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トサ犬博打地獄!

   一、始動編


 タン、タン、タンと先ほどから小気味の良い音が部屋に響いている。部屋には大学生くらいの男たちが三人いて、真剣な表情で卓上の牌を睨んでいる。

 一辺七十センチの正方形の机の上には麻雀牌の山が築かれ、山の前には不要牌として捨てられた牌が河を作っていた。まるで世界を作っているようだ。その世界を囲むように座っている三人の前には十三枚の牌が並べられている。これに山から引いた一枚の牌を加えて役が出来ていれば和了あがれるのが麻雀の基本ルールだ。本来四人で行う麻雀だが、三人でもスリルは変わらない。いや、三人だと引ける牌が増えるので高めを狙いやすくなる。

 俺の役はリーチ前だが、三色同順・純全帯么九ジュンチャンとすでに五役が確定しており、すでに満貫と大きな役になっている。麻雀の所持点数は二万五千点だから八千点も取るとなれば戦略上とても有利になる。さらにドラは『九萬』のためドラ一、リーチもかければさらに二役載るので七役で跳満。裏ドラが一枚か自摸ツモれば倍満、一万六千点という強力な手となる。

 ふふっ、運が来ている。

 俺は笑みを浮かべて、安全牌と思われる『四萬』を切った。

「それ、ロン」

 向かいに座るイッサが淡々とした口調で言った。イッサの手牌が倒れて、俺と下家(シモチャ、自分から見て右手側に座っている人のこと)に座るユウがのぞき込む。

「タンヤオ」

 一役のゴミ手である。

「くそぉぉぉおぉ!」

 俺は手牌を両手で豪快に吹き飛ばした。


「つーかさ、トサさ。今日、十二月三十一日だぜ。一年の最後の日だよ。なんで、麻雀なんてやろうと思ったの?」

 向かいに座るイッサという男は小学校以来の親友だ。背は高めで、眼は細く、女みたいに身体が細いのが特徴だ。とても器用で運動も遊びもそれなりに出来る。本名は佐々 真司さっさ しんじというが、高校時代に同級生の母親から『DA PUMP』のISSAに似ているという俺ら年代としてはなかなかピンと来ないネタで褒められたので茶化す意味も込めて仲間内でイッサと呼ぶようにしている。

「それがさ。昨日、漫画の『哲也』を読んでさ。麻雀、カッコいいな、って思って」

「ああ、それでね」

 イッサが納得したように言った。三人で牌を混ぜた後で、山を作る。

「トサちゃん、帰りに『哲也』持って帰っていい?」

「ああ、いいよ。貸してくれてありがとうな」

 少し控えめな声を出したのはユウだ。本名は唐沢からさわ 裕一ゆういちと言って、パッチリと大きく開いた眼、小柄だが筋肉質な体格が外見的な特徴か。運動は上手いとも下手とも聞かないが、集中力が三人の中でずば抜けており、車の運転を趣味にしている。俺とイッサの一つ下の学年だが付き合いは小学校以来だ。

 手配を用意すると東二局目に入る。今度は俺の親だ。

「哲也、か。俺は『天牌』の方が最近好きだな」

「天牌もいいよな。黒沢さんだっけ、好きなキャラ?」

「そうだよ、シブいじゃん」

 雑談をしながら牌をとっては卓上の河へ捨てていく。ユウはあまり話さないが、遠慮しているわけではなく、もともと口数が多くはないタイプだ。嫌なら参加しない。参加しているうちは好きでやっている。だから黙る時間があっても俺やイッサは気にしなかった。

 イッサもイッサで俺の前ではいろいろと話すが、基本的にはあまり話さないタイプだという。どんな相手とも等距離を保つようにしたいとも聞いたことがあるが、俺やユウといる間は居心地が良いようで、ほかの友達といる時よりも距離感が近い気がする。けっこう短気という話も聞くが、俺やユウに怒ることは滅多にない。

 しかし、さっきの手は和了あがりたかったな。俺は字牌なら良いだろう、と思って『中』の牌を切った。

「ああ、それ。ロン、小三元」

 イッサが言って、手配を倒した。

「おいぃぃぃいっ!」

 俺は天に向かって咆哮した。


 考えてみればイッサは高校時代に麻雀で校内三傑の一人だったことを思い出した。俺やユウで戦力が均衡するわけがない。一応、半荘ハンチャン一回を終えたが、もう一回する気にはならず、スマホをいじっていた。

