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人差し指は唇の上に

◆12月26日


 白に覆われている。

 それが、バスの車窓から見えた景色に桐生和彌が最初に抱いた感想だった。

 空には晴れ間が広がっているものの、頬を撫でる空気はぴりりと冷たい。桐生は、息を吸い込む度に鼻の奥がツンとするのを感じた。

「あーあ、冬休みは炬燵でぬくぬくしながら積読崩すつもりだったんだがなァ」

 隣を歩く一条速人が言った。口から一緒に白い息も漏れている。

「お前それ、言うの何回目だよ」

 呆れながら、桐生も何回目かの説明をする。

「今年に入ってからあまり活動が芳しくなかった我が文芸部は、冬休みの合宿というイベントを通じて親睦を深めようとだな……」

「ハイハイ、ワカッテマース」

 もはやお決まりになった説明は、目の前でひらひらと泳ぐ手によって遮られた。

「なんだかんだ言って、お前だって間宮と一緒に過ごせるのが嬉しいだけだろ、副部長サン」

 一条は意味ありげに目配せした。つられて桐生も前方へ目を向ける。文芸部員が作る列の先頭で、顧問の隣を歩く少女の背中があった。

「別に、そんなんじゃ……」

 尻すぼみになるセリフに、一条はやれやれという顔をした。

 桐生は高校で文芸部に所属している。部員は1年生と2年生合わせて6人。定期的に部誌を発行していたが、ただでさえ少ない部員のほとんどがかけもちだったため、例年以上に活動は低迷していた。

 冬休みを利用した〈合宿〉は、部長である間宮莉緒によって発案された。期間は12月26日から28日までの2泊3日。内容はグループワークや、最終日までに決められたお題に沿った作品を執筆するというものだ。場所の提供もまた、間宮によってされた。彼女の伯父が郊外に別荘を持っており、そこを利用させてもらえるというのだ。駅からのアクセスは良いとは言えない。送迎などもない代わり、貸し切り状態の別荘は部屋や備品を好きに使って良いとのことだ。

 参加することに抵抗を示す部員が出ることも想定されたが、意外にも全員参加だった。「別荘」という響きに興味がわいたかもしれない。親の反対も特になかったようだ。

 住んでいる街から電車で揺られること2時間半。寂れた駅で下車して路線バスに乗り込んだのも遠い昔のようだ。人気のないバス停を降りて、今はぞろぞろと雪の中を歩いている。

「みんな、見て!」

 間宮が急に振り向いたので、彼女の背中を見つめていた桐生は雪の中で足を滑らせそうになった。バランスを立て直しながら、飛び出そうになった心臓をおさえる。

「ほぉ。これは思っていた以上に雰囲気が出るなァ」

 部員たちの歓声の中、一条が興味をそそられたように呟いた。ようやく桐生も間宮が坂の上を指さしていることに気付き、そちらへ目を向ける。

 森の陰から、大きな洋館が顔を出していた。

 目的地に到着したのだ。


 レンガ色の壁は、雪の白によく映えていた。

 桐生は正面に立ち、改めてその建物を見上げた。一体いくつの部屋があるのだろう。3階建ての建物は、横に並ぶ窓の数が「家」とは思えない。

 建物は大きく3つの部分に分けられた。玄関は中央部分で、その上が屋根付きのベランダになっている。左側はカバードポーチになっているが、建物から建物が突き出るような凹凸のあるデザインだ。右側には鐘楼のような八角形の塔がある。

