どうせお前だって百年後には死んでいる
この文書をお前が読んでいるということは、わたしはもうこの世にはいない。
という、ありきたりな始まりで書いてみる。
今日は大晦日。今年も間もなく終わる。この文書はわたしの遺書だ。書き終えたらネット上にアップロードして、わたしは死ぬ。なぜ自殺をするのか? 要因は色々とある。単純にいえば、わたしみたいな世間的に“社会問題”と扱われる人間はとても生きにくいから死ぬのだ。
わたしみたいな存在を”社会問題者”とでも呼ぼうか。障害者、ホームレス、不登校、引きこもり、非正規社員、無職、要介護老人、LGBT、シングルマザー、他にも当てはまる層はいるかもしれないが、こういった人々は社会問題者として度々扱われる。
社会問題者が社会問題以外で取り上げられることはない。
社会問題者が食べているスイーツが特集されたり、どこに旅行に行きたいかのランキングが組まれることは決してない。テレビで識者やコメンテーターが勝手にわたしたちを社会問題者として扱って、勝手に議論して、勝手に次のコーナーへと映っていく。
あるいはジャーナリストを名乗る人物が勝手にわたしたちを取材して記事を書き飯の種にする。そしてテレビを見たり記事を読んだりして、一般人(社会問題者でない人々をそう呼ぼうか)はその時一瞬だけ、社会問題者に関心を向けるが、しばらくするとすぐに忘れる。例えば社会問題者に関する本を読んでその感想書く。そいつはその感想に自己陶酔し悦に浸る。上から目線で「わたしはこんなに社会問題について考えているのだ!」と。しかしそいつはしばし自己陶酔に浸ったあと、今この瞬間に苦しんでいる社会問題者のことなど忘れ、今夜の夕飯のことや週末の遊びのことを考える。
わたしたちは一体なんなのだ? 勝手に社会問題として扱われて、勝手に同情され、すぐに忘れ去られる。識者は言う「社会問題となっている人々を支援しろ!」と。勝手に代弁者になったつもりか?
わたしから言いたいのはたった一言
ほっといてくれ
これに尽きる。
もちろん中には真剣に社会問題者のために取り組んでいる人もいるだろう。ただ社会問題者全員が世間が思っている以上に自分たちのことを社会問題と思ってはいない。むしろお前らが勝手に社会問題者として扱い、区別し、そして差別し、排除する。所詮わたしたちは一般人のグループには決して入れない。「10代女子が選ぶ原宿のスイーツランキング」のような輪には決して入れてもらえない。「社会問題者が選ぶ原宿のスイーツランキング」こんなもの、誰が知りたいと思う? 誰も思わないだろう。
そしてお前ら一般人は社会問題者のことを一括として考えている。
社会問題者だって個人個人独立している。それを一括にしてまるで一般人とは別グループかのように扱う。
そしてお前らの最大の思い込みは社会問題者同士は仲良し集団だと思っていることだ。社会問題者だってお前ら一般人と同じように社会問題者を区別し、差別する。お前ら一般人同士がいがみ合うのと同じようにな。
……薬が効いてきて思うように思考がまとまらない。きっと散文になっていることだろう。攻撃的な文になっているかもしれない。すまない。本当はわたしだってもっと生きたかった。お前ら一般人と同じように生きたかった。でももう遅い。この薬は次第に意識が朦朧としてきて死ぬ薬だ。丁度日付が変わる頃、わたしは死ぬだろう。ギリギリで新年を迎えられるかもしれない。
わたしが最も許せないのは自殺者を救おうとする偽善者だ。
飛び降り自殺をしようとする人がいて、それを助ける偽善者が現れるニュースが度々ある。救ったやつは自殺志願者がどういう思いで自殺をしようと思ったのか想像できないのか? 軽い気持ちで死ぬやつなんていない。自殺志願者は皆、ものすごく考え、結果、死に至る選択を決断したのだ。その決断を蔑ろにし、偽善者は「人を救った!」と自己陶酔する。そして偽善者はそれからの人生で「自分は自殺しようとした人を救ったんだ!」と武勇伝のように何度も語るだろう。その度に自己陶酔する。自殺志願者がどのような思いで死に至る決断をしたかを知りもしないで、飲み会のネタにする。
もちろん、自殺志願者に中には偽善者に救われて、もう一度人生をやり直す人もいるだろう。でも中には偽善者のせいでより悲惨な人生を歩む人だっている。偽善者はどこまで自殺志願者のその後の人生に責任が持てるのか? 命を救うということは、その命に責任を持たねばならない。
そろそろ書き終えて、この文書をネット上にアップロードをしよう。
多くの人に読んでもらうために、昔投稿したことがある、小説投稿サイトにでも上げようか。
わたしは偽善者が現れないように、自室で薬を飲んで死ぬ。
もう頭の中がグルグルと回っている。時間は0時を回ったみたいだ。
新年明けましておめでとう。わたしだって本当は生きたかった。でもこの世はわたしみたいな社会問題者にはとても生きにくい。来世というのがあるなら、今度は一般人として生まれますように。
この一年はどのような一年になるのだろうか? 十年後、五十年後は?
わたしはもう間もなく死ぬので決して知り得ることがない。
わたしの未来はあと数分で訪れる死によって終わる。
お前はわたしのことをどう思うだろうか?
お前がこの文書を読んでいるということはわたしはもう死んでいる。
この世界にとって取るに足りないただの社会問題者一人が勝手に死んでいくだけだと思うか?
それとも偽善者ぶってわたしの死を憐れむだろうか?
どうせこの文書を読んだら、今年一年はどうなるかなと思ってわたしのことなどすぐに忘れるだろう。壮絶に苦しんでいる人々のことなど考えずに、お前自身の幸せのことだけを考えていくことだろう。
お前もわたしと同じように絶望している人生を歩んでいるのか? それとも楽しい人生を歩んでいるのか?
お前は楽しい一年を送るだろうか?
お前には十年後の未来はあるのか? 五十年も生きているのか?
わたしと同じように苦痛に満ちた人生となっていたら大笑いだな。
でも安心しろ。
どうせお前だって百年後には死んでいる。
※本作品はあくまでも登場人物の考えであり、それ以外の考えを否定するものではありません