「トサ、とりあえず清算しないか。誤魔化すのはなしだぞ」

「……いくらだ」

「トサは二千円、ユウは五百円。よろしく」

 ユウはさっさと金を出して、俺は財布から渋々金を出した。

「トサちゃんさ、なんで賭けなんてするの?」

 ユウは不思議そうに俺に言った。

「なんで? なにかおかしいか?」

「だってさ、イッサが麻雀得意なんて知っているわけじゃないか。勝てるわけがないのにどうしてするのさ」

 言われれてみればイッサは三傑だが、俺は特に強くも弱くもない。いや、どちらかというと弱いかもしれない。それでもする理由、か。

「俺は必ず勝つからやるとかじゃないんだ。やりたいからやる、あー、カッコ悪いな。そうだな、自分の主義主張を曲げたくないからやるんだよ」

 俺が言うと、ユウはなんとも理解しづらいのか、言葉に詰まる。

「トサらしいな。俺には理解できないよ。俺は勝算がないと賭けなんてしない」

 イッサらしいと俺は思った。俺とイッサがユウに視線を向ける。すると、ユウは俯いた。

「僕は賭けとか分からないよ。基本的にしたくない」

「それじゃあ、なんで今回、賭けをしたんだ?」

「二人がしたから。だから、主義とか勝算とかあまり関係ないんだ」

 ユウらしい答えだった。イッサは一考した様子を見せる。

「でもさ、僕は賭けることについてなにか答えを出したいと思うんだ。いつでも二人の行動を見てからってなんだかいいのかな、って思うから」

 ユウはそう言うと、なんだか照れ臭そうにスマホに視線を向けた。




   二、風雲編


 部屋でスマホをいじって過ごして年末を過ごすのも味気ないのでユウの車に乗って映画でも観に行くことにする。俺は車の種類なんて分からないが、ホンダのライフという車種らしい。色は水色だ。俺は後部座席に座って、助手席にはイッサが座っている。

「それで、なんの映画を見るんだ? プランとかあるの、トサ」

 イッサが何気なく尋ねると、トサは「ん~」とお茶を濁す。

「ん、無難に『鬼滅の刃』とか考えていたんだけど」

「いや、俺もユウも観たぜ。他にないの?」

「それじゃあ、なんだろ、ドラえもん?」

 トサの回答にイッサはしっくりこないようで、首を傾げた。運転席のユウに顔を向けた。

「まあ、別に何でもいいけど、ユウ、おススメは?」

「……『魔女がいっぱい』。監督がゼメキスで、アン・ハサウェイが出ているよ」

「ゼメキスって、有名な監督だっけ?」

 俺の質問にユウは表情一つ変えない。

「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の監督だよ。イギリスの小説が原作だから面白いと思う」

「おっ、いいじゃないか。それにしようか」

「確かに俺もそれがいい」

 今度はイッサも納得して満場一致となった。映画館を調べ、最寄りの駐車場へと向かう。


 とはいえ、タイムリーに上映しているわけもなく。十八時の上映までにまだ二時間ほど時間に余裕があった。暇なのでスターバックスコーヒーか本屋にでも行って時間をつぶそうと三人は街中を歩いている。

 去年に比べると街の大通りの人通りはとても少なくなっていた。当然ながらマスクをつけているし、三人以上のグループで歩いている人も少ない。どこか寂し気で、お店の中に入る人も、いる人も少ない。俺としてはそんな街並みを見ていると少し心が痛んだ。コロナなんてさっさとなくなればいいのに、と思う。

「おい、トサけん

 不意に声をかけられて、俺は足を止めた。イッサとユウも足を止める。俺は声のした方向に視線を向けると、四人グループがおり、先頭には大学の同じゼミの学生であるコージがいた(ごめん、本名はよく覚えていない)。コージは俺よりも背が高く、茶髪に染めていて、目つきに攻撃的な印象があった。

 ちなみにトサ犬というのは俺の愛称の一つだ。土佐とさ 健太郎けんたろうだから人によっては『トサ犬』という奴もいるし、犬呼ばわりは嫌だとかそういう理由で『トサ』や『トサちゃん』と呼ばれることも多い。

「コージ、か。なにか用か?」

 俺としてはコージと大学のゼミで喧嘩をして以来、プライベートで会いたくない存在になっていた。こう見えて学者肌の俺としてはゼミの課題の途中報告をサボる奴は好きではないのだ。してもいい加減な内容なので喧嘩をしていなくても仲良くはならなかっただろう。イッサやユウは理系学部なのでコージとはあまり面識がない。