 左右非対称で、まるで増改築を繰り返したみたいだと桐生が言うと、一条が「クイーン・アン様式」と教えてくれた。

 間宮の後に続き、玄関を入って右手の部屋に進む。そこがリビングだった。

 置かれていた家具もまた、桐生の家にあるものとはかけ離れていた。

「猫足のテーブルなんて初めてみた」

「可愛い」

 1年女子の長岡恵美と桐生明日花が囁きあう。明日花は桐生の妹だ。

「暖炉まであるんですね」

 そう言ったのは1年男子、春日玲。

「電気式だけどね。各部屋にあるよ」

 間宮は暖炉のスイッチを押した。

 一同は向かい合わせにおかれた4人がけのソファに腰を下した。間宮作成の「たびのしおり」を出して簡単なミーティングをする。

 桐生が口を開く。

「まず最初に、小説のお題の決定からです。この箱にお題が入っているので、自分が3つ引きます」

 桐生が即席のくじを引く。

「えー、お題は〈雪〉〈洋館〉〈合宿〉です。この中の1つ以上を使用してください。最終日に提出してもらって、みんなで読み合わせをします」

 部員たちは【お題】のページに3つの単語を書きこんだ。

 間宮が続く。

「次に、【時間割】のページを開いてくださーい」

 ページをめくる音が室内に響いた。

「グループワークやごはんの準備など、全員集まって行うことについてはこのページに書いてます。時間になったらこの部屋に集まってください。それ以外については自由時間です。小説の執筆や宿題をしたり、別荘の中を見学したり周辺をお散歩など自由に過ごしてね」

「日没後に外に出るのは禁止させてもらいますね」

 顧問の江藤が口を挟んだ。

「そうですね先生。ありがとうございます……次に、滞在するお部屋について。事前にお伝えしていた通り、男子は2階、女子は3階であればどれを使ってもオーケーです」

「しっかし、よくこんな豪邸を高校生ごときに貸してくれたもんだな」

 一条が、当然と言えば当然の疑問を口に出す。

「実は……」

 間宮が初めてそこで言い淀んだ。

「私の伯父さんがこの土地に別荘を建てたのは、伯母さんと出会った思い出の場所だからなの。毎年冬を家族で過ごすのを楽しみにしていたんだけど、3年前に事件が起こって……」

 雲行きの怪しくなる話に、誰も相槌を打てないでいた。

「当時勤めていた若いメイドが亡くなったの。犯人も捕まってない。頭部から腹部までがまるで何かに食い散らかされたような遺体の損傷から、地元の村では人喰い鬼に襲われたんだって言い出す人もいた。実際、近くの山に人喰い鬼の伝承があるらしくて。鬼は人間に紛れて次の獲物を狙うとか。伯父さんも最初はそんな話を相手にしなかったんだけど、建物の中で変な物音がしたり、点呼をすると一人増えていたりすることがあったりして、従業員が次々に辞めていったの。とうとう伯父さんも諦めて、近々この別荘を手放すつもりになった。今回は最後ってことで貸してくれたの」

 部屋の中が静まり返った。

「これでこの話は終わりだけど」

 間宮の声が少し震えている。

「本気にした?」

 言い終わると同時に、こらえきれず間宮は大声で笑い出した。

「なんだよホラかよ」

 呆れたように言う一条に間宮は言い返す。

「創作と言ってほしいな」

「部長ー」

 怖い話が苦手である春日にも責められ、涙をふきながらも間宮が謝った。

「ごめんごめん、あんまりみんなが真剣に聞いてくれるものだから、つい調子に乗っちゃった。では一旦解散して、17時にまたここに集合してください。みんなで夕食の準備をしましょう」


 その夜、桐生と間宮が最後まで残り、1日の反省と明日の打ち合わせをしていた。

「グループワーク、盛り上がって良かったね」

「あれは一条くんのおかげだね」

 間宮が思い出し笑いをしながら言った。

 グループワークのお題は、〈こんなおとぎ話の主人公はイヤだ〉というものだった。AとBの2つのグループに分かれ、日本や西洋のおとぎ話や童話の主人公について話し合ったが、そこで一条の回答にみんな笑わされた。

