、洸祐は驚いた顔をした。

「どうした急に、改まって」

「除夜の鐘を聞くとそう思うんだよ。小さい頃からこの鐘を聞かない大晦日はなかったけど、それでも毎年新鮮にそう思う」

 コンロにかけられた大鍋の一つを覗く。それは、もうほとんど底が見えそうになっていた。

「持っていくよ」

「助かる」

 鍋に残った僅かな甘酒を、先程持ってきた鍋に移すと、憲孝は空になった鍋を抱え持った。

「じゃあ、また後で」

「ああ」

 小屋を後にし、庫裡のほうへと再び足を向ける。中身のなくなった大鍋は先ほどと打って変わって軽い。後ろに鐘の音を聞きながら、途中、庫裡裏手に回り、蔵に寄る事にした。確か庫裡に置いてある漬物樽の中身が少なくなっていたはずだった。

 僧堂の食事で使う野菜や穀物は全て、堂内の畑や、托鉢で成り立っている。朝の粥座、昼の斎座、夜の薬石、一日に三度あるそれら食事に添える沢庵も、冬の初めに托鉢で頂く大根を使い、僧堂で漬けたものだ。この十一月も、僧堂総出で大根を境内に干し、その後一本々々丁寧に樽に漬け込んだ。糠と塩、大根とを交互に樽に敷き詰めた後、その間に空気が入らないように、草鞋を履いて上から強く踏み締めるのだ。漬け込む際、最初に切り離して干しておいた葉も、寸分も無駄にしないように、大根の上に敷き詰めて漬けておく。そうして作ったそれらが日々の食事になり、巡って自身の糧になっていく。

 重い戸を開けた蔵の中は、外以上に冷え込んでいた。隙間から僅かに月明かりが差す。そう言えば今夜は月が出ているのだと、憲孝はそこではじめて気が付いた。見上げると、僅かに欠けた白い円が、流れる雲間から現れている。明日にはきっと満ちて、もっと明るく夜を照らすのだろう。月明かりを背に、憲孝が漬物樽を棚から一つ下ろし、紐で括って片手に提げると、それはずしりと重かった。

 憲孝がまだ幼かった頃、彼の生まれた寺でも、冬毎に沢庵を干して漬ける習いがあった。幼い憲孝の腕でやっと抱えられる程の大きさの樽は重く、それをふらつきながら寺の蔵に運ぶのを見て、父と兄はよく笑ったものだった。沢庵を漬ける事に限らず、寺での暮らしには四季の移り変わりに沿った行事が多く、今頃だと年の暮れ、煤払いをして仏前に供える餅を作り、夏と秋の盆には墓掃除をし新しい卒塔婆を用意した。憲孝こっちに来て手伝えと、父が彼を呼ぶ声が今にも聞こえてくるように感じる。

 寺の住職である父が遷化(せんげ)したのは、夏だった。当時まだ中学生だった憲孝は、夏休みの部活中、担任に呼ばれて父の他界を知った。その年は酷く暑い夏で、目の醒めるような青い空に、本格的な夏の訪れを知らせる雲、それらが夕陽に染まって暗くなるまで、野球部に属していた憲孝は夢中になって白球を追い、日々を過ごしていた。

 多くの野球が好きな少年にもれず、憲孝には将来は野球選手になりたいという淡い夢があった。その夢を父に話したことがあったかどうか、今はもう、思い出せない。多分、話していたとしても、冗談交じりには違いなかった。まだ子どもだった憲孝自身にも、何処か冷静な部分はあり、自分に飛び抜けた野球の才能がない事は、十分に分かっていたのだ。

「日に新た、日に日に新た、又日に新た」

 試合に負けた時や、レギュラーに選ばれなかった時、幾度練習しても思うように身体を動かす事が出来なかった時、憲孝はよく隠れて悔しさに泣いた。そんな時、父は言わずとも気付いていたのだろう、何気なくそう言って、彼の背中を押した。

 高い音を立ててバットに当たった球が弧を描いて空高く飛んでいき、チームメイトがわっと大きな声を上げる。静止画で眺めたようだった。その様子を職員室の窓越しに捉えながら、受話器越しに久々に聞く兄の低く落ち着いた声が、耳をすべるようにして憲孝の足元の床をすり抜けて落ちていった。

 父の遷化後すぐに、僧堂へ修行に出ていた年の離れた兄が帰山し、寺を継いだ。あれからもう随分経つ。兄も、亡くなった父も、憲孝が出家して僧侶になる事を必ずしも求めてはいなかったが、どうしてなのか自分でもわからない、中学と高校を卒業し、得度して仏教系の大学に進学したのは、憲孝にとってはごく自然な選択だった。

 生まれ寺の副住職になるかどうかは、まだ決めていない。このままここで修業を続けても、兄は憲孝の選択を尊重するだろう。仮に修行の辛さに下山(あさん)しても、きっと兄は憲孝を責めないだろう。しかし自分は、そのやさしさに甘えてはいるのではないか。僧堂には洸祐をはじめ寺の跡取りが多く、彼等の話を聞くにつけ、憲孝は自身の未熟さを思い悩む事もある。日々、今、目の前に在るものを見つめ修行に励む事を思っても、ふいに迷いは生じて心を静かに蝕む。どうして、何故、自分は。食事を作る、それが本当に修行につながるのか。他の者に後れを取っているのではないか。そんな時、自分では表に現れていないと思っていても、彼の作る食事に迷いが現れるのだろう、典座は憲孝を呼びつけて叱り、一日、彼を煮炊きの係から外す。