「大晦日に男三人で彷徨っているお前らを遊び誘ってやろうと思ってね」

「四人の三人で七人だろ。それ『密』じゃねぇか。やめておこうぜ」

 コージの口調が気にくわないので適当に断ろうとする。

「まあ、そう言うなよ。ちょっとしたゲームだよ。ついて来いよ」

 コージがそう言って、ほかの三人と歩き出した。

「どうする、トサ。面倒そうだぞ」

 イッサが尋ねる。ユウはムスッとした表情をしている。

「あいつとはゼミで顔をあわせるからな。まあ、話くらいは聞いてやろう」

 俺はそう言って、コージたちの後に続いた。


 大通りをしばらく歩くと、コージたちは雑居ビルの中に入っていった。俺は足を止める。

「なんか、『哲也』とか『天牌』みたいな展開になったな」

 俺が雑居ビルを睨みながら言うと、イッサは苦笑する。ユウも苦笑いを浮かべていた。

「なんかね」

 ユウが言うと、イッサは肩をすくめる。

「また麻雀だったら、トサ、ピンチだよな。今日はあまり流れが良くないみたいだし」

「入ったらヤクザがいたりしてな。……その時はトイレの窓から逃げよう」

「フロアが三階以上だったら無理だぜ、トサ」

 イッサが思わずツッコむと俺は苦笑してとりあえずコージたちの後に続いて雑居ビルに入る。コージたちが二階の部屋に入ったので俺は少し安心した。

 二階の部屋は少し洒落たバーのような店だった。少なくとも全自動雀卓があるような雰囲気ではない。薄暗い雰囲気ではなく、天井に設置された器具も点灯させているので部屋の内装にしては明るい。他に違和感があるのは大きな円卓テーブルの上にテレビとプレステ4が置いてあることくらいか。

「コージ。遊ぶって本当に遊ぶんだな」

 俺がコージに言うと、店長らしきおじさんと話していた彼は鼻で笑った後で振り向く。

「ただゲームで遊ぶだけなわけがないだろ。賭けをするんだよ」

「賭け?」

 ゲームで賭けって『ジョジョの奇妙な冒険』の三部みたいな話だ。

「どういう賭けだ?」

「賭ける金額は一人一、いや五千円だ」

 日和ったな。安くはないが、そこまでひどくない。

「それと、負けたら『負け犬』と書かれたセーターを着て、年明けまで過ごしてもらう。写真も撮らせてもらう。インスタにあげる」

「はぁ?」

 俺は思わず大きな声で言うと、コージの友達の一人が『負け犬』と書かれたセーターを出した。

「なんだ、作ったの、それ」

 イッサが呆れた様子で言うと、コージの友達は頷いた。その努力は褒めてあげたい。

「それで、ゲームはなにするの? 野球ゲームとかレースゲームか」

 ジョジョの三部ならその辺りだな、と思いながら言った。

「いや、サッカーゲームだ。『FIFAフィファ』だよ。しかも最新版だ」

「おおっ!」

 コージの発表に、サッカーはリアルもゲームも好なイッサは思わず声を上げた。

「コントローラーも六つ用意している」

 コージの友達が言った。

「細工してないだろうな」

「するわけないだろ。……借りものだからできねぇし」

 正直な男だ。


 FIFAとはサッカーゲームの一つである。実在する選手やチームのデータが登録されており、細かい戦術設定やボタン操作で実在の選手がするような高度テクニックの数々ができる。世界的に販売していることもあってマイナーリーグの選手データも登録している。

また、欧州を中心にイースポーツの一つとされ、サッカーのクラブチームでも選手を抱えるほど盛り上がりを見せている。

「でもさ、先に決めたチームが不利じゃないか」

 チーム選択画面に入った時、イッサがまじめな顔で言った。確かに、チームの選手や戦術で多少の相性があるし、チームの能力が相手より高いチームを選んだ方が有利だ。

「それじゃあ、最初から強いチームを選べばいいんじゃないか」

「そう単純なゲームじゃないんだよ」

 コージが面倒そうに言うと、イッサは少し苛立った様子で言った。ユウも頷く。俺としてはまあどっちでもいいかな、と思っていた。

「ああ、分かった。こっちから選んでやるよ」

 すると、チーム選択権を持っているコージはセリエA九連覇中の王者ユヴェントスを選んだ。セリエAの中でも一番の分厚い選手層を誇り、チャンピオンズリーグの常連チームである。対抗するとすればイングランドのプレミアリーグ覇者のリヴァプールや昨季チャンピオンズリーグの覇者バイエルン・ミュンヘンくらいにしたいところ。だろうが。