「あいつは普段バカなことしか考えてないから」

 桐生はそう言いながら、飲み終わったペットボトルを捨てる前にゆすいだ。間宮がちょっと意外そうに言った。

「あ、そのまま捨てる人もいるけど、ちゃんと洗うんだね。お母さんがそういう人なのかな」

「うん、まあね。割とテキトーな人だったけど、変に細かいところもあった」

 桐生の言い方に違和感を感じた間宮の顔に疑問符が浮かんだ。桐生はあえてさりげなく言った。

「死んじゃったけど」

 間宮は口に手を当てて、すまなさそうに言った。

「ごめんなさい、知らなくて」

「いや、いいよ。もう何年も前のことだし……これで終わりだね」

「ええ、助かったわ。ありがとう」

「また明日」

「おやすみなさい」


 ふと顔を上げると、時計は深夜1時を過ぎていた。桐生は大きく伸びをする。

 課題の小説について考えているうちに、だいぶ時間がたってしまっていた。お題発表から2泊3日で書き上げるというのは、実際なかなか無茶ぶりのように思えた。文字数に上限下限ともにないので、おそらくみんなショートショートにするのだろうが、短いからといって簡単なわけではない。

 何かの音が聞こえた気がして、カーテンをそっとめくった。

 暗くて何も見えなかった。

 ただ、壁を叩くような音が一晩中耳から離れなかった。


◆12月27日


 翌朝、桐生がリビングに行くと、長岡と明日花が朝食の準備をしていた。一条と春日は窓際に立って外を眺めている。

「おはよう。あれ、間宮と先生は?」

「それが……」

 明日花が言いかけたところに、間宮が入ってきた。

「おはよう桐生くん。ここに来るときに江藤先生見なかった?」

「いや?いないの?」

「うん……お部屋にもいなかったし、どこに行っちゃったんだろう」

「とりあえず食べながら待ってみるか」

 だが、朝食を終えてしばらく経っても、江藤は現れなかった。

「電話をかけてみたらどうかな、携帯に」

 春日が提案するものの、間宮が首を横に振る。

「それが、さっきから私のスマホ見当たらなくて」

「実は俺のも」

「そういえば私のも……え」

 一条が言った。

「スマホが消えた、だと……」


 江藤はそれからも姿を見せなかった。

 昼食後、一条の提案により別荘内を探してみることにした。メイドたちが使っているというインカムを借り、男女1組になって別荘内を回る。進展があったのは夕方近くなってからだ。

 間宮と歩いていた桐生は、視界の端に何か動くものを感じて、そちらへ目を向けた。

「どうしたの?」

「いや、なんか今、誰かいた気がして」

「え?」

 桐生は、廊下を曲がってみた。誰もいない。

「気のせいか?ん?」

 桐生が拾い上げたのは、江藤のものと思われる服の切れ端だった。

「桐生くん、見て!」

 間宮に言われ、桐生も上を見た。

 廊下の天井には、叩きつけられたような血痕がついていた。

 間宮は一度全員をリビングに戻し、他の部員にも説明した。

「不安だと思うけど、もう暗くなるし、どの道バスもないから帰るのは明日を待ちましょう」

 間宮がそう決定を下した。


 その夜、桐生はトイレに行きたくて目が覚めた。いくら豪邸といえど、各部屋には備え付けられていない。寒さに肩を震わせながらお手洗いへと向かった。

 部屋へ戻る途中、桐生の耳は何かの音を聞きつけた。廊下の真ん中で立ち止まる。

 何かを引っかくような音は次第に大きくなり、廊下全体を叩くようにまでなった。

「な、なんだ……!?」

 そして桐生は、暗がりに紛れるそれを見た。

 最初は、ボールか何かが置かれているのかと思った。だが、固いはずの床はぐにゃりと歪み、さらに胴体が出てきたことで頭部だと知った。漆黒のそれは、出ている部分が多くなるほど周囲に黒をまきちらした。

 それはいきなり動いた。体から伸びる影が桐生に向かって放たれる。反射的に躱したものの、袖口が破れた。

 一瞬硬直してしまった桐生だが、2回目の攻撃がすぐ足元をかすめたことで我に返った。桐生は走り出した。

 咄嗟に目についた突き当りの部屋に飛び込む。間一髪のところでドアを閉めると衝撃が伝わってきた。相手は諦めた様子もなく、ドアを叩く音は続く。鍵はかけたが、じきに壊されるだろう。

