Need not to know.
幼い頃、彼女は俺の近くにいた。
俺の彼女に対する一番古い記憶は、喘息のため家にこもりがちだった俺の元に度々やってきては、ママゴトやらお絵かきやらを俺に強要する姿だった。
「今日のデザートはモモですよ。はい、あーん」
そう言って、一口サイズよりも明らかに大きい桃を口に押し込んでくる。
「み、ミーひゃん。もうふこひ ひいはくひて・・・」
「おいしいですか~?」
「・・・」
彼女は人の話も聞かずに嬉しそうに微笑む。当時、近所の同年代の子がほとんど男だったこともあり、彼女はしょちゅう俺の元にやって来て『看病ごっこ』とやらをしていた。
それが終わると、薬を飲んだ後の俺の傍らでお絵かきタイムが始まる。
「あのねあのね。昨日ママと一緒にどんぐりひろったの。まーくんにもあげるね」
そう言って、雑木林の絵を描くとポケットから出したどんぐりを俺に差し出した。
「ありがとう」
「今度、もっといっぱい拾ってくるから一緒にコマ作ろうね」
そう言って嬉しそうに笑う。その笑顔に嬉しくなって、俺は「うん」と頷いた。
「あら、ドングリ?素敵なお土産ありがとうね、ミーちゃん」
「お寺の近くで拾ったの。今度、もっといっぱい持ってくるね」
おやつを持ってきた母に、彼女は興奮しながら言う。
「そう。良かったわね、正樹」
母はトレイにあったおやつをテーブルにのせ、そう微笑んだ。優しい母と幼なじみ。二人と過ごした穏やかな時間は、学校を休みがちだった小学三年生の頃まで続いた。それは、今でも胸の中に色あせず残っている、大切な思い出だった。
***
俺には、両親の他に十歳ほど年の離れた兄がいた。といっても、俺の体があまり丈夫ではなかったせいか、物心つく頃にはほとんど交流はなかったが。たまに家に帰ってきたと思うと家にあるお金を勝手に持っていくような人だったから、両親もできるだけ会わせないようにしていたんだろう。俺が兄がどんな人間か知ったのは、テレビのニュースで。その頃、シンナー中毒だった兄がミーちゃんの家にお金目的で強盗に押し入り、そのままリビングにあったライターで火を点けた、という事件の報道でだった。
兄のしたことによりミーちゃんの両親は亡くなり、ミーちゃんは施設に入ることになったらしい。最初こそミーちゃんと会えなくなってしまったことが寂しくて堪らなかったが、しばらくするとそんなことも言っていられなくなった。連日家に押しかける報道陣のせいで日に日に両親はやつれていき、遂に俺は祖父母の元へ養子に出されることになったからだ。その頃には、俺もウンザリしていたので祖父母の元へ行くのは異論がなかった。両親があの家で二人そろって首を吊ったと知ったのは、祖父母の元に引き取られて一週間もしない頃だった。それから両親の死を悼む間もなく、俺は祖父母に連れられ生まれ育った地を離れることになる。
祖父母に連れられ辿り着いた先の全寮制の学園都市では、そこの理事と祖父が知り合いだと言うことで、俺はキョウイクテキハイリョの元 特に不自由ない生活を送ることができた。表面上は当たり障りのない人間関係を築き、誰にも深入りさせないよう笑顔で取り繕う。そんな現実感のない日々を送る中で、彼女の姿を久々に目にしたのは、高校三年次のオープンキャンパスの時だった。
この学園都市の中枢にある大学は国立で、研究機関も兼ねそろえている。どんな人間が来ても不思議はなかったが、友人と楽しそうに話している彼女を見かけたとき、久しぶりの再会に胸は高鳴った。この時、俺は自分の立場と現実をどこか甘く考えていたのだと思う。
「ミーちゃん」
久々に見た彼女の姿に、思わずそう呟きが口を突いて出る。
「え」
彼女がそう言って振り返ったとき、時が止まった気がした。
「-っ・・・」
次の瞬間、彼女は声もなくその場に倒れ込む。
「瑞季!」
突然の出来事に呆然と佇む俺を余所に、横にいた彼女の友人らしき人物は荒い息を吐く彼女の肩を抱き、俺の方を見た。
「すみません。どなたか知りませんが、手伝ってもらえますか?」
必死な形相の彼女に断る言葉など返せるはずもなく、俺はミーちゃんを抱え医務室へと向かった。
「ありがとうございます。この子、子供の頃火事に遭ったのが原因で火を見たりすると発作を起こすんです。今日は、どこかで無理をさせちゃったのかもしれません」