 俺は迷わずユヴェントスと同じリーグに所属するASエーエスローマを選んだ。戦力として同リーグの上位陣に入るが、欧州全体で見ればユヴェントスが最上位級とすればローマはせいぜい中の上か中程度だろう(*厳密にはFIFAの最新版ではASローマもユヴェントスも実際のチーム名では登録されていないが、話の都合上実名登録されているとする)。

「いや、無理でしょ」

 ユウが思わず言った。すでに画面は戦術やスタメン選手登録画面になっている。俺はその発言が気にくわなかった。

「なにが気にくわないのか」

「いや、ユーヴェでしょ? 無理でしょ。相手は連覇中で、ローマは昨季何位だっけ」

「五位だよ」

「ダメじゃん」

 順位だけで判断するユウに俺は愕然とした。優勝していないからなんなのか。俺はローマが好きなんだ。ロマニスタなんだよ。つーか、ユヴェントスと優勝争いをしたシーズンもけっこうあったし。

「ユウ、無駄だよ。トサはロマニスタだ。俺だって相手がビジャレアルを選んだらバレンシアを選ぶさ(※バレンシア・ダービーのため)」

 さすがサッカー通のイッサはそこらへんのことをよく理解している。しかし、イッサの表情はどこか余裕があった。

「それにさ、ユウ。あまり悪くない組み合わせだよ、これ」

 イッサが言うと、ユウは首を傾げた。選んでおいてなんだが、俺もあまりこの言葉の意味を理解していなかった。


 ルールは一試合のみの一発勝負。試合時間は三十分とした(店長が五時過ぎには帰りたいそうなので)。コージたちは多少選手をいじったくらいで基本戦術はいじっていない。対してこちらはイッサの指摘と俺のローマについての知識を複合していろいろといじった。

 ユヴェントスにはあのクリスチアーノ・ロナウドが攻撃の中核におり、中盤にはラビオ、アルトゥール、マケニーという若くて優秀な中盤がいる。最終ラインもボヌッチという超人的な精度を誇るロングパスも出せる世界レベルのディフェンダーがいる。ベテラン選手もいるが、若い選手も多いのでスタミナ切れの心配もない。そのうえ技術レベルはベテランにも負けていない。

 そのため、前半こそこちらは守勢に立っており、ひやひやする場面が多かった。ゲーム内経過時間でいう前半十五分(実際の時間としては五分くらい)には均衡が崩れたというか、ちょっとした隙から一失点した。

「うーん、ヤバいか、これは」

 と言いだしそうになったが、真剣な表情で戦うイッサとユウの前でそんなことは言えないので。

「うーん、義務失点だな」

 と言って、二人は少し笑った。ユウはすると、顔を突き出して、画面を凝視する。

(スイッチ入ったな、これは)

 ユウの集中力が最大になっていく過程の一つだった。サッカーゲームではないが、一度集中のスイッチが入るとこいつはクリアするまでゲームをやめない。以前大作RPGを買ったとかいう時に遊びに行ったのだが、一言も発せずにひたすらレベル上げと攻略を進める様子を見た時がある。また、さらに補足するとユウはこのゲームの初心者ではない。

 ローマの攻撃陣はユヴェントスより少し見劣りするが、そこまで差があるわけではない。1トップのエディン・ジェコは対空戦の強さに秀で、シュート能力、パス能力も高いレベルにあり、また体躯の強さもあり、フィニッシュどころか攻撃の組み立てでもなんでもできる。左右のインサイドハーフ(トップより後ろの位置にいる攻撃の組立と得点チャンス作り出す。可能ならば得点もするポジション)のムヒタリアンとペドロは技術も得点力もあり、最悪三人だけで攻撃を組み立てることもできる。

 FIFAでは技術力の高い選手であれば、プレーヤーの腕次第でできることが増える。この場合、集中力の高くなったユウがペドロでも使えばあっという間に相手のディフェンスラインをすり抜けてシュートまでもっていくことが珍しくなくなる。