 逃げなければ。そう思うものの、よりによって選んだ部屋は物置のようだった。ドアは1つだけで、他の部屋に続くドアも窓もない。

 バリケードを作ろうと部屋にあるものを動かしているうち、壁の低い位置に、何か仕掛けがあるのに気が付いた。ボタンを押してみる。

 床が消えた。

 正確には、桐生の立っていた床が動き、隠されていた下へと続く階段が現れた。不意打ちをくらった桐生が体のバランスを崩して前のめりで落ちるのと、ドアが壊されるのは同時だった。

 階段を隠す床は自動でしまり、桐生を守ってくれた。だが、これも時間の問題であろう。

 先ほどまでいた部屋よりさらに狭く、埃とカビのにおいがした。

 上で床を叩く音がする。

(助かりたいか……?)

「誰だ……!?」

 誰もいないと思っていたので、聞こえてくる声に桐生はあたりを見回した。

(このままだとお前は奴に殺されるぞ)

「それは……嫌だ」

(ならば、わたしをここから解放しろ)

「解放?どうやって……」

 そこで桐生は、棚に黒い立方体があるのに気が付いた。

 闇より黒いと思われるそれは、桐生の目の高さの棚にあった。あり得ないことだと思う一方で、その箱から声が聞こえてくることを直感的に理解した。

(封印を解け)

「封印……?」

(手を触れろ)

 上から聞こえる音が一段と大きくなった。意を決して桐生はその立方体に手を触れた。

 何が起こったのか、桐生には一瞬わからなかった。

 手を触れたとき、微かにちくりと刺すような痛みがあった。たちまち固いと思った箱はゼリーのようにぐにゃりと歪み、ぶるぶると震えだし、そして何かを吐き出した。

 黒い影のようなものがおさまると、そこには、桐生と同じくらいの年齢と見える青年がいた。灰色の髪に同じく灰色の瞳。声は桐生よりも低く落ち着いているが、どう見ても日本人ではない。また、その服装も出で立ちも異様だ。黒い長衣に黒い帽子をかぶっている。