 それは、憲孝が典座寮に配属されて数か月経った頃だった。包丁で薄く切る沢庵が、同じ厚さに切り揃っていなかったのだ。典座から名前を呼ばれてまな板の上を見ると、厚いもの薄いもの、一見して分かる程に厚さがまばらになっている。指摘されるまで、自分では全く気が付かなかった。かっと頬が熱くなった。

「申し訳ありません」

 僧堂では無暗に食材を捨てることはしない。自分の切った沢庵がそのまま粥座に並ぶことを思うと、身が縮まった。

 そうして係から外れた憲孝が、庫裡の裏手で椎茸を並べて干している時だった。いつの間にか外に出ていた典座が、隣に立った。

「椎茸か」

 はい、と頷く。

「一昨年、皆で原木に菌を植えていたのが、はじめて収穫できたので。思いのほか多く採れたので、すぐに食べきれない分は干して置こうかと」

「そうか。天童山の椎茸干しだな」

 道元禅師の記した『典座教訓』に、禅師が中国、寧波の天童山景徳寺で修業していた時の出来事が書かれている。老いた典座が杖を持ち、炎天下に大粒の汗を流し、苦しそうな様子で、しかし黙々と茸を干している。禅師は老典座の年齢を訊ね、何故、寺男にその仕事をさせないかと訊ねる。老典座は道元禅師の問いに答える。その時の、老典座と禅師との会話が記されているのだ。

「『典座教訓』ですね」

 憲孝が手を止め、答えると、典座は頷いた。お前はよく学んでいる、と言う。そして笑いながら続けた。

「光祐が椎茸干しをしている時にも、同じ事を言ったことがある。彼奴はぽかんとしておったから、叱りつけてやった。典座たる者、『典座教訓』を紐解かずにどうすると言ってな」

 典座は目の前の、茣蓙の上に干してある椎茸を一つ、摘まんだ。

「なあ憲孝、何故、どうしてと思い悩むことは悪い事ではない。寧ろ、常に己に問う、それこそが修行なのだよ」

 憲孝が黙っていると、白い眉の下にある、典座の深い目が憲孝を見据えた。

「『他は是れ吾れにあらず。更に何れかの時をか待たん』」

 典座はそこで言葉を切った。

「よく精進しなさい」


 空いている手で大鍋を支えて、庫裡の戸を開ける。

「玄智様、今戻りました」

 典座は先ほど庫裡を出た時と変わらず、黙々と作業をしていた。憲孝のほうを見ると、どうだった、と訊ねる。

「ちょうど鍋の一つが空になるところでした。洸祐も、去年より多くの方が来ている気がすると。甲斐があると言っていました」

 それから、自分たちの甘酒のお陰だとも言っていましたが、と付け加えると、ご苦労だったな、と典座が笑う。憲孝と洸祐が親しいのをよく知っているのだ。

「先ほど、蔵に寄って、沢庵の樽を持ってきました。あとは、先日頂いた春菊がそろそろ痛みそうなので、それも」

「そうか」

 そう言って、典座は手を止め、一瞬口を噤むと、続けた。

「例えば憲孝、お前だったらこの春菊を使って斎座の添菜を作るなら、どうする」

 ふいの問いに虚をつかれたが、憲孝は蔵や冷蔵庫の中を思い出しながら、答える。

「おれなら、白和えにします。ちょうどこの前托鉢で頂いた豆腐と、この前来客用に使った生麩が残っているので。…いや、でも、この頃は特に冷えるので、やはり、生麩と、あとは人参と一緒に鷹の爪とごま油で炒めてきんぴらにします。この時期は毎年風邪を引く新到も少なくないですし、やっぱりきんぴらですね」

 典座は憲孝の言葉を黙って聞いていたが、小さく頷き、言った。

「憲孝、此方へ」

 漬物樽をその場に、大鍋を水場に置くと、憲孝は典座の近くへ経った。僅かな灯りの真下にある調理台の上には、紙と筆が広げられている。これは、と思う。それは典座が斎座の献立を書き留めたものだった。常であれば、典座は、自らに用意された寮舎でその考えをまとめる。托鉢で頂いたもの、来客用に使って残っている食材、畑の収穫のほか、その日の作務の内容や僧の人数等をすべて把握し、六知事と相談の上、無駄のないように献立を組み立てるのだ。遠くへの托鉢へ出た者がいる時や、夏の暑い日は塩味があるものを。雪が深々と降る寒い日には、身体の芯からあたたまるものを。そうして日々新たに食材に向き合い、そこに新しいいのちを吹き込んでゆく。

「今度の七日に、お客様がお出でになる事は知っているな」

「はい」

 憲孝が頷くと、典座は続けた。一年に一度、ちょうどこの時期に、この僧堂の老師と修行以前より親しくしている方が僧堂に見える。今年はその日が七日だと聞いていた。

「お前に、その膳を任せたいと思う」

 典座が憲孝を見据える。一品二品、典座の作る客膳の添菜の手伝いをした事はある。しかし一からお客様に出す膳をしつらえるのは、はじめてだった。すっと背筋が伸びる。

「任せてもよいか」

「――はい」

――日に新た、日に日に新た、又日に新た。

 父がよく言っていた言葉が蘇る。僧堂の生活には決まり事が多い。粥座等の食事における所作も、日々同じ事を繰り返し、そうすることでやっと自身のものとなっていく。寒さに凍え、手足の皮がめくれ、幾度も傷つくことでその皮が厚くなり、働くための身体になっていくように。ただそれを漫然と続ける事は、禅者ではない。一つの物事に日々いのちを吹き込み、一意専心、今、この目の前に在る事に心を配る。

――(ひね)(もす)通夜(よもすがら)、物来りて心に在り、心帰して物に在らしめ、一等に他と精勤(しょうごん)(べん)(どう)す。

 除夜の鐘の音が、憲孝の身の内で波紋を広げるように、深く響いていく。







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