 攻撃が回り始めたのは失点後すぐだった。そして、得点機が前半終了間際にやってくる。少し雑だが、中盤のヴィジャールを使って、長身かつ対空戦の強いジェコに向かってロングパスをしてやると、イッサはジェコを使って対空戦に打ち勝ち、ペドロに向かってパスを出す。ユウの操作するペドロは実際の選手と変わらない動きを再現し、小柄な身体を活かした小回りでユヴェントスのディフェンスラインをかわして、フェイントを二度かけたあとで得点する。これで同点となり、試合は振出しに戻り、前半は終了する。

 このままでいけば勝てるかもしれないと思ったが、イッサは相手の戦術設定画面をじっと見ていた。俺は声をかけようとしたが、彼の考えを途切れさせるわけにはいかない。ユウについても同じだ。集中力を途切れさせるわけにはいかない。相手はユウを茶化そうとするが、まったく声は届いていない様子だ。

 後半は前半の延長になるかと思いきや、相手も誘ってきたから未経験ということはなかった。体格の小柄なペドロに身体能力が高く、一対一の守備力が高いデ・リフトを投入してきた。いくらユウの集中力があるとはいえ、ペドロでの突破は難しくなる。

「トサ、選手を変えよう」

 攻撃が何度か防がれるとイッサが俺に言った。俺は戦術設定画面を開いた。

「ペドロからザニオーロにしよう」

 ニコロ・ザニオーロ。イタリア代表の中でも注目されている若手選手の一人であり、長身で速さがあり、フィジカルが強く、シュートも高い精度を誇るローマの切り札である。

「おお、ようやく使うか」

「デ・リフトを出されたからね、ザニオーロしかカードがない」

 ザニオーロしかない、というところにイッサは不安を感じていたようだ。ペドロよりは上手くいったが、得点まではいかない。そもそも焦りが出ているのか、こちらのパスミスやインターセプトをされることが目立ってきた。

 まずい雰囲気であることは俺が分かるくらいだからイッサやユウも感じているはずだ。焦ってパスを回しても一人で遊んでいる時とは違って選手の動きがコンピューターのような精度が出ない。次第に攻撃される時間帯が増えて、ついにはロナウドに得点されてしまった。後半二十分と微妙な時間帯である。

 失点してしまったことでユウの集中力が途切れ気味になると、攻撃がさらにうまくいかなくなる。得点したいのに逆に攻め込まれる場面が増えた。間一髪で防いでいるがどうにもうまくいかない。イッサは考えているようだが、特に進言は出てこない。

 どうにもフィールドの真ん中あたりで取られているな、と俺は思った。どうせ負けるならやりたいことをやろうか、と思い、戦術設定画面を出した。

 なにか策でもあるのかと言わんばかりにイッサとユウが俺を見る。

「正直、3-4-2-1(ゴールキーパーを除いた最終ラインからの選手の配置を表した言い方。この場合はディフェンス三人、中盤四人、インサイドハーフ二人、トップのフォワードが一人ということになる)ってやりづらい。4-4-2に設定したい」

「は? 全然違くない」

 ユウの言う通りだ。最終ラインが四人になるし、中盤も四人で形成する。インサイドハーフという位置づけはなくなり、ツートップということになる。

「いや、こういう配置はさ、実際の試合ではいいかもしれないけど。俺は遊ぶ時、ショートパスが多いから選手間が近い方がいいんだよ。というわけでやりやすいように選手も変える」

 というわけで交代枠を使い切ってすべてを変えてしまった。普通の試合ではめちゃくちゃになるだろうが、これはゲームだ。プレイヤーがやりやすいように変えてしまった方がいい時もある。今回がそうだった。

 コージたちは俺がローマを操作することも考えていろいろと対策も考えていたようだった。実際の試合を見ていただろう。だから、イッサの対応もある程度は分かっていたようだ。しかし、実際のローマは4-4-2なんてフォーメーションはしない。これ以上はもはや戦術論の話になるので書かないが、今のローマの構想では実現されていないパターンだった。

 相手はマークの設定もしていたので、位置が大きく変わったローマへの対応が遅れてしまった。その隙をイッサもユウも見逃さなかった。俺はトップ下に位置したイタリア代表ペッレグリーニでスルーパスを出すと、イッサの操るジェコがフィジカルを活かして、強引にボールを奪い取り、デ・リフトを振り切ったユウの操作するザニオーロへパスを出すとユヴェントスのゴールキーパー、シュチェスニーとの一対一を制し、得点する。これでまた振出しに戻る。試合が再開される前にコージ側も攻撃に力を入れるべく、ディバラを投入して前線の枚数を増やす。お互いに攻撃に力を入れて、かろうじて攻撃を防ぎながら渾身の攻撃を繰り返す。紙一重の攻防である。