「い、一体……」

「わたしの名前はカイラ」

 カイラと名乗ったそれは、桐生に一歩近づいた。

「君に力を貸そう、その代わり、君の秘密や嘘をわたしに教えておくれ」

「そんなこと言われても……」

「死にたくないだろう」

 桐生は言葉に詰まる。

「わたしに嘘はつけないよ」

 そう言うと、それは桐生の目を覗きこんだ。

 桐生は落ち着かない気分になった。秘密と言われて思い浮かんだことがあったからだ。

「ふむ。良いだろう」

 カイラは桐生から目を離して言った。

「契約成立だ」

 ドアが勢いよく開くのと同時に、先ほどの影が桐生を襲った。衝撃を覚悟する。思わず桐生は目をつぶる寸前、カイラが素早い身のこなしで動くのが感じられた。

 いつまでたっても衝撃は訪れず、代わりに、自分の頬に生暖かい何かが跳ねるのを感じた。

 桐生は目を開けた。

 血だまりの中にカイラが立っていた。

「逃げられてしまったよ……少しは楽しめそうだね」

 それはニタリと笑いながら、手についた血をなめた。


◆12月28日


 カイラはその後すぐに消えたが、結局、桐生は寝付くことができなかった。

 理解できる許容範囲を超えていたということもある。明け方になって、あれは浅い眠りの中で見た妄想なのではないかと思うようになった。

 だが、現実がそうさせてくれなかった。

 翌朝、桐生はカーテンを開けて目を瞠った。

 リビングに行くと、すでに数名がいた。

「おはよ。外、超ふぶいてんじゃん。なんも見えん」

 一条が、さして慌てた風でもなく言った。

「春日くんは?」

「寝坊か?桐生、見てこようぜ」

 桐生と一条が連れだって春日の部屋に行く。

 ノックしたものの返答はなく、ドアに鍵もかかっていた。

 間宮も後から来た。

「どう?」

「いや、返事もないし、ドアも鍵がかかってるんだ」

「マスターキー持ってきたから、今開けるね」

 間宮がマスターキーをさしこんだ。

 部屋はカーテンが閉め切ってあり、照明もついていなかった。桐生が壁のスイッチを押す。

 明るくなった部屋を見て、一同は息をのんだ。争ったような形跡と、何かを引きずったような血の跡が残されていた。

 リビングに戻って残りの2人にも説明した。

「間宮の作り話よろしく、人喰い鬼でも出たのかァ?」

 ひきつったように言う一条に、長岡がヒステリックに笑いだす。

「人喰い鬼なんているわけない!連続殺人犯がいるのよ!この中に!」

 手を大仰に振る。

「そして犯人もろともみんな死ぬのよ!帰ることもできないままね!ここで死ぬの!!」

 言い終えると同時に、長岡は気を失った。

 一条が長岡を背負い、彼女の部屋まで連れて行った。


 その夜は、特に何もなかった。かすかに遠くで音がするような気もする。

 いつの間にかカイラが窓辺に立っていた。

「昨日深手を負わせたから、今日は何もしてこないだろう」

 桐生はずっと胸にわだかまっていた疑問を口に出した。

「昨日のやつは一体なんだんだ?江藤先生や春日がいなくなったことを関係あるのか?」

 カイラが話したのは主に以下のようなものだった。

 わかりやすい言い方で言えば、カイラたちは〈鬼〉なのだそうだ。人間の秘密や嘘など人間の負の側面、いわば影の部分を糧にしている。そう言ったとき、その他にも食べるけどね、とカイラが意味深に笑ったことが気にかかった。