医務室に着き、ミーちゃんを寝かせると友人らしき少女はぽつりぽつりと話し出す。聞けば、彼女はこの大学の特待生枠を狙っているらしく、ミーちゃんはその付き添いらしい。彼女はミーちゃんと同じ養護施設にいると聞いた。
「そう。そろそろオープンキャンパスが始まると思うけど、君は行かなくて大丈夫?」
「大丈夫です。それより、ここまで運んでいただいて、ありがとうございました」
そう言って頭を下げる彼女にうまく言葉を返せたか、俺は自信がない。おそらくミーちゃんが発作を起こしたのは俺のせいだろう。知らず溢れてくる涙で濡れた顔をトイレの洗面所で洗うと、鏡には記憶の中にいる兄とよく似た顔の男が映っていた。
それからの俺は、余計なことを考えないで言いようにと一心不乱に勉強した。おかげで大学での成績はオール優。国家公務員試験に無事受かった後、厚生労働省の麻薬取締部に配属希望を出した。数ある職種から麻薬取締官を選んだのは、特定の人と深く関わりたくなかったから。職務に忙殺され泥のように眠れるこの仕事は、確かに俺の望みを叶えてくれた。
ミーちゃんと再会したのは、商社の中でドラッグの密売を行っている中心人物の身辺を洗っているときだった。主犯Aが海外出張で入手したドラッグを共犯Bの家で使用している模様。その、共犯Bの同棲相手がミーちゃんだった。
「東。今回のヤマ、接触相手はBの同居人 抹理瑞季。彼女はコーヒーショップのチェーン店でバイトしていてるらしい。店側には話を通してある。お前が店長で、俺が客。しばらく通って馴染みになる、ってシナリオだ」
バディを組んでいる先輩の渡部さんは、調査書を見ている俺にそう告げる。
「了解です。・・・ただ、一つ問題が」
「あ?何だ」
「彼女、俺の幼なじみだと思います」
その事実だけを端的に告げると、彼は意外そうに俺を見た。
「お前にも、そんな存在がいたんだな。情報を聞き出すには、ちょうどいいか」
「いえ。彼女は、俺の兄が起こした事件の被害者です。以前 偶然再会した時は、俺の顔を見て過呼吸発作を起こしました」
渡部さんには、俺の兄が放火殺人の罪で無期懲役となっていることを話している。淡々と告げたつもりだが、その内容に彼は溜め息を吐いた。
「・・・マジか」
「残念なことに」
頭の中で何度も反芻し、今では乾いた感情しか出なくなった記憶が不意に過ぎる。俺は、誤魔化すように苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「そういう事情なら、店長役は俺で。・・・お前は、髪でも染めとくか?」
「そうですね。真っ黒にしておきますよ」
麻薬取締官は、潜入捜査のために染髪が許可されている。現に俺の地毛は茶色がかった猫毛だが、現在は金髪だった。
「こんな調子でしょっちゅう髪を染めてたら、将来禿げるかもしれませんね」
そう肩を竦め、溜め息を吐いて席を立つ。
「安心しろ。そんときゃ、カツラの世話になるだけだ。スキンヘッドのバリエが増えて、いいかもな」
「・・・お先です」
「おう。お疲れ」
何の救いにもならない相棒の言葉を背に、俺は部屋を出た。
***
「すいません。コガさん、起きてください」
狸寝入りの俺を起こす懐かしい声に、安堵と緊張が入り混じる。
「ん・・・」
視線を向けてみるが、過呼吸発作を起こす兆候は見られない。これなら大丈夫だろうか。
「大丈夫ですか?」
その言葉に、思慕と怯えの両方の感情がこみ上げててくるのを感じながら、俺はわざとらしく欠伸を漏らした。
「ふぁ~、っと。ああ、寝ちゃってた?ごめんね。今何時?」
「何時、っていうかもう閉店しちゃったよ。相変わらず忙しそうだね」
俺の存在に特に疑問を持っていないのか、つられて時計を見る彼女の様子を確認して、渡部さんも言葉を被せる。ちらりとこちらを見る彼に無言で小さく頷くと、俺は彼女に嘘を吐く。
「すみません。普段、大学の授業や教授の手伝いなんかをしてると研究の時間が全然なくて」
「研究って、何を研究してるんですか?」
そう聞いてくる彼女は、思い出のあの頃の面影を残していた。けれど、その過去もそこに置いてきた俺の想いも、今回のヤマには何ら関係のないことだ。だから、君は知らなくていいこと。そう自分の思慕に鍵をかけて、俺は目の前で繰り広げられる二人のやりとりに耳を傾けた。
了