 間もなく最大のチャンスが来た。平均身長としては負けているローマだが個々の選手では身長が高く、対空戦に強い選手もいる。実際の試合でもセットプレーでの得点が珍しくないチームである。

「いっそ、ごちゃごちゃしているところにボールを放り入れた方がいい」

 とイッサは呟き、指示コマンドを出す。すでに後半四十三分で時間はない。おそらくラストチャンスに近いだろう。中盤の選手であるヴェルトゥが蹴ったボールは放物線を描いて、選手たちが密集するゴール前へと落ちていく。どうなるか。部屋にいる人々の視線が集まった。




   三、四面楚歌編


 映画を見終わった俺たちはこれからどうしようかと映画館を出ながら話していた。去年ならメシでも食って帰るところだが、このコロナである。とりあえず部屋で過ごそうかという話になりかけた時だった。

 『負け犬』と書かれたセーターを着たコージが俺たちの目の前に来た。律儀に着たままのようだ。

「ようやく映画を見終えたみたいだな」

「あのさ、もしかしてストーカーしていないか。さっきのゲームの時も思ったけどさ、偶然会うなんておかしいよ」

 イッサが思わず言うと、俺も薄っすらとそんな気がしてきた。

「なにかいちゃもんか。でも、さっきの試合でも言ったけど、あれはほとんど運だった。確実に入るわけでもないし」

「うるさい、俺はフォローしてほしいわけじゃない!」

「それじゃあ、なんだよ。金なら返さないぞ」

「そうじゃない」

 コージが興奮しながら言っていると、後ろに立っている四十代くらいの白髪の混じった小太りのオッサンが彼の肩を叩いた。

「まあ、興奮するなよ。兄さんたち、こいつはお前らともう一勝負したいようなんだ。それで俺は立会人ってわけ」

 如何にも怪しい口ぶりである。

「トサ、さすがにこいつはヤバいよ」

 イッサが小さな声で俺に言った。そんなことは言われなくても分かる。ユウは無表情でコージたちを凝視していた。

「嫌です、とか言うとどうなるのでしょうか」

 相手が年上ということもあるので俺は恐る恐る言った。すると、おっさんは苦笑した。

「ああ、言い忘れていたけど、俺の後ろにいる少し愛想の悪い連中、俺の仲間なんだよ。俺は良いって言ってもこいつらはなんて言うかな」

 こういう言い方が一番イライラするというか、質が悪いというか。

「……ちなみにどういう勝負なんですか?」

 俺が尋ねると、おっさんは苦笑する。

「お前ら、車で来ているならそこの空き地まで来いよ、そこで集合してから向かうとしよう。ちなみに逃げないようにスマホは預からせてもらう。なあに、合流したら帰してやるよ」

 いよいよヤバくなってきた。嫌とも言えない。ユウは不安そうな表情をしている。イッサも困ったな、といった様子だ。しかし、逃げ切れるとは思えないし、逃げたら何をされるか分からない。とりあえず、言う通りにスマホを渡した。

 それから車に戻り指定された空き地まで行くと、案の定というか如何にもな暴走族風のデコレーションがされた車やバイクが並んでいた。

 車の中で三人は頭を抱える。

「コージ、付き合う相手を考えろよ」

 俺は呆れて言うと、二人は頷いた。その後はオッサンの乗るバイクに先導されて移動する。移動中にコージから来たラインの内容によるとおっさんの名前は鳴門坂なるとざか 京二きょうじと言って、地元の暴走族『ヘルズサタンズ』のリーダーだそうだ。最初は冗談かと思ったが、チーム名も含めて事実だそうだ。


 車で移動すること一時間。俺たちは決戦の地へと着いた。どうやって見つけたのか、漫画かドラマにでも出そうな崖である。しかも相当な街はずれなのに街灯が整備されていて街中ほどではないが、十分に明るかった。俺たちは指示された通りに車から降りてスマホを受け取った。この人も律儀である。