◆12月29日


 翌朝も、外は猛吹雪だった。

「食料足りるのか?もともと2泊3日の予定だったろ」

「うん。缶詰とかがあったから、なんとかなりそう」

 明日花が気付いて言った。

「あれ、恵美ちゃんは?」

 桐生と一条が顔を見合わせた。嫌な予感がする。

 連れだって長岡の部屋に行く。結果は予想通りだった。

「これはいよいよ……生き延びるには、〈鬼〉を見つけるしかなさそうだ」


 再び夜を迎えた。

 桐生の耳は、離れたところで壁をたたきつけるような音を聞きつけた。

「あれは……」

 聞き覚えのある音に、戦慄が走る。

「やつが出たようだね」

 姿を現したカイラが言った。

「昨日は何もなかったのに」

「深手を負わせたと言ったろう。回復するために補給をしていたのだろう」

「補給?」

「いなくなった子がいたろう?」

「まさか……」

 そして、今聞こえている音の意味も理解する。

「誰かがまた襲われているってことか!!」

「ニンゲンを食べてしまうことは供給源を減らすことにもなるんだけど、食べられる瞬間のニンゲンは、負の感情の塊だからね」

 部屋を出て行こうとする桐生にカイラは言う。

「行くのかい?無謀だね」

「戦うのはお前だけどな!」

 音がするのは、明日花の部屋の方からだった。

 カイラの力でドアを開ける。

 暗がりに一昨日の鬼と、気を失った明日花がいた。

 鬼は桐生に気付き、影を飛ばしてきた。

 カイラが受け止め、その隙に桐生は明日花を取り戻し、ベッドに横たえる。気を失っているだけのようだ。

 カイラと鬼の力は互角のように見えた。

「わたしも〈補給〉できれば、もっと力が使えるんだけどねぇ?」

 カイラの視線が明日花の方を向いていることに気付き、桐生は叫んだ。

「それは絶対にだめだ!」

「この状況でよく言う」

 それでもカイラが何か呟いた。鬼の動きが封じられたところに、得物である鎌を振り下ろす。

 鬼が窓から逃げ出す。カイラが後を追って窓から出ていく。

 何かがぶつかり合うような音がしばらくした後、カイラが戻ってきた。

「また逃げられてしまったよ」


◆12月30日、朝


「桐生くん、聞きたいことがあるの」

 翌朝、間宮が切り出したのは、沈んだ顔が並ぶ簡単な朝食もほぼ終わりに近づいたときだった。

「昨日の夜、何してたの?」

「何って、何も?部屋にいたけど」

 桐生のセリフに、間宮が後ろにおいていたものを取り出した。

「じゃあ、これは何?」

 間宮が出したのは、27日の夜、最初に襲われたときに来ていた服だった。黒地で目立ちにくいが、血がついているようだ。

 何も言えない桐生に、間宮は取り繕うように言った。

「勝手にお部屋に入ってごめんなさい。でも桐生くん、様子がおかしかったから、まさかと思って……」

 間宮の用意した服に、他の2人も動揺する。

「桐生、まさかお前……」

「違う!」

 否定したものの、桐生は自分を見る目に疑惑が宿るのを見た。

 後ろめたい気持ちがあった桐生は、いたたまれなくなってその場を駆け出した。


◆12月31日


 桐生は他の部員から身を隠していた。

 桐生はカイラと出会った部屋で夜を明かした。

 一条たちが自分を探しているはずだが、ここならばそう簡単に見つからないだろう。

 そっと抜け出す。

 外は雨が降っていた。

「桐生くん」

「間宮……」

 逃げ出そうとする桐生を間宮が引き止める。

「待って、逃げないで!」

 桐生は数歩先で足を止めた。

「こんな状況にしてしまったのも私のせいね……ごめんなさい」

 間宮は一歩近づいた。

「実は私見ちゃったの……桐生くんが鬼みたいなのを操ってるところ」

「……!」

「私が1日目に話したのは作り話だったけど、近くの山に人喰い鬼の伝承があるのは本当なの」

 間宮はさらに一歩近づく。

「鬼は人の心につけこんで契約をする。人を惑わし、契約させた人間を使って人を殺させるの。契約に必要なのは〈秘密〉。秘密が秘密でなくなれば、無効化できるのよ」

 桐生はなおもためらっていた。間宮が駆け寄り、桐生を抱きとめる。

「私、どんなことでも受け止めてみせるから……!」

「……なんだ」

 間宮の腕に抱かれ、桐生は呟いた。

「え……?」

「母さんを殺したのは俺なんだ」

 桐生は続ける。

「母さんは、自殺だった。横断歩道で信号待ちしているとき、ふらっと飛び出したんだ。瀕死の状態だった。もう助からないって、一目でわかった。苦しそうだった。だから楽にしてあげたかった。ダメだってわかってても、それ以上苦しんでほしくなかった。だから……」