「それで鳴門坂さん、勝負というのは?」

 俺が尋ねると、鳴門坂のおっさんは少し驚いた。自己紹介をしていないからそれもそうか。慌ててコージから教えてもらったことを伝える。

「俺らを仲介した時の勝負はもちろん、チキンレースよ。そこの崖めがけてやるんだ。簡単だろ?」

 鳴門坂が言った後で俺はイッサとユウに顔を向けると、二人は呆れた様子で肩を落とした。すると、コージが俺と鳴門坂の間に入る。『負け犬』入りのセーターを着て。

「どうする、逃げてもいいんだぜ。ただし、条件があるがな」

「どういう条件?」

 尋ねてみる。

「鳴門坂さんたちに対する迷惑料も含めて一人四十万円は払ってほしいな」

 いきなり金が上がったな。

「ちなみに賭けにする場合、賭け金はいくらだ?」

「ん、そうだな、三万円だな。それと、このセーターを着ろ」

 随分と落ちたものである。自腹になると日和るあたりずるい男だと思う。俺はとりあえずイッサとユウに話すことにした。賭けの条件を話す。

「というわけで、賭けにのることにしたい」

 俺が言うと、イッサとユウは難しい顔をした。

「チキンレースだろ? 崖に向かって」

 イッサが言うと、ユウは頷く。

「危ないよ」

「しかし、逃げられないだろ。ざっと十人以上入るし、バイクもあるし、速そうな車もある。金を払うにも三人合計で百二十万円だろ。学生には厳しいし、親に迷惑をかけるわけにもいかない」

「まあ、そうだけどさ」

 イッサは乗り気ではないようだ。まあ、最悪、俺だけでするしかないかもしれないけど。別に三人でやれとは言われていないし。ただ、車がないからなぁ。ユウに借りるしかないか。壊すわけにはいかないから、結構余裕を見て止めよう。お金は二人から少し借りればそんなに悪くないかもしれない。

 ふと、ユウの顔を見ると、彼は考え込んでいるようだった。そして、視線を俺に向ける。

「トサちゃん、僕はやるよ」

 ユウの返答は意外だった。賭けなんて嫌がっていたのに。特に今回はチキンレース。下手をすれば死ぬというのに。

「いいのか、ユウ。金も賭けるし、車も壊すかもしれないし、下手をすれば死ぬかもしれないのに」

「……そうだけど、トサちゃんは主義を曲げたくないから賭けにのるんだろ」

「まあ、コージから逃げるのは嫌だな」

 俺が言うと、ユウはイッサを見る。

「イッサは勝算がないからやるわけだろ」

「さっきのサッカーと違ってね。リスクとリターンが釣り合っていないし、勝ち筋が見えない。危ないから参加したくない」

 イッサが冷静に言った。彼らしい判断だ。

「僕は賭けることについての答えを今回出そうと思う」

 ユウはなにかを決意した様子で言った。そこまで言われたら俺もイッサも止める理由はなかった。




   四、完結編


 しかし、ユウを死なせるわけにはいかない。ユウには念入りに落ちる危険を感じたら迷わずブレーキを踏んで構わないと伝えた。どうせ三万円の賭けだ。それで命を落とすなんて馬鹿らしい。コージに負けるのは癪だが、ユウの命には代えられない。

 参加するのは俺とユウだと伝えると、相手も二人で戦うという。運転手と助手席に一人乗ることにした。コージは運転手にならず、俺よりも年上の男が担当するという。指ぬきグローブに黒い革ジャン、サングラス、そして、髪型はモヒカン。ただ者ではないだろう。

「絶対プロだぞ、あいつ」

 助手席に座りながらユウに俺は言った。ユウは早くも集中モードに突入しているようだった。勝ちに行くつもりだな。俺はユウのそんな心意気を頼もしくも思ったが、それ以上に無事に終わってほしいという気持ちもあった。不器用で寡黙ながら真面目でいいやつなんだ、こんなところで死んでほしくはない。イッサも同じ気持ちのはずだ。

 と、イッサの姿を確認すると、イッサは崖までの一直線のコースを散歩していた。正確な距離は聞かされていないが、あまり長くはないように見える。

「あいつ、こんな時に何をしているんだ?」

 進行を遅くしてユウの緊張感を解してやっているつもりだろうか。その割に下ばかり見ている。そして、足でなにかを擦っていた。まったく意味不明だ。すると、暴走族の何人かがイッサに声をかけると、イッサはさっさとコース外に出た。暴走族のメンバーたちもコース外に出る。

「ルールは簡単だ。これから俺がカウントダウンをした後にスマホでサイレンの音を大音量で出す。それが合図だ。鳴っているうちにスタートしろ。鳴り終わっても動かなかったらそれも負けだ。いいな」

 鳴門坂が近づいて合図の説明をした。プレッシャーをかけてくる。コージの親分なんだからそれくらいはするだろうな。さて、どうなるか。コージの後にこいつに絡まられるとそれも面倒だな。

 そんなことを考えているうちに鳴門坂はレースを鑑賞する特等席へと行った。あいつにとっては暇つぶしかもしれないな。

 二台の車が並ぶ。相手の車は赤い車だった。スピードが出そうな車だった。ユウに余裕があれば車種を教えてもらえたが、今のユウにそれはただの邪魔でしかない。車のエンジンの音が聞こえる。まるで映画だ。心臓が緊張で高鳴ってくる。胸が苦しいとさえ感じた。

「それじゃあ、行くぞ!」

 鳴門坂の声が聞こえた。ご丁寧に拡声器を使っている。

「五、四、三、二……」

 運転なんてしなくてよかった、と思った。していたら心臓が破裂してしまったかもしれない。俺は前しか見ていなかった。ただ、どうなろうと絶対に逃げないとは思った。

「一、スタートぉ!」

 サイレンの音が聞こえる。瞬間、車は急発進した。映画ならいろいろと考えたり駆け引きをするのだろうが、実際はあっという間だった。車の走る音が大音量で聞こえてきて、目の前の風景が動き出す。崖がどんどん近づいていく。何度も死ぬと思った。しかし、止めろ、とは言わなかった。気絶しそうになるほど、心臓が飛び出しそうなほど高鳴っていた。気が付けば、崖の少し前で停車していた。少し余裕があるように見えた。それほどギリギリではない。ホッとした気持ちもあったが、これくらいなら相手はもっとギリギリかもしれない、と思った。

「おい、早く車を出せ!」

 誰かが後部座席に乗ってくるなり言った。ユウは素早く車を動かして、その場を後にした。何が起こったか分からない俺は周りを見回した。

「なんだ、勝ったのか?」

 俺が言うと、座席が叩かれた。

「勝った。けど、あのままいたら何をされたか分からなかった」

 イッサの声だった。俺は後部座席の方を見た。

「勝ったのに逃げるのか?」

 俺が言うと、後部座席のイッサはうなずいた。

「そうだ。俺が邪魔したからな。すぐにいちゃもんをつけただろう」

「邪魔? 車の前にでも出たのか?」

「違う、サインを消したんだよ。このあたりでブレーキをかけろっていうサインを」

「そんなのがあったのか?」

 俺が驚いて言うと、イッサは頷いた。

「俺だったらそうすると思ってね。コースを調べたんだ。実際、あったから足で擦って消してやった」

「サインしなおさなかったのか?」

「スタート直前でそんなことをしていたら、トサが文句を言っただろう」

「まあな。調べていたと思う」

 俺が言うと、イッサは苦笑した。

「トサもユウも勝負に夢中だったからな。調べていて良かった。しかし、ユウもよく再発進したな」

 イッサが運転席のユウを見る。俺も運転しているユウを見た。見たところほぼ無表情だったが、ふと大きな目をぱちぱちと動かした。

「……あっ、どうなったの?」

 ようやく気付いたようだった。運転しているから気絶していたわけではないだろうが、身体が反射的に動いたようなところだろうか。

「お前が勝ったんだよ」

「勝った? ホント? でも、なんでまだ走っているの?」

 ユウが不思議そうに言うと、俺とイッサは苦笑した。

「あのままいたら危なかったからだよ。たぶん、今頃、向こうも追いかけてくるところだろう。疲れていると思うけど、もう少し頑張ってくれ」

「……分かった」

 とりあえずホッとした俺はスマホを見る。時間はもうすぐ十二時になる頃だ。

「年明けは車の中で過ごしそうだな」

 俺が言うと、イッサは頷いた。

「まあね。ユウ、疲れたら運転代わるぞ」

 イッサが言うと、ユウは頷いた。俺は席に深く座る。

「で、どうだ、ユウ。賭けることの答え、出たか?」

 俺が尋ねると、ユウはふふっと笑った。

「ん~、まだわかんない。心臓に悪いってのは分かった」

 ユウの言葉に俺とイッサは大きな声で笑った。しばらく俺のお気に入りの言葉にもなった。

 スリリングな大晦日になったが、そのあと、俺たちは無事に俺のアパートに帰り、とりあえずひと眠りすると昼頃にはとりあえず解散した。後日、大学の図書館で新聞を読んだところ、鳴門坂率いるヘルズサタンズは正月に事故を起こして、何人か逮捕されたそうだ。これでとりあえずは安全だろう。


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