「そうなの……辛かったね」

 間宮の腕の中で、桐生は泣いた。


 夜。

 桐生のいる部屋全体が、叩かれるような音で響いた。

「やつは先に桐生を片づけることにしたようだね。厄介な相手である桐生とわたしを先に片づけてから、後でゆっくりとご馳走をいただくという目論みだ」

 カイラの声はするが、姿を現さない。

「しゃべってないで出てこいよ!」

「桐生、秘密を誰かにしゃべっただろう……秘密が秘密でなくなった場合、契約無効になる。これではわたしは力を使えない」

「なんだって!?」

 聞いたことのある話だと思ったとき、ドアが勢いよく開いた。

 ドアの前には、一番見たくない顔があった。

「君が、〈鬼〉だったんだね…間宮」


 桐生は逃げ惑っていた。

 桐生の影からカイラの声がする。

「何か他に秘密はないのかい?嘘でも良いが」

「そんなこと言ったって」

 攻撃をかいくぐりながら走る。

 逃げるうち、いつの間にか屋根の上を走っていた。

「そろそろ終わりにしましょう」

 間宮が屋根の端から声をかけた。

「間宮……どうしてこんなことするんだ……!」

「どうして……?許せなかったから、かしら」

「許せなかった?」

「いわゆる〈普通〉という生き方は、私にはなかった」

 それが間宮の〈秘密〉だろうか、と桐生は考えた。そこを崩すことができれば、現状を打破できるかもしれない。

 桐生の思考を読むように、間宮は言った。

「私から秘密を聞き出せるなんて思わないでね」


 間宮の操る鬼の力は強く、桐生は満身創痍になっていた。屋根に打ち付けられる。

 もうだめだ、と思ったとき、桐生を呼ぶ声がした。

「桐生!」

「お兄ちゃん!」

 一条と明日花の姿が見える。

 カイラの声がした。

「あの娘について、桐生は思うところがあるのではないかい?」

 微かに頭をよぎったことを、必死に蓋をする。

「ない……!」

「秘密は自覚してこそ秘密だ。受け入れなさい、その事実を」

 カイラが腕だけ実体化し、桐生の首を掴んだ。

 なぜ、あの夏の日になって、母親は血液型など検査したのだろう。明日花は妹であることは事実だ。だが、明日花は知らないが、父親が違った。それこそが母親を自殺に追い込んだ原因だった。

 本人がいる前で公には言わないが、大人たちは噂話が大好きだ。過去の事件や、本人に非がないことまで同列で話す。そしてそれは、子供の耳にはよく聞こえてくるものだ。

 カイラは桐生を放した。せきこむ桐生に、カイラは言った。

「それでもあの娘を大切に思うのかい?」

「当然……だろ……妹なんだから……」

 カイラは思案するように言った。

「せめぎあっているようだね……少々弱いかとも思ったが、心にかかる負担がわたしの力になる」

 カイラが完全に実体化した。

「さぁて、反撃開始といこうか、桐生」


「くそッ」

 間宮が毒づく。

 秘密は無効化したはずなのに、桐生は反撃してきた。たいした秘密も嘘もない、ただの内気な同級生だと思って侮っていた。

 化け物とともに屋根に打ち付けられた間宮は、焦げ臭いにおいがすることに気付いた。屋根の端の方に、一条とライターを持つ明日花がいた。

 あらかじめ灯油か何かをまいてあったのだろう。火の回りが予想以上に速い。

 明日花と目があった間宮は、その目の光にぞっとした。何かに気付いたように叫ぶ。

「この兄妹……!!」

 気を取られた、その一瞬が命取りだった。

 カイラの放った一撃が、鬼もろとも間宮に直撃した。


◆1月1日


 桐生は半ば放心しながら、地平線を眺めていた。

 紺碧の空の隙間から、光が漏れ出していた。

「終わった……んだよね」

 明日花が言った。

「ああ……」

 桐生が答えた。

「なんかすごい年越しの仕方をした気がする」

「別荘も燃やしちゃったし、これって事件になっちゃう?高校生にして犯罪者になっちゃう?」

 一条につられ、明日花もおどけるように言った。

 2人とも、普通でないことが起こったのは見たはずだ。だけど、詳しく聞こうとせず、いつも通り振る舞っていた。その優しさが有難かった。

 カイラは姿を消していたが、すぐ近くにいることは感じられた。

 カイラの一撃を受け、間宮と鬼は谷の方へ落ちた。

 間宮は本当に死んだのだろうか。ふとそんな疑問が頭をもたげたが、桐生は今は考えないでおくことにした。

「一瞬疑っちまった、すまん!」

 突然頭を下げた一条に、桐生も一昨日のことを言っているのだとわかった。

「私はお兄ちゃんのこと信じてたけど」

 ちゃっかり付け加える明日花を一条が小突く。

「いいよ、こうして助けにも来てくれたし」

 桐生が改めて2人の顔を見て言った。

「助かったよ。本当、死ぬかと思った……ありがとう」

 2人を見ていた明日花が笑って言った。

「さぁ、おうちへ帰ろう」